20/9/10
浅川地下壕を見学して
9月7日の日曜日仲間10人とJR高尾駅の裏手に3つある中の1つ浅川地下壕を見学してきました。
:::: 1931年から1945年8月15日まで続いたアジア太平洋戦争の末期、1944年6月、サイパン島にアメリカ軍が上陸し7月に日本の守備隊が全滅。アメリカ軍を本土で迎え撃つという「本土決戦」という無謀な計画を立てました。その為に全国各地に地下壕を掘り軍事施設を隠す計画を立てた。
浅川地下壕もこの計画のひとつで、1944年9月に工事が開始された。
昼夜の3交替突貫工事で6ヶ月で幅4m高さ3m、総延長4.2kmを完成。
航空機エンジンの中島飛行機が工場の疎開先として浅川地下壕が選ばれた。
敗戦までの2ヶ月で10台のエンジンの生産にとどまる。:::::::::(浅川地下壕を保存をすすめる会の資料より抜粋)
感想:::
見学は、トンネル状態で落石、崩落などの危険がり、600mくらいまでしか入れませんでしたが、奥には、京都の碁盤の目のように縦横正確に掘ってあるそうです。
中は、15度くらいで半そでシャツでは、寒くなります。ところどころ、霜のように白くなっていて寒さを一層感じます。ダイナマイトで崩して其のままなので山に水の滴があちこちで落ちています。ところどころ水溜りがあり中々真っ直ぐには歩けません。
工場とされる場所も環境は同じで、湿度は高く、とてもエンジンのような精密機械を製造する環境ではなかったそうです。部品がすぐに錆びて毎朝さび取りから作業が始まる非常に能率の悪い作業だったそうです。今では、想像も出来ない事を多くの犠牲者をだしてやっていたんですね。
そんな話を保存会の方から説明を聞いて、驚きました。これじゃぁ勝てる訳ないよ!!と思った。
終戦後、この環境に調度よいマッシュルームを栽培して販売していたそうです。このマッシュルームを買いに行き食べた仲間がいて、その体験談を話してくれました。
2度と戦争は、してはいけないし、悲惨さを語り伝えながら、次世代まで平和が続きますように願いを込めて!!!!
高尾駅前で昼間の3時から大雨の夕方まで盛大に歴史復習会をしました。
聞いたことはあると思うけれど、まだそのままになっているとは!
マッシュルーム栽培の場所になったというのは、平和な使い方でいいですね。