今日は前々からの予定で、母の施設へ行きました。
「敬老の日の集い」 PM13:00からの開催。。
ホールに皆さんと家族の方達が揃い、初めに今月生まれの方達のお誕生会がありました。
東西に分かれて、横綱・関取と2名づつ高齢者の名前と年齢が書き出されていました。
最高齢者は、女性103歳。ついで、98歳。
その後には全ての利用者の名前と年齢が貼られていました。
合計59名。母も78歳で中間より上でした。
その後、夏祭りの時と同じ、和太鼓の皆さんが迫力あるバチさばきを見せてくださいました。
近くで奏でる太鼓の音に胸に響き、大迫力で終りました。
各ユニットに戻り、お茶とケーキでおやつの時間です。
いつもより母もお茶の量が多く、ケーキも美味しく頂きました。
私も頂きました。
外は、穏やかに晴れていて、チョットの時間お散歩へと車椅子で出ました。
そよそよと風がとーーっても気持ち良くて、母も優しい表情一杯。
目の前の稲刈りを見ていて、白鷺がこぼれた米を食べようとその場を離れずにいます。母は、何羽いるかと、何度も数えていました。
これが「うめちゃん」です。
名前を呼ぶと、めぇぇぇ~ってなきながら芝を食んでいました。
ここの施設には、そこかしこに花壇があって季節ごとの花が植え替えられています。
携帯で写真を撮っては、母に、「どう? 綺麗?」と聞くと、もう少し花数が多い方が良いとか、暗いね~とか、これは良い! とか、色々と言ってくれました。
暫く遊んでいると、透析室の送迎の方に行き会いました。
去年3月。家を引き払い入所するまでは、月曜・水曜・金曜と週3回の透析でお世話になっていました。
玄関先まで送り迎えに来てもらいました。帰りのマイクロバスの中で具合が悪くなるようになってから、私が仕事帰りに迎えに行くという生活が続きました。
透析後の母は、血圧が計測不能になるまで下がり、意識朦朧の中食事をとるので、気持ち悪くなってしまう。
私の車でなら、充分休息させて時間を見ながら帰ることができる。
そして、できる限り母の頭が動かないように慎重に低速で運転して帰ってきていました。
月日が経つうちに、玄関も上がれなくなり、スロープを介護保険で借りて車椅子ごと家に上がるという形になりました。
母をベットに寝かせ、落ち着くのを確認してから家に帰る。
ある日、吐き気がどうしても治まらない・・・
救急車にてかかり付けの病院に入院。そこから自宅の引き払い入所の契約・・・・と母と私達姉妹の葛藤が始まり・今はその延長線にいます。
母が家を失くすことを許してくれたこと、家財道具を処分してしまうこと。
全て、私達姉妹に分け与えようと取っといてくれた全ての物を処分したことを諦めと許可してくれなければ今はありません。感謝です。
小学校の遠足で使ったリュックサックが、ポケットにその時のちりがみとともに出てきたり、セイラー服やら・・何やら・・・・・たくさんの思い出をも捨て去りました。
それを3人して乗り越えてきました。
スロープで車椅子を押して玄関を上がっているのを、通りかかった主人は目に入ったにもかかわらず、素通りしたことは忘れません。
見舞いには、1度だけ次男が連れてきた・という感じで、義理だけの見舞いは要らない。何も相談することもなく私は私の母を自分で支えると決めました。
今、自分の父親が施設を利用するかどうかの状況になり、何がどう分かるのか・・・分からないのか。
もっとより良い手段を見つけ出すことができるのか。
私は、見ています。
おまけ。。。
秋にも、たんぽぽってあるのね。。