下記に書いた文面は、2022年3月1日のものです。
当時、私が思ったことを書き留めていました。
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2022年2月1日。
この日に母が旅立った事は前に書きました。
この日は元政治家で作家の石原慎太郎さんも旅立ちましたので、一生涯忘れることのない1日であることは間違いありません。
また臨終のときに起きたことをニュースで見たり聞いたりしていて、よく似ていた点が多かったことにとても驚いています。
呼吸が荒くなってから手でお腹をポンポン叩いたり、口元や額、首の後ろあたりを拭うような仕草をしたりしていました。
特別なことではないと思いますが、何とも不思議な気持ちになりました。
今を思えば亡くなった2月1日は新月で、呼吸が荒くなったのが午後4時頃だったと聞きました。
(この日は仕事に行っていましたので、帰ってきた時には既に息が荒くなっていました。)
この日の潮の満ち引きを気象庁のホームページで見ると、満潮時刻が大体午後4時半くらいで、息を引き取った午後10時近くは干潮に近づく時間帯でした。
(こちらの干潮時刻を調べましたら、23時30分ぐらいでした。)
因果関係はあるのかどうかはわかりません。
ただ、ネットで調べていくうちに気になることを知りました。
人がこの世に生を受けるのは満潮で、あの世へ旅立つのが干潮らしいです。
もう一つは、日にちによっては、この時間帯には旅立つであろうという時間帯の決まりみたいなものもあるらしいです。
それから外れると…というのもあるらしいです。
わからない事が多いです。
とても不思議な気持ちになりました。
(追記:母ががん闘病に入り、病院通いの付き添いをしていた日々を振り返りました。
振り返れば、がんの疑いがかかった2021年の6月から検査入院、転院、検査、生検手術のための入院、抗がん剤投与、緩和ケアのための入院など…妹と交互になるような形で付き添いをしました。
私は本当に母の通院の付き添いと入院時の荷物持ちだけでした。
病状説明などの話を聞く、重要な部分は妹がしてくれました。
振り返ると長いようで短かったです。)
それからしばらくして(2月7日)荼毘にふされました。
母の骨は半分くらいピンク色に染まっていました。
葬儀会社の方の説明では花の色の影響とおっしゃっていました。
ただ…遺骨は抗がん剤の影響なのか、歳のせいなのか私にはわかりませんが、背骨や太い骨以外はあまり残っておらず、頭蓋骨もバラバラになっていました。
6年近く前に母方の伯父が亡くなったときも遺骨を持ちましたが、伯父の遺骨よりも軽く感じました。
伯父もがんで他界しましたが、肋骨や頭蓋骨などの骨は原型を留めていましたのを記憶していただけに、余計に悲しく感じたのは確かです。
(2022年3月1日記)
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2023/02/01。
母が、他界して一年になりました。
喪が明けました。
いずれは居なくなる日々に不安を感じながら故人の生前時代を共に生きてきた私にとって、他界した今では遠く懐かしい人のように感じています。
(共に過ごしたことは忘れていませんよ!)
今後は、感謝しながら生きていきたいと思います。