行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

川のある景色。

2011年07月22日 20時10分07秒 | 日記

私の住む町には、大小さまざまな川が流れています。

今年、23年5月20日に、関東で第一号の"重要文化的景観"と、国選定とするところの文部科学大臣に、文化審議会より答申されたようです。

利根川・渡良瀬川合流の水場景観が水と共生する生活産業の文化が価値の高い文化的景観として評価されたもの。

と。まあ、難しいことは省いて、川の周りの景観が素晴らしい~ということでしょう。。。
過去に投稿した写真、東武電車と菜の花のある景色もその川。
また、涼しくなったら、良い感じの写真を撮ってきたいと思います。

今日は、ごく近いすぐ傍の川のある景色を撮ってきました。

中央より左に生活を感じるものが見えます。
すぐ傍で人々は生活を繰り広げています。この緑深い木々の下をゆるやかに波をたてます。
天気によっては、水位が上がり下がりしますが、この川は遊水地へと流れていき、調節されています。
過去、カスリン台風のおりには、川の決壊により多くの家が流され、たくさんの命も失われました。
この町で義父の家も流され、県は変われど、ここより下流でも氾濫した水に流された父も17才でした。

川に限らず自然の力は大きく、人が簡単には変えることはできません。
不便であっても自然のままに・・・
多少住む者のための人口的手入れをしつつ、今年それが重要文化的景観として認められました。

   傾く太陽が写る川・・・をいつまでも見られるように。


人と人との関係。

2011年07月22日 10時09分32秒 | 日記

私が19か、20才の頃、母にこんなことを言った記憶があります。

「家族より回りの人を、大切にしなくちゃいけないね。」って。

母は、誰より家族に愛されたいと思っている人ですから、そんなことを言った私に、どうしてだ? と食い下がってきました。
私は、家族はどんなことがあっても家族だから、毎日笑顔を向けていなくても、他人に笑顔を向けるべき。
何かあったら、友達の傍にいてあげるべき。多くの時間を、他人と使うべきだと、言いました。
家族は、何が切れても家族で・・・・
って、今ふと、家族と書いている今の私の家族は、親子であって、夫婦ではないのか・・? という思いが沸きました。

母の妹。私の大好きだった叔母(すい臓がんにて逝去)が、年に一度母に会いにきていたときに、ふとたずねたことがあって。

「兄弟姉妹と親子ってどっちが良いの?」

母が年に一度会いにくる妹を迎えるその様子が、私・娘に見せるものより深い気がしたから。
叔母は、間をおかずに、何を言ってるか、親子ほど深いつながりは無いんだよ、と。

私は、他人への思いが深まる反面、両親への思いは確固たるもので、叔母に嫉妬のようなみのを感じていたのかもしれません。
年をとるごとに、郷里への哀愁や、両親への思いが変化して大きくなるにつれ、こんなことばかりを考えてしまいます。
前の日記にも書いたように、母は実家に帰ることもままならない中で、会いにきてくれた妹が恋しくてうれしくて仕方なかったんだと今になって思えば、そうなのだと思います。

 

俳優の、原田芳雄さんがお亡くなりになって。
役者魂を最後の最期まで見せた素晴らしい方だったのでしょう。
彼を見ても、人が縁する大切な関係というのは、家族・夫婦にとどまらない。
多くの人同士、家族以上に愛して、尊敬してたくさんの時間を一緒にすごすことがあるんだと思いました。
帰る場所が"家"だとしたら、迎えるのが家族・夫婦。だとしても、どちらが大きいのか・・・と私は決め付けることはできないんじゃないか・・と。

一生のうちのたった一端であつても濃い関係であったかもしれない。影響しあい、成長しあい、人一人の形成に大きな影響を与えたのかもしれない。
じゃあ家族は、家計の中で支えあうものだけなのか・・、そろそろ年金のことも気になる今日この頃・・(*≧m≦*)

 

まあ、そんなこんなを、畑のミニトマトを見て思い悩んでいるあのお方を横目でみながら、考えたりしています。
巨峰の木も、今はこんな感じです。
実の付き方の勉強です。
そして枝がどう成長してくるのかを観察して、来年はちょっと収穫したい。。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ