しばらく絵をアップできないので、能楽についてのつれづれを。
私が初めて能楽に触れたのは、中学の芸術鑑賞会で、和泉流の狂言でした。柿山伏と棒縛りだったか?...とにかく、面白くって、他の狂言の台本にあたるものを図書館で借りて読んだり、実はお能とセットであることをなにかの本で読んだりしていました。とはいえ、当時は理系頭の子供だったので、のめり込むようなことはなかったのです。
しかし、高校に入り、数学ができないことに気づいてから、小説家を志すようになった私は、夢野久作という作家にどっぷりとはまりました。その夢野が能楽についてのエッセイや、「あやかしの鼓」なんていう小説やらを書いていたせいもあり、お能への憧れがムクムクと膨れ上がっていきます。民俗学や日本の古典文学への興味もあいまって、能というものが、なにか得体の知れない魅力を持ったものとして、私の中に浸透していきました。NHKでやる能楽鑑賞は必ず見ていましたし、叔母が古典芸能好きだったので、能楽鑑賞に連れて行ってくれることもありました。もちろん、大学も能楽の勉強と研究をするつもりで入ったのですが、ちょうど10代の最後あたりから20代の頭に精神を病みまして、勉学に挫折。マリリン・マンソンや人間椅子を聞きながらひとでなしの生活を送っていました。それでも、私の脳みその端っこには能楽が張り付いており、バイクのツーリングやその他の旅行などで三保の松原や鈴鹿の峠、隅田川、石山寺、大原や鴨社...能にゆかりの土地に行くと、感慨に耽ったりしていました。
精神的に落ち着いてからは、母の病気で大変だったり、欧州のサッカーにハマって、勢いイラストレーターのまねごとのようなことをしにイタリアに留学したりしたわけですが、このころ能楽に対する興味が再び高まりだし、イタリア留学の半年前くらいの間に、瀬尾菊次(今の櫻間金記)先生に謡と仕舞を習ったり、向こうに白州正子の本をもっていって読み漁ったり、再度、夢野を読み直したりしていたのは、異文化に触れたことによって、逆に自分のアイデンティティを確認しようとする試みだったのかもしれません。自分が自分であるための重要な要素として能というものがあるのは、この頃、はっきりと自覚するようになりました。
その後、バイクレースにハマり、しばらくはその思いも停滞していたのですが、応援していたライダーがスズキを去った年、謡をまた習ってみたいなぁ~、と、ぼんやり考えていた頃、偶然に安斎先生のお絵描き教室でT先輩とあかちんに偶然に出会い、喜多流の先生について謡を習うことになり、能というものに自分の人生をかけてもいいんじゃないかと思いつつあるのが現在です。
能は面白いです。
それ自体が、もうすでに完成された芸能なのですが、他の形の芸能、芸術として、多岐にわたって発展させていける、素材としての可能性も多分にあるのです。
能は、初音ミクのように、いろんな人がいろんな解釈で面白いことをすることができる。
これは極論でも妄想でもなんでもなく、本当のことなのです。昔の人は、能を題材にして歌舞伎を作りました。連歌を詠みました。俳句を詠みました。絵を描きました。室町時代以降の日本の芸能芸術の裏には能が流れているのです。それは、能が、それまでにあった日本の美意識や文学哲学をあまねく集め、凝縮し、洗練させた、まさにカルピス...基、日本文化の原液のようなものだったからこそ、いかようにもアレンジして薄めることができたのです。
それは、きっと現代においても変わりません。
いろんな才能を持った人たちが能という芸能に集まってきた時、日本の文化はワクワクするような発展をし始めるのではないでしょうか?
そして、それは日本にとどまらず、世界にも波及していけるものだと思います。
能には、それだけの力強さがあります。
能は、よく演劇の類いだと思われがちですが、実はクラッシック音楽に一番近く、言葉によるものではなく、あくまで音や色で感情や感覚に直接訴えかける芸能だと考えるからです。
とまれ。まず、見てほしい。
能は決して難しいものではありません。
「こんな曲、という主題があり、その主題に添って奏でられる音楽」という目でお能を見てみると、案外、誰でも楽しめるものなんではないかと思います。言葉は分からなくていいのです。当日渡されるリーフレットにだいたいのあらましが書いてあるので、たとえ初心者でも、それだけで十分なのです。もちろん、奥は深いので、勉強をすればするほど、面白さは広がりますが。
ということで。
明日、12時から、目黒にある喜多六平太記念能楽堂で、喜多流職分会四月自主公演があります。
突然ですが、興味と時間がある方は、ぜひ足をお運びください。詳細はこちら。
私が初めて能楽に触れたのは、中学の芸術鑑賞会で、和泉流の狂言でした。柿山伏と棒縛りだったか?...とにかく、面白くって、他の狂言の台本にあたるものを図書館で借りて読んだり、実はお能とセットであることをなにかの本で読んだりしていました。とはいえ、当時は理系頭の子供だったので、のめり込むようなことはなかったのです。
しかし、高校に入り、数学ができないことに気づいてから、小説家を志すようになった私は、夢野久作という作家にどっぷりとはまりました。その夢野が能楽についてのエッセイや、「あやかしの鼓」なんていう小説やらを書いていたせいもあり、お能への憧れがムクムクと膨れ上がっていきます。民俗学や日本の古典文学への興味もあいまって、能というものが、なにか得体の知れない魅力を持ったものとして、私の中に浸透していきました。NHKでやる能楽鑑賞は必ず見ていましたし、叔母が古典芸能好きだったので、能楽鑑賞に連れて行ってくれることもありました。もちろん、大学も能楽の勉強と研究をするつもりで入ったのですが、ちょうど10代の最後あたりから20代の頭に精神を病みまして、勉学に挫折。マリリン・マンソンや人間椅子を聞きながらひとでなしの生活を送っていました。それでも、私の脳みその端っこには能楽が張り付いており、バイクのツーリングやその他の旅行などで三保の松原や鈴鹿の峠、隅田川、石山寺、大原や鴨社...能にゆかりの土地に行くと、感慨に耽ったりしていました。
精神的に落ち着いてからは、母の病気で大変だったり、欧州のサッカーにハマって、勢いイラストレーターのまねごとのようなことをしにイタリアに留学したりしたわけですが、このころ能楽に対する興味が再び高まりだし、イタリア留学の半年前くらいの間に、瀬尾菊次(今の櫻間金記)先生に謡と仕舞を習ったり、向こうに白州正子の本をもっていって読み漁ったり、再度、夢野を読み直したりしていたのは、異文化に触れたことによって、逆に自分のアイデンティティを確認しようとする試みだったのかもしれません。自分が自分であるための重要な要素として能というものがあるのは、この頃、はっきりと自覚するようになりました。
その後、バイクレースにハマり、しばらくはその思いも停滞していたのですが、応援していたライダーがスズキを去った年、謡をまた習ってみたいなぁ~、と、ぼんやり考えていた頃、偶然に安斎先生のお絵描き教室でT先輩とあかちんに偶然に出会い、喜多流の先生について謡を習うことになり、能というものに自分の人生をかけてもいいんじゃないかと思いつつあるのが現在です。
能は面白いです。
それ自体が、もうすでに完成された芸能なのですが、他の形の芸能、芸術として、多岐にわたって発展させていける、素材としての可能性も多分にあるのです。
能は、初音ミクのように、いろんな人がいろんな解釈で面白いことをすることができる。
これは極論でも妄想でもなんでもなく、本当のことなのです。昔の人は、能を題材にして歌舞伎を作りました。連歌を詠みました。俳句を詠みました。絵を描きました。室町時代以降の日本の芸能芸術の裏には能が流れているのです。それは、能が、それまでにあった日本の美意識や文学哲学をあまねく集め、凝縮し、洗練させた、まさにカルピス...基、日本文化の原液のようなものだったからこそ、いかようにもアレンジして薄めることができたのです。
それは、きっと現代においても変わりません。
いろんな才能を持った人たちが能という芸能に集まってきた時、日本の文化はワクワクするような発展をし始めるのではないでしょうか?
そして、それは日本にとどまらず、世界にも波及していけるものだと思います。
能には、それだけの力強さがあります。
能は、よく演劇の類いだと思われがちですが、実はクラッシック音楽に一番近く、言葉によるものではなく、あくまで音や色で感情や感覚に直接訴えかける芸能だと考えるからです。
とまれ。まず、見てほしい。
能は決して難しいものではありません。
「こんな曲、という主題があり、その主題に添って奏でられる音楽」という目でお能を見てみると、案外、誰でも楽しめるものなんではないかと思います。言葉は分からなくていいのです。当日渡されるリーフレットにだいたいのあらましが書いてあるので、たとえ初心者でも、それだけで十分なのです。もちろん、奥は深いので、勉強をすればするほど、面白さは広がりますが。
ということで。
明日、12時から、目黒にある喜多六平太記念能楽堂で、喜多流職分会四月自主公演があります。
突然ですが、興味と時間がある方は、ぜひ足をお運びください。詳細はこちら。