また…近いうちに…

ひとりごと…覚え書き…。不定期で 呟いていこうと思います。

こだわりなんて邪魔かな…。

2013-10-07 23:56:01 | 日記
仕事で知り合ったある方のブログを読み続けています。
今日は、新しい学びで知ったこと、分かったことの良さを知った時のわきあがってきた 熱を冷まさないために、時折、また学びの場に出ることの大切さに気づいた、ということと、発信してくれる側の こだわりについてのお話を読みました。

私は 時に、好奇心のままに 一人でも やりたいことのために まっすぐ進んで 新しい場所、グループにも入ってしまったりするけれど。


こだわれるのが 楽しめる素。
こだわる、というのは、そこに強い関心があり、大事なポイントだと思っているから、こだわる熱がわいてくるのかもしれないですねぇ。

学習や、一人で楽しむ趣味の愉しさは、周りに気をつかうことなく、自由にこだわれる、そこにあるんでしょうねぇ。

合唱部員だった中学2年生の頃、転任してこられた先生の、詞の解釈、曲の表現のこだわりに どうしても納得がいかず、副部長でもあったのに、退部し、それまでの楽譜の全てを 庭で焼いた私。
あの激しさは、私の中でなにも変わっていないんだろうなぁ。

おもしろいことに、それを封印しようとすれば、もう全て そこに対する関心や興味も無くしてしまう。

そして、次の私の関心を独占し、夢中になりたい、という自分の思いを満たしてくれるものに、場を移していく…。

そんな私が長く続けてきたことには、必ず、私の気を他に逸らさないだけの魅力と共に、魅力的な人間関係に恵まれていることが共通してあるんですねぇ……。
そして、長く続くにつれて 活動よりも、その人間関係の魅力の方が 自分の中で大きくなって 自分のこだわりは たいていのことは 押し込めることなく さらさらと流してゆけるようになっていたりします。


でも。


その大切な人間関係を築く上で 大事な礎となるものが 私にはやっぱり 大きく損なわれた部分があって、これまでの努力も無駄であることを 今日は思い知らされました。
現実を冷静に受け止めかねて、パニックになったのも、自分で更にショックで、過呼吸困難になってしまって。

もう、だれにも会いたくないし、出かけたくない。

一体 何十年、勉強し、改善、解消のための実践の努力をすれば、克服できるんでしょう。

「お前は不要だっただけでなく、あらゆる自分の苦しみ、悲しみの原因となり、憎い!」
という生母からの強烈なメッセージ。

生母を支えられず、私を欠陥家庭であっても、そこに養女に出すことで 自分たちの生活を守った父。

……ほんと、忘れられるものなら 忘れたい。暴力も 言われ続けた言葉も みんな。

認知症の方のサポート講座で 言われたことを ふと 思い出しました。

何を食べたかが思い出せなくとも おいしかった! とか、誰とお花見に行ったか、名前は言えなくなってしまっても、楽しかった!という、感情の記憶は残っている…というお話。

少し心理学の勉強もして、年も取ってきて、まぁ、しかたなかったのよ、と 両親のことは理解し許しているのに、自分は存在してはいけない、生きているだけで周りに迷惑をかける存在だという罪悪感の記憶。
感じないふりはしても、消せはしないんだなぁ、と、またわかって。
疲れてしまいました。

その場にいた皆さんに ご心配をかけてしまい、申し訳ないつらさもですが、また こういう場面が繰り返されたら、と思うだけで とっても憂鬱。

なんだか私…このまま、仮に任期いっぱいまで 自分としてはギリギリがんばって、やりたくない気持ちをズルズルとひきずって続けても 心を病むばかりかもしれないなぁ。
そんな風に、今日は考えてしまいました。

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