絵は、後でちゃんとしたのを...是非に。
とりあえず、習作。
ざざっと、2、3時間くらいで描きました。
喜多流自主公演10月の「葵上」です。
あれです。
源氏物語の葵上。詳しい内容はググっていただければ、すぐに出ます。
りんとした、カッコいいお能でした。
主役は、タイトルの葵上ではなく、生霊の六条御息所。
泥眼という、人間を超越した女性を表す面で登場します。この面、目と歯が金色なんですよ。神も悪魔も表裏一体というか、成仏した菩薩の顔も、生霊となった物の怪の顔もこなします。
出てきたとたんに、空気が淀むというか、ワキツレの大臣が巫女に「なんかいるの?」って問いかけてる横にシテの生霊という、ぬおんとした存在感。
ホラー映画っぽいんですよ。ふふ。
そして、この、車へと憎き葵上を拉致ろうとする生霊の六条御息所は、光源氏ゆかりの女。くさっても貴族。どことなく気品が漂うわけです。ここが泥眼のなせる業なのか。
でも、今回は、むしろ、気品が勝っていました。般若の面となり鬼となってもなお、始終「ああ、恥ずかしい...」と思ってる雰囲気。
なんというか、前半の泥眼とごちゃまぜになっていく感覚がありました。
そして、鬼の表情、憎しみをあらわにする部分にキレというか、瞬発力があったというか、「うわ、怖っ!」と、ビクッとさせられることが度々。
最後、神仏に囲まれ浄化され、可愛らしい扇を手に持った時、口惜しさよりも安堵感が...。後ろを向いた瞬間に、元の顔に戻ったように見えました。
全体的に「黒・白・金・橙」という色遣いの装束でした。
クリムト?!これ、クリムトだよね?
と、ドキドキ。
もう、出て来た瞬間にやられましたね~。
この、装束が大事なのです。役柄それぞれに決まった装束があるのはもちろん、他にも色々意味を持たされているのです。
シテの六条御息所においては、体全体できらびやかな牛車を表現しているようにも思われ、車ごと現れた生霊という趣。なので、唐織を車だと仮定して見ることもできるわけです。唐織を脱ぎ去った時に、完全に車から出てきたようにも見えたり。
車輪がないのに、装束と詞で車が見えてくるのは、まぁ、お能ならではの視覚デザインですね。
病気に臥せってる葵上が布切れなのも、あくまで主役が六条御息所なことを強調した視覚デザイン。
とにかく、主役は六条御息所。
この徹底的な主役主義。葵上は、この、主役主義がずば抜けています。
他は、「景清」と「巻絹」、狂言は「文相撲」、仕舞が「六浦」。
遅刻して「景清」は外で聴いていました。
でもって「巻絹」を観たら、「ああ、これは”言い訳で笑わせろ。”という内容だったんだなぁ~。」と、ぼんやり考えてる自分が。遅刻も、ネタになる言い訳があれば、神様も許してくれるんだ!!と、超解釈。
しかも、巫女さんが可愛くて、ほっこりしてました。
雨降りで足下の悪い中、今回は、能楽堂が満員御礼。
狂言が終わった後で、空席を見つけ座れましたが、エクストラでパイプ椅子が出るほどの盛況ぶりでした。
来月の自主公演は行けないんですよね...残念。
(昨日描いた文章を読み返したら、あまりにもとりとめなく、書き直しました。)
シロトリエミ・筆
とりあえず、習作。
ざざっと、2、3時間くらいで描きました。
喜多流自主公演10月の「葵上」です。
あれです。
源氏物語の葵上。詳しい内容はググっていただければ、すぐに出ます。
りんとした、カッコいいお能でした。
主役は、タイトルの葵上ではなく、生霊の六条御息所。
泥眼という、人間を超越した女性を表す面で登場します。この面、目と歯が金色なんですよ。神も悪魔も表裏一体というか、成仏した菩薩の顔も、生霊となった物の怪の顔もこなします。
出てきたとたんに、空気が淀むというか、ワキツレの大臣が巫女に「なんかいるの?」って問いかけてる横にシテの生霊という、ぬおんとした存在感。
ホラー映画っぽいんですよ。ふふ。
そして、この、車へと憎き葵上を拉致ろうとする生霊の六条御息所は、光源氏ゆかりの女。くさっても貴族。どことなく気品が漂うわけです。ここが泥眼のなせる業なのか。
でも、今回は、むしろ、気品が勝っていました。般若の面となり鬼となってもなお、始終「ああ、恥ずかしい...」と思ってる雰囲気。
なんというか、前半の泥眼とごちゃまぜになっていく感覚がありました。
そして、鬼の表情、憎しみをあらわにする部分にキレというか、瞬発力があったというか、「うわ、怖っ!」と、ビクッとさせられることが度々。
最後、神仏に囲まれ浄化され、可愛らしい扇を手に持った時、口惜しさよりも安堵感が...。後ろを向いた瞬間に、元の顔に戻ったように見えました。
全体的に「黒・白・金・橙」という色遣いの装束でした。
クリムト?!これ、クリムトだよね?
と、ドキドキ。
もう、出て来た瞬間にやられましたね~。
この、装束が大事なのです。役柄それぞれに決まった装束があるのはもちろん、他にも色々意味を持たされているのです。
シテの六条御息所においては、体全体できらびやかな牛車を表現しているようにも思われ、車ごと現れた生霊という趣。なので、唐織を車だと仮定して見ることもできるわけです。唐織を脱ぎ去った時に、完全に車から出てきたようにも見えたり。
車輪がないのに、装束と詞で車が見えてくるのは、まぁ、お能ならではの視覚デザインですね。
病気に臥せってる葵上が布切れなのも、あくまで主役が六条御息所なことを強調した視覚デザイン。
とにかく、主役は六条御息所。
この徹底的な主役主義。葵上は、この、主役主義がずば抜けています。
他は、「景清」と「巻絹」、狂言は「文相撲」、仕舞が「六浦」。
遅刻して「景清」は外で聴いていました。
でもって「巻絹」を観たら、「ああ、これは”言い訳で笑わせろ。”という内容だったんだなぁ~。」と、ぼんやり考えてる自分が。遅刻も、ネタになる言い訳があれば、神様も許してくれるんだ!!と、超解釈。
しかも、巫女さんが可愛くて、ほっこりしてました。
雨降りで足下の悪い中、今回は、能楽堂が満員御礼。
狂言が終わった後で、空席を見つけ座れましたが、エクストラでパイプ椅子が出るほどの盛況ぶりでした。
来月の自主公演は行けないんですよね...残念。
(昨日描いた文章を読み返したら、あまりにもとりとめなく、書き直しました。)
シロトリエミ・筆