行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

やすらかに。

2011年07月31日 23時13分10秒 | 日記

7月30日(土曜日)午後5時55分。やすらかに眠りました。

金曜日の透析を上の血圧100を超えて終わりました。
久しぶりの血圧の数値に安心した私は土曜日、主人の部屋の掃除をし、大物の洗濯物をコインランドリーで乾かし、野菜を早めに収穫して夕方母のところに行く算段をしていました。
妹から、電話があり、自分が病院に行くというので、じゃあ私は遠慮するよと電話を切った後でした。
担当の看護師さんから、母急変の電話をもらい、駆けつけました。
タイミングよく、その時点で長男と三男が玄関を入る。そのまま母の病院へ。
次男も職場から駆けつける。

穏やかに、優しい顔をして、眠っているようでした。
呼吸も軽く、静かに、静かに、息を引き取りました。

それからは、やることがたくさんあり、今日も、明日8月1日の通夜、2日の葬儀告別式の諸々を決めて帰ってきました。
父方の親戚へは、父の葬儀依頼、会わずにいましたが、今日は1軒1軒訪問し、今回の報告と参列のお願いをしてきました。

あれから8年の月日が経ち、皆さんもそれぞれ年をとり、環境も様変わりしてはいましたが都合をつけてくださるとのこと。
また、母の兄弟・姉妹にも連絡をとり、告別式に間に合うように行く、私への長年の労を労ってくださいました。

母に化粧をしてあげました。
新しいファンデーションと口紅で。やっと会える父との再会のためにも、美しい母にしてあげようと。
とても、綺麗です。

穢れのない新しい生命と、清らかな新しい身体をもって生まれくるまでのちょっと一休みをするため。

次の私たちの未来へ先に行っていると。順番だから。

長い間の苦しみがぱっと消えていったようです。母の痛み、つらさが、母から消えた瞬間、ほっとしました。

明日と明後日の母を見送る儀式を粛々とすすめてまいります。

また、元気に戻ってまいります。
それでは。