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岩波古語辞典補訂版/基本助詞「や」解説/p1499(2)

2024-04-07 16:58:13 | 日本語文法
>疑問詞を受けない係助詞の一つ
>もっとも古くは感動詞として、掛け声に用いられたこともある(1)。
>それが、歌謡の中で用いられ、歌の途中に投入された(2)。

>この投入の用法は、万葉集などにも見られるが、それは歌の一句としての
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。

>(1)https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/350dc1604d89890309cb462f0216631c
>中大兄、子麻呂等の、入鹿の威(いきほひ)に畏(おそ)りて、
>便旋(めぐら)ひて進まざるを見て曰はく、「咄嗟(やあ)」とのたまふ。

「咄嗟(やあ)」が感動詞で掛け声らしい。
中大兄皇子が、子麻呂等が怖気づいているのを見て「咄嗟(やあ)」と声をかけた。
でも「や=あり」だから、この場合は「咄嗟(やあ)」=「居たのかい」みたいな意味だろう。

>(2)蘆原田の稲つき蟹の、や、汝(おのれ)さえ嫁を得ずとて、や、捧げては下ろし、や、
>下しては捧げ、や、かいなげをする、や

この文言も、もちろん初めて読んだけど、岩波古語辞典の編集者が、ここまで読みやすく
句読点を入れてくれたので、ここの「や」はもう「あり」としか読めない。
「あり」以外の読み方があるでしょうか。そういう意味でこの文言は素晴らしい。
「や」は「あり」の娘言素です。感動詞ではありません。

いちおう念のために、「や」を「あり」に置き換えると…

「蘆原田の稲つき蟹の、あり、汝(おのれ)さえ嫁を得ずとて、あり、捧げては下ろし、あり、
 下しては捧げ、あり、かいなげをする、あり」

「蘆はら、田んぼの稲についている蟹みたいなのが(あり)、
嫁も取れないでいる(あり)、(何かを)上げたり下げたりしている(あり)、
無駄なことをやっている(あり)」

この文章が感動を呼び起こすだろうか。文の流れから感動詞とは思えない。

岩波古語辞典補訂版/基本助詞「や」解説/p1499

2024-04-07 16:46:50 | 日本語文法
ほぼ全文引用です、ごめんなさい。

>疑問詞を受けない係助詞の一つ
>もっとも古くは感動詞として、掛け声に用いられたこともある(1)。
>それが、歌謡の中で用いられ、歌の途中に投入された(2)。

>この投入の用法は、万葉集などにも見られるが、それは歌の一句としての
>音節数が不足の時で、一句の拍数を整える時に使われる(3)。

>「や」は終止形の下につき文の叙述の終わりに加えられた場合には、
>相手に質問し、問いかける気持ちを表す。

>この場合、話し手は、単に不明・不審だから
>相手に疑問を投げかけるものであるよりも、
>自分に一つの見込みないしは予断があることが多い。

>「雨に降りきや」と問う時、「降ったか降らなかったかわからない」のでなく
>「降ったに違いない」という見込み・予断を持ちながら、
>それを相手に提示して反応を待つのである。
>それが「か」の不明・不審・判断不能とする表現との相違である(4)。

>問いかける気持ちから、命令の意をお表すこともある。
>これも「や」の見込み・予断の表明とすることと一連の用法である(5)。
>そして、已然形の下についた場合は反語になる(6)。

>反語とは否定的に問い返すことによって否定する表現である。
>結局は自分の否定的な断定を押し付ける語法である。

>また、平安時代になると、反実仮想を表す助動詞「まし」に「や」が複合して
>「ましや」となる(7)。

>これも「まし」によって事実に反することを想定し、それに「や」を加えることによって
>自分の見込みを表明する言葉で、現代語でに訳せば「…ないだろう」に当たるものである。
>このようにして「や」は次第に「か」と共通の意味を持つようになった。

>しかし、全く不明・不審であるとして疑いを発する役目を役目を持っていた「か」の
>強い疑問表現は奈良時代すでに次第に好まれなくなり、代わって「や」が愛用されて、
>「や」を使うことが多くなり、平安時代になると「か」に代わって
>「や」が広く問いに使われる勢いとなった。

>「か」は疑問詞「」誰」「いつ」「」いづく」などと協同して使われる場合に
>限られるようになり、「や」が平安時代の和文には多く使われるが、
>これは単に不問・不審として投げ出すのでなく、
>「…の見込みがあるがどうですか」と相手に問いかける気持ちが濃厚である。
>この方が柔らかで優しい表現とされたんであろう。

>しかし、世相が険悪で、強い者が弱い者を圧倒する気風の行き渡った室町末期になると
>口語の世界では細かく相手に持ち掛けて問う「や」を使うよりも、
>直截的な「か」を使うことが多くなり、「や」を圧倒する勢いとなって、
>現在では「や」は衰え、「か」がもっぱら質問にも疑問にも使われている。

>以上のように使われた「や」は、はじめ文節の切れ目ならばどこにでも入れたので、
>文末だけでなく、文中の句の切れ目にも入るようになり、いわゆる連体止めの
>係り助詞の仲間入りをする。

係助詞「や」=「後続部分疑問文」、係助詞「か」=「先行部分疑問文」

2024-04-07 13:32:07 | 日本語文法

 

係助詞は、ドイツ語やイギリス英語の決定疑問文の語順に
似ていると言っているのは、私だけでしょうから、
係助詞「や」と「か」の疑問文に名前を付けました。

係助詞「や」の疑問文を「後続部分疑問文、後方部分疑問文」と、名付けます。
後続部分疑問文は、ドイツ語やイギリス英語の決定疑問文と同じです。

係助詞「か」の疑問文を「先行部分疑問文、前方部分疑問文」と、
名付けます。

係助詞「や」は、「あり」の娘言素で意味は「あり」だ。
係助詞「か」が動詞なのは、係助詞「や」の類推からほぼ間違いない。
動詞なのはわかったが、どういう動詞なのかわからない。

作業仮説として、
「か=こ+あり=共に+あり=ko+ari=koari=ka=か」
がありそうな気がする。

「新治筑波を過ぎて幾夜 寝つる+か」…平叙文
=幾夜 寝つる+か
=幾夜 寝つる+共に+あり
=幾夜は、寝つると、共にある

「新治筑波を過ぎて幾夜 か 寝つる」…疑問文
=幾夜か寝つる
=幾夜+共にあり+寝つる(と)
=幾夜は、寝つると、共にありますか?
=幾夜寝たんですか?

何とも言えないな、もう少し例文が欲しいね。

同様に係助詞「ぞ、なむ、こそ」も、出自は動詞である可能性が高い。
係助詞と文末が一定の関係にあって、疑問・強調・感嘆…等の機能がある事は
「ぞ、なむ、や、か、こそ」が動詞で「動詞+主語」の倒置形式という事だ。

つまり

・公理(1)「は=や=あり」、
・公理(4)主語と動詞は隣り合ってさえいれば良い。…これの発達型

こう言ってるのとほとんど等値だ。この二つはほとんど等値だ。