Hi Everyone!
私のおとんは、元航空自衛隊の通信隊です。
よくエリートだと言われます。
おとんは、高専を受けたのですが、僅かの点数で落ちてしまい
航空自衛隊に入るため私立の男子校へと行きました。
昔は、防衛大に入るお金がなかったため
航空自衛隊の通信隊を受け、見事合格!
最近、おかんから聞いた話しですが、
おとんもおかんも私立高校だったから
私には県立高校に行くようプレッシャーをかけていたそうです。
(納得いかねぇ理由だ)
昔は、お金がある人しか私立高校に行けなかった。
おとんは、航空自衛隊一筋で退職まで頑張りました。
しかし、退職後の就職先で仕事に慣れず
多大なストレスで脳梗塞を起こしてしまいました。
私はその時、神戸に住んでいました。
悩んだ挙げ句、仲良し課長から「今すぐ帰れ」と言われて
おとんの入院先へ行きました。
おとんは、意識はしっかりしていて会話も出来ていました。
しかし、動かなくなった右手を笑いながら
私に見せ付けていました。
私が「不味すぎる」というお茶をおとんが「飲む」と言って
飲んでくれました。おとんは、「不味くないから俺が飲むわ」と
飲んでいましたが、その意味は、味覚がなかったのです。
それすら、その時の私は気付きませんでした。
その日から約12年経ってるとは思うのですが、
今では、姿は骸骨のようになり、
自分で食べる事すらも出来なくなり、
トイレも戦いの日々だとおかんが言っていました。
おとんは、何度も転倒しては頭や身体を打ち
その全体重を支えることが日々苦痛だとおかんは言います。
介護の苦痛を聞くたびに
私は一人で良かったと思ってしまう・・・
毎日、介護の苦痛なんて私には無理だから。
だから、そんなおかんを尊敬してしまう。
おとんに怒る日々だけど、
おとんを施設に入れてボケさせるのは
可哀想だとおかんは言うんです。
車椅子や施設に入れてしまうと
ボケの進行が早くなるそうです。
私ならきっと限界で施設に入れてるかもしれない。
施設は高額だから、それよりは自分でお世話した方がいいと
おかんは言うんです。
介護士に迷惑がかかるからと・・・
そこまで気遣う必要ないのに。
でも、確かにこの物価高騰の中の高額は生活に
かなり響いてしまう。
私がもっとしっかり働いていたら
親孝行としてお金も仕送り出来たかもしれないのに。
おとんの願い通り、航空自衛隊に入隊なんて出来なかった。
せめて出来る範囲で公務員の事務で許してくれと
頑張ってきたけれど、
私は自分の夢を叶えることにばかり費やしてしまった。
それなのに、未だに夢は実現できていない・・・
きっと、素質がないから叶わないんだとすら思ってしまう。
おとんは、がんばって働いてきたお金で
たくさん私を支えてきてくれたのに、
私は全くおとんを支えきれていない。
出来る範囲でおかんの愚痴を聞くことくらいしか出来てない。
そんなおかんは、おかんで私の事をとても心配している。
きっと、おかんが死んでしまったら私は生きていけないだろう。
こんな未来がわかっていたら
もっと考えておけば良かった。
ほんまに考えなさすぎた。
考える時間は、ほんまに貴重。
おかんは、私に負担をかけないように
家を売る覚悟までしてるらしい。
家があれば固定資産税がかかるし、
お墓もなくすような話をしていた。
だから、名前も引き継ぐ必要はないと。
名前を引き継いだら私への負担が大きいことも
おかんはわかっているんだと少し安心した。
次世代へ継ぐものは「負担」ではない。
古い事を捨てて新しい事を受け入れていくこと。
これは、人でも同じである。
親は私の未来なんか考えてくれてもないと
思っていたけど、話してわかった。
ちゃんと考えていてくれた。
残り少ない親の人生で
何か私に出来る事がないか考えるけど
今は話しを聞くことくらいしか考えつかない。
これから、今までの後悔を修復出来ればいいな。
思い出、もっと写真にしてとっておけば良かった。
最後だけは絶対に何が何でも会いに行くと決めています。
私がNZで結婚したままだったら
きっと最後は会えぬままだった。
だから、これで良かったんだ。
まだ会いに行ける範囲で自分が決めれるから。
相手がいたら、相手の考えに邪魔されてた。
こんな時、一人で良かったと思える。
NZの孫に会えるまで、まだおとんには頑張って欲しいと心から願う。
辛い日々だと思うけど、おとんの多大な努力は
誰よりもこの私が知っている。
選ばれた人しかもらえない勲章をもらったおとん
なんだから、今では自慢のおとんだよ。
ほんま、立派な男の夢を手に入れた人だと私は思う。
Thank you for reading today too.
私のおとんは、元航空自衛隊の通信隊です。
よくエリートだと言われます。
おとんは、高専を受けたのですが、僅かの点数で落ちてしまい
航空自衛隊に入るため私立の男子校へと行きました。
昔は、防衛大に入るお金がなかったため
航空自衛隊の通信隊を受け、見事合格!
最近、おかんから聞いた話しですが、
おとんもおかんも私立高校だったから
私には県立高校に行くようプレッシャーをかけていたそうです。
(納得いかねぇ理由だ)
昔は、お金がある人しか私立高校に行けなかった。
おとんは、航空自衛隊一筋で退職まで頑張りました。
しかし、退職後の就職先で仕事に慣れず
多大なストレスで脳梗塞を起こしてしまいました。
私はその時、神戸に住んでいました。
悩んだ挙げ句、仲良し課長から「今すぐ帰れ」と言われて
おとんの入院先へ行きました。
おとんは、意識はしっかりしていて会話も出来ていました。
しかし、動かなくなった右手を笑いながら
私に見せ付けていました。
私が「不味すぎる」というお茶をおとんが「飲む」と言って
飲んでくれました。おとんは、「不味くないから俺が飲むわ」と
飲んでいましたが、その意味は、味覚がなかったのです。
それすら、その時の私は気付きませんでした。
その日から約12年経ってるとは思うのですが、
今では、姿は骸骨のようになり、
自分で食べる事すらも出来なくなり、
トイレも戦いの日々だとおかんが言っていました。
おとんは、何度も転倒しては頭や身体を打ち
その全体重を支えることが日々苦痛だとおかんは言います。
介護の苦痛を聞くたびに
私は一人で良かったと思ってしまう・・・
毎日、介護の苦痛なんて私には無理だから。
だから、そんなおかんを尊敬してしまう。
おとんに怒る日々だけど、
おとんを施設に入れてボケさせるのは
可哀想だとおかんは言うんです。
車椅子や施設に入れてしまうと
ボケの進行が早くなるそうです。
私ならきっと限界で施設に入れてるかもしれない。
施設は高額だから、それよりは自分でお世話した方がいいと
おかんは言うんです。
介護士に迷惑がかかるからと・・・
そこまで気遣う必要ないのに。
でも、確かにこの物価高騰の中の高額は生活に
かなり響いてしまう。
私がもっとしっかり働いていたら
親孝行としてお金も仕送り出来たかもしれないのに。
おとんの願い通り、航空自衛隊に入隊なんて出来なかった。
せめて出来る範囲で公務員の事務で許してくれと
頑張ってきたけれど、
私は自分の夢を叶えることにばかり費やしてしまった。
それなのに、未だに夢は実現できていない・・・
きっと、素質がないから叶わないんだとすら思ってしまう。
おとんは、がんばって働いてきたお金で
たくさん私を支えてきてくれたのに、
私は全くおとんを支えきれていない。
出来る範囲でおかんの愚痴を聞くことくらいしか出来てない。
そんなおかんは、おかんで私の事をとても心配している。
きっと、おかんが死んでしまったら私は生きていけないだろう。
こんな未来がわかっていたら
もっと考えておけば良かった。
ほんまに考えなさすぎた。
考える時間は、ほんまに貴重。
おかんは、私に負担をかけないように
家を売る覚悟までしてるらしい。
家があれば固定資産税がかかるし、
お墓もなくすような話をしていた。
だから、名前も引き継ぐ必要はないと。
名前を引き継いだら私への負担が大きいことも
おかんはわかっているんだと少し安心した。
次世代へ継ぐものは「負担」ではない。
古い事を捨てて新しい事を受け入れていくこと。
これは、人でも同じである。
親は私の未来なんか考えてくれてもないと
思っていたけど、話してわかった。
ちゃんと考えていてくれた。
残り少ない親の人生で
何か私に出来る事がないか考えるけど
今は話しを聞くことくらいしか考えつかない。
これから、今までの後悔を修復出来ればいいな。
思い出、もっと写真にしてとっておけば良かった。
最後だけは絶対に何が何でも会いに行くと決めています。
私がNZで結婚したままだったら
きっと最後は会えぬままだった。
だから、これで良かったんだ。
まだ会いに行ける範囲で自分が決めれるから。
相手がいたら、相手の考えに邪魔されてた。
こんな時、一人で良かったと思える。
NZの孫に会えるまで、まだおとんには頑張って欲しいと心から願う。
辛い日々だと思うけど、おとんの多大な努力は
誰よりもこの私が知っている。
選ばれた人しかもらえない勲章をもらったおとん
なんだから、今では自慢のおとんだよ。
ほんま、立派な男の夢を手に入れた人だと私は思う。
Thank you for reading today too.