あずまあそびのかずかずに

東日本橋で謡(喜多流)のお稽古をしています♪

喜多流自主公演10月~葵上~

2012-10-29 00:55:03 | 日記
絵は、後でちゃんとしたのを...是非に。
とりあえず、習作。
ざざっと、2、3時間くらいで描きました。

喜多流自主公演10月の「葵上」です。

あれです。
源氏物語の葵上。詳しい内容はググっていただければ、すぐに出ます。

りんとした、カッコいいお能でした。

主役は、タイトルの葵上ではなく、生霊の六条御息所。
泥眼という、人間を超越した女性を表す面で登場します。この面、目と歯が金色なんですよ。神も悪魔も表裏一体というか、成仏した菩薩の顔も、生霊となった物の怪の顔もこなします。
出てきたとたんに、空気が淀むというか、ワキツレの大臣が巫女に「なんかいるの?」って問いかけてる横にシテの生霊という、ぬおんとした存在感。
ホラー映画っぽいんですよ。ふふ。
そして、この、車へと憎き葵上を拉致ろうとする生霊の六条御息所は、光源氏ゆかりの女。くさっても貴族。どことなく気品が漂うわけです。ここが泥眼のなせる業なのか。
でも、今回は、むしろ、気品が勝っていました。般若の面となり鬼となってもなお、始終「ああ、恥ずかしい...」と思ってる雰囲気。
なんというか、前半の泥眼とごちゃまぜになっていく感覚がありました。
そして、鬼の表情、憎しみをあらわにする部分にキレというか、瞬発力があったというか、「うわ、怖っ!」と、ビクッとさせられることが度々。
最後、神仏に囲まれ浄化され、可愛らしい扇を手に持った時、口惜しさよりも安堵感が...。後ろを向いた瞬間に、元の顔に戻ったように見えました。

全体的に「黒・白・金・橙」という色遣いの装束でした。
クリムト?!これ、クリムトだよね?
と、ドキドキ。
もう、出て来た瞬間にやられましたね~。

この、装束が大事なのです。役柄それぞれに決まった装束があるのはもちろん、他にも色々意味を持たされているのです。
シテの六条御息所においては、体全体できらびやかな牛車を表現しているようにも思われ、車ごと現れた生霊という趣。なので、唐織を車だと仮定して見ることもできるわけです。唐織を脱ぎ去った時に、完全に車から出てきたようにも見えたり。
車輪がないのに、装束と詞で車が見えてくるのは、まぁ、お能ならではの視覚デザインですね。

病気に臥せってる葵上が布切れなのも、あくまで主役が六条御息所なことを強調した視覚デザイン。
とにかく、主役は六条御息所。
この徹底的な主役主義。葵上は、この、主役主義がずば抜けています。

他は、「景清」と「巻絹」、狂言は「文相撲」、仕舞が「六浦」。

遅刻して「景清」は外で聴いていました。
でもって「巻絹」を観たら、「ああ、これは”言い訳で笑わせろ。”という内容だったんだなぁ~。」と、ぼんやり考えてる自分が。遅刻も、ネタになる言い訳があれば、神様も許してくれるんだ!!と、超解釈。

しかも、巫女さんが可愛くて、ほっこりしてました。

雨降りで足下の悪い中、今回は、能楽堂が満員御礼。
狂言が終わった後で、空席を見つけ座れましたが、エクストラでパイプ椅子が出るほどの盛況ぶりでした。

来月の自主公演は行けないんですよね...残念。

(昨日描いた文章を読み返したら、あまりにもとりとめなく、書き直しました。)

シロトリエミ・筆


成信会2012

2012-10-26 02:07:11 | 日記
習い事をやっていると、発表会というものがあったりします。
もちろん、謡にもあるんですね。
うちの場合は、主要なものが年に2回。
こじんまりと先生の自宅で行われる5月の青葉の会と、能楽堂を使って行われる10月の成信会です。
発表会では、うちらの会の他にもいくつか先生が教えてる他の会が参加します。個人で謡ったり、仕舞を舞ったりする人もいます。詳しくは後日説明することがあると思うのですが、謡や仕舞にも、書道や柔道剣道のように「進級」みたいな制度があって、それのお披露目みたいな側面もあるのです。
発表会ごとに、それまでお稽古してきたものを謡うんですが、時々、他の会の曲に地謡で参加することもあります。
規模は違えど、素人の発表会ですし、どっちも、なんというか、ちょっとユルい雰囲気で進行します。まぁ、やってる本人たちは大真面目でかなり緊張するのですけどね。
紋付袴のおじいちゃんたちが肩を寄せ合って謡ってる姿は、本当に和みますし、こうでなければいけない、みたいなこともあんまりなく、とにかく舞台にでて、謡ったり舞ったりする感じです。とはいえ、能楽堂を使う時は、きれいに着物や袴を着て謡い舞う人たちも多く、雰囲気は華やかです。
うちらは、どちらの発表会でも、ある程度の正装に足袋を履いて扇を持つ、というスタイルでして、和装はしません。着物、着たいんですけどね...時間とお金が...。まぁ、それでも許される発表会です。ユルいです。
自分たちの出番の前は、準備をしつつ楽屋でダラダラしてます。しゃべる声が大き過ぎて、安パパに怒られたりもして。でも、なんというか、それもまた嬉しいというか、若干、学生気分な面も。いくつになっても、先生がいる、何かを習う、っていうのは、いいもんです。

能楽堂を使う時は、成信先生のほかに、先生のお父上、安信先生(通称:安パパ)、佐々木多門先生が参加。そして、最後に先生方が仕舞をやってくださいます。これは、1年間お稽古をしてきたご褒美なんじゃないかなぁ、って、勝手に思って、ありがたく観さしてもらっています。
今年は「天鼓」でした。大好きな曲なので、喜び倍増。

でもって、どちらの発表会でも、終わった後の宴会が大事だったり。
いつもは会うことのない他の会の人たちとの交流が楽しいのです。
謡を習っているのは自分たちより年配の方が多いのですが、謡曲という共通の話題が世代を超える手伝いをしてくれて、同世代では味わえない会話が楽しめます。

実は、この発表会の場は、謡曲を習いたいという人にとってもいい機会なのですよ。
特に、成信会は、能楽堂を使ってやりますから、気軽に出入りして観ていただけます。会の合間や後に話をすることも可能ですし、ぜひ見に来ていただきたいのです。
って、本当は、ここで宣伝すれば良かったんですけどね...忘れてました。

今年、うちらは「賀茂」をやりました。
京都の上賀茂・下賀茂神社が舞台の曲です。神社の由来が曲のメインです。
出演は4人。それぞれが、シテ、シテツレ、ワキ、地謡です。もちろん、地謡はみんなで謡います。
今回、私はシテツレで、初めて一人で謡う部分があり、シテと二人で謡う部分も多く、いままでになく練習をして臨んだのです。
なんとなくお稽古に出て、なんとなく謡っていただけだったことが、いかにもったいないことだったのかを、つくづく感じました。練習をし、謡のリズムや節回しを身につけていくことの面白さを初めて体感。身につけて、初めて出せる声があるということにも気づきました。
まだまだ下手なわけですが、これからのお稽古では、最初からもっと意識的に取り組んでいこうという気になりました。

ある程度謡えると気持ちいいんですよ。
あの高揚感は、謡ったことのある人じゃないとわからないと思います。
カラオケで歌を歌う開放感に、金縛りというか、束縛されているような緊張感をあわせた、とてもおかしな感覚です。
これは、本当に気持ちがいいです。

本当にね。
もっと、謡を習う人が増えたらいいのに。

能楽は世界に誇れる伝統芸能です。
色々と楽しいことや面白いことにつなげて発展させていけるだけの度量を持った、奥深い芸能です。
古典でありながら、過去から現在へ、そして未来をもつなぐ力を持ち、極度にシンプルであるが故に、常に前衛的な新しさを感じさせる芸能であります。
能楽は難しくありません。
ただそこにある花を愛でるような芸能です。
その美しさに感嘆するも良し、そして、その花の持つ意味やその花のありようを深読みするのも自由です。

発表会で、色んな人と話しをすると、能楽のことをもっと知りたいと思うし、その魅力は、どうしたら、より多くの人に伝えられるのかを考えます。
能楽を、ただの古典芸能として廃れさせたくないのです。
そのためにも、日々精進しなきゃいかんのだなぁ、と、思いつつ、今年も成信会は終わりました。
私個人としては、やるべきことがある程度見えていて、それを、このブログを拠点に展開できればいいなと思っています。

シロトリエミ・筆

はじめに。を、再び。

2012-10-17 01:45:54 | 日記
私たちが謡のお稽古をしている会は「東遊会」といいます。

東日本橋で月に3回。基本的に火曜日です。

先生は、内田成信先生。
洋楽や車、モードにも関心があり、きっと、好奇心も旺盛なんだと思うんですが、お稽古のあとは、能楽とは関係のない話にもつきあってくれます。基本、天然ボケだし、柔和な方なんで、とても話しやすいです。
とはいえ、弟子の欲目を差っ引いても、声の良さや謡のカッコよさはかなりなもんだと思われ、お手本で謡ってくれるのを聴いているだけでも、お稽古の価値があるんじゃないかと、常々思ったりしています。いや、ホントに。
うん。実はスゴい能楽師なんだと思います。
ご自身が演能された後、その話を聞くと、曲の解釈によって明確な意図や意思を持って演じており、面から衣装、小道具の選択にも細かく配慮していることが分かります。美意識の高さやセンスの良さが半端ないです。感心させられます。
好みは人それぞれなので、一概には言えませんが、少なくとも、うちの会のメンバーは皆、先生のファンなんでしょうね。先生の演じる曲のカッコよさにやられてんだと思います。
でも、やっぱり、普段のお稽古は、のんびりほのぼの。
あ、でも、発表会が近くなると、ピリッと厳しくなります。本格的にお稽古してもらったら、結構Sかもしれないなぁ、と、時々思います。

ちなみに喜多流です。
観世、宝生、金春、金剛、喜多、と、能には5つの流派があるんですが、一番の少数派です。
江戸時代に起こった、一番新しい流派でもあります。つまり、末っ子です。
上の兄ちゃんたちに負けまいと、意地をはったり、唇噛み締めたりして、頑張っている流派です。
他の流派と違ったことをしたがる傾向もあり、若干、偏屈です。
素朴で、かつ豪快。
武士に好まれた芸風で、詞をはっきりと謡うのも特徴。
そして、小規模ながら、ときおり、すごい名人を輩出するのも喜多流。
そんな喜多流です。

うちの会は、三十路女が中心で、謡の会としては若い方です。
だからというか、このまま能楽が時代とともに朽ちていってしまうんじゃないかという危機感が強く、常に憂いています。だってね、うちらの年代で若手ですから...。つか、能楽堂に行ってもヤングチームに分類されますから!!!
じゃあ、どうしたらいいのか?
そうゆうことを考えた末、「能楽とは何ぞや?」ということから「能楽の可能性」「能楽の未来」まで、とりあえず、今、自分たちに出来ることをネットで発信しようということになりました。
当初、シロトリ個人でこのブログをやろうかと思っていたのですが、一緒にお稽古をしている友人各位もここに参加してくれるということなので、会としてのブログにすることに。色々、やれることが増えてきたらHPに発展させてもいいのかな、と、思ったりもしているのですが、とりあえずはブログから。
今は、なんというか、とっちらかったブログになっていますが、秋の発表会、成信会が終わったら、もうちょっと体裁を整えていきたいと思っています。

シロトリエミ 筆

ゴリラズで土蜘蛛をやってみた

2012-10-04 06:13:17 | 日記
深い意味はありません。
多分、マードックに蜘蛛の糸を「とりゃ!」って、投げさせたかっただけです。2Dをぐるぐる巻きにしたかっただけです。あと、時々、無性にゴリラズを描きたくなるってだけの話です。

Painter12をようやく導入したのでね、半年越しの彩色ですよ。
色々試してみたうえに、色々失敗しています。
なんとか仕上げてみましたが、やはり、画力の至らなさに愕然としています。

さても。
色んな人が描くといいのにな、お能の絵。