オルドス最後の夜は空港の近くのカンバシに泊まることにしました。ノリブがいろいろ連絡してくれて懐かしいメンバーが集まってくれました。
いつもの白酒の激しい宴会ではなく、ビールをチビチビ飲みながら懐かしい話が静かに繰り広げられました。
中でもゲゲリアとは10年ぶりの再会。彼女は2005年。僕の母校の明治大学に留学、2006年に行われた大学の留学生日本語スピーチコンテストで優勝しています。タイトルは「縁」。そこには僕とのほのぼのとしたエピソードが語られています。
このコンテストに出るにあたって当初は僕の緑化事業のことを訴えたかったようですが、メンターにバッサリ切られて、ほのぼのとした感じになったとのこと。彼女としては僕の緑化事業のことを多くの人に知ってもらいたいと思っていたのでちょっと不服だったようですが、結果的にそれがよかったのかもしれません。
いずれにせよ彼女に「最初に日本語を教えた者」として誇りに思います。
そして改めて「縁」を噛みしめました。30年来のオルドスの人々とのつながりで僕も活動を続けられているし、生徒や先生や最近はその子供たちも僕との縁で日本とのつながりができています。「縁」が「緑」を広げ、「緑」が「縁」を広げていく・・・そしてこちらの「塩」も。そういう活動にしていきたいと思います。
*最後に彼女のスピーチの原稿を貼っておきます。ぜひご覧ください!
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「縁」
1991年の秋、私の故郷、内モンゴルのオルドスに一人の日本人がやってきました。地元に来た初めての日本人の方だと思います。青年海外協力隊員で、モンゴル族の高校に日本語を教えに来ていると父から聞きました。小学校二年生だった私は何故かその人に強い好奇心を持つようになったのです。
その後、彼は週末になると、うちまで遊びに来るようになりました。彼の名前は坂本毅と言い、福岡県出身で明治大学商学部の卒業生だと知りました。私が彼から習った初めての日本語は、なんと「食いしん坊」という単語でした。実はこれは私のことを言っています。
坂本さんが家に持ってきた日本のビデオから、初めて、日本人の言葉、日本人が住んでいる町、神社などを見ました。子どもの私にとって全てが新鮮で、頭の中で何も知らなかった日本の姿が、だんだんと見えてくるようになりました。
そして、私の10歳の誕生日に、坂本さんが誕生日プレゼントとして、ある変わったぬいぐるみをくれたのです。形は見たことのない動物だったけれど、不思議なプレゼントをもらえて嬉しかったです。そして、10年後に私は日本の店で、見覚えのあるものを見付けたのです。思わず涙があふれました。昔のプレゼントのことを思い出したのです。あのぬいぐるみはトトロだったのです。ちゃんとしたおもちゃすらなかった小さな町にいた私が、あんな素敵なプレゼンをもらえたのは幸せだったなあとその時初めて気付きました。後で坂本さんに会った時、トトロは坂本さんが当時わざわざ遠い日本から送ってもらったと言うことを聞いて、もっともっと感動しました。
1999年、高校一年生だった私は日本の富山県へホームステイに来たことがありました。初めての来日で、毎日が不安と喜びでいっぱいの中で、私は既に帰国して大阪で仕事をしていた坂本さんに電話をしました。2日後、坂本さんはわざわざ富山まで会いに来てくれたのです。嬉しかった。6年ぶりだったのですが、いろいろな話で楽しい午後の時間はあっという間に過ぎてしまいました。
それから四年後、私が日本に留学に来て迷うことなく明治大学を受けることにしたのも、明治大学は私が知った初めての日本の大学だったからです。何故か自分にも分からないほど強く明治大学に受かることを毎日のように願っていました。大学受験の面接の時に、「何故明治を選んだのか」と聞かれ、「私が知り合った始めての日本人が明治大学出身だったからです」と答えました。そして、明治に受かったと報告した時の坂本さんの笑顔が忘れられません。
初めて坂本さんに会ってから15年経ちました。トトロは今でも私のいないオルドスの実家に飾られています。何年も連絡が途切れた時期があったにも関わらず、坂本さんと私の家族との付き合いは続いています。普通なら、自然と付き合いが途絶えてしまってもおかしくないでしょう。いつも思いますが、坂本さんに出会わなければ、もしかしたら今日本で勉強している私がいなかったのかもしれません。そう考えると、縁という物は本当に不思議なものだと思います。初めて会った時の坂本さんの年齢に私は今なりました。坂本さんが私に影響を与えてくれたように、私も将来誰かに影響を与えられたら良いなと思います。人生には、沢山の出会いがあるけれど、一つ一つに何か意味があると私は信じています。これからもそういった縁を大切にしていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
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中でもゲゲリアとは10年ぶりの再会。彼女は2005年。僕の母校の明治大学に留学、2006年に行われた大学の留学生日本語スピーチコンテストで優勝しています。タイトルは「縁」。そこには僕とのほのぼのとしたエピソードが語られています。
このコンテストに出るにあたって当初は僕の緑化事業のことを訴えたかったようですが、メンターにバッサリ切られて、ほのぼのとした感じになったとのこと。彼女としては僕の緑化事業のことを多くの人に知ってもらいたいと思っていたのでちょっと不服だったようですが、結果的にそれがよかったのかもしれません。
いずれにせよ彼女に「最初に日本語を教えた者」として誇りに思います。
そして改めて「縁」を噛みしめました。30年来のオルドスの人々とのつながりで僕も活動を続けられているし、生徒や先生や最近はその子供たちも僕との縁で日本とのつながりができています。「縁」が「緑」を広げ、「緑」が「縁」を広げていく・・・そしてこちらの「塩」も。そういう活動にしていきたいと思います。
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「縁」
1991年の秋、私の故郷、内モンゴルのオルドスに一人の日本人がやってきました。地元に来た初めての日本人の方だと思います。青年海外協力隊員で、モンゴル族の高校に日本語を教えに来ていると父から聞きました。小学校二年生だった私は何故かその人に強い好奇心を持つようになったのです。
その後、彼は週末になると、うちまで遊びに来るようになりました。彼の名前は坂本毅と言い、福岡県出身で明治大学商学部の卒業生だと知りました。私が彼から習った初めての日本語は、なんと「食いしん坊」という単語でした。実はこれは私のことを言っています。
坂本さんが家に持ってきた日本のビデオから、初めて、日本人の言葉、日本人が住んでいる町、神社などを見ました。子どもの私にとって全てが新鮮で、頭の中で何も知らなかった日本の姿が、だんだんと見えてくるようになりました。
そして、私の10歳の誕生日に、坂本さんが誕生日プレゼントとして、ある変わったぬいぐるみをくれたのです。形は見たことのない動物だったけれど、不思議なプレゼントをもらえて嬉しかったです。そして、10年後に私は日本の店で、見覚えのあるものを見付けたのです。思わず涙があふれました。昔のプレゼントのことを思い出したのです。あのぬいぐるみはトトロだったのです。ちゃんとしたおもちゃすらなかった小さな町にいた私が、あんな素敵なプレゼンをもらえたのは幸せだったなあとその時初めて気付きました。後で坂本さんに会った時、トトロは坂本さんが当時わざわざ遠い日本から送ってもらったと言うことを聞いて、もっともっと感動しました。
1999年、高校一年生だった私は日本の富山県へホームステイに来たことがありました。初めての来日で、毎日が不安と喜びでいっぱいの中で、私は既に帰国して大阪で仕事をしていた坂本さんに電話をしました。2日後、坂本さんはわざわざ富山まで会いに来てくれたのです。嬉しかった。6年ぶりだったのですが、いろいろな話で楽しい午後の時間はあっという間に過ぎてしまいました。
それから四年後、私が日本に留学に来て迷うことなく明治大学を受けることにしたのも、明治大学は私が知った初めての日本の大学だったからです。何故か自分にも分からないほど強く明治大学に受かることを毎日のように願っていました。大学受験の面接の時に、「何故明治を選んだのか」と聞かれ、「私が知り合った始めての日本人が明治大学出身だったからです」と答えました。そして、明治に受かったと報告した時の坂本さんの笑顔が忘れられません。
初めて坂本さんに会ってから15年経ちました。トトロは今でも私のいないオルドスの実家に飾られています。何年も連絡が途切れた時期があったにも関わらず、坂本さんと私の家族との付き合いは続いています。普通なら、自然と付き合いが途絶えてしまってもおかしくないでしょう。いつも思いますが、坂本さんに出会わなければ、もしかしたら今日本で勉強している私がいなかったのかもしれません。そう考えると、縁という物は本当に不思議なものだと思います。初めて会った時の坂本さんの年齢に私は今なりました。坂本さんが私に影響を与えてくれたように、私も将来誰かに影響を与えられたら良いなと思います。人生には、沢山の出会いがあるけれど、一つ一つに何か意味があると私は信じています。これからもそういった縁を大切にしていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
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