数日前に青山学園高等部の入学試験に“ひめゆり部隊の話は退屈だ”という英語問題がでたということで戦争体験バカにしたとんでもない行為であると声を上げる人々がいるというニュースを目にした。文章の前後を省きある一部だけを取り上げ極端な反応する連中には必ず情報を操作しようとする偏向した意図があるというのが私の考え方なので、少し推移を見守りつつこの英文の全文を探していたところ、見つけてくださった方がいた。ここにその英文の一部要旨、肝心の部分は全訳を掲載する: (要旨)戦後60年が過ぎ、後20年もすれば戦争を直接経験した人等から戦争体験を聞くことができなくなるがこの大切な経験を残し二度と間違いを起こさないためにどのような形でこの経験を次の世代の伝えればよいのだろうか?ある日TVで戦争の記録番組を放送していたので見ていると兵士の無残な死体などが写り、こわくて見ていられなくなってチャンネルを代えてしまった。あまりにも無残な映像などを見せると興味深い番組でも自分のように見なくなってしまう人が多いのではないだろうか?と思っていたときその番組を支持するお年寄りからの手紙を読んだ。“写真を見せてくれてありがとう、言葉ではもう直ぐ直接伝えられなくなることも写真でつたえられるのだから、真実を見せることを恐れるべきではない”とそこには書いてあった。その手紙を読んだ後私は高校の沖縄就学旅行を思い出した。最初に戦時のままに残された防空壕を見学に行った。口数の少ないガイドに案内され、はじめは都会から来た子供等にはちょうどいい遊び場のように見えた防空壕で騒いでいた。この中でキャンプしたら面白いねという子、滑って転んで爆笑を誘う子、そんな中少しづつ電気が消され最後のあかりが消されたときに防空壕の中は真っ暗闇になった。そしてガイドが言った“これが戦争です。私たちがただひとつこの中で望んだのは生き残ることです”もう誰も何も言わなく、いえなくなり当然笑い声も無くなった。やっと外にでられ神に感謝するような気持ちになっているとき、泣いている女の子がいても驚かなかった。口数の少ないガイドだったが、我々にはその経験自体がどのような意味を持つのかを理解した。そしてなぜガイドの口数が少なかったのかも理解できた。(ここから全訳)その後ひめゆり記念公園に行った。そろそろ壕のことを忘れかけてはいたが、もっとショッキングな話がこの後あるのではないかと恐れ我々は無口になっていた。確かにひめゆり部隊の生き残りのお年寄りが話す内容は衝撃的で戦争のイメージをよく伝えていた。しかし本当のことを言えばそれは退屈で、私は彼女の話に疲れてきた。彼女が話せば話すほどに壕で受けた強い印象は薄れていった。彼女がその話をいろいろな機会に何度も話しており、とても上手になっているのがわかった。彼女の話はまるで母親が小さい子供にするおやすみの時のお話のようにやさしく聞こえた。 もちろん幾人かの友人はその話に強く感動を受けた。だから彼女の話がまったく意味のないものであったとはいうべきではない。真実や戦争の経験を次の世代に渡すことは大切な仕事である。しかしいかにして?何が一番よい方法なのだろうか? もちろん言葉は一番はっきりとしている方法ではある。言葉の持つ力は強い。でも問題はどのようにそれを受けてが理解するかである。もし聞き手が話し手の思想を理解しなければよい話もただの言葉の羅列になってしまう。またもうひとつの問題は話し手の意見が強すぎる時であり、それはその話自体に違った意味を与えてしまうことがある。この夏中国で行われたサッカーの試合を覚えているだろうか?多くの中国人が日本チームにブーイングをした。多分その中の多くの人が親から戦争の話を聞き日本に対する考えを作り上げたのであろう。もちろん彼等が親から聞いた情報が間違っているとはいうべきではない、しかし親たちは彼等にまさに何をどのように伝えたのだろうか? (ここから要旨)戦争を第一次的に体験した人たちからその話を聞く機会は近い将来なくなるが直接のことばが無くともそのメッセージを伝えることは可能である。皆さんが青山学院の高校生になると長崎に行き、原爆体験者のお話を聞く。そのとき皆さんはどんな思いをもたれるのだろうか? 以上。皆さんはこの文章が大きな問題として取り上げられるほどの内容だとお考えになりますか?
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そんな感じで
私は今沖縄から高校の修学旅行で帰ってきたところです。この文章をを見ている限り、沖縄での戦争がどんなに酷いものであったか、誰も知らないとしか思えません。理解のある人であれば、このような文章が今、一生懸命、平和のために勤めている元ひめゆり学徒の方々をどんなに傷つける内容であるか分かるはずです。
どう見ても彼は全文を読んだようには思えません。
これから抗議します。訳を参考に遣わさせていただきます。
なお、本文の内容についても、語り部の方の存在意義を否定するものではなく、特に問題とは思えません。刺激の多い現代社会で生活する若者が、戦争体験者の方のお話に共感しにくくなっていることは十分考えられることです。戦争体験を後の世代に伝えることが大事だからこそ、それならどうすればよいか、という建設的な議論になるべきです。
今回の騒動は、一部の左翼的なメディアが自己主張のために利用した、という印象を強く感じます。このような印象操作がメディアによって行われているということの方が、よほど問題です。
何ら非難される内容ではないと思います。
感想を述べているのが高校生なので「退屈」という表現を使ったのでしょう。
私も修学旅行が長崎の原爆学習でしたが、流暢に語り、タイミング良く無く語り部の姿には呆気に取られた(勿論、泣いてた子もいました)思い出があり、その後訪れた原爆被害者の老人施設の方々から聞いた、まとまりがなくあやふやではあるが生の体験談の方が、当時の様子をリアルに思い出させてくれた経験から、この青学の試験文の高校生の気持ちが良く判ります。
別に沖縄の戦争被害者や反戦をバカにしているのではく、「上手に語るよりも『戦争の悲惨さ』を強く伝える方法があるのではないか?」という疑問に対して語り部が怒っただけの話で、それをマスコミが沖縄の戦争被害者を批判したかのように情報操作したのが、今回の一連の騒動なのではないでしょうか?
事実をねじ曲げてまでこういう騒動を起こす事自体、日本の平和教育が歪んでいる証拠なのではないでしょうか?
もちろん、上記の私の批判もまた、今回の事例だけを取って(他にも事例はありますが、長くなりますし)平和教育を批判しているかのような印象を与えますが、そこは誤解無きよう宜しくお願いいたします。
青学の皆さんが早く自信を取り戻せるよう、願っています。
コメントが少々時間差なのは勘弁して下さい。
さて、こちらで紹介されている訳を読むと、出題者の問題にこめたメッセージが良くわかりますね。
正直なとこ、共感を覚える次第です。
ですが、この文を入試問題として作りあげてしまった所は非難されてもしょうがないです。
一方でこの訳を見て問題だと感じるのは、沖縄戦を“神聖視”する実態という奴です。
それが「沖縄戦を退屈とはけしからん」という短絡的思考に陥り、結果としてマスコミに曲解した記事を書かせた原因となったのではないのかと思います。
ひめゆり部隊が悲惨だったのも、沖縄が悲しい歴史を持ってるのも確かなんですけどね。
でもそれを大きく捉え過ぎるあまりに「自由な議論」を封じ込めてしまうのは問題ですね
「戦争の語りべの方の語りでも伝わらない」ことがある、
それでは、将来それを受け継ぐ否戦争体験者どうすべきか、
そいう問題を放置していてもよいということでしょうか。
現在進行形の静かな戦争の「被害者」は積極的にメデアに協力してもらえない。
「被害者が直接言葉で語っても」その人々には伝わらない。
更にその報道もされない。
これでもかというほどこの皮肉を感じる入試問題騒動です。
↓
○ 彼等が親から聞いた情報が間違っているとはいうべきではない、しかし親たちは彼等に『正確に』伝えたのだろうか?
ショックです。
ここまでマスコミに騙されていたとは思いもよりませんでした。
マスコミは商品になる様に話を捻じ曲げたわけですね。
で、今日、共同通信系の新聞を見てびっくり。「沖縄戦後60年に思う」で、ひめゆりが取り上げられていましたのですが、そのひめゆりの紹介ですが、学徒らが米軍の犠牲や自決をしたことと合わせて
「東京の青山学院高等部が今年の英語入試問題に元額との証言を『退屈』とする文章を出題、学校側が謝罪した。」
ああ、なんてこった。
もう青山が記号化しています。
右傾化の記号、平和という善意の活動に口答えしたという記号。
青山の学生が自分の学校に誇りをもてなくなったとしたら、それはマスコミが奪ったんですぞ。
あなたの結論は私の感じていることでもあります。
が、あなたの一段落目は不要だと思います。
もし、何かを伝えたいのであれば、読む人の
感情をある程度考慮してもよいと思います。
「ひめゆり部隊の生き残りのお年寄り」と書いている時点で、事実上固有名詞を出して、名指しで「退屈だった」と言っていることになります。
たとえそれが「ひめゆり」ではなく「マクドナルドのハンバーガーは不味かった」と書かれていたとしても、その点での問題は同じです。入試問題で名指し批判をすること自体が、教師以前に社会人として非常識です。
また、特定の立場の下に主義・主張を書かれた文章を試験問題に使用することは以前から度々問題視されている行為です(左派系の某文化人の文章を入試問題に使ってバッシングを受けた学校などもあります)。引用ならまだしも、この文章はオリジナルであるにもかかわらず、明らかに明確な主張を持って書かれています。その点でも批判されてしかるべきです。
戦争について語ることは口語でも話し言葉でも本当にむずかしいですね。文章の書き手としてもっとも敬意を払っている人のひとりにジョージ・オーウェルという英国人がいるのですが、第二次大戦に関連して、「復讐は辛い味がする」というエッセイを書いています。少しだけ引用させてください。これはドイツ降伏直後に彼と反ドイツ意識の強いベルギー人記者がシュツットガルトにはいったときの記録です。
「私たちは市内へ、小歩橋を通って入らねばならなかった。その歩橋は、ドイツ兵が死守しようとした跡がある。一人のドイツ兵が、上がり口にあお向けに倒れていた。顔は青白くそして黄ばんでいた。・・・ベルギー人記者は橋を渡るあいだ顔をドイツ兵からそむけていた。そして渡り終えると、死人をみたのはこれが最初だと打ち明けた。35歳くらいにみえるそのベルギー人は戦争中ラジオで対ドイツ戦争宣伝にたずさわっていたのである」。
この体験は記者の「ドイツ野郎」に対する態度を変えることになりました。
「彼が私たちに割りあてられたドイツ人の家の宿泊先を離れるとき、彼はもってきた、かすではあったが自分のコーヒー豆の残りを、ドイツ人に与えた」。(訳は長谷川啓三氏によります)
この引用で何を申し上げたいのかというと、多くの人々に熟読させる文章ならば、人間性についての深い洞察と、そして読み手が若い方であるならばなおさら、空疎ではない希望をどこかに指し示すものであってほしいと願うのです。
その視点で申し上げると、入試問題となった文章は書き手の屈折と迷いは読み取れるけれど、その先に達しようとする気迫が感じられません。結論としては青学は入試にあまり知的リソースを投入していないように思います。
早速本題ですが・・・
例え問題の「退屈」の前後の英文が良かろうと「退屈」と出してしまえば、元ひめゆり学徒の皆さん・先の大戦で亡くなった方々・沖縄の人々・全国の皆さんに不愉快な思いをさせると何故気づかなかったのか。
例えその人個人の感想だったとしても、捉え方は十人十色!! 青学側は配慮して試験のGOサインを出しても良かったと思いますよ。
青学の関係者が謝罪しに来県ですが。
私的にあの壕の前で土下座して欲しいくらいでした。
(それは言い過ぎかもしれませんが、その位の気持ちです)それに英語の先生はどこよ?って感じです。(出てこれないは、マスコミ等から叩かれると思った事だと思いますが・・・)
皆さんのマスコミ批判も分ります。感情的・偏見だっ!等も分ります。私個人、全て否定する訳ではありません。ですが、沖縄には戦後60年。前も後も無いんです。沖縄っ子だから、沖縄に肩入れしてるかもしれませんが、この機会に中立な立場・考え方で第2次大戦を学んでみてもいいかと思います。
加害者・被害者の日本なら、絶対に平和を発信出来ると思っての事です。
そして、2度とこのような間違った表現にならない様祈るばかりです。
長文で失礼しました。
この騒動は友人のブログ経由で知ったのですが...
えっと、ちょっと待ってください。
確認ですが、その、問題の記事と言うのは、
沖縄タイムスの記事のことだったのですか?
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200506091700_01.html
ここからのリンク先のいくつかのブログにそう書いてあったのですが、もしそうだとすると、ちょっと私の印象が変わってきます。
私ははじめ、日本中のマスコミやコメンテーターの方々が、よく確認もせずに、センセーショナルに騒ぎ立ててしまったのかと思っておりました。
ですが、もし、沖縄タイムスの記事のことを悪いとおっしゃっているのならば、それには同意できません。
記事を読めば、すくなくともこの記者の方は原文をよく読んでいることを理解できますし、この原文から、沖縄の方が、このように書くのは至極当然のことだと思います。(念のために申し上げますが、問題にされている文中のtired のここでの意味は、「疲れてしまった」ではなくて「飽きてしまった」です。英語はニュアンスも含めて正確に訳されていると感じます。)
3段落目は、全文を見据えた上でのニュートラルな書き方だと思いますし、青学の問題は本文は理解できても、設問7とその選択肢を読んだ時には、正直に言いますと、ちょっと出題者の意図を疑ってしまいました。沖縄タイムズの記事も、設問の方をより問題にしています。
また、そうでなかったとしても、もう少し感情的な記事を書いていたとしても、それもまた、沖縄の記者が書いたのであれば問題にすることではないと思います。青学がこういう文章を出しても良いのと論理は同じです。
皆さんが本当に問題にしているのは、日本国民がぱーっと左に動いて、次は揺り返しのようにぱーっと右に動いてと、そのようなことが助長されるようなことを、マスコミが印象操作でやっているとしたら、それはけしからん、という事なのではないのでしょうか?
私達中等部の3年生は、5月の末から6月の初めにかけて沖縄へ平和学習のための修学旅行に行きました。
その直後のこのニュース。
正直、最初にニュースを聞いたときは酷くショックを受けました。
私の通う青山学院の、しかも来年通う高等部にはこんな心無い文章を書く教師が居たなんて・・・と、とても悲しくなりました。
きっと、現在高等部に通っている先輩方は私なんかよりもっとショックを受けたはずです。
ですが、前文を読ませていただいて私の考えも少し変わりました。
確かに『退屈だった』という表現は適切でないと思います。
けれど、前文を読めばマスコミが言うほど悪い文章とは思えませんでした。
マスコミの歪曲した報道に対し、大村先生が謝罪したのは、私達青山学院の生徒(幼稚園から大学院まで全ての、という意味で)に『あんな酷い文章を入試問題として使っていながら一言の謝罪もない学校に通っている』と周りに思われたり、本人がそう思って傷つくのを防ごうという配慮もあったのではないかと私は思います。
青山学院側が謝ったのは却って真実を伏せる結果になってしまうと思います。もっと徹底抗議してマスコミの嘘を白日の下に曝すべきでしょう。まさか高中部部長も全文を読んでいないのにその場しのぎで謝ってしまったなんでことはないでしょうね。
http://plaza.rakuten.co.jp/oo00wa00oo/diary/200506100000/
眠い目をこすりながら、歪曲報道が広がらないように早いうちに全文和訳も出しました。問題は、それをどうやって多くの人に見てもらうか、ということでした。マスコミの伝播力にはかないませんからね。歪曲報道の被害者を減らす、または被害を最小限にくいとどめるにはどうすればいいのか、それが私の次の課題です。
さて、当方私立中高英語教員なのですが(青学ではないです)
もし私がこの文章を扱うとしたら、
絶対に授業でやります。絶対です。
入試で出すなんていう意見があったら、反対します。
なぜなら、
入試で、やりっぱなし、模範解答も解説もしない、なんていう場で
この文章を扱うのは、誤解を招くおそれがありすぎだからです。
昨今の子供は、
(とひとくくりにまとめるのが乱暴なのは承知ですが、敢えて)
とんでもない誤解をします。
授業で扱ったあとでさえも、です。
授業中言ったにもかかわらず、聞いていないなんていうのは、日常茶飯事です。
そういう昨今の中高生に、
入試という一種の緊張状態の時に、
読ませるだけ。だなんて、
危なすぎます。
文章の意図には、理解できる点もありますし、
率直な10代の発言者を模した文章、というのも分かりますが。
もちろんマスコミの扇情的な取り上げ方には
利用したなということを感じはします。
でも、入試問題としては疑問です。
設問7
7.Why didn't writer like the story told at himeyuri Memorial Park?
(なぜこの著者はひめゆり公園で聞かされた話が好きではなかったのか?)
1.Because he already knew the whole story (なぜなら彼はすでにすべての話を知っていたから)
2.Because he knew it was a lie.(彼はそれを嘘であると知ったから)
3.Beause he thought the old lady treated me like a child.(老婆が私を子供扱いしたから)
4.Because he didn't like her way of telling the story(彼は彼女の話し方が好きではなかったから)
正解4
あまりにも失礼
これが入試問題?
此の話を聞いたときは、ついに本國もここ迄來たかと存じて居つたが、訳を見る限りでは些かも問題ではない。報道機関による情報操作は、火を見るより明らかである。
削除キーがないので、「すばらしい文章」のところに「大きな問題として取り上げることかどうか」を入れてください(汗)。
まとめです。
一転して、問題擁護に動く方が多いようですが。
ひめゆりの語り手の立場を考えない、想像力が欠如しているという感想には変わりありません。
いきなり本題です。
すばらしい文章・・・そうでしょうか?
確かに、退屈を感じる生徒もいるであろうことは理解できます。
しかし、ひめゆりの皆さんの話し方が「なぜ慣れているのか」。
それを生徒たちに考えさせなければならないと思うのです。
伝えなければと同じ話を繰り返すうちに、慣れてしまうのは当然のこと。
それでも、楽しくもない話を話さなければならないと駆り立てるのはなぜなのか。
感じた後で、さらに相手の立場を考えるような感想がついていれば・・・。
いろんな立場や考えを受け入れる、大いに結構です。
だからこそ、そういう考え方の文章にして欲しいものだと思います。
たしかに、これは、ひめゆり部隊のおばあさんのお話がつまらないと言いたい文章ではないのですけれども...ただ、もし、英語ぺらぺらのひめゆり部隊出身のおばあさんがいたとして、これを読んだらやっぱり傷つくだろうな...とは思います。
作者は、自分の主張を印象づけるために、言葉少なな老ガイドの行動と、話しなれたひめゆりのおばあさんのお話が、それぞれ自分に与えた印象を対比させたのです。その結果、もしそれを知ったら、特定の罪のないおばあさんたちが傷つくでしょうから、大人気ないな、とは思います。
オークランド憂国日記さんの訳は、原文の印象よりもかなりしっかりとした文章になっているように私には感じました。なんて言うのかな...これ、口語なんです。まず一番はじめにびっくりしたのは、青学がこんなくだけた米語を、入試問題で使うのにちょっとびっくりしました(悪い意味ではなくて)。
米英の子達は、即興で「お前何か話してみろ。」っというような感じで、好きな題目を人前で語り始めるような訓練を子供の頃からやるようなのですが、そんな感じのお話に感じました。大学生くらいの子が、総代で、みんなの前でちょっと感動的な話を、聞いた人がドキッとするような意外性も含めて、スピーチで話すような、そんな感じの英文です。論理の練り具合もそんな感じですので、まじめに取り合えば、突っ込みどころは満載です。
それよりも設問が...本気でこんなことを聞いているのかなぁ...とちょっと考え込んでしまいました...考えてみると中学生向けの設問だから、しょうがないのかなぁ...。
ボトムラインは、マスコミもマスコミですが、青学もさっさと謝ったのは間違ってなかったかな?と思います。ちょっと軽率だったかな?っと心当たりがあったので、これ以上おかしくならないうちにぱっぱと謝ったのかな?っと感じました。
文章の最後に「皆さんが青山学院の高校生になると長崎に行き、原爆体験者のお話を聞く。そのとき皆さんはどんな思いをもたれるのだろうか?」とあるように、青学では多分ここ数十年、修学旅行で長崎を訪れ、戦争と平和に関係する場所の見学をしています。
時として、言葉よりも映像や体験などに衝撃を受ける場合があることは事実です。それでもなお原爆体験者の話を聞く機会を生徒に与え続けている青学は、語りの重要さを十分認識していると考えます。
それでも生徒の受け止め方は多様であると常々感じている学校が、入学希望者に対してこのような文章を試験に使うことは特別不思議なこととは思いません。戦争体験やサッカーの話を例にとって、後世に伝えるということを論じた上で、「あなたが青学生になったら・・・」とつなげるあたりは、「ある日トムは町に行きました。」みたいな文章よりよっぽど粋で校風に沿ったものではないでしょうか。
始めて原文訳を読ませて頂きました。ありがとうございます。
私もマスコミの騒ぎ具合は、行き過ぎだとは感じました。
ですが、この訳文を読んで少し悲しく感じましたよ。
私は沖縄で生まれ育ちました。実際お年寄りの話は、上手では無いのは確かです。
お年寄りの方々の知っている精一杯の標準語を使って、自分の強烈な戦争体験を優しい言葉で孫の世代に話そうとしているのが思い浮かびます。
それが、一部でも「退屈で、私は彼女の話に疲れてきた。」等の表現があれば、話し手側は胸を痛めることでしょう。
実際お年寄り達には、自分達の言葉で話す事だけしか伝える術は無いのだから・・。
しかし「退屈」だけを抽出し、強調するのはどうかと思いますね。
マスコミの取り扱いの思いやりの無さに、がっかりです。話し手側と青学側、両方とも傷つけて、どうしたいの???
まあ、これがきっかけになって、伝え聞いた話をいかに残していくか、若い世代が考えていくようになればいいですね。
長文失礼しました。
例えば、(拙い英語ですみません)
I understand what she would like to do, but
I think the way she is doing doesn't work.
She needs to find another way.
もしコメントに誰かが傷ついたら
I think you are naive. It is O.K. if you don't like what I said. It isn't my business.
そして、
I don't like what you said.
I don't understand the point what you said.
などなど。普通の会話の中でたくさんでてきます。
日本人の感じ方とは違う感覚で使用していると思います。
英語の訓練は、色々テーマを変えて彼らのやりとりの構造も学ぶということでもはないでしょうか。日本ではタブーだからということでテーマを限定すれば、結局英語で伝える訓練にならないと思います。
内容的には入試に使うには少し?と思ったですけど、改めて見直すとマスコミの書き方は?????でした。
「英作文を生徒の気持ちになったつもりで作成しました」
ということは、教師の思想というより「そのような感想を実際に耳にした」のではないでしょうか。そして、この「危機」をどうするのかというのがテーマに自然となったのではないでしょうか。
実際、以前に修学旅行生がきちんと話を聞かないという問題があったような気がします。
洞窟での疑似体験が「強烈」だったわけですからでそのギャップがあるのです。比較の問題でもあります。話を先に聞いていたらまた違うのかもしれません。
自分はこの英作文よりもそれをわざわざレポートした人達の行動のほうにより疑問を感じます。
どうも失礼しました。
訳文を読む機会を与えて下さり感謝します。
(新聞も全文載せて、ココがこうだからと言ってみろ!って感じです。)
論理構成からすれば、「退屈」という言葉は、この文章で作者がもっとも伝えたかったことでないことは明らかと思います。ただ、悪意のマスコミにスキを見せないようにする利口さも必要なのかもしれません。つまらんマスコミにネタ(仕事)を与えないためにも。
英文・質問の両方を読みましたが
論文・質問のテーマが「戦争というもの」をどう伝えるかという観点であり、
「日本兵・軍」の残虐さをを伝えるものでは無いからです。
論点が「戦争を伝える」ではなくて、「日本軍による被害者の痛み」について語る。であれば英文も別の内容になると思います。
新聞記事は語り部の方の立場を利用したように思います。
青学の中学卒業段階で英語エッセイの組み立て方を身に着けているということですか。すごいですね。自分は地方の公立中学校卒です。
日本人の「自分の意見・形容詞多用表現」組み立て式では英語の論文の組み立ては難しいのではと思います。
「問題点」とその「解決方法」である「意見」がどのようにでてきたのかを論理的に書き説明することが論文です。
新聞記事は英文を読んだOpinionだけだと思います。「問題である所以」をサポートするFACTも必要です。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-3036-storytopic-1.html
失礼しました。
まずは、改めて今日のインターネットの普及における良い面を認識しました。数年前だったらただ、青学は悪いというマスコミの悪意あるレッテル貼りのみが一人歩きしてしまうところでしょう。このようなマスコミ報道の再検証を行える場があり、それをネット上で調べることができることをありがたく思います。
私は青山学院高等部の出身です。卒業生の一人として、大村教頭(私は直接習いませんでしたが)には、単に謝罪するのではなく、もっと自己の正当性を主張し、毅然とした態度を取ってもらいたいと思いました。
この文章でさも傷ついたような報道ですが、実際そうなんでしょうかね。偏向したマスコミが傷つけるようにし向け、そして傷ついたといって騒ぐ、マッチポンプを行い、反論する事も許されない状況を作り圧殺したのではないでしょうか。
>ですが原文から受けるニュアンスは読み手によって誤差があるように思います。
まったく同感です。
アメリカ人がこの設問を見たら、どう感じるのでしょうかね。。
ぞんざい、とおっしゃるのを理解できます。
「どうしてこの語り部が気に入らないのか?」
とまであるのは、配慮の無い問いに思えました。こちらの和訳は、とても柔和に読みやすいものですね。ですが原文から受けるニュアンスは読み手によって誤差があるように思います。日本語での出題でない点で、それは致し方ないとしましても、少なくとも、語り部の方々が自分のされていたことを無駄であるかのように、思われる原文であるのは間違いない、と感じました。
×先生の潜在的な思想(先生を伝えるもに対する一方的な要求)
○先生の潜在的な思想(戦争を伝える者に対する一方的な要求)
失礼しました
ですが私はやはり英語の問題文としては不適切であると思います。
この議論「戦争体験をいかに語り継ぐか」を社会科もしくはそれに相当する授業で行うのであれば100%賛成です。
また、今回の学生のような率直な意見も歓迎です。
ですが、これはあくまでも英語の入試試験の問題。
議論は継続されないまま、要は「書き捨て」です。ひめゆり部隊の方が反論する術もありません。
なぜ、英語の試験の例題で、わざわざ人を傷つける内容のものを取り上げないといけないのでしょうか?
問題定義をしたければそういった主旨の授業で行うべきだと思います。
先生の潜在的な思想(先生を伝えるもに対する一方的な要求)を英語というオブラートに包んで、自己満足に浸っているぐらいに思いました。
私はこの英語の先生を誇りになんて到底思えません。
しつこいようですが、前後関係を書かないマスコミには憤りは感じております。
戦争を語り継ぐ難しさについて、高校生が考えるディスカッションなどは有意義なことです。
ですが、入試試験のしかも英語の設問では不適切であると思います。
先入観無しと聞いて安心しました。それなら、冷静な議論ができますね。
それから、私は「ぞんざいな箇所=感情表現をしている箇所」とは受け止めていません。ここは感じ方の違いですね。
原文はyou are boringでなくit was boring for meですから、ニュアンスは異なると思います。ただし、いずれにしても、この部分に違和感を感じる人がいることは、他のブログでも見ていますので、これはこれで、英語の問題としてどうか、とか表現が適切かどうか、という視点での議論にはなりえるでしょう。
全くさらで読みました。本当に問題なんだろうかと疑ってましたので。壕のところやあとの中国の出来事の話などでは個人的感情を主体にした表現はしていないですよね。ずいぶん客観的に話をしているんです。しかし、ここだけ個人の感情を直接表現してます。そこに違和感を感じます。特に壕のところは他の生徒の様子を書いて自分の感情を示唆しているなど、かなり抑えた表現をとっています。何かバランスがちょっと。それがそう思った理由です。
それに、まずYou are boring.と言われて平静な人はそうはいないでしょう。「退屈」というよりは「つまんない」という感じに近いですから、きついと思いますが。
1人であまり書くのも何なのでもうこれで失礼します。
私も英語のネイティブスピーカーでも何でもありませんが、それなりに自信はあります。今回の件も、比較的早く原文を読んで自分の考え方を固めました。
私はあなたのおっしゃるような印象は持ちませんでした。あの部分がぞんざい、というなら、防空壕の暗闇のことを言っている部分も似たようなものだと思います。
報道を先に読んでしまうと、先入観のようなものができてしまって、当該部分だけぞんざいに感じられる、ということはないでしょうか?そうでなければよいのですが。
そしてオークランドの憂国日記様、翻訳を感謝します。
マスコミ各社は何らかの方法で再度取り上げて自分のしたことを反省してもらいたいが、きりがないので、しないでしょうね。
青学も、もっと自分を主張し頑張って欲しかったですね。
私はネイティブではないのでそこまで断言できませんが、英文の感じは問題のとこだけちょとぞんざいに感じます。全体がえらく緻密で練られた内容なのに、妙にここだけそっけなく強く映るんです。翻訳の方は柔かくなっているので、そういう風には思えないでしょうが、原文はちょっと感じが違います。私はちょっときついなぁと思います。
批判はおろか“退屈”と言う事すら許さない、賛美しか認めないとは…
やはり偏った思想の人達の思考は恐ろしいですね。
改めて背筋が寒くなりました。
他のサイトからとんでまいりました。
何やら私・誤解していました。
青学に抗議メールしちゃいましたもん…
今から再度謝りのメールをします。
誤解を解いていただいて有難うございました。
勝谷誠彦氏が先日来取り上げていた問題ですが、正直私は余り感心は有りませんでした。
ですが、今日こちらの翻訳文を読ませていただき勝谷氏の怒りを理解出来た様な気がします。
文章の全体構成や流れを無視して、中の一部分だけを取り上げて、非難すべきではないですね。
これは日常の会話でも言える事だと思います。
ひとつの比喩を持ち出したとき、その比喩だけを非難されたら会話など成り立ちません。
それから生意気なようですが、この文章は読む人に感動を与え得る非常に良く出来た文章だと思います。
それはさておいて、作文した先生の言う感覚に私も同感する。それも斜に構えるということからではなくて。
また、試験問題として適切か否かという議論はあろうが、私は青学を支持する。
件の長文問題のみならず、全体を通したレベルの高さに感心しました。
青学へこたれず頑張れ。
訳、ありがとうございました。
この、センスにあふれ、しかも冷静な文章を書いた方こそ未来を担うべき人材だと思います。
それを薄っぺらな感情論でぶっつぶしてしまうようでは、日本のマスコミ、ひいては日本に将来はあるのでしょうか。
一部マスコミの報道に踊らされて、自分は憤慨してしまいました。
全文を読ませていただいて、それがいかに的はずれなことであったか、思い知らされました。短絡はいけません。
しかし、以前サイパンへ行ったとき、日本人慰霊碑にガムをなすりつけた後を見、そこでにこにことしながら記念写真を撮る日本人観光客を見た自分は、こうしたこともあながちあり得ないことではないと思えたのです。
それが全くの逆であったとは。
日本のマスコミは一体、難のために存在しているのでしょう。
特にひどい内容でもなく、壕の手触りと暗闇で戦争を恐ろしさを想像し震撼、
語り部の馴れた口調にしらけてしまう様子は
他人事ではありません。
私も実際に沖縄に観光に行った際、ホテルに行く前に夫に、ひめゆりの塔や近辺に連れていかれました。
壕の手触り、有名ではない慰霊塔に手向けられた新しい花束、
ひめゆりでの米軍の記録映画に圧倒されつつ、
語り部の方の力の入り具合に違和感を覚えたことがあったからです。
是非、全文が日本国民の目にさらされることを願ってやみません。
こんなことで青学が屈するのも奇妙なことですので、ヘタレだという以外に
力が働いているのではと思わざるを得ません。
英語力のつたない私に、全文を読ませてくださってありがとうございました。
読ませていただきました。
全文を読まなければ、青山学院を誤解したままになってしまうところでした。
ありがとうございました。
また、一時的とはいえ青山学院側を悪く思ってしまった自分を恥じます。
なお、「たいくつ」と言う表現が直接的であるとのご意見もありましたが、
子供(高校)の時感想という前提の文章であれば、
逆に直接的な表現の方が自然ではないかと思います。
寧ろ責めるべきは、一部分のみを抽出し、
いかにもそれが全文の意図する内容であるかの様な
報道をしたマスコミではないでしょうか?
①青学入試でのひめゆり関連の出題は、その内容を見るとどこにも「ひめゆり」を避難していません。問題となった部分は、戦争体験の真実を伝える方法論として、言葉より優れたものがあるとの説明過程の一部に過ぎません。記者は文章を理解せず言葉に反応しただけ。その記者が批判の文章を書いているが、矛盾を禁じえない。
②そもそも公立ならまだしも私学における試験問題つまりその学校の教育方針の一環なので、これにクレームをつけること自体、内政干渉・検閲です。
③当該マスコミは私学の教育方針を検閲する権限があるのでしょうか。
④明らかに「ひめゆり」を批判するどころか、その体験を伝えることの大切さを明確に書いている文章を、「ひめゆり」批判と断じたマスコミはどう責任をとるのか。
今に始まった事ではないが、マスコミ・ジャーナリズムの低脳ぶりは目を覆うものがある。貴方はそうならないでほしい。マスコミ・ジャーナリズムを批判・監視するジャーナリストとして頑張っていただきたい。応援しています。
ごめんなさい。
英語で自分の考えを表現する訓練を学生の頃からかなり去れる学校なのですね。将来が頼もしいです。
どうもありがとうございました。
Unkownさんは全て「期待される特定の感想」コピーしたような感想文がお望みなのでしょうか。
そいう方もいらっしゃるのですね。
大変貴重な訳文を掲載していただき、ありがとうございます。
はじめにこの報道を聞いた時は、教育者がそんなことを?と
信じられない気持ちになりましたが、全文を読んで納得。
またひとつ、マスコミというものへの不信感と左翼に対する
怒りが沸いてきました。
青山学院高等部の生徒さんは、こんな素晴らしい文章を考え
られる英語の先生がいることを誇りに思うべきで、何ひとつ
恥じることはないと思います。謝罪の必要などなかったのに、
残念です。
大変貴重な訳文を掲載していただき、ありがとうございます。
はじめにこの報道を聞いた時は、教育者がそんなことを?と
信じられない気持ちになりましたが、全文を読んで納得。
またひとつ、マスコミというものへの不信感と左翼に対する
怒りが沸いてきました。
青山学院高等部の生徒さんは、こんな素晴らしい文章を考え
られる英語の先生がいることを誇りに思うべきで、何ひとつ
恥じることはないと思います。謝罪の必要などなかったのに、
残念です。
新聞・テレビ・週刊誌の記者及び関係者が、
この青学の入学試験を隅から隅まで熟読し、
なお批判(報道)しているのか?
他人の意見の受け売りではなく、自分の考え
として発言しているのか?
自分の脳を他人に預けてはいけない。
自分の脳で考え、悩み、相談すべきは相談する。
公的な発言はそれからにすべきですね。
訳者によって伝える言葉は違ってくるかもしれないけれど
この文章を読む限り、全文を読まずして語るべきではないなと思いました
視覚で受けた衝撃が、語り部によっての繰り返し語ってきた単調さに
薄れてしまったというのは納得できる話です
私は最初このニュースを聞いたときに「本当に日本人がそんなことを?」とショックでした
どこかの議員の舌禍事件ではあるまいし
信じられない気持ちで一杯で情けなかった
だけれど、勝谷さんのところからここを拝見して
全文を拝見して、ものすごく正直な意見で
どこも糾弾されるような文ではないと思います
これを、メディアは取り上げるべきなのに
なにかずれた方向に行っている事の方が怖いです
ありがとうございました