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目で見よ耳で聞け

2016-03-06 22:18:00 | MOVIE
本日の映画は

「すみません、
アメリカンコメディの世界舐めていました。」
と、西に向かって土下座したい映画
「ピッチ・パーフェクト」



です。

正しくは、アメリカ人の懐の深さを舐めておりました。

だって、
「全米の女子を熱狂の渦に巻き込んだ
ガールズムービー、遂に上陸!」

なんて宣伝しているものだから
てっきり、
kirakira爽やか青春ムービーkirakira」かと思ったら
意外にもがっつり「俺たち」系の
アメリカンコメディ映画じゃないですか、これ。


「俺たち」系の例。

いや、確かに、時代が時代なら
あの「天使にラブソングを」
「天使にラブソングを2」の後を継いで
金曜ロードショーで繰り返し地上波放送されても
不思議ではないほど誰が見ても楽しい映画ですよ。



…まあ、ただ1点を除けば。


ご覧になった方は
「ああ、あれのことね。」
と察しがつくと思います。



その1点とはゲロのことです。

げろ[名](スル)
嘔吐 (おうと) すること。また、嘔吐物。へど。「―を吐く」
(デジタル大辞泉より)


そう、アメリカンコメディでは
笑いを呼ぶちょっとした小道具として頻繁に使われている
吐瀉物、ゲロ。

この映画でも
ロビーで購入したポップコーンに手を伸ばしかけた頃に
突如スクリーンに登場します。

この試練を乗り越えることができれば
後は怖れることはありません。

と、云ってもアメリカ人がいくら大好きとはいえ
汚物ネタは、
何でもかんでも除菌・殺菌・抗菌な衛生国に
籍を置く我が日本国民にしてみれば
なかなか受け入れがたいネタと云えましょう。

公開時には何も知らず
米国で人気のガールズムービーを見に来たつもりで
不快感を示された女性客もいらっしゃったことでしょう。
さらにこれがデートでの鑑賞でしたら耐えられません。

どおりで配給会社が
日本での公開に3年も二の足を踏んでいたわけです。


映画の始まりは、
「今から1年前のこと」。

メル・ギブソンのパチモンのような風貌のジョンと
毒舌ゲイルのコンビが解説する
大学アカペラ選手権の会場では


2人は地方予選から全国大会までずっと司会と解説を担当します。

審査員と女性に大人気の
男性アカペラグループ「トレブルメーカーズ」の


女性に人気?…女性に人気?

発表の真っ最中。

優勝候補「トレブルメーカーズ」が
会場を大いに沸かせた後、登場するのは、
同じバーデン大学のアカペラグループ
「バーデン・ベラーズ」です。

ところが、メンバーが女性だけのため
低音が出せずアレンジがきかないベラーズのステージは、
選曲もダンスも衣装も古臭く
どうしても盛り上がりに欠け観客の反応も今一つ。

おまけにリードボーカルである
オーブリー(アンナ・キャンプ)が緊張のあまり
ステージ上で胃の中のものを戻してしまい
会場が大惨事となってしまいます。


この模様は全国放送されています。

この時点でまだ「去年のお話」です。

ゲロに耐性があると思われるアメリカの観客にとっては
これで「つかみはOK」です。

まあ、こちらといたしましては
実際にこのDVDを見るまでの
この映画のイメージは日本では映画に先行する形でヒットした
このPV↓でしたので
ゲロとのギャップに戸惑いつつ


これ。


劇中でも1分ほど使われています。

とりあえず、このゲロシーンを知ってしまった以上
他人には下手におススメせず、
この映画は自分一人で楽しむことにいたします。

と、心に決めたところで
それから1年、大学キャンパス内はすっかり新歓ムード。

全国大会で大失態を犯したもののサークルは継続中。
今年も全国大会を目指します!

ということで、
在校生がオーブリーと彼女の親友である
クロエ(ブリタニー・スノウ)の2人だけとなった
バーデン・ベラーズにも次々と新入生が入部してきます。


オーブリーのこの衣装がまた古臭く彼女のお堅いキャラにマッチしています。

将来の夢がDJのベッカ(アナ・ケンドリック)、
ムードメーカーのファット・エイミー(レベル・ウィルソン)、


どうして女子集団に太った子がいるとほんわかと心が安らぐのでしょう?

恋に奔放なステイシー(アレクシス・ナップ)、
レズビアンのシンシア(エスター・ディーン)、
サイコパスっぽいリリー(ハナ・メイ・リー)。

個性派ぞろいの新メンバーを迎え
全国選手権優勝をめざし練習に励む日々が続きます。

しかし、
地方予選を勝ち進むに連れて
伝統を重んじるあまり融通が利かないオーブリーと


伝統とは云え毎年同じ曲、同じ構成で挑戦するのはある意味凄い。

今風のアレンジを提案するベッカとの間に
亀裂が生じてしまい一気に危機に陥るバーデン・ベラーズ。

はたして彼女たちは
トレブルメーカーズの連中を見返し念願の全国優勝ができるのか?
そして、ベッカと
「トレブルメーカーズ」の新入部員
ジェシー(スカイラー・アスティン)との恋の行方は?


と云う内容ですが、
バーデン・ベラーズのステージに夢中になり
油断したところでまたもやゲロ攻撃を仕掛けてくるのが
この映画の恐ろしいところです。


今度はゲロの上で「雪の天使」です。

私がチャーリー・モルデガイなら
貰いゲロしているところです。


コメディの時はグウィネス・パルトローだって普通に吐きます。

こちらとしては
最高にハッピーなガールズムービーを見ているつもりなのに
鑑賞中、一瞬たりとも気が抜けません。
(ただし、アメコメ慣れしている映画ファンの方は
そろそろ来ると予想されていたのではないでしょうか?)

後々、
こんな↓素敵なアカペラステージが待っているというのに
二度に渡ってアメリカンコメディならではの
地雷が潜んでいようとは…心が折れかけてしまいます。


このステージは何十回もヘビーローテーションで見ることができます。

まあ、始まりが始まりだけに
バーデン・ベラーズのファイナルステージは
あのジョンとゲイルも大熱狂となるくらい


ノリノリでもはや仕事を放棄しています。

ゲロも
ベッカのいけ好かないルームメイトのことも
男子大学生たちが狭いジャグジーに
ぎゅう詰めになっている誰得(もはや死語ですか?)な映像も


十把一絡げなトレブルメーカーズの方々。

記憶の彼方へと追いやって
「ああ、素敵な映画を見せてくれてありがとう!
ありがとう、U.S.A.!」
という気持ちにさせてくれますが。

オーブリーに代わってリーダーとなったベッカだけでなく
ちゃんとメンバー一人一人に見せ場が用意されているのも
素晴らしいです。


One for all,all for one.なのはアカペラの世界でも同じこと。
トレブルメーカーズのバンパー君にとってはそうではありませんでしたが。


レンタルDVDには
「新作案内」に新作でもないのに
劇中、ベッカがジェシーに薦められて見ることになる
1985年の映画「ブレックファスト・クラブ」の予告編が
収録されているのも気が利いていますね。


これで「ブレックファスト・クラブ」で見る人が増えるといいね!

それを踏まえた上での
「ブレックファスト・クラブ」の主題歌
シンプル・マインズの
Don’t You (Forget about Me)を
ステージ上でベッカが歌いだし
それがどういうことを意味するか気が付いた時の
ジェシーの表情の変化が凄く好きです。

何回見ても何十回見ても顔がにやけてしまいます。

ジェシー役のスカイラー・アスティンの
2枚目とも3枚目ともつかない微妙な容貌も
実に味があるんですよね。


いい男。いい男には違いないんだけど、なんかそこはかとなく惜しい。

音楽映画としても
ラブロマンスにしても
これだけ素敵な映画なのに下手に(特にお食事中に)
お薦めできないのが本当に残念です。

ほんと、金曜ロードショーで放送されないかしら?















ドストエフスキー・トリップ

2016-03-06 13:08:00 | MOVIE
先日、「はじまりのうた」を
レンタルDVDで見たところ
お決まりの「新作情報」のなかでちょっと気になる映画が

それが本日の映画
「嗤う分身」



です。

なにしろ予告編にはこんな言葉が使われているのです。


昭和歌謡=昭和時代に流行した日本のポピュラー音楽の総称

流れる曲は
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「草原の輝き」。

何故?!

これは見て確かめずにはいられません。
いざゆかん、TSUTAYAへと。



主人公は「大佐」が経営する
地球上で最強の情報処理システム会社に勤める
サイモン・ジェームズ(ジェシー・アイゼンバーグ)。


若くして「実はできる人」と云う役が多いジェシー・アイゼンバーグ。

それなりに実力も野心もあるのですが、
消極的性格が災いして社内での評価は決して良くありません。

とにかく要領が悪く
空席だらけの通勤電車で
見知らぬ他人に座席を横取りされ、
最寄りの駅で下車しようとすると、
ホームから次々と荷物を押し込まれて
なかなか降りることができず
発車ベルぎりぎりにようやく降りられたと思ったら
電車の扉にIDカードを入れた鞄が挟まれて
そのまま持ち去られてしまいます。


通勤電車あるある。
降車口でもたついているうちに外からどんどん人が入ってきて降りられない。


7年間も勤めているのに
会社の受付には顔も名前も覚えてもらえず
IDカードを失くしたと申告しても
入館許可書を再発行するまで社内に入れてもらえません。

直属の上司パパドプロス(ウォーレス・ショー)からの
覚えも非常に悪く
新しいプロジェクトについて画期的な提案をしても
耳を貸してもらえませんし、
片思いの相手で同じ会社に勤めるコピー係の
ハンナ(上スパイミア・ワシコウスカ)には相手にもされません。

積極的なアプローチができない代わりに
ハンナのアパートの向かいに居を構え
彼女の部屋を望遠鏡で覗き見し、
時々彼女が描いては破り捨てているスケッチを
拾い集めて修復しコレクションするのが
日課となっています。


養老院に入っている実の母親にさえ面会のたびに低能扱いされています。

ある夜、いつものようにハンナの部屋を覗き見していると
彼女の部屋の1つの上の窓から
こちらを双眼鏡で見ている男の姿が…。

サイモンに向かって手を振るので
つられて振り返した途端、飛び追い自殺を図る男。

そのことがきっかけで目撃者であるサイモンは
ハンナと個人的に話をする機会を得ます。


相談に乗る振りをしてデートにもこぎつけることができました。。

ハンナの話によると、
自殺した男は彼女のストーカーだったようです。


こんなことをしているサイモンもストーカーですが、本人は露とも思ってもいません。

毎夜、ハンナの部屋を覗き見しているサイモンも
似たようなものですが、
そんなことは知らないハンナは、ただの同僚として
翌日開かれる「大佐の会」にサイモンを誘います。

ハンナからの誘いにすっかり舞い上がるサイモン。

一大決心をして部屋の中で唯一金目のものであるテレビを
質に出すと、彼女への贈り物を買い
意気揚々として「大佐の会」に出かけます。

ところが、その会場でも受付に社員として認められてもらえず
中に入れてもらうことができません。

自分のことを待っているハンナの後姿を見つめつつ
警備員に追い出されてしまうサイモン。


すぐそばまで来ているのにルイスに気づいてもらえません。

いくら影が薄いとは云えあまりの仕打ち。

ていうかこれもういじめですよね?

そして、翌日彼と同じ部署に新人が入ってきます。

名前はジェームズ・サイモン(ジェシー・アイゼンバーグ)。


ジェームズに見られるチャラさこそがジェシー・アイゼンバーグの本領発揮。

自分と瓜二つであるジェームズの登場に
サイモンは激しく動揺しますが、
他の社員は特に気にならないようです。

何が何だか判らないサイモン。

顔は同じでもサイモンとは違い
社交術に長けたジェームズは
あっという間に他の社員の心を掴んでいきます。

その反面、
同じ容姿のサイモンに面倒な適性試験を
自分の代わりに受けさせ
そのお礼としてサイモンの恋を手伝うと
口では云っておきながら
デート中のサイモンと途中で入れ替わって
ちゃっかりハンナをお持ち帰りしてしまいます。


誰が誰でもおんなじなのよ。くれるって言うなら何でも貰うわ、全部。

その後もサイモンが作成したレポートを
自分が作ったとパパドプロスに報告し手柄を横取りし、
さらには、ハンナ以外の女性を連れ込むため
サイモンの部屋の鍵まで要求します。


コンガラガってコンランざんす。

そのことでハンナから問い詰められ
会社からも見捨てられたサイモンは自殺を決意。

ところが、最期に一目姿を見ようと
ハンナの部屋を覗き見したところ
ベッドに死んだように横たわる彼女を発見し
病院に運び込みます。

ハンナもまたしれっと浮気を続けるジェームズに
絶望し自殺を試みたのでした。

その自殺をくい止めたことで逆恨みされ
すっかりハンナから嫌われてしまったサイモン。

失意の中、養老院から母親が亡くなったという連絡が入ります。

急いで墓地に駆け付けると、
そこにはすでに喪主を務めるジェームズの姿があり
サイモンは怒りに任せ、彼に襲い掛かります。

そして、ようやくサイモンはあることに気が付きます。

ジェームズが傷を負えば
自分の体にも同じところに傷ができることということに…。


ということで、以前見た「複製された男」と同じく
ドッペルゲンガーを扱った作品となっています。

原題も英語で「ドッペルゲンガー」を意味する
「The Double」です。

予告編を見たときは
「昭和歌謡が彩る」に気を取られていて
目に入っていなかったのですが、
この作品って原作が
フョードル・ドストエフスキーの
「分身(二重人格)」ですってよ。


原作を読もうとしたら「岩波文庫」ですよ!敷居高っ!

ドストエフスキーと云えば
「罪と罰」、
「白痴」、
「悪霊」、
「未成年」、
「カラマーゾフの兄弟」。

一番名前の知られた「罪と罰」でさえ
手塚治虫の漫画でしか読んでいない私にとっては
それだけで腰が引けてしまいます。

と云っても映画のストーリー自体は難しくなく
流れる昭和歌謡をはじめとするノスタルジックな挿入歌や
いかにも原作が書かれた1849年頃に予測した
近未来感且つアナログ感溢れるオフィスのセットなど
耳や目には楽しい映画です。

ただし、
小心者で引っ込み思案、劣等感に苛まれながらも
自意識と承認欲求だけは異様に高く
他人にどう見られているかが、やたら気になるのに
そういうそぶりは見せたくない
というサイモンの姿につい自分を投影してしまい
モニターの前で髪をかきむしり
ウギャアアアと叫びそうになる映画でもあります。

「自分のドッペルゲンガーに出逢うと、しばらくして死ぬ」
と云われていますが、
その言い伝えが効いているのか
本作でも「複製された男」でも
ラストにどちらかが死ぬことになります。

サイモンにとって
「なりたい自分」「こうあるべき自分」の姿が
ジェームズだとすれば
客観的に見たとき
「なりたい自分」ほど自分の心をかき乱し
殺意を抱かせる存在は他にはいないと云うことでしょうか?

と、無理やり結論付けてみましたが、
深いようなそうでないような?



 
 
 

 
 




ああ、賢くなりたい。
頭が良くなりたい。






かもめはかもめ

2016-03-05 23:49:00 | MOVIE
本日の映画は
「ブロークン・ポイント」



です。

原題は「Days and Nights」。
レンタルDVDのパッケージに並ぶキャスト名は
ベン・ウィショー(「パフューム ある人殺しの物語」)、
ジャン・レノ(「レオン」)、
ウィリアム・ハート(「 蜘蛛女のキス」)、
ミカエル・ニクビスト(「ミレニアム」シリーズ)、
ケイティ・ホームズ(トム・クルーズの元嫁)
と地味に豪華でしたので
TSUTAYA 準新作・旧作96円(税抜)レンタルで
借りてきました。

レンタルDVDを再生してすぐに
(と云っても17分もある「新作案内」!の後)
登場人物の一人
ピーター(クリスチャン・カマルゴ)による
これから始まる物語の登場人物の簡単な紹介があります。

ピーターはそこそこ売れている映画監督で
恋人である大女優であるエリザベス(アリソン・ジャニー)とともに
病気療養中の彼女の兄ハーブ(ウィリアム・ハート)の元に
誕生祝いに行くところです。

ピーターのモノローグから判ることは

・エリザベスとの関係がすでに倦怠期に入っていること。
・エリザベスが主演の舞台が中止となり
 映画女優としてもも彼女はもう落ち目であると云うこと。
・ハーブの病状は医師が隠しており不明であること云うこと。
・エリザベスの息子エリック(ベン・ウィショー)が
 訳のわからない前衛芸術にのめり込んでいると云うこと。
・屋敷の管理人の娘ができちゃった結婚をしていること。
・ピーターがハーブの元を訪れるのはこれがはじめてということ。


後、百合の香りは毒であると云う豆知識も。

以上のことが
エリザベスとピーター以外の人物たちが
まだ一人も登場もしていない時点で語られるため、
映画を観ているこちらとしては今一つ頭がついていけず
始まって4分で脱落。

先に進む前にどういう話かネットで確認したところ
この映画、原作がチェーホフ「かもめ」なんですね。

本作の公開に当たって
劇作家チェーホフを囲んで「かもめ」の内容を聞いている
モスクワ芸術座の団員たちの写真①と同じ構図の
宣材写真②(?)を用意するくらいですから
本作を見る観客なら、
元ネタであるチェーホフの「かもめ」を知っていて当然
と云うスタンスなんでしょうか?


写真①中央が戯曲を読むチェーホフ。若い時は相当イケメンさんだったらしいです。

「かもめ」をご存知の方であれば
この若干前のめっている冒頭も
「ああ、これは『かもめ』におけるあのことね。」
と、すんなり頭に入っていけるのでしょうが、
人名が覚えにくいと云う理由からロシア文学初心者の私には
かなりハードルの高い映画の幕開けです。


写真②かなり意識して映画を撮っているとは思うのですが。

上の2枚の写真を見比べればお判りのように
映画の舞台は19世紀末のロシアではなく
1984年戦没者追悼記念日の週末
アメリカ合衆国ニューイングランドとなっております。

「世界演劇史上画期的な作品」とまで呼ばれる戯曲を
わざわざ時代も場所も変えて脚色しているのですから
まあ、手強い。


舞台がアメリカに移っているのでかもめの代わりに白頭鷲が出てきます。

とにかく登場人物たちの関係が複雑すぎるのです。

Windows Media Playerの
「一時停止」ボタンをクリックして約10分。

wikipediaの
「かもめ(チェーホフ)」の記事に目を通し
登場人物の大まかな相関図をチラシの裏に自作することで
なんとか最後まで見終えることができました。

とは云っても登場人物自体はとても少ないのです。


家主ハーブの誕生祝いに参加するため集まったのは
普段から一緒に住んでいる使用人も含め11人。


全編通して鈴木清順監督にしか見えないウィリアム・ハート。

妹のエリザベスと
彼女の公私ともにパートナーであるピーター。
エリザベスの息子でハーブとも仲の良いエリックと
彼の舞台の主演女優である
エヴァ(ジュリエット・ライランス)。

後は管理人のヨハン(ミカエル・ニクビスト)と
その妻メアリー(チェリー・ジョーンズ)、
娘のアレックス(ケイティ・ホームズ)、
娘婿で鳥類学者スティーヴン(マーク・ライランス)。
ハーブの主治医である
ルイス(ジャン・レノ)と小作人1名。

全員が揃い夕食を済ませた後


久しぶりに再会した息子に最初にかけた言葉がこれ。
母親にとってはいくつになっても幼子のようなもの。


森の中に設えたステージに場所を移し
エリックがハーブへの誕生祝いとして
自作の舞台を披露します。

ところが、始まって早々
母親であるエリザベスから
聞くに堪えない辛辣な批判や揶揄を次々とに投げつけられ
カッとなったエリックは舞台を中断してしまいします。

おそらく
エリックの目指す前衛芸術を理解できなかったのは
エリザベスだけではないのでしょう。

しかし、他人であれば黙って見ているところを
わざわざ言葉にして口に出してしまうところが親と云うものです。
特に周りに他人がいればなおさら。
「親の私が云わなきゃどうするの?」ってものです。

それが一番子供の心を傷つけるのですが、
本人はそれが愛情と思っているのでお構いなしです。

愛する母親に認められなかったことで
失意のままその場を立ち去るエリック。

ステージに取り残されたエヴァはこれ幸いと
映画監督であるピーターに近づき
女優としての売り込みをかけます。

ピーターの方も満更ではなく
エリザベスの目を気にしつつも
エヴァを受け入れるようになります。

ハーブの誕生祝いはその後も続きますが、
そこには、エリックとエヴァ、ピーター、
そして、スティーヴンの姿はありません。

翌日、ヨハンと一緒に森に狩りに出かけたエリックは、
スティーヴンが保護観察している白頭鷲に襲われ
誤って撃ち殺してしまいます。


そりゃ卵のある巣に人間が勝手にあがりこんで寛がれては鷲だって怒りますわな。

その夜、エヴァは都会で女優になるため家を出る決意をし
ピーターはエリザベスに黙ってヨハンから車を借り
一人帰途に着き事故を起こします。

それから3年後。
再び、ハーブの元を訪れるエリザベスとピーター。
今回の来訪は、屋敷と森を売り払い
ハーブを介護のしやすい都会に引き取るためです。

屋敷には気鋭のアーティストとして
成功を収めたエリックの姿も。

管理人一家との夕食もこれが最後です。
その食事の席で初めて母親から賞賛を受けるエリック。
しかし、表情は冴えません。


世間に認められたことでようやく息子の芸術を褒める母。

そこにすっかり落ちぶれた様子のエヴァが現れ
エリックとの3年ぶりの再会を果たしますが、
そのまま姿を消してしまいます。

人生に絶望したエリックは狩猟小屋で自殺を図るのでした。


と云うのがざっくりとしたストーリーです。
いろいろ省いたのでただでさえ判りにくいストーリーが
さらに判りにくくなっております。

もともとの「かもめ」がどうなのかは読んでいないので
判りませんが、
この映画では最も多感な年ごろのエリックを始め
登場人物の殆どが
日本映画にありがちな
「登場人物が自分の心情をセリフでベラベラしゃべる」
なんてヤボな事をしないため、
見ているこちらとしても誰の気持ちにも寄り添えず
のめり込むことができません。

面白いと思う人物は
管理人のヨハンぐらいでしょうか。

自分の思いを表に出さない登場人物たちの中で
彼のがさつさは異様に目を引きます。


スウェーデン俳優というとこの人かステラン・スカルスガルドか。

冒頭、最寄りの駅まで
エリザベスとピーターを軽トラで迎えに来ますが、
エリザベスのトランクと見舞いの花束を
トラックの荷台に乱暴に放り投げて
エリザベスに注意されるわ

屋敷に到着した後は、
玄関のドアをこれまた乱暴に開け
妹の来訪を楽しみに待っていた家主のハーブの顔面を
2度に渡って強打しておきながら
「すまん」の一言で済ませるわ

これではどちらが雇い主か判りません。


家族が集まった途端主賓が大参事に…。

また、エリックが事故で
スティーブンが大切にしている白頭鷲を撃ち殺した時も
屋敷中響き渡るような大声で報告するものだから
あっという間にスティーブンの知れるところとなります。


ことを内内に済ませたいのであれば(*)もう少し声を落とそうよ。

夜が更けてようやく屋敷に帰ってきたエリックに
白頭鷲の件で有無を云わさず
殴りかかるスティーヴンをとめる際には
スティーヴンの首めがけて牛の鎮静薬を打ち込んだりと


普通、喧嘩の仲裁にそんなもん首に目がけて撃つ?と、娘カンカン。

やることなすことどれもが雑すぎで眩暈を起きます。
しかも、本人へ全然気にしていないのです。


義理の息子を撃っておきながら親父の方はしれっとしています。

それだからでしょうか、
本国アメリカでも1スクリーンのみの公開にとどまったようで
Rotten Tomatoesでの
トマトメーター(と呼ばれる40人から批評家から)の評価が0%
と云う本作。

日本では2014年にWOWOWが日本初放映し
今回DVDリリースされたようです。


たぶんこの方の人気にかこつけてのWOWOW放送、DVDリリースかと…。

確かに、一般受けするような映画ではありません。
が、特筆すべきところもちゃんとあります。

それは、ロケーションとセットの美しさです。


屋敷の内装はもちろん


都会、田舎共に駅のロケーションも美しく、また、森の描写は鳥肌もの。

たしかにストーリーは退屈で
感情移入しにくいかもしれませんが、
風景描写は本当に美しいので
これだけでも見る価値があると思います。





(*)
1959年アラスカがアメリカの一州になった時、
ハクトウワシは1940年にアメリカ政府が制定した保護法の下におかれ
その後、鷲を殺すことは法律違反行為であり、
死んだ鷲もしくは鷲のいかなる部分を所持することも違反になりました。



戻れない戻らない帰る場所はもうない

2016-03-05 23:29:00 | MOVIE
本日の映画は
「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」


映画の内容がそのまま「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」です。

です。

邦題でわざわざ印象づけているように
「ロープ」(1948……えっ、あれ昭和23年の映画なの?!)

「ニック・オブ・タイム」(1995)と同じく
映画の中で進んでいる時間と
実際の映画の上映時間がほぼ同じ
86分という作りになっています。

さらにそれだけではなく、本作では
「スクリーンに映る登場人物は
車を運転する主人公ただ一人、
会話は車内で交わされる電話のみ」
という大胆な手法に挑戦しています。

撮影期間は8日間。
3台のデジタル・キャメラを同時に回して
撮影した映像はざっと300時間もあるのだとか。

これだけでも充分興味深いのに
主演が今もっとも勢いのあるハリウッド俳優
トム・ハーディです。


劇中何度も洟をかむトム・ハーディ。これも演技の一部なのかしら?。

それらのことを全部ふっくるめて
公開直前までは
「これは何があっても見とかなあかんやろ!」
と、結構意気込んではいたのですが、
いざ地元ミニシアターで上映されると
都合が合わずまんまと見過ごしてしまい
今回、TSUTAYA準新作・旧作レンタル96円(税抜)で
ようやく目にすることができました。

いやあ、まさか本当に

86分間ただひたすら
トム・ハーディの困り顔を見続けるだけの映画とは
思いもよりませんでした。

「映画の中で経過する時間」と「上映時間」が同じ映画というと
「サスペンス」と相性が良いようですが、
本作はちょっと違います。


バーミンガムで建設工事の現場監督を務める
アイヴァン・ロック(トム・ハーディ)は
社運のかかっている
「軍事核施設を除くヨーロッパで過去最大のコンクリート打設工事」
の現場を明日に控え、帰途に着きます。

この日はテレビでサッカー試合の放送があり
自宅では、父親との観戦を楽しみにしている息子2人と
妻カトリーナ(声:ルース・ウィルソン)が
お揃いのユニフォームやらビールやらを用意して
彼の帰りを待ちわびています。

ところが、車内電話に残された伝言から
7か月前に一度だけ肉体関係を持った
ベッサン(声:オリヴィア・コールマン)と云う女性が
早期分娩のためロンドンの病院に入院したことを
知るアイヴァン。

アイヴァンが知る限りでは
ベッサンには身よりも親しい友人もなく
彼が立ち会わなければ
たった一人での出産(しかも高齢出産)となってしまいます。

一人ぼっちのベッサンのことを思うと
良心の痛みを感じずにはいられません。

一瞬悩んだアイヴァンは、
その選択によって
家族と仕事の両方が失いかねないと判りつつも
自分なりの誠意を尽くすため
自宅に向かういつもの道ではなく
ロンドンに向かう高速道路へと車を走らせます。


この地図だと86分ではロンドンには着かない…。??

一度乗ってしまえばノンストップ、
後戻りのできない高速道路の上で
それでも今できるだけのことはやろうと足掻くアイヴァン。


自業自得自己責任とはいえおかげで道中がずっと頭を抱えっぱなしです。

まずは、作業員のドナル(声:アンドリュー・スコット)に
電話し翌日に控えた仕事の手順を伝えることに。

ところが、次第に電話で指示を出すうちに
思いもかけぬ作業上の不備がわらわらと出てきて
さあ大変。

さらに夫の不貞を知ったカトリーナは半狂乱となり
アイヴァンの話を真面に聞こうとはしません。

はたしてアイヴァンは出産に間に合うのか?
明朝の工事は大丈夫なのか?
夫婦の仲はどうなってしまうのか?




という話を86分間息もつかせず見せられます。

主人公アイヴァンの想定外な行動によって
電話の相手ほぼ全員が迷惑を被るというお話です。


主人公以外が思っていること。

中でも、ドナル君の心痛たるやいかばかりか。

これまでアイヴァンに付いて
補助的な作業しかしたことがないのに
いきなり翌朝5時45分に現場に届けられる
355トンのコンクリートの流し込み作業と
国中から集まる218台のトラックの整理を
一手に任されることになってしまいます。


いや、そんなこといきなり云われたって…。

そんな現場責任者の無茶ぶりな命令に
時にはだらだら愚痴を溢し
時にはリンゴ酒を呷りながらも
ちゃんと応えるドナル君に涙を禁じ得ません。
(声の出演がアンドリュー・スコットだと思うとなおさら)


「SHERLOCK」で日本でも人気のあるこの方が声を当てています。

例え翌朝の作業を大成功させたところで
ドナル君はただの作業員。
会社側が新任の現場監督を用意した以上、
昇進や昇給の見込みなどどこにもないのです。

まあ、翌日の作業をドナル君に任せることで
現場の交通許可証が出ていなかったり
鉄筋が固定されていないことが次々発覚し、
結果的には会社にとっても万事塞翁が馬だったですが…。

それにしてもドナル君が気の毒でたまりません。


と云ったように、主人公が
「自分は(人間のクズだった実父とは違い)正しい人間」
と思い込んで行動している割には
傍から見ると全然誠実に見えないところが
この映画の面白いところです。

どんなに泡を食っていても
制限速度を守って安全運転を心がけ


急いでいる割には常に左車線の車に追い抜かされます。

職場でも真面目なところに定評のあるアイヴァン本人は
物事を手順通りに正しく丁寧に行えば
なんとかなると割と楽観視しています。
(もしかすると単なる虚勢かもしれませんが)

例えば
仕事の方はドナル君に的確な指示を与え
家庭の方は妻にきちんと説明し
生まれてくる子供は認知し7歳になったら
自分の苗字「ロック」を名のさせれば
万事OK、すべて世は事もなし
と云った風に考えていますが、
そうそう上手くいくものではありません。

というか、いってたまるか!です。

特に奥さんの方はそうは問屋がおろしません。

アイヴァンにとってベッサンとのことは
正真正銘人生最初で最後の過ちであったため
ちゃんと説明さえすれば、奥さんも赦してくれると
甘く見積もっていたようですが、
「どうせ他にも浮気しているでしょ!」
「本当にあなたの子なの?」
とけんもほろろに拒絶されてしまいます。


アイヴァンの方は自分の子であることとベッサンが孤独ということを信じて疑わない。

奥さんの反応は仕方がないのかもしれません。
何から何まで電話で済ましてしま(お)うというこの状況が
まず不誠実ですから。

そりゃあ、奥さんも夫の浮気を知って
1時間も経たないうちに離婚を切り出すわ。

ということで「映画.com」の映画レビューでも
「誠実という皮を被った傲慢」なんて
書かれてしまっているアイヴァン。

私も最初はそう思っていたのですが、
数日経ってふと

これは
二択のうち、自分の人生をも台無しにしかねない道を
敢えて択んだ一人の男が、
多少の悪足掻きはするものの、
余計な言い訳もせず、自己憐憫的な後悔もせず
「自己責任」を果たすため
ただひたすら前に突き進む映画ではないか

と思うようになりました。

思えば
2004年のイラクの日本人人質事件がきっかけとなり
「自業自得」に代わる使い勝手の良い言葉として
ここ10年ほどで安易に使われるようになった
「自己責任」と云う言葉。

多くの場合、「自己責任」という言葉は
世間から見て身勝手極まりない行動をしたと思われる人物に
対して使われています。

でも、「自己責任」を取るとはどういうことなのでしょう?

「自己責任」を流行語の如く多用する人は
どう責任を取ってもらえば
「よし、わかった。」と、納得するのでしょう?

この映画の主人公アイヴァンもまた
自分だけではなく会社や家族まで巻き込む
誰にとってもデメリットの大きい選択をします。

しかし、
これまで通りの安定したキャリアと幸せな家庭が待つ
左折の道ではなく
一直線で後戻りのできないハイウェイに続く右折の道を
信号待ちの交差点でのほんの数秒間で選択したアイヴァンは
それ以降、
ヒステリックになる妻や罵倒する上司に対して
感情的になることなく言葉を尽くして
現状を根気よく説明し相手を説得することに慢心します。

それが叶わない時にも決して声を荒げることはありません。

ベッサンが入院した病院側の質問に対しても
彼女とは一晩だけの関係だったことを隠しません。

もちろんハイウェイを引き返すこともなく
病院に向かって走り続けます。

その結果、仕事も家庭も失いますが、
自分の身勝手な選択が招いたこととして受け入れます。

下手な言い訳もその場限りの嘘も吐きません。

これを誠実と云うのは確かに傲慢すぎるかもしれませんが、
彼のようにひとつひとつ冷静に対処することができるかというと
とても難しいことです。

私が彼の立場なら途中で切れて
投げ出してしまうに違いありません。

あのまま、左折しても良かったのです。
もともとベッサンは一人で子供を育てるつもりでしたし、
出産に立ち会うにしても
子供の顔を見てからすぐにハイウェイを引き返して
素知らぬ顔で家族や職場に戻ればノープロブレムだったのです。

でも、アイヴァンにはそれはできませんでした。
全ては自分が悪いと認め、前に進みます。

だからでしょうか。
一見不誠実に見えても
これは彼なりの「自己責任の取り方」ではないか
と思うのです。

少なくともやたら「自己責任」を求める人が
望むくらいの報いは受けていると思うんですよね。

これだけのことを86分と云う短い時間でやり遂げても
褒められるどころか、
何もかも失ってしまうのが「自己責任」。

彼と比べると、
1時間足らずの間に
ろくすっぽ夫の話を聞かず
子供たちには何も告げず
その代りに姉妹からのお墨付きを用意して
有無を云わせず夫を家庭からばっさり切り捨てる妻も
連絡を受けた途端本社に報告をすることで
お墨付きを頂き、ろくすっぽ弁護することなく
1時間足らずの間で勤続9年のベテラン現場監督を
あっさり馘にしてしまう上司も
アイヴァンを責める事ができないのでは…。

ドナル君をはじめとする作業員たちや
警察、役所の人間と云った
アイヴァンと仕事をともにしている人々が
彼のために就業時間外にまで働いてくれたことを考えると
なんと薄情な…と思ってしまいます。

自己責任を全うる者
責任を一人では追わず分散させてしまう者
そして、
責任の所在が自分はない、もしくはないと思っている者。

アイヴァンの姿は
個人が「自己責任」を負うということがいかに厳しく、
それをやり遂げるにはいかに強靭な精神が必要か
を教えてくれます。

アイヴァンがその責任の重みを嫌と云う程思い知った後
他の誰よりも一番に考えなければならないはずなのに
どう云う訳かあまり彼の頭のなかでは重視されたなかった
息子のエディ(たぶん長男の方)から電話がかかり
それによってアイヴァンはようやく救われます。


生まれてくる子供のこともいいけど今いる2人の息子のことも考えろよ。

おそらくベッセンから緊急出産の連絡を受けなければ
2人の息子とテレビで今頃はサッカー観戦をしていたはず。

会話から想像するに
この日の息子たちの観戦への気合いが
並々ならぬものだったのは想像に難くありません。

料理も飲み物も準備して
母親に到っては息子たちのリクエストで
普段絶対着ないユニフォームまで
おそろいで来て父親の帰りを待っていたのです。

父親は父親で
勤続9年の中でも最重要と思われる大仕事を翌日に控えるなか、
仕事を早めに切り上げて帰宅していることから
家族とサッカー観戦する気バリバリだったのです。

そこまで楽しみにしていた息子との約束を
あっさりボイコットしたのです。

それなのにこの息子たちは…。


息子(エディ、ショーン)役の2人。


自分の代で
父親まで続いた忌まわしき一族の血を断ち切ったと思っている
アイヴァンですが、本当に断ち切ったのはこの子たちですよね。

アイヴァンも運転しながら
うっすら涙ぐんでいる場合じゃないですよ。

それにしても
「浮気相手の出産に立ち会うため車を走らせる」
だけの話だけで86分もたすのは本当に凄いことです。

それだけでなく
本人にとってはちょっとした過ちが
人生を変えうるような失態に繋がってしまう可能性は
残念ながら誰にでもあります。

その時、どう誤魔化さず対処できるか、
決して正しいとは思えない選択をした場合の
男の落とし前の付け方も描いててたった86分。

個人的には見てよかった映画ですが、
主人公に対する見方次第で印象が変わる映画なので
なかなかお薦めできないのが難ですね。

う~ん。

その昔、名作ドラマ「北の国から」の中で
「誠意って何かね?」(「北の国から 92 巣立ち」)
と云うセリフがあり
それ以来、25年ばかり
誠意とは何かずっと考えていたのですが、
去年TBSテレビ土曜7時30分から放送されている
「さわこの朝」に出演した脚本の倉本聰がこれについて
未だに誠意とは何か判らないと仰っていて
椅子から転げ落ちました。

誠意とはいったい何なのか。
何をすれば誠意を示せるのか
見極めるのは本当に難しいことです。




ビスケット一枚あったらあったらジョリィとボクとで半分こ

2016-02-28 23:34:00 | MOVIE
本日の映画は
「リベンジ・フォー・ジョリー~愛犬のために撃て!」



です。

DVDのジャケットからは
戦争アクション映画のように見えますが、
違います。

邦題の副題とDVDパッケージ裏の解説文
「無敵の愛犬家が放つ、痛快リベンジ・アクション」
からは、昨年劇場公開された
「ジョン・ウィック」の廉価版のようにも見えますが、
違います。

違います。全然違います。

痛快どころか、
見終わった後の不快感半端ありません。

と、胸の内を吐きだしたところで
まずはストーリーを。


人づきあいが苦手で孤独な青年
ハリー・デニス(ブライアン・ペトソス)。


随分おかしな髪形をしていますが、本人曰く「これがいいんだ」そうです。

彼にとっては
ミニチュアピンシャーの仔犬(1歳ぐらい?)
ジョリーだけが心の拠り所でした。


ジョリーとの結婚も割と真剣に考えていました。

ところが、ある日のこと
エディと云う男から頼まれた「仕事」で
大きなミスを犯してしまったハリー。
その制裁を恐れジョリーと共に町を去ることを決意します。

と、その前に従兄で親友でもある
セシル(オスカー・アイザック)にお別れを告げに行きます。

セシルの彼女メアリー・アンが作ったディナーに舌鼓を打ち
2人で一晩中飲み明かした翌朝、


こんな寛いで夕食をとっている場合ではありません。

べろべろになって自宅に戻ったハリーを待っていたのは
無残に殺されたジョリーの死体でした。


想像以上にえぐい殺され方をしているジョリー。

…いや、昨晩の時点で結構危険な状態でしたよね?
いつ刺客が現れて殺されてもいいくらいの。

そんな危機的状況でなんでジョリーを自宅に残して
目の届かないセシルの家に一人で行ったの?

等とはまったく昨夜の行動をまったく省みることなく
セシルを巻き込んで即行復讐を開始するハリー。


一晩中つき合わされてようやく眠りにつけたかと思ったら
復讐に燃えるハリーに電話で叩き起こされるもっさり白ブリーフなセシル。


なにしろ徹夜明けで一睡もしていない2人ですので
ただでさえ頭の中はナチュラルハイ。
そこに強制ペットロスによる激しい憎悪が加わって
大変なことになっていきます。

というか阿鼻叫喚、血の池地獄めぐりの始まりです。


イッツ ショータイム!

「めぐる」のは温泉ではありません。

まずはジョリーを殺した犯人の名前を突き止めるため
ハリーの自宅住所を知る行きつけのバーの
バーテンダー、トーマス(イライジャ・ウッド)に
会いに行き、ついでにトーマスを殺します。


うっかりこんなこと云っちゃっうから…。

次に名前が判った犯人
エバレット・バックマイヤ(ライアン・フィリップ)
の居所を聞き出すのに
バックマイヤと知り合いでセシルご用達でもある
娼婦ティナと彼女の仕事仲間ビッキーに会いに行き
ついでに彼女たちも殺します。


すんなり教えなかったのも悪いのですが…。

なんとかバックマイヤの勤め先の電話番号だけを
手に入れた2人は番号の住所である法律事務所に乗り込み
ついでに弁護士以下3人をほど殺します。

唯一生き残った女性事務員から
バックマイヤが現在結婚披露宴に出席していることを
聞き出したハリー。


彼女はセシルが庇ったおかげでなんとか生き残ることができました。

ところが、ここに来てセシルの様子が
おかしくなってきます。

もともとジョリーはハリーの犬であって
セシルにとってはハリーほど思い入れはありませんし
いくらなんでも人を殺しすぎです。

怒りのため、目に入るもの全てを殺さずには
いられないようなハリーでしたが、
仇を討つにはまだまだセシルの助けが必要。

そこで一旦ここらで食休憩を取りセシルの機嫌を取ることに…。

メキシカンレストランにしけこむや


余りの騒ぎっぷりに隣の席の家族連れがとうとう食事を諦め逃げ出す始末。

食事するだけで十分周りに迷惑をかけ続ける2人。

これでセシルの機嫌もばっちりです。

しこたまビールとマリファナを詰め込んだ頭で


良い子は絶対に真似しないでね!

車を暴走したにも関わらず無事に披露宴式場に到着し


この後この2人はものすごく違う「楽しみ」方をします。

両手に持てるだけの銃器を持ちこんで会場にかちこみ
血祭りを楽しみます。


披露宴の主役がこんなバカップル(死語)であったとしても…。

両手にピストル、心に復讐、唇にマリファナ、背中に人生を
の2人ですから
披露宴ぶち壊しどころの騒ぎではありません。

何しろ死者・重軽傷多数のうちの1人は新郎ですから。
(新婦は軽傷のうちの1人。)


ハリーの背後に血を流して倒れているのが新郎、足だけ見えるのが新婦。

全く見も知らずのカップルの結婚式を台無しにした上に
ドレッシングを投げつけてきたという理由だけで
参列者の一人を簡単に撃ち殺してしまうハリー。

挙句の果て、探しているバックマイヤは
新婦の実兄で披露宴には出席していないことが判明します。

参列者から
バックマイヤの住所を聞き出したハリーは
ここにきてようやくセシルを解放します。


この時点でハリーは太腿に切り傷を負った程度ですが、
セシルは効き手を撃ちぬかれ鼻の骨を折っています。


付き合うだけ付き合わされて殺人まで犯して
ここにきてポイされるセシル。

残す標的は
のんびりおうちでクッキーを食べながら
テレビのアニメ番組見て寛いでいるバックマイヤのみです。

いや、残すどころか
最初から標的はバックマイヤ一人なんですけど…。


まさかのカイゼル髭!

それにしてもこれどう収拾をつけるわけ?

だってそうでしょ?
あんな可愛い仔犬を殺すバックマイヤも赦せませんが、
それ以上に主人公たるハリーの行動が非道すぎて
どちらが殺されても
どちらが生き残っても
このもやもやの持っていきようがないではありませんか。

と、心配していたら
やはりそうくるかぁぁぁぁぁ。

おかげさまで、見終わってからももやもや。

たしかに
「理不尽に殺された愛金絵の仇を討つ」
と云う点では「ジョン・ウィック」と変らないのですが、
「ジョン・ウィック」がわかるわかる映画であるのに対して
本作はわからんわからん映画です。


主役が変な髪型なところも似てます。

ご覧になった方、
また勘の良い方ならお判りのように
ハリーは

「サリーはカゴとボールを持っています。
アンは箱を持っています。
サリーはカゴの中にボールを入れて、部屋を出ます。
アンはそのボールをカゴから出し、こっそり自分の箱へ隠します。
そこへ、サリーが戻ってきました。
ここで、問題。
部屋に戻って来たサリーは、ボールを出そうとして、まずどこを探すでしょうか?」

と云う問題に
自信を持って「箱」と答える青年だったのです。

これは私の勝手な推測ですが、
ハリーは
自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)
ではないでしょうか。
(と云っても私は詳しい病状については知りませんが。)

この映画を観て多くの方は
主人公であるハリーに共感できないことと思います。

こんな短絡的な人間が果たして現実にいるものかと
お考えになるかもしれません。

ハリーは
ミスすれば命を取られかねない仕事に失敗し
一刻一秒を争って逃走しなければならない時に
愛犬を残して家を空けます。

ハリーにとっては自分が留守にしている自宅は
出かける前と後で変わっているわけがないのです。

自宅に帰宅し、
留守中にジョリーが虐殺されたことを知った後は
一晩中ボードゲームにつき合わせ
ようやく寝付いたばかりのセシルを叩き起こします。

セシルの気持ちや体調などお構いなしですが、
セシルもハリーと似たような人物なので
気にせず付き合ってくれます。

ハリーが大切にしているジョリーを殺すように命じたのは
話の流れ上、エディという男です。

しかし、ハリーの頭の中では
「仇=ジョリーを殺した男」一択ですので
エディのことは論外です。

トーマスからバックマイヤと云う男が
ハリーの自宅住所を尋ねに来たと聞き出したときにも
トーマスは
「バックマイヤと一緒に
(この辺の者なら逆らってはいけない)エディがいたから教えた」
と一応云い訳をしてしますが、ハリーの耳には届いていません。

バックマイヤしか見えておらず
後は彼に向かって一直線に突き進むだけです。

そして、その一直線の道に
邪魔する者、
立ち塞がる者、
たまたま足を踏み入れた者がいれば
目障りなので当然の如く排除します。

ですので、
バックマイヤの居所を知っていながら
彼らには教えないティナを
銃で脅した間では良いものの
結局撃つことができないセシルの気持ちなど
理解できません。
撃ち損じたと思い込み
代わりに撃ち殺してしまいます。

この映画でハリーとセシルの被害に遭う人々は
それなりに鼻持ちならない人物をして描かれていますが、
だからと云って殺されるほど
彼らに危害を加えているわけでもありません。
人によってはまったく無害な人もいます。

しかし、ハリーは
目的(愛犬の仇を討つ)のためなら
利用するものは利用し
邪魔立てする相手は殺しまくります。

劇中では
「男が飼っている犬を殺すのは赦されることではない」
ということをセリフで強く印象付けていますが、
それにしてもハリーの殺人は尋常ではありません。

サイコパスな殺人者を描いた映画は
邦画洋画含め数ありますが、
暗にアスペルガー症候群による犯罪をほのめかした
作品は珍しいのでは?

そういう意味では非常に驚くべき映画です。

まあ、これはあくまで私の印象ですが…。