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見せる生の暴力

2016-03-25 15:41:00 | MOVIE
本日の映画は
「仁義なき戦い 代理戦争」



です。

タイトルにもDVDパッケージ表面にも
ナンバーが振っていないため間違えて
第4弾「頂上作戦」の方を先に借りそうになった
「仁義なき戦い」シリーズ第3弾。

毎度おなじみの
東映のOP映像「荒磯の波」の後には
一度見たことのある「これまでのあらすじ」が流れます。


地球温暖化の影響で迫力ある並みが撮れないので最新の「荒磯に波」の波はCGらしい。

ん?でも、この「これまでのあらすじ」
前にもまるまる同じものを見た記憶が…。

あれ?もしかして間違えて
また「広島死闘篇」借りてきちゃった?
と、慌ててイジェクトボタンを押してみたところ
トレイにはちゃんと「代理戦争」のディスクが収まっていました。


「昭和20年敗戦によって戦場から復員した…」って
前作のOPの使いまわしじゃねえか、このやろ?!


まぎらわしいな、もう!
と、改めて本編を見ること100分。

ああ、「広島死闘篇」はなかったことになっているんですね。
むしろこちらの「代理戦争」が
正統な「仁義なき戦い」の続編なんですね。

ということで、仕切りなおして
前作「仁義なき戦い」から
時は流れて昭和35年。
日本は安保闘争、岸内閣打開、浅沼委員長刺殺事件などの
騒然たる世相をみせていたが、
世界各地でもまた新しい抗争の炎が燃え上がっていた。
これらの戦闘にはすべて米ソ両大国の思惑が関わっていたため
世間はいつかこの局地戦を代理戦争と呼び始めた。
そして戦後の混乱期をようやく脱した
日本のやくざ社会においてもそうした傾向が表れ始めたのである

(冒頭ナレーションママ)」
で始まる第3弾。

本作で一気に勢力図が広がり
出てくる組も組員も増えてくるため
レンタルDVDには特典として
このような「抗争関係図」が収録されています。

そのお心づかい大変ありがたいのですが、
残念なことに1度に観れる映像は
「本編」か「特典映像」のどちらかひとつだけ


でも、たいして便利でもないし、できれば配役名も入れてほしかった。

「本編」を再生中にこの「抗争関係図」を
同時に見れるわけではありませんので
あまり役には立ちません。

いつものように、人物相関で混乱をきたさないよう
wikipediaの「仁義なき戦い 代理戦争」の
キャストのページを表示しながらの鑑賞です。

なにしろ前作、前々作で亡くなったキャストを
主要キャスト、脇役問わず全く別の役で使いまわしてくるので
私のような相貌失認には
DVDを見ながら役名も俳優名も顔も
その場にいながらにしてすぐに確認できるようにしておかねば
頭が付いて行かないのです。

ということであらすじを追いながら
見ていきますと、


事の始まりは昭和35年9月広島市。

呉・広能組組長、広能昌三(菅原文太)、
広島・打本組組長、打本昇(加藤武)、
広島・村岡組長舎弟、杉原文雄(鈴木康弘)
その他1名と云った面々が
仲良く並んで広島の街を闊歩していたところ


その他1名は若松三郎(大前均)と云うプロレスラーです。モデルは力道山。

突如、アロハシャツのチンピラに襲われ
杉原一人が白昼堂々射殺されてしまいます。


周りに凄い野次馬の壁ができています。怖くないの?

村岡組は広島市最大の暴力団であり
当事、病気療養中の組長、村岡常夫(名和宏)に代わって
組の実権を握っていたのが杉原であったため
彼の死は広島ばかりではなく
関西やくざ界に大きな波紋を起こします。

順当にいけば村岡組長から盃を受けている打本が
村岡組を継ぐのでは?と期待されていたのですが、
この打本と云う組長、とんだヘタレで
杉原殺害を裏で手を引いていたと思われる
九州栗山組組長、栗山清(国一太郎)が
杉原の葬儀に姿を見せても仇を討とうと云う気が全くなく


御仏前で盛大に嘔吐する弔問客なんてはじめて見たよ。しかも組長とあろうお方が。

親交のある広能を先頭に
村岡組幹部、武田明(小林旭)や
村岡組若頭。松永弘(成田三樹夫)と云った若い衆が
焚き付けても腰を上げようとはしないため
周りからすっかり呆れられてしまいます。


強面連中に凄まれてこんな表情で誤魔化すしかない打本組長。

と、ここで、ナレーション。
「杉原に次ぐ実力者打本のこの時の弱腰が後に
村岡組の跡目問題を紛糾させ、
やがては西日本最大の抗争事件の目ともなっていったのである。」

これが本作の全容です。
ここまでで上映時間は約8分。

始まって8分でこれから起こる出来事を
70字内で語り尽くしちゃいました。

その後、シャバを肩で風を切って歩いていたものの
実は仮釈放中の身であった広能は


こういう身上書のレプリカをDVDの特典にすればよいのに…。

身元引受人となった山守組組長
山守義雄(金子信雄)の預かりとなり
えらく屈辱的な目に遭います。


山守組長実業界に信用が厚いと云う理由で警察からも一目置かれているようです。
結局世の中金次第なわけですね、はいはい。


そればかりか迂闊に山守組長の下に付いたため
村岡組の跡目争いに否応なく巻き込まれ
気が付いた時には、
広能組以外のヤクザほぼ全員から恨まれ
ほぼ全員を敵に回してしまいます。

「昨日の敵は今日の友」
「昨日の友は今日の敵」
「昨日の敵は今日もなんやかんやで敵」
と云われるように
ちょっとよそ見していたら
アメリカの青春ドラマ「ビバリーヒルズ高校白書」ではありませんが、
仲間内でくっついたり
くっついたと思ったらすぐに離れたり
で、またヨリを戻したり
かと思えば、裏で二又三股していたことがばれて
修羅場になったりと
瞬く間に人間関係が変わり
彼自身は恐ろしいほど周りに気を遣って行動してきたのに
いつのまにか孤立している広能。


今回、この5人(左から槙原、広能、江田、松永、武田)が山守の下で
くっついたり離れたりします。


広能がこんな理不尽な目に遭うのも
全ては組織のトップに原因があります。

その代表格が、山守組長と打元組長です。
どちらも乱暴なことが大嫌い、
好きなものは女とお金です。

女は若くてキレイに越したことはありませんが、
時代が時代だけに今見ると
余り若くもなくキレイでもありません。


諸悪の根源、山守組長。自分の手は一切汚しません。特技は世渡りと金儲けです。

広能自体は中学時代の恩師青木彦次郎(汐路章)から
乱暴者で手におえない若者、
倉元猛(渡瀬恒彦)の面倒を見てやってくれ
と、押し付けられるほど人望が厚いのですが、


客人のおもてなしにカルピスやスイカが出てくるところなんかが時代を感じさせます。

いかんせん世渡りが下手すぎて
やくざもんみんながみんな幸せになるよう
いろいろ根回しをして計画をたてても
うまくいった試しがありません。

広能組のように小さな組を仕切っているうちは
まだ端々に目が届き、組織を動かすことも楽です。

しかし、組織が大きくなればなるほど
裏でこそこそ良からぬことを企む者や
組全体ではなく個人の利益しか興味のない者、
思惑通りに動かない者も現れ
まとまるものもまとまらなくなってきます。

結果、無駄に若い命が散っていくだけです。

結局、跡目争いの方は
広能、武田、松永、そして出所した
村岡組幹部、江田省一(山城新伍)が担ぎ手となり
またもや神輿となった山守組長が村岡組を継ぐことになります。

人前では、下手に出て
「いやいや、私のような若輩者が…。」
と、散々跡目になることを遠慮していた打本組長は
だらしない笑顔で村岡組長の座に就く山守組長を
指をくわえて見ているしかありません。


悔しさのあまり山守の前で泣き濡れる打本。
それよりも山守の隣に座る岡本信人似のホステスの方に目が行ってしまう。


とはいえ、打元組長の腹の中では怒りと恨みが
ぐつぐつと煮えたぎっており、
この恨みはそのまま山守預かりの
広能に向けられることとなります。

親の因果が子に報い。

ゆえに跡目が山守に決まったからと云って
跡目争いに終止符が打たれたわけではなく
むしろここからが本番。

その後、裏切りや手打ちなどなんやかんやあって
山守組は幹部同士の結束が完全に崩れてしまいます。

最終的には病気療養中のところを山守に頼まれ
若頭に復帰した武田と幹部の江田省一(山城新伍)が
山守組を仕切ることとなり
2人に嵌められた広能はあっさり切り捨てられ
組というか広島ヤクザ社会から破門となります。

一方、村岡組幹部で山守組に身を置いていた松永は
そんなヤクザな世界にほとほと嫌気がさして
これまたあっさりと足を洗ってしまいます。


義理も人情も感じなければ辞めて良いんですよ。その方が利巧です。

そりゃそうですよ。

だって火葬場にまでに集団で押しかけて
ドンパチをやらかした上に
遺された母親が見ている前で
遺骨を車で踏みつぶしていくような世界ですよ。

「広島死闘篇」であれだけ男の色気を振りまいて
女心をきゅんきゅんさせてくれた松永さんと
ここでお別れかと思うととてつもなく淋しいですが、
彼の選択は間違っていないと思います。

だからと云って踏まれても踏まれても
仁義に拘りヤクザ社会にしがみつく広能の選択も
間違っているわけではないのでしょう。

山守が他の組からの夜襲に怯えた時に
唯一駆け付けた組員が
広能率いる広能組だけだったと云うのが、
なんだかなあもう。


広能が本当の頭が上がらないのは山守ではなくこの姐さんだと思う。

尽くしても尽くしても相手に思いが全く伝わらない
これはヤクザものの姿を借りたラブストーリーなの?





恰好つけにゃぁ、ならんですけん…

2016-03-20 16:20:00 | MOVIE
名前と顔を知られている映画コメンテーターに
有村昆(通称アリコンさん)
と云う方がいらっしゃいます。


この方の自慢話を聞くと映画鑑賞もまた金持ちの道楽だな
とつくづく思い知らされます。


去年のことですが、
この方がテレビのバラエティ番組で
「映画って尺が長いだけじゃない。
時間のパッケージで勝負している。
2時間に人生の縮図が入っている。」
と、熱く語っておられたことがありましたが、
え?そうですか?
あらゆるメディアのなかでも
映画に取られる時間で短くないですか?

だって、人生の縮図がたったの2時間ですよ?!
(この時の有村さんの比較対象になっているのは
たぶん、たぶんだけどCM映像のこと。)

しかも、こちらは何にもせずただ
目と耳をスクリーンに向けていればよいだけのです。
読書と違って費やす時間に個人差もありません。

テレビドラマと比べれば圧倒的に短い時間で
コンパクトにそして濃密にストーリーを楽しめることこそが
私が映画に惹かれる理由の一つです。

ですので、はっきり云って
「おいおい、いったいシーズンいくつまで続けるつもりか?」
と、先が全く見えない海外ドラマは全般的に苦手です。
(唯一見たのがBBCの「SHERLOCK」)

人気次第で延々と終わりが来ない
「少年ジャンプ」の長期連載漫画は
どれも最後まで読めた試しがありません。
(長さ的になんとか続けられたのが「幽遊白書」)

2時間で完結する映画最高!

ところが、そんなコンパクトが売りの映画の世界にも
「シリーズもの」という存在があり
映画の歴史も100年を超えると
「少しばかりヒットするや否や続編が急遽決まるシリーズ映画」、
「風呂敷を広げすぎてまったく先の見えない
マーベル・シネマティック・ユニバースのようなシリーズ映画」、
「前シリーズ公開後数十年ぶりに
続編が製作されるようなシリーズ映画」などが
幅を利かせるようになりました。

そして、どういうわけかそのようなシリーズ映画に限って
一目で公開された順序が判るよう
タイトルにナンバーがふられていてもいいのに
体裁が悪いのかナンバー代わりの副題で誤魔化してきやがります。

これが私にとってはちょっと困りもの。

例えば、GEOの店内で衝動的に
「ハリー・ポッター」シリーズのDVDを
タイトルだけで判断して借りてみようと思いたっても
どの順序で借りてよいものか判りません。

「ハリー・ポッターと秘密の部屋」の次って
「炎のゴブレット」なの?
「不死鳥の騎士団」なの?
となりそうなものです。

これは海外小説やライトノベルなどでも見られる傾向ですが、
私のようなぼんやりさんは
つい二度買いしそうで怖ろしくて手が出せません。


その点漫画はたいていナンバリングされていて判りやすい。
副題が「之繞」で統一されている「浮浪雲」もナンバーがちゃんと入っている。


映画も同様。

中には「釣りバカ日誌」のように
タイトルにいちいち番号を打ってくれる


親切・丁寧・安心。見る順番を間違えようがない!
けど順番どおりに見る必要も特にない。


シリーズもあることにはあるのです。

ところが、同じ日本の国民的映画である
「男はつらいよ」シリーズは全48作もあってこんな感じ。


「TVチャンピオン映画ファン選手権」があったら最終問題に出題されそう。

こんなの
今から公開順で見たいと思ってもなんらかの資料が必要です。
ちなみに全作見ると、時間だけで
NHK大河ドラマ2作分になります。
2話分ではありません。
全52話ぶっ通しで2作品分です。

ギネス世界記録は伊達ではありません。

と、ちょっと話がずれましたが、
ここにも一見しただけでは公開順が判らないタイトルの映画が一つ。


それが本日の映画は
「仁義なき戦い 広島死闘篇」


チャ~ン、チャララ~ン、チャ~ン、チャララ~ン

です。




……すみません、前置きが長すぎました。
その分感想は短く済ませますのでご安心ください。

これだけの国民に愛され続けたシリーズともなると
今さら語る事がないというか
新参者が語るには烏滸がましくて
迂闊に口が出せないのが正直なところです。

なので、この映画を観たことがある方なら
大概の方がご存知なことを
予備知識程度にちゃちゃっと並べて
今回は終わらせたいと思います。

さて、前置きでだらだらと愚痴った
シリーズ映画のタイトル問題に戻ります。

この映画「仁義なき戦い」も
深作欣二オリジナルと呼ばれるものだけで5部作あり、
その5作が間をおかず
1973年から翌1974年のたった2年間で撮られています。

それゆえ…かどうかは調べていないので判りませんが、
2作目以降のタイトルは
シリーズタイトル「仁義なき戦い」に
副題がついただけとなっております。

おかげでDVDパッケージ裏の解説文に
「シリーズ第2弾」と書いてなければ
間違って「代理戦争」を借りてくるところでした。
(これだけのことを訴えたいがためだけの
「前置き」でした。長々と申し訳ございません。)

そんな「広島死闘篇」。

前作「仁義なき戦い」の撮影中に
社長の一存でシリーズ化が急遽決定されたため
付け焼刃にサイドストーリーを仕立てあげ映画化したのが
この第2作目にあたります。

アニメが原作に追いついたため
場繋ぎにアニメオリジナルストーリーを作って事なきを得る
と、云った状態でしょうか。

そのため、前回の主人公広能昌三(菅原文太)は
本作ではただの狂言回しとなり
(と云っても前作でも途中から姿を消していたため
主人公と云うのはちょっと…)
実質的な主人公は前作より若い世代に移っています。


主人公の山中正治。綽名が「殺人鬼」ですが、
どうしても演者の「育ちの良さ」が垣間見れてしまいます。


と、云ったことはwikipediaに
約50,000字もかけて長々と解説されていますので
よろしければそちらを閲覧いただくとして
映画はその新しい主人公山中が賭場でのイカサマがばれて
タコ殴りにされたことを逆恨みし
凶行に及ぶところから始まります。

しかし、残念なことに戦後生まれの私には
ここでどういうイカサマがなされたのか判らず
この段階でおいてけぼりを喰ってしまいました。

映画開始1分で、です。

一応DVDを巻き戻して(?)3回見ても
どういうイカサマか判りませんでした。
それ以前に博打のルールも判りません。

ここはひとつGoogle先生に教えを乞うことに。

「広島死闘篇 冒頭」と云う単語で
検索を掛けてみたところあっさり解決いたしました。

この時賭場で行われていた賭け事は
「賽本引き(さいほんびき)と云い
手本引きが元で、親が選ぶ
一から六のうちの札の数を当てるもので
札の数を賽子の目に依ったものが賽本引き」
だそうです。

で、この時山中が使った張り札は
「コットン」と呼ばれるイカサマ札で、
絵柄(数)を瞬時に変えられるものだったため
賭場が騒然となったようです。

う~ん勉強になる。…って何の?

まあ、そんなこんなで
違法な賭場で違法に包丁を振り回し大暴れした山中は
当然刑務所行きとなり、
そこでたまたま服役中だった広能と出会います。

ただしこの出会いは、
「本作が『仁義なき戦い』の続編ですよ」
と云う苦しい言い訳に使われているだけなので
2人は一言二言会話しただけで次のシーンへ。

今回脇役の広能は物語上しばらく忘れ去られます。
でも、いつものことです。

やがて、出所した山中は
たまたま村岡組組長の姪で戦争未亡人の
上原靖子(梶芽衣子)が開いている食堂で
無銭飲食をし


美しすぎる食堂のおねえさん、梶芽衣子。

その場に居合わせた大友組組長の御曹司
大友勝利(千葉真一)とその手下から
おもしろ半分に半殺しの目に遭わされてしまいます。


絵に描いたような「近づいたらヤバい人」、大友勝利。

ただし大友組は村岡組とは直接関係ないので
このリンチは完全に云いがかりです。

ここは大友勝利のいう若者が
ガチでヤバいことを印象付けるための重要なシーン
となっています。

騒ぎを聞き駆けつけた村岡組員に助けられ
靖子から手厚い介抱を受けた山中はそのまま
村岡組組長、村岡常夫(名和宏)の盃を受けます。


あ、貰ったのは盃じゃなくて腕時計だったわ。

それもこれもにっくき大友勝利に仕返しするため。
次に逢った時はぎったんぎったんのぐちょんぐちょんにしてやる
と、心に誓う山中。

ここから長きに渡る「山中VS大友」戦が始まるってわけですね!
と勝手に想像し勝手にテンションを上げる私。

ところが、ヤクザ界の中では
掃き溜めに鶴のようなハンサムボーイ山中は
酒に酔った靖子に云い寄られたのをきっかけに
靖子と深い仲となり
もはやむさい大友のことなど後回しです。

しかし、靖子との仲がすぐに周りに知れ渡り
村岡組長の逆鱗に触れてしまいます。

と云っても、この村岡組長、お天気屋さんなので
最初こそは、
「娘のように大事に育てた靖子になにしてくれんじゃ!」
と大変ご立腹でしたが
山中が商売敵である九州の和田組組長を射殺すると
すっかり機嫌を直し、あっさり2人の交際を認めます。

その後、村岡組長のムラッ気に散々弄ばれることになる
山中と靖子。そして、村岡組幹部たち。


あの日あの時あの場所で「(靖子を)幸せにしてくれ」とか云っていたくせに。

この「仁義なき戦い」はシリーズを通して
一言で云うと
「ダメなトップの下についたら人生オシマイ」
という人生訓を描いているヤクザ映画ですので
例え「黒いカラスを白」と答えようが
「黒いカラスを黒」と答えようが、
下の者は碌な目に遭わないようになっています。


まあトップも狡賢くないと逆に手下から犬肉を食わされるような目に遭います。

山中も大友なんぞに構っている場合ではありません。
本当に戦わなくてはならない相手は自分の組長です。


大友が村岡組にかちこみをかけてきても直接対決はいたしません。

しかし、「殺人鬼」と云う綽名が付いている割には
根が真面目で人がよく他人の子供にまで子煩悩な山中は


人を射んとせば先ず馬を射よってね。

ここぞとばかりに優等生ぶりを発揮し
村岡組長の思いのまま操られてしまいます。

まあ、いじくらしい(富山弁で「はがゆい」)。

そして、反旗を翻すことなくクライマックスに向かうので
鑑賞後に残るストレスは前作以上です。

いやらしさを前面にだした前作の山守組長とは違い
村岡組長の方は下手に良い組長ぶっているため
余計にはがやしい(富山弁で「腹がたつ」)。

ただし、すっかり村岡組長の言葉に騙され
周りの「あ~あ~うまく組長に丸め込まれちゃって…。」
という憐みの視線にも気づくことなく土下座する
山中こと北大路欣也の頭頂部が
撫でると気持ち良さそうなのには大変癒されましたけれども。


ここ!ここの角度!

「仁義なき戦い」シリーズのなかでは
比較的本編との繋がりが薄い作品ですが、
出てくるキャラクターがどれもこれも素晴らしく
むしろシリーズ5作見るくらいならこれ1本見とけ
と、云いたくなるほど。

当事はブロマイドの売上げ俳優部門4年連続No.1のアイドル
千葉真一がイメージチェンジを計った大友勝利をはじめ


こんなに楽しいそうにライフルで人を撃つアイドル始めて見た。

おそらく女子人気が圧倒的に高いと思われる
成田三樹夫演じる村岡組若衆頭松永弘など
美味しいキャラクターが満載です。


村岡組一頼れる兄貴ですが、山中からは全く頼られない兄貴松永。

こんなキャラクターのるつぼ、
当事、今のようなコミックマーケット市場があれば
同人女子が放ってはおかなかったはず。


女子にとっても男同士の絆にときめく場面がたっぷり用意されています。

世間では大変不評だったらしい松永の寝巻姿だって、
見ようによってはなんとも可愛らしいじゃないですか。

基本できる男のはずなんですが、
警察の手からせっかく確保した山中を
目を離したすきに逃してしまう
という失態を2度に渡って冒すような
おちゃめなところもあって好感度非常に高し。

でも、私が心惹かれるのはやはりこのお方です。

前作に引き続き登場する
山守組組長山守義雄の妻、山守利香(木村俊恵)。

この女(ひと)のしたたか振りが見ていて気持ちいい!!


夫にとって目の上の瘤である広能にもしれっと頼みごとができちゃう凄い女性。

極道の妻たる者こうでなくては。
もう大好き。

利香姐さんを見ているだけでもいろいろ女の勉強になります。

そういう意味でもおススメしたい映画です。







あとがないんじゃ…、あとが…

2016-03-11 23:57:00 | MOVIE
本日の映画は
封切られた当時、映画館を出るや否や
肩で風切る観客が後を絶たなかった
という伝説をもつ日本生んだヤクザ映画の金字塔

「仁義なき戦い」



です。

こんな超が付くほど有名な日本映画(*)ですが、
私、今回始めて見ます。

こんなこと云うと、映画ファンの方々は
「え~っ!映画好きとか自称しているくせに見たことないの?」
と、呆れられてしまうかもしれませんが、
映画歴延べざっと20年
毎週のように新作映画が公開され
劇場未公開DVDがリリースされているなか
そんなにいろいろ見られるか!
見れませんよ。
ここ10年くらいに公開された映画をこなしていくので
いっぱいいっぱいですよ。

同世代で子供の頃から映画を観ているような方は、
このような名作「見ていて当然」かもしれませんが、
「映画好き」がみんながみんなそうとは限りません。

例えば、
TSUTAYAが選んだ名作映画100本
恥ずかしながら100本中53本しか見ていません。

ということで、そんな私がこの年になってようやく
「仁義なき戦い」に手を出したところで
何ら不思議ではないのです。

公開から今年でなんと43年。

「封切られた当時、私の周りのワル仲間は皆、ハマり、
広島弁で映画のセリフを真似したもんですよ。」
と語り継がれている逸話が本当であれば、
見終わった頃には、
やはりこの生粋のきときと富山弁も
広島弁と化しているのでしょうか?


…なあんて多少は期待して見たのですが、
そんなことはありませんでした。

長年培ったトンガ王国富山の
「~しとんが。」は
「じゃけえ。」に駆逐されるほど柔ではなかったようです。

そんなことよりも、主人公である広能昌三(菅原文太)が
やくざ界で頭角を現していく映画かと思ったら
大した群像劇であったため
名前と顔、属する組と関係性を覚えるだけでも
頭がパニックです。

ストーリーをざっくり紹介しますと、

敗戦直後の広島県呉市の闇市。

駅前で刀を振り回している旅の男に襲われた友人に
土建屋の山守組に知らせるよう頼まれた広能昌三は、


戦後まもなくで人の命がよほど廉いのか簡単に人殺しを引きうける主人公。

山守組の組員たちと共に現場に駆けつけ
ビビる彼らに代わってその暴漢を射殺します。

ここで流れるのがあの有名なテーマ曲


チャララ~~チャララ~~♪

その後、収監された刑務所で偶然知り合った
土居組若衆頭の若杉寛(梅宮辰夫)と
義兄弟となった広能は、


お互いの血を啜って義兄弟の契りを交わします。BL界に任侠ものが多いのも納得。

保釈後、
若杉からの紹介で山守義雄(金子信雄)と盃を交わし
正式に山守組組員となります。

しかし、市議選を巡って
土居組と山守組は敵対するようになり
若杉の後押しもあり
広能は土居組組長暗殺の暗殺に成功。
またやも逮捕され刑務所に服役します。


組長をはじめ他の組員がビビるので結局殺しに行くのは広能の役目に…。
おどりゃーえぇ加減にせぇよ。


ということでしばらくの間広能はスクリーンから姿を消します。


といっても若杉とは逢瀬を重ねてはいるようですが…。

その間に大組織となった山守組内で
若衆頭の坂井鉄也(松方弘樹)一派と
幹部の新開宇市(三上真一郎)一派との
内部抗争が勃発。


当時松方弘樹も梅宮辰夫もつやつやたまご肌でした。

結果、新開が坂井の手の者に駅構内で殺され
この件は片が付いたかと思ったら
今度は山守組長と坂井の間がこじれて
たまたま講和条約の恩赦で仮釈放され戻ってきた広能は
2人の間で板挟みとなってしまいます。

義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界。

しかし、この映画が「仁義なき戦い」である以上
任侠的なハッピーエンドは用意されていません。


それもこれも彼らが担いだ神輿が張りぼてだったから。

広能をはじめ坂井や若杉が世話になる
山守義雄と云う組長が
金勘定が得意なだけの吝嗇で臆病で狡猾な
使えない土建屋のおっちゃんだったのです。

たとえるなら耐震工事を頼まれていながら
予算を浮かせて柱に5、6本抜いて
その分をポッケないないにしてしまうような
ヤクザの組長。

こういう人の下についても部下は苦労するばかりです。

その山守を金子信雄が嬉々として演じております。
作中最も人間味あふれる人物ですので演じ甲斐もあるのでしょう。

といっても私の記憶にある金子信雄は
「金子信雄の楽しい夕食」の金子信雄ですので


ちじゅる~symbol1(*2)

最初にDVDの画面に登場したときは
「これ、本当に金子信雄?」
と、わが目を疑いました。


え?誰これ?

しかし、ご安心召され
喋りだしたら、まぎれもなく金子信雄でした。

この一気に威厳が消え失せてしまうこの声は
確かに私の知っている金子信雄です。

そりゃこんな声の組長さんに従っているようじゃ
いくら屈強なやくざのお兄さんたちも
湯水のように命を落とすことになりますわ
という気分にさせてくれます。

というわけで後半は人がゴミのように死にまくります。

そのためにこの映画を撮っていると云っても良いくらい
組員がばたばたお亡くなりになっていきます。

若衆でありながら山守組を裏切って土居組についた
神原精一(川地民夫)が
仁義を重んじる若杉に撃たれたのを皮切りに


チャララ~~チャララ~~♪

神原を射殺した若杉もまた
将来を誓い合った広能の仮釈放を待たずして
逃亡中の隠れ家を警察に踏み込まれ射殺されます。


チャララ~~チャララ~~♪

その後、朝鮮戦争が勃発すると
ヒロポンの密売によって山守組は分裂の危機に瀕し
山守組若衆の新開が面倒を見ている
ヒロポン密売グループのリーダー、有田俊雄(渡瀬恒彦)から
坂井が押収したヒロポンを
よりによって組長である山守が横流してしてたことが発覚し、
一気に内部抗争が勃発。

手始めに山守の策略によって
愚連隊上田組組長から山守組舎弟となっていた
上田透(伊吹吾郎)が土居組の残党に殺され


チャララ~~チャララ~~♪

その知らせを受けた坂井は新開一派を一掃。


チャララ~~チャララ~~♪

ついでに上田を殺した土居組の残党も始末し


チャララ~~チャララ~~♪

検問を突破し、事故を起こして逮捕された有田のことは
いったん脇に置いておいて


死んではいませんが、お約束でチャララ~~チャララ~~♪

内部抗争の元凶である新開も坂井の手下が亡き者に。


チャララ~~チャララ~~♪

調子に乗った坂井はその後、
組長である山守に造反の意を示し
目の上のたんこぶである
山守組若衆の矢野修司(曽根晴美)を射殺。


チャララ~~チャララ~~♪

その坂井も山守の恨みを買って命を落とします。


チャララ~~チャララ~~♪


…ってそのたびに「チャララ~~チャララ~~♪」って
煩せえよ!!

人がお亡くなりになるたびにお約束として流れる
「仁義なき戦い」のテーマ曲。
これはもはや



と、笑いをこらえるのに必死でしたが、
こんなことを云うと広能さんに


「弾はまだ残っとるがよう。」


と云われそうなので上の画像はいったん頭から払拭しておきます。

とまあ、
なんかもういろいろ台無しな感想となってしまいました。

公開当時にリアルタイムで見ていないと
こんな惨事になりかねませんので
いつまでも色褪せない映画って怖いですよね。

この時強面だった梅宮辰夫も松方弘樹も
今や芸能界の釣り好き名人でしかなく
40年と云う歳月をひしひしと感じずにはいられません。


このプリケツが本作唯一にして最大のサービスシーンです。

それにしても広能さんは底抜けに人が良すぎますね。

チャララ~~チャララ~~♪


(*)
キネマ旬報が平成21年に実施した
<日本映画史上ベストテン>
「オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)」
歴代第5位。

(*2)
アシスタントを務めた東ちづるのこと。

【追記】
それにしても映画がはじまって早々に
人々が賑わう街中で
白昼堂々と人目も憚らずか弱い日本人女性を襲う
数名のアメリカ兵という描写には驚かされます。





スクール革命!

2016-03-09 23:45:00 | MOVIE
本日の映画は

「ウォント・バック・ダウン-ママたちの学校戦争-」


面白い映画なのに邦題でちょっと損している感じがします。

です。

日本でも
はてな匿名ダイアリーに寄せられた
待機児童問題をダイレクトに訴えた
「保育園落ちた日本死ね!!!」なる投稿が
大きな反響を呼び、国会をも揺るがしておりますが、
本作もごく普通のシングルマザーである主人公が
愛する娘が通う公立小学校の仕組みを
根本から改革するため立ち上がります。

何の力も持たない保護者がたった一人で
教育システムを変えるには
手続きだけで途方もない時間がかかりますが、
主人公は待ってはいられません。

小学校の在学期間は6年と限られており
学校教育と云うのもが古今東西
発達や学年の段階に応じて指導されている以上
1日も時間を無駄にはできないのです。

不特定多数の生徒を相手にする公立小学校の授業では
生徒の一人や二人が躓くことがあっても
お構いないしでどんどん先に進んでいますので
一旦落ちこぼれることがあれば
盛り返すには相当頑張らなくてはなりません。

特に他の塾や家庭学習で補う余裕のなく
学校教育だけが頼りな家庭は大変です。






ピッツバーグで
昼は中古車ディーラーで事務員をし、
夜は酒場でバーテンダーをしている
ジェイミー(マギー・ギレンホール)と
一人娘のマリアの母子家庭もそんな家庭の一つです。


学歴も資格もコネもありませんが、女手一つで娘を育てています。

仕事を掛け持ちしても生活が苦しいため
マリアは公立のアダムズ小学校に通っています。

しかし、読字障害があるマリアは
学校の授業になかなかついていけず
それでなくとも学校が楽しくありません。

原因は担任のデボラです。

デボラは基本生徒にものを教えようとかしません。
授業中も自身は教壇に坐ってままで
生徒には課題を与えるだけです。

マリアが黒板の文字を読むのに苦心していても
ただ見ているだけで手を貸そうともしません。

先生がそんな具合ですから
マリアのクラスメイトらも座席についているものの
友達とのお喋りに夢中だったり
睡眠を貪っていたり
虚空を見つめ続けていたりと
それぞれが好きなことだけをしており
まるで授業になっていません。


黒板の文章を懸命に読もうとしていますが、教師を含め誰も真剣に聞いていません。

ジェイミーは遅刻しそうになったマリアを
教室にまで送り届けたことで
始めてその事実に気づかされ憤慨します。

デボラにやんわりと抗議しますが、
長年この教育方針を貫いて胡坐をかいていた
デボラには通じません。

そもそも教室の座席の配置からしておかしいのです。

日本人の小学校では、
生徒たちの座席と教卓が対面する配置が一般的ですが


日本だとこう。

デボラの教室では違います。


子供たちを正面ではなく横から眺める位置に教卓があります。


図にするとこんな配置ですね。

アメリカの小学校では一般的な配置かもしれませんが、
これでは生徒全員に目が行き届きません。
生徒の目を見て話すこともできません。

学級崩壊ばかりかクラス内いじめまで
見てみぬふりをし、時には率先して参加しているような
デボラに深く失望したジェイミーは
アダムズ校長トンプソン(ヴィング・レイムズ)に
クラス替え、もしくは補習授業をしてもらえるよう
直談判しますが、規則を盾にこれまた聞き入れてもらえません。

学内でも主に問題のある生徒の指導を任されている
熟練の教師でありながら
在校年数に見合う高い給料だけもらっていれば
後はどうでもいいと考えのデボラは
同じ教師仲間からも嫌われています。

学習障害のある小学生の男の子コーディを抱えている
シングルマザーの教師ノーナ(ヴィオラ・デイヴィス)を筆頭に
心ある教師たちは、


コーディは学校で遅れた分を自宅学習で補おうとしていますが、上手くいきません。

トンプソン校長の教育方針に
大いに不満を抱いていますが、
行動に移すほど恐れ知らずではありません。


教師の中には小学校の現状を苦々しく思っている教師も少なくありません。

なにしろ、校長のバックには組合があり
組合を敵に回せば、失職は免れません。

口では不平不満を並べてはみても
現実では教師も食べていかねばならず
嫌々でも学校の方針に従うしかありません。


とは云え中には自分なりのやり方で勉強の楽しさを教えている教師もいます。

それでも少しでも子供の現状を変えたい
ジェイミーとノーナは
地区で最も子供の教育に力を入れている
ローザ・パークス小学校への転入を試みますが、
同じ悩みを持つ家庭は予想以上に多く
その割には受入枠があまりに少なかったため
あえなく落選。

しかし、ローザ・パークスの校長の言葉に
感銘を受けたジェイミーは娘のため
自力でアダムズ小学校そのものを変えていく決意をします。


林先生が云うところの「いつやるか? 今でしょ! 」です。

しかし、いざ立ちあがってみると
学校改革のためには、
賛同者の署名を集め、400枚に渡る提案書を作成し
第1火曜(1月と4月は第2火曜)に
教育委員会の審問日の予約を取らなくてはなりません。

となると期日は後2か月。
手続きだけて最短3、4年はかかりますが、
娘のためにそんな時間はありません。
3年も待っていたら改革する前に小学校を卒業してしまいます。

それでは何のための改革か判りません。

まずはできることからと
保護者400人と教師18人の署名を
集めるため奔走するジェイミー。

学校に不満を抱いている保護者の署名はともかく


保護者一人一人と逢って地道に活動を広めていきます。

生活が懸かっている教師の署名は
限りなく見込みが薄。

それでもジェイミーはくじけません。


学校と組合に楯突こうものなら即馘になりかねません。

同じ悩みを抱えるノーラの説得に成功すると、
落ちこぼれの数でこの地域の刑務所の部屋数が決まる
と揶揄されているアダムズ校で
ただ一人画期的な教育を行っている男性教師
マイケル(オスカー・アイザック)に声をかけます。


若く美しい生徒の母親に声をかけられほいほいついてきたイケメン小学教師。

感触は上々

と思われたのですが、

改革側教師の集会に顔を出してくれたり
プライベートでマリアの面倒を見てくれたりと
ジェイミーとは急激に親密になった割には
マイケルは自分の立場を崩そうとはせず
なかなか署名をしてくれません。

なんやかんや云いながら先延ばしにしてくるのです。

それもそのはず。

マイケルとしては
現体制の中でも独自に編み出した指導方針で
子供たちの学習意欲を高め、
それなりの結果を出しているのですから
ジェイミーに賛同する理由がありません。

独り身の気楽さからか
ノーラのように親たちが抱える問題を
自分の問題として同一視することもありません。

それでなくともかつての恩師が組合に助けられた体験から
教職を選んだマイケルにとって
組合を敵に回すなど考えられないことなのです。


組合の肩を持ち続けるマイケル。でも、ジェイミーのために夕食は用意します。

マイケルの懐柔に手を拱いている間にも
たえず学校側や組合から
ここまでするか思うほどえげつない妨害を受ける
ジェイミーとノーラ。

徐々に賛同者も増えてきますが、
何度も打ち砕けそうな目にあいます。

それでも、「子供たちのため」という思いが
彼女たちに力を与えます。

なんとか最後の難関だったマイケルの署名も取りつけ
後は、決議を待つだけ。


組合のやり方にマイケルも考えを改めます。

結果は映画を見ていなくても想像がつくと思います。
だって、実話をもとにしているとは云え
ハッピーエンドでなければわざわざ映画にしますか?

ここまでジェイミーとノーラが
そして彼女たちの賛同者ができたのは
彼女たちが当事者であって喫緊の問題だったから。


ジェイミー自身も読字障害のため落ちこぼれた一人でした。

「保育園落ちた日本死ね!!!」が
言葉が悪いと眉をしかめた人も多かった半面
国を動かしたのも投稿者が当事者であって喫緊の問題だったから。

変えたいと思う人が立ち上がらなkれば
何も変わりません。

まずは行動あるのみ
ということです。


と、云ってもそれが難しいのですが…。



勇気ある行動の結末が、「悲劇」でいいハズがないだろう?

2016-03-08 23:29:00 | MOVIE
本日の映画は
TOHOシネマズ試写会に当選した
「僕だけがいない街」



です。

昨年の初頭、TOHOシネマズ内試写会応募受付が
「応募は1人1回限り。複数応募の際は無効」
と世知辛いことになってから
1年以上当選したことがなかったため
応募したことすら忘れていました。

そんなたなぼた当選でしたので
今回の映画は正真正銘掛け値なし

「主演:藤原竜也」

以外の前情報なしの状態で見てきました。

公開直前ですので簡単にだけストーリーを紹介しますと、

舞台は2006年の東京。
デビューはしたもののなかずとばずの漫画家、
藤沼悟(藤原竜也)には


映画ですが、藤原竜也がクズ役ではありません。

身近に事件を感じるとその事件の直前に戻り
未然に防ぐまで何度も同じ時間に戻ってしまう
「再上映(リバイバル)」という能力があり
北海道から母が上京してきたのをきっかけに
リバイバル能力を駆使し
母親のため、かつてのクラスメイトのため
18年前に解決済みと思われていた
女子連続誘拐殺人事件の真犯人を捜すことになります。


18年前にリバイバルして事件を未然に防ぐため奔走します。

原作は、「ヤングエース」に掲載中の三部けいの漫画で
本作が劇場公開されるこの3月を以て最終回を迎えました。

映画化と併せて
今年1月からテレビアニメも始まっています。

…と云った作品を巡る諸事情も
試写会終了後帰宅してから
ネット検索で知ったと云う有様です。

なんと、映画のクランクアップ時には
原作はまだ連載中だったのです。

以上のことから
「最後はいったいどうなるのか?」
が、原作ファンにとって最も気になるところと考えられます。

タイムスリップに謎解きと
なかなか大風呂敷を広げたストーリーなので
どう畳むのかが、映画化最大の課題とも云えます。

そういう意味では

その期待、大きく裏切られるよ!

と云うしかありません。

後に発表された原作の最終回とは180度違う結末を迎えます。


だからと云って完結もしていない漫画を実写映画化しても良いわけない。

一瞬、これは現実ではなく悪い夢を見ているのだ、ハハハハ
と思ったくらいです。

原作は既刊で単行本7巻もありますから
これを2時間足らずの映画としてまとめるには
いろいろ削ったり
設定に修正を施さなくてはならないのは判ります。

そのうえ、原作は終了していないのですから
映画の脚本家、後藤法子さんも
さぞかし苦労なさったと思います。

全てが悪いわけではありません。

監督は
TBS日曜ドラマ
「JIN-仁-」
「とんび」
「天皇の料理番」
の演出を手掛けた平川雄一朗監督ですから
そりゃもう丁寧に作りこんでいます(、前半は)。

まあ、今故意に平川雄一朗演出作品から
代表作「ROOKIES」を取り除きましたけど…。

キャストの方も
舞台に映画に引っ張りダコの実力派俳優藤原竜也、
もういい加減に見飽きたくらい
ドラマにCMに映画に顔を出している有村架純、
子役に朝の連続テレビ小説「あさ」で人気急上昇中の鈴木梨央
と、一見客寄せパンダのようにも見えますが、
なかなか手堅い布陣と云えましょう。

唯一、残念なのは連続誘拐殺人事件の犯人が
配役のせいで登場した途端、
「あ、この人が真犯人ね。」
と、判ってしまうことぐらいです。
(原作イメージとは違いますが、石田ゆりこも良かったです。
でもまさか、こんな大きなこの母親になるとは…。)

一見、うだつのあがらない漫画家の話かと思いきや
いきなりSFにシフトする導入部も面白いですし、
ロケセットも含め、原作の世界観に忠実に
懇切丁寧に描かれていると思いましたが、
それもこれも終盤近くまでのこと。

小学生にリバイバルした主人公が
真犯人の罠にかかり殺されかけてからの展開が
この時点では原作をまったく読んでいなかった私が
素人目で見ても、かなり強引と云うか、
本来そこにあったはずのストーリーを
上映時間の都合上バッサリ切り捨てたようにしか
見えないのです。

以降、衝撃のラストまでの全てのシーンが
あまりに雑に作られており
これはもう完結していない原作に見切りをつけた
映画製作陣が完全に仕事を放棄してしまった
のではないかと思うほど。

そのままでは到底納まりがつきません。

シネコンから帰ってネットを浚りまくって
原作でのストーリーを検索しました。

その所要時間、3時間。

思った通り、原作における第31話以降
主人公を待ち受ける18年間の物語が
この映画ではごっそり削られていたのです。

確かに32話からの最終回までの過程を
原作に沿って丁寧に描けば
上映時間2時間で済むとは思えません。

だからと云ってあれはないわぁ。

映画独自のラストの酷さもいわずもがな
いろいろ用意されていた伏線も
(例:「東京へは電車1本で行ける」)
回収しないままになってしまったじゃないですか。


リバイバルで18年前の過去を変えたことで主人公の眼鏡も消えます。
視力が良くなった理由は原作を読むと判ります。


原作の最終回のある重要なシーンが
映画の中にも盛り込まれていることから
原作がどういうラストを迎えるか判った上で
あの結末に持っていったのかもしれませんが、
原作の最終回と比較することでさらに
瀬々敬久監督作品「アントキノイノチ」(2011)鑑賞後ぐらいの
台無し感に打ちのめされました。

映画の後に原作に手を出すような人間が
何を言うかと思われるでしょうが、
映画に描かれなかったこの空白の時間こそが
原作における「僕だけがいない街」だったのだと
思われるだけに本当に酷い結末です。

あのラストシーンを見ながら
隣の座席の男性が男泣きしていたのは、
たぶん気のせいでしょう。

まあ、確かに泣かせる演出だとは思いましたが…
泣くかね?

勿論、他に気になるところがないわけではありません。

でも、やはりこの取ってつけたような結末を持ってくるくらいなら
映画にするのは原作終了後まで待ってほしかったです。
2時間で収まらないと云うのであれば
ここは腹をくくって今流行の前後篇で公開しましょうよ。

主人公が何故「リバイバル」できるのか、
18年前の事件に関わる前は、
事件や事故が起こる前に違和感を感じることで
未然に防げていたものが
何故、殺人事件が起こった後で
リバイバルしたのか?
など謎が謎のままになっていると云う
ツッコみどころはあるもの
それは原作も同じようなのでなんとか目を瞑ることができます。

でも、あれはないわ。

エンドロールを呆然を見続ける私の脳内では
CHAGE and ASKAの
「YAH YAH YAH」が、ヘビーローテーションしていましたもの。



今から一緒に これから一緒に殴りに行こうか(あゆか心のうた)

しかし、どう裏切られるかは
映画を観ないことには判りません。
ということで、
映画「僕だけがいない街」の結末を知りたい人は
3月19日最寄りのシネコンへレッツゴー!です。