あずまあそびのかずかずに

東日本橋で謡(喜多流)のお稽古をしています♪

湯谷の絵

2013-04-01 20:17:48 | 日記
2月に條風会で公演のあった演目です。

湯谷。
喜多流ではこの漢字ですが、他では熊野。
どちらも「ゆや」と読みます。
しかし。なんで喜多流だけ湯谷かね?
意味的には「遊屋」だという説が。
湯と遊で、そこから浮かぶ連想はソープランド的なもので、なんつーか、もっとくだけた絵にしようとすれば、SM系のビッチな感じにも出来るな、と、思ったりもしました。
でも、実際の作は風流づくしでして、しかも夢幻能ではない簡素で素朴な謡です。
元ネタは平家物語。季節は春。花見の途中、宗盛の妾の熊野が危篤の母に会いにいきたいと暇請いをする話です。ただそれだけ。しぶしぶながら宗盛は了承する結末ですし、劇的な展開はありません。
適度な美しさとのんびりした内容。飽きのこない、この湯谷は「お能のお米」と言われているらしいです。
ビル・エヴァンスのピアノみたいなもんだと思います。いいよね、お米。
なんでね。ビッチに描く気は起きないのですよ。鎖でつなぐのが精一杯。
春らしく、お米らしく、そうゆうのを目指しました。
ま、目指しただけね。

ああ、観たかったな、湯谷。

油断しました。

2013-03-05 01:03:16 | 日記
このブログ、60日間放置すると、テンプレートが変わるのです。

色々と忙しく、精神的な周期としても内に籠る期間に入っていたため、ほとんどブログには手が付けられず...。
実は、お稽古も行けない状態が続いています。

今は、能楽の基礎的な勉強を再開していて、とても楽しかったりします。
世阿弥生誕650年だしね。
知っていたことも知らなかったことも、色々含めて、楽しい。
ただ、それを他人に伝えられるようになるには時間がかかるような気も。
絵もね、基礎からちまちまやっていたり。
せっかくブログもはじめてみたというのに...。
なんでもいいから発表していけばいいという、実践主義的な物言いも理解できるのですが、なんというか、自分の未熟さに圧倒的にやられているというのが現状で、だからこその「お籠り」期間に入ってしまったのかもしれません。

ただ、勉強がとにかく楽しい、というのも正直なところです。
世阿弥の伝書関連とか、「花」の記述が多くて、多過ぎて、「桜の森の満開の下」というか、花がゲシュタルト崩壊しそうになったり、歴代将軍の能狂いや能楽師たちの武勇伝にくすくす笑ったり...。
比較文化とか、そして、装束の文様とかも楽しくてね。
昔、大学をやめた時に、独学で能楽を勉強しようと決意したことは、あきらめたんじゃなくて冷凍保存されてたのかもしれません。なんか、去年あたりから解凍した感じです。

どんな形でこのブログを続けていくのか?
自分に関しては、今は、まだちょっと分からないです。
私以外の人たちがやってくれることがあるなら、それもいいとは思います。

しかし。
お能、観たい。
湯谷は、本当に観たかったです。
春の京都を絵巻のように展開する、あの美しさ。
絵は、下描きが終わってるんですが...。その後がね。

賀茂の絵

2012-12-25 04:58:30 | 日記
賀茂です。

やっぱり、力尽きました。

誰か、曲の説明してください。

京都で糺の森を歩きながら謡ったら、気分いいだろうなぁ~、と、思ったりしています。

そうそう、今年の成信会で発表した曲です。

柊会2012年~絵馬~

2012-12-14 02:00:59 | 日記
柊会は、毎年12月にあります。
私たちが謡を習っている、内田成信先生のお家の会です。先生をはさんだ親子三代が揃って舞台に立ちます。
家紋が柊なので、柊会です。
それを12月に当ててくるあたり、クリスマスのニオイがします。これが2月だと、イワシの頭がニオってきそうなので、12月でよかったと思います。
でも、新作能で「サンタクロース」とかは勘弁してほしいです。お願いします。

さて。
今年のメイン曲は「絵馬」。
読み方は「えま」ではありません。「えんま」です。ここ、間違うと恥ずかしいです。「あら、あの人初心者だわ~。ふふふ。」みたいなことになります。嘘です。大丈夫です。

絵馬というと、神社仏閣でお願いごとを書いて所定の場所にひっさげる、あの小さな板を連想すると思います。
みうらじゅんさんが、変なお願いごとを書いている絵馬を集めて「ムカエマ」というジャンルを確立したことでも有名な、あの絵馬ですね。
元々は、神馬、神様の乗り物としての馬をリアルに奉納してたらしいのですが、さすがに馬は奉納する側もされる側でも厄介だということで、次第に絵になっていったそうです。
お能が生まれた室町時代くらいに様々な絵が描かれるようになったということですから、室町時代に願掛けとしての絵馬が流行ったのかもしれません。そして、流行したからこそ、能の題材になったのかもしれません。謡の中に僧正遍昭が出てくるのですが、三十六歌仙の絵が絵馬に描かれるようになったのもこの頃で、無関係ではないでしょう。

お能の絵馬は、かなりぱっくりとした2部構成の形をとります。
年の暮れに伊勢神宮に淳仁天皇の命を受けて、伊勢神宮に奉納に来たら、老夫婦が絵馬をかけにくるところに遭遇。話を聞くと、「かける」という言葉で言葉遊びをしながら、「絵馬で国土豊穣、万民慰楽を願うのじゃ!ふふふ。」「今年は2枚かけちゃうぞ~、特別じゃ~!」と返されるのが前半。
実は、この老夫婦が伊勢神宮のご神体様で、「まぁ、せっかく来たんだし、天の岩戸の物語でも観ていく?」と、再現VTRが展開されるのが後半。
この間に、なぜか、蓬莱の鬼が打ち出の小槌持って宝物を奉納しにきます。



前半は、若干退屈ですが、後半、天の岩戸の物語部分は、天照大神>天女>力神の順で舞を舞い、華やかだし、緩急があって、とても面白いです。ストリートでダンス対決してるのを思い浮かべたりしたくらいです。
しかも、今回は「女体」といって、天照大神が女装設定。通常は男装らしいですが、性別不明の神々しい雰囲気は女体の方がいいように思われます。なんたって、華やかさの度合いが増しますし。

そして。
今回、シテの天照大神は先生のお父さん、安信先生だったのですが...。
舞の途中でハプニングが!!
頭に振り上げた袖が天冠(頭にのっけるじゃらじゃらしたキラキラの冠)に引っかかって取れなくなった!!
さぁ、大変!!
それでも、何食わぬ顔で舞いきるんですけどね。ハラハラしました。
「あ~!!もう!!これもあれもなにもかもスサノオのせい!!!もう、知らない!!」
という、いらだちと怒り、そして、結局、天冠をとってしまった姿に、
「も~!!こんなに怒っちゃって、自分が恥ずかしくなってきちゃったじゃなーい!」
という、恥じらいがプラス...されたことにしました。
そのあと、天の岩戸を喚起させる作り物の黒い箱の中に隠れるんですが、切実に隠れたい感じが満載でしたね。
天女さんと力神さんに引きずり出された姿も、いっそ可愛らしくて、たまらなかったです。

(安信先生を両脇で抱えてるのが成信先生と多門先生だと思うと、さらに愛おしい感じだったのは内緒です。ごくごく内輪ネタです...。)

とまれ。
年の瀬だしね。
ぴったりの選曲でした。

絵馬の絵

2012-12-13 03:17:20 | 日記
とりあえず。
今年の柊会の演目。

「私、降臨♪」
な、天照大神たん。
能『絵馬』の元ネタは天の岩戸です。

途中で嫌になってきて、でも、最後まで仕上げることに意味があると思って、息も絶え絶えに描きあげました。

感想などは後ほど。