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HAPPYまいぺーす。

日々のことから好きなもの、いろんなことを気の向くままにおしゃべりしているBLOGです♪

巻きつかれました!

2013年06月24日 22時02分51秒 | スピリチュアル
この前まではPCのネット回線の不調であれこれ不便だったのですが、今度はiPhone...

充電したはずなのに、もう電池切れ!?と思ったら
充電のケーブルが中で断線してたみたいで、慌ててソフトバンクまで行ってきました。

もしかして、iPhone本体そのものが壊れてたらど~しよ~、とドキドキでしたが。
やはりケーブルだけの問題でした。

パーツだけ購入して、早速充電完了。ホッ。


木村秋則さんの、奇跡のリンゴの話が映画化されましたね。
木村さんは大好きなひとりですが、映画よりも著書派です。
映画化に関連してか、新刊がここんとこ続いてたので、いろいろ読んでます。

木村さんの摩訶不思議系の話の中に、「ツルが巻き付くキュウリ」の話がありますが、今日、お散歩の山の小道にあるツルで、同じような体験をした自分です。

こういう経験をすると、ますます植物に思い入れが強くなっちゃうなあ~
なんともいえず、じーんとなります。

面と向かって人間とお話するのが苦手な自分は、どちらかというと、言葉のないものたちとのコミュニケーションの方が得意?なのかも。
人に対しては、「言葉」をうまく使いこなせないもんで。
きっと、「言葉」の選び方が、すごく下手なんだと自分では思うのですが。

いつの日か、木村さんのように、もっと大きな視点で、人間ともお付き合いできるようになりたいです。
自分のためだけでなく、他のひとのためになることをさらりとできる人になりたい...


あ、「巻きつき」ですが、巻きつかれやすい人とそうでない人はあるそうですが、同じ人でも、相手の植物との相性とか、その時の心理状態、植物に対しての接し方で「巻きつきかげん」は変わるらしいですよ。
一度チャレンジしてダメだった人も、何回か他の子たちともやってみるといいかと思います。
成功すると、ほんと感激なので。

直感

2011年04月14日 21時51分23秒 | スピリチュアル
ひとは追い詰められると火事場のバカ力を出すとかいいますが。
ピンチに立たされると直観力ってさえてくるみたいですよ!

はっきりと映像や答えとかが浮かばなくても、「好き」「嫌い」だけで判断できたりします。
選ぶべきでないものが目の前にくると、なんとも「ざわざわ」した落ち着かない気分がまとわりつくのでわかりやすいかも。

理屈じゃなく「なんか嫌」って感じて仕方ない時は、そのまま心の声に従ったほうが正解である場合が多いです。
そういう「直観力」って、大事にしたほうがいいです。

これから特にそういうのって大事だから。
多くの人が、そういうの研ぎ澄まされてくるとおもうよ........

どちらかを選ぶ場合にも。
嘘か本当かを判断する時も。

あるときふと、頼もしいなと思える力になります

あれはタイプミス......

2011年04月02日 23時15分17秒 | スピリチュアル
だーちゃんがようやく任務から無事帰還してきました。
こんなカタチで、うちにも震災の影響が出ようとは。

がんばってきたご褒美(?w)に、以前からほしいほしいといっていた本をプレゼントしました。
今回のが決まってからこっそり入手しておいたものです。
詳しくは知らないけど絶版で入手しづらいらしい....
AMAZONでは破格値がついていました。
高いのだと3万近くしてたなー
今は少しは落ち着いたんでしょうか?
ちなみにウチは3000円くらいでゲットできましたが。

昨日Twitterでクモトレイルとかいったけど、あれタイプミスっすよ...
正確にはケムトレイルといいます。
まあHAARPとの関連性のある単語ですが、今はちょっと自粛でここでは詳しくは述べません。
いつがそうだったかという説はありますが、今のがそうだということは気分的に否定したいので...

それにしても実際、あの方向を震源地として夕方地震があったのには....うーん。

地震雲を発見しても、それが実際生かせるかとなると難しいんですけどね。


そういえば、昔から繰り返し見る夢とかなんなんだろうとか思ってたんですが、(以前Twitterでもしゃべったことがあって、これもまたうわぁな結果でして)デパートみたいな鉄筋のビルの階段を、歩いて降りていく映像をよく見てたのね。
それがなぜかとても暗いの。
なんで照明もないとこを降りてるんだ、どうして明るいエスカレーターないんだ、ってずっと思ってたんですけど。
これも、停電で階段を使用して降りていくとき、映像がどんぴしゃ!して、ようやくこのことだったのかと理解しました。

避難とかにしちゃ、人ほとんどいなかったし。
ああ、そういうことか、って。

予知夢は20歳前後にすごくよく見たんですが、ちょっとあまり当たるんで気持ち悪くなって、しばらく「見ませんように」って思ってたら見なくなってたんだけど....

ここ数年復活しているっぽいです。

ということは、いつか窓辺に来たUFOの夢も本当になるのだろうか?

霧が晴れたようなかんじ

2011年03月26日 22時57分46秒 | スピリチュアル
長年上手くいかなかったことの原因、ずっとわからないままもやもやしていたのですが、今日突然、答えがおりてきて非常にスッキリしました。

答えと方向性、どうしてそういうことが必要とかまでちゃんとわかってしまうと、焦りませんね。
思い切って瞬間瞬間にBESTを尽くし易くなった感じです。

今日は夜、だーちゃんと外食。
久々に大戸屋で定食いただきました。
レシートの受注番号が0002でウケた。
(わかるひとにしかわからんネタですみませぬ)

「風の谷のナウシカ」と「ファイトレメディエーション」

2011年03月25日 22時20分14秒 | スピリチュアル
福島近辺の農作物に対する風評被害が相次ぐ中、こんな話をききました。

「ひまわりには放射能汚染された土壌を浄化する力があるようだ。
植物たちの中には、根から土壌内の放射性物質を吸収する力をもつものがあり、とりわけひまわりはその能力に長けている。
通常ならば30年以上はかかるであろうといわれる土壌の放射性物質除去を、ひまわりは20日間で95%という短期間でやってのけるというのだ。

植物のこういう能力のことはファイトレメディエーションとよばれ、1995年にソ連の植物学者たちがチェルノブイリで汚染された土地での実験を試みて以来、その研究は現在も多くの学者たちによって研究されている」

とのこと。

日本でも、何度かTV番組でとりあげられました。

この話をきいて、「風の谷のナウシカ」で、彼女が腐海の植物たちの驚くべき浄化の力を知ったときの言葉が思い出されます。
連想してしまうのは自分だけでしょうか?

人のような言葉こそないけれど、あの子たちは懸命に、地球を、この世界を浄化しようとがんばっているのですね。
それが彼らの生きる本能にすぎないとしても。
胸が熱く、痛くなりました。
こういったことを、忘れたくない....


ひまわりの放射能除去関連記事のひとつはこちら
http://matome.naver.jp/odai/2130084692955848601



他にも検索するといろいろ興味深い記事があります!

コレ何?

2011年03月21日 11時42分00秒 | スピリチュアル
昨日の夜、おととい写真を撮ってなかったスーパームーンの写真を撮ろうとケータイかまえました。

カメラのことは詳しくないんでわかんないんですが、いつもなら月を撮るとただまんまるくうつるのに、この夜は何回シャッター切っても、この画像のようにイラストみたいな光が入ります。

手ぶれでしょうか?
その時の天候とかで変わるのかな?

そう思って撮ったものを見てたら、月のまわりに何か光る小さい点。
微妙に動く......?

写真何枚か撮りました。
気になるので動画も撮ってみました。

やーな感じとかはないんですが不思議。

Twitterであげてみたら、カメラの光うつりかもとのことでした。
ふんふん。
そしたら微妙な手ぶれにしたがって動くもんね。
納得。

肉眼ではこの点、自分は見えないんですよ。
ぼわーんとした光に見えてました。
機械をとおすと(カメラレンズ)こういうふうにうつるんですが。
なんせ自分ど近眼だし~w

まあ、動画はこちらです。
気になる方はどうぞ。

http://twitpic.com/4bqgp5

UFOだったらどうしよう、ってちょっとドキドキしたんですけどね~w

これはいろいろ自分と向き合いなさいのサインです

2010年12月05日 13時21分19秒 | スピリチュアル
昨日ちょっとめずらしくいや~な事があったので、夕方から用事のお買い物ついでに、あれこれと気分転換やったりしてました。

自分の場合は本屋さんめぐりとかスタバ。
時間が夜だったことや、エリアが癒し系エリアではなかったので(その場所は磁場的にはなんか暗い気がたまってるんですよ)そういう選択肢しかなかったのですが。
それでも随分抜けました。

でも、最初にひっかぶった負のエネルギーがでかかったらしく、明け方吐き気を伴う強烈な頭痛で動けず...
本日はいつもよりスタート遅くなっちゃったのでした。
時々あるんですよ、年に1~2回くらい、こういう頭痛。
ちょっと独特なのね。
痛み止めとかもあまり効かないので、自力で回復させないといけない...
(余談ですが、気とか別に何もやってないうちのパピはこの頭痛だけは治してくれるパワーがあるんですよ。でも心配かけるので、最近は自力でがんばって治すようにしてる...)

おいらも「気」の扱いについては初心者だし、とくに自分の事はまだ何も出来ません。
でも、原理といいますか対処法は習ってたので、微弱ながらも実践したりさ...

幸い天気がよいので、ベランダでのんびりしてみたり、外気や自然と接することでパワーをわけてもらってます。
あとは患部の細胞に語りかけながら念を送ることなのだが。
これも力入りすぎちゃうまくいかないんです。

気分的にUPするために、少ししてから大好きなアッシジの風景DVDを眺めたり、元気の出るような映画(今日はキューティブロンド)を見たり。
リベラとか聴くのもいいですね。

自分は今、特定の宗教とか何もないんですが、こうして意識レベルでみてると、自分の前世とかにイタリアとかクリスチャン関連の何かがあったんだなぁってのはなんとなくDNAが覚えてるみたいです。
記憶が、っていうより、細胞レベルで覚えてるような感覚。
実際は肉体の問題ではないから、魂なんで細胞じゃないんですけど。(ただのたとえです)


横向くとかも痛くてできなかったのが、ようやくゆっくり動けるレベルまできました。
ちょっとお外をゆっくりお散歩してリハビリしようと思います。
うちのすぐそばに、龍脈のスピなスポットがあるんですよ。
(どこかは内緒w)


たまに起こるこういうことも、意味があることで。
何か気がつくべきことがあるから、身体に支障が出て物事を深く考えるときみたいです。
たぶん今日は、瞑想とか自然と対話が必要な日なのよ。きっと。

植物たちとのこと。

2010年10月20日 14時46分17秒 | スピリチュアル
観葉植物とか、剪定した枝を育ててご希望のかたにさしあげる、ということをよくやっている倉本さんなんですが、植物に関してはまったくのど素人でございまして。

その子育ても、水とお日様だけという、いたってシンプルな育てかた。
肥料とか除草剤とかまったく使ったことがありません。

そもそも、昔は切り花とか花束をいただくのも苦手だったの。
枯れていく様を見るのがどうにもこうにもつらくて。

ですんで、「育てる」という作業は、実は小学校の理科くらいで。
いろいろやりだしたのは、ここ4~5年です。


今住んでるところの庭には、大きな木が何本かあります。
何年か前に、その中の3本を切る話が出たんですね。
槇の木、琵琶の木、金木犀でした。

全然問題ないポジションにあった木たちなんですけど、なんだか人間様の勝手な都合で切られるということになってしまって。
何でだか今でもわかんないんですが、そのとき倉本さん、突然猛反対したんですよ。
で、業者さんが来るまでの間、毎日のように木のそばに行って、話しかけて...を繰り返してました。
すごく好きだったんでしょうね。
それに、人間の勝手な都合で切られちゃうのがすごくイヤだった。

「剪定程度だから」といわれてしぶしぶ受け入れたんですが....

帰ってきたら、槇と金木犀は丸坊主に。
琵琶は切り株になっていました。

なんだか哀しくて、泣けて泣けて.....
その日はお風呂の湯船の中でずーっと涙がとまんなかった。

なんにも彼らは悪いこともしていないのに。

でも、その後も折にふれ切り株や残った幹たちに声をかけてたら。
芽が出て。
次第に伸びて....

今ではかなり復活しました。


今度は倉本が激怒するのも凹むのも理解してもらえたのか、ここに住む間はこの木たちの身柄はくらもとが預かれるようになりました。

実はそのときにですね。
それぞれの木たちに性格がある、ってのをなんとなくわかってしまったんですよね。

ガマンする子。
だまって運命を受け入れる子。
寂しがりやの子。

植物の意識を感じたのは、おそらくこのときからではなかったかと。


庭の草取りで疲れるんだという話は何回かしてますが、それもやりとりをしちゃうからなんですね.....

事情を話してお詫びをして、手で抜きます。
枝の剪定も、必ずご挨拶をして「切らせていただく」という気持ちで向かい合います。
切った枝でも、可能な限りは水につけて根っこをだしたりして、欲しいというかたに差し上げたりとか。

里子に出た子供たちはかなりな数になりますが、「元気だよ!」というお言葉をいただくと本当に嬉しいです。
いのちがつながってよかったなぁ、と。

子供たちが多くのご家庭で愛でられて育てていただいてるのが、ほんとに有難くて嬉しいです。

よく「なんで水と日光だけでそんなに育つの?」ときかれるのですが、素人栽培では、あとは「愛情」しかないです....
おっきめの観葉植物たちとは、何かにつけよく「握手」をします。
葉っぱとか枝を軽く持って、握手をするようにソフトにそっと揺らすの。
そのときに心の中でも必ず声かけてます。

今も隣で、5センチくらいの枝から育てた1.2Mくらいのベンジャミンがいます~
仕事の合間に目をやるんですけど、一生懸命癒してくれてて、ホントかわいい。
この子は嫁には出さない子ですw

ときどき、里子に出す子で「寂しがる」子がいたりするの....
その瞬間にそういう意識を飛ばすので、もっと事前にわかってたら手元においとたのに...とちょっと後悔したりもします。
そういうときは「可愛がってもらうんだお」と声をかけて、新しいおとうさんおかあさんにお願いするんですよ。

そういう意識がときどきとびこんできます。
まだ、すべての意識がわかるわけじゃないんですけど、わかるときはほんとによく感じる。

出先ででも、お店なんかでどうにもこうにも気になってしょうがない、って子は「連れてって」っていってるんですよ.....ほんと。

お店で、なんだかわからないけど、妙に気になるお花とか植物がいたら、是非連れて帰ってあげてください。
きっとその子は、すごーくあなたを慕ってる子だから。
あなたに元気をあげたくて、癒しをあげたくてうううずしてる子だから。

そういうのも、運命の出会いっていうんです。

ひとりでも多くのかたが、植物たちと仲良くなってくれると嬉しいな。

よいイメージを大事に

2010年10月17日 06時44分03秒 | スピリチュアル
スピな話がでたので、その延長をちょっと。


本とか読んだりお話されたりしている、その言葉の合間から、その人の変化とか、(あ、この人今意識的レベルあがってる!)と直感で感じることが多々あります。

また、間違ってること言ってないんだけどなんか違和感感じることとか。
逆にそういうときは、相性の問題もあるけど、ダークサイド系のレベル上昇中のかただったりとかー!ぐわ。

だから、スピ系の本を書かれてる方々でも、まぁいろいろあるわけですよ。
そのまま鵜呑みにしたらマズイよ、っていう方もあるんでw


スピとか占い関係、予言関係でのかんたんな見分け方、判別の一例をご紹介しときます。


自分を不安に陥れるものはダメ。
合わないです。
ましてや(~しないともっと~になる)なんて脅すのはホンモノじゃない証拠。

きびしいことを言われても、そこに愛情があるものの場合は、不思議と真摯に受け止められるんですよね。

でも、ただ自分に注目させたいがための、利用するためのってヤツは、何故か恐怖感とか不安感を与えるんですわー。
予言とか占いとかで不安なことばっかりいう人は、その人自身に悪気がなかったとしても、自分の言ったことが現実になるように意識下で願ってしまうので、悪影響を及ぼすんです。

ただ、自分を変えるいちばんの力は絶対ゼッタイ自分自身なので、自分がそれを選択したり、影響されなければいいわけで。
要するに、聞き流して信じなければどうってことは無いと。
自分がもっともっといい結果をイメージして信じていれば、そういう悪い意識があっても、寄せ付けずに済むんですよ。


押し売りとか宗教の勧誘とかでいろいろあるけれど、乗せられないでくださいね。



有名な予言だとかも、みんなの、大勢の皆さんの意識が良い方向に向いてて「そんな未来は起こらない!」とイメージできたら、はずれます。
変えられるんすよ。
未来は。
いくらでも。
この瞬間から、すぐにでも。
あなたの選択しだいで。気持ちひとつで。


今回もちょっとあっちの話(怖い系苦手な人は注意)

2010年10月08日 12時59分58秒 | スピリチュアル
昨日はだーちゃんと一緒にお買い物やらなんやらで、午前中からクルマで多摩エリアを走っておりました。


途中から、どうも具合悪くなるくらもとさん。
「きもちわる.....」

それは吐くとかそういう類の気持ち悪さではないのです。
自分の血管が暴走して、中の血液が沸騰しているような気持ち悪さでして、例えていうなら自分のカラダをぶった切って悪い血を全部出しちゃって入れ替えしたい~みたいな気持ち悪さなんです。(わかります?ヘンな表現ですけど)

不整脈とか循環器系のトラブル持ちなんで、胸が苦しいとか締め付け感なんてよくあることなんですが、これちょっと違う。

冷や汗出たり生欠伸でたり顔色真っ青だったりらしかったのですが...ホント気持ち悪かった。
助手席でぐったりなってました。
降りても力がはいんないし。

途中、コンビニでクルマを止めて、軽く飲み物とオヤツでクルマの中休憩したりもしましたが、一向によくならない。


あきらめて帰ろうかと思ったとき、窓ガラスの向こうに雲の隙間から光が筋状に何本も降りてきてすごくきれいな光景が...

そのときに。
「あ、今映像見えてる」

コレは実際に目で見てるわけじゃなくって、脳に直接来る「見える」なので、映像化して感じる、といったほうがわかりやすいでしょうか。現実味がある、とてもリアルな「見える」で、その場にいるような感覚になるんですわ。

「前、多分ずっと昔、多分日本。刀持ったまま仰向けに草原に倒れてる。そして空を見てる。意識はあるけど、体がすごく重くてもういうこときかなくて......あ、そうか、刀傷だ多分。切られてて出血多量で動けないんで、意識朦朧としてるんだけど、草の匂いと吹く風と空と日が傾きかけた光がわかる...」

とかが体感的に見えたんです。

そしたらだーちゃん曰く
「霊障だわこれ」

「このあたりずーっと、昔古戦場だったんだ」


それが自分の過去世だったのを思い出したのか、だれかその土地に彷徨ってる霊の体験を追体験したのかまではわかりません。

でもまー。
ちょっとそのエリアを遠ざかってもらったら、ウソのように消えました。


そのエリアって、買い物とかでよく通過するんですけど、ああいったリアルな映像が見えたのははじめて。
ちょっと自分自身がくたびれてたから、一瞬そういうことが起こったのでしょうか?


過去に、霊の声を聞いたりとか、霊が体内にはいってくるとかそういう体験したことあるので、別に驚きはしませんが......
(霊が入ってものりうつられるわけではなく、中で自分が霊と対話してあくまでも別個の人格のままでいられるので怖いことはなかったのです)

だーちゃんも、そういうのに関してカンがいいですからねぇ。
見たわけでなくても、気配を感じるらしいし、直前の危険回避能力とか直観力に優れた人なんで。
あ、そういえば事故現場にたまたま遭遇したとき、霊ががん!って耳を突き抜けていった感覚の話とかもしてたな......


信じられないひともいらしゃるかとは思いますが。
そういうことがありましたの。


本に呼ばれるはなし。

2010年09月27日 14時35分48秒 | スピリチュアル
店頭で本を買うとき(選択するとき)って、大抵は中身を確認しておもしろそうだなぁと感じたものを購入するもんなんですけど、たまに掌が本を選んでくることがあります。

本棚の背表紙のあたりを目で追ってると、すっと手が伸びて無意識に一冊の本を手にとってるとか。そういうパターン。

直感が選ぶ本、とでもいいますか。

もちろん一度はパラパラと中を見るんですけど、いったん棚に戻してもどうにもこうにも気になってしかたないものというのはありまして。しかも、そういう本に限って、なんで惹かれるのか理由がわかんないんですよね。
ちょっとその場を離れてグルグル回ってくることもありますし、後日また手にとってみるってのもあるんですけど。

そういう本は大抵読むハメになります。

手が吸い寄せられるといいましょうか、手が選んでくるといいましょうか。

そういう、なぜか「買ってしまった」本は、帰ってすぐ読むこともあればしばらく放置していることもあります。
でも、放置していたものも、いつかは読むんですよね。
しかも、その読む時期というのは絶妙のタイミングで、いちばん必要なときに読むようにできている。
義務感で無理やり読んでいる時には、そういう本の「言葉」は自分の中にはしみこんでいかないものなんですが、この、本来読むべきときに読めた本は、自分の中で気づきをこれでもかともたらしてくれます。これってホント不思議。

同じ本でも、読む時期によって感想はまるで違ってきます。
その時々の自分の感性や価値観が変わってくるのでしょうがないことなんですが、おもしろいことに自分がその本から何かを得たいときにh、無意識にそれを手にしてるんですよね。
それは内容がわかってるとかわかってないとか、それ以前の問題です。

どんな本からも得るものは必ずあるんですが、得られるか否かは実は本人次第。
読む本人がOPENな状態でないと、その法則はなかなかはたらきません。
しかも力入ってちゃダメ。
自然体で肩の力を抜いてるときのほうがうまくいくんですわ。

自分の力でなく、天とか自然とか、おっきな存在のものとひとつになって、いい意味でゆだねるような感覚といいますか、全てを受け入れて信頼して、お任せするといいますか。

空を見上げてぼーっとしてるときのような感覚で受け入れるといいますか。

そういう状態で手が選んだ本、というのはホント、はずれがないです。

もし、手にとった本が読みたいって感じられなかったら、しばらく寝かせておくといいですよ。
ホントに必要なときが来たら、手に取らずにはいられなくなりますから。
すぐにわかりますよ。




前世の記憶

2010年06月12日 06時06分22秒 | スピリチュアル
前世って信じますか?


自分は何回か過去に生まれ変わっていて、その中の何回かを一部記憶してたりします。
他にもいないかな~、そういう人w


くらもとには何回かの記憶が残っています。
一番近いところが昭和の記憶。今生の直前でしょうか。
昭和の戦後直後、結核療養所にいました。
木造の平屋建て家屋で松林がそばにあります。
ほとんどをベッドの上で座った状態で過ごしていたようです。
細部の記憶がとても細かい。
イメージ的には、「となりのトトロ」で、メイやサツキのおかあさんが過ごしているところみたいなのです。

あと、日本刀で戦ってた(ようするに武士ね)の時代があって、これがどうも幕末らしい。
実際、倉本家のご先祖様は、幕末の山岡鉄舟ゆかりの武家でございますw
そのへんだったのでしょうか?ゆかりのあるところに生まれ変わる率高いっていうし。
竜馬サイドよりも新撰組サイドの人間だったみたいです。
新撰組ゆかりの地にご縁も多いので、意外と新撰組隊士のひとりだったのかもしれませんw(たぶん下っ端w)

トルコとかエーゲ海にもいたようです。
帆船にも乗ってたみたいです。(海賊か?w)
海からというか船の上から陸地を眺めてる映像がよくリアルに浮かびます。

あと、海外ではイタリアに2回ほど生まれてるみたいです。
たぶんそのあたりでもだーちゃんに出会ってますw
イタリアのルネッサンス時代にいたようです。
あの頃のドレスのエンパイアラインが妙に好きな由来もここにあるみたいですw

イタリアの記憶では、街並みとか海から島(もしくは本土)を見た映像がリアル。それも4時ごろの夕方。
シチリアの風景写真で、まったく同じものを発見したときは鳥肌モノでした。


残念なことに他の時代の記憶はまだ出てないのですが、今のこの時代でも、当時つながりのあったひととまためぐり合っているということに感動です......

だーちゃんとは、ヨーロッパとか新撰組時代(たぶん新撰組wたぶんね)に会っています。
新撰組時代は同士だったみたいだよ。
(だーちゃんもそれは認めてました)
だーちゃんなんか一番近いところでは、第二次世界大戦中パイロット......
う~ん、だから今世でも、滑走路発進を見てるとうるうるなっちゃうのですね。
たぶん特攻隊とかだったのではないかと思っています。
そのとき胸の病で療養所に残されたのが自分.....か。


よっぽど一緒になりたかったから、今世また出逢ったのかもねえ。

くらもとは怖いと思わないけど苦手な人はパスしてねの話

2010年05月22日 22時18分10秒 | スピリチュアル
というわけで、今日は霊の話ですw


って、ダイレクトに書くとみんな読むか読まないかハッキリわかっていいっしょ?




自分は霊体験者なんで、存在は信じております。
見たことはないのですが、声をきいたことと触れたことのある感触体験者です。

信じてない方々だと、幻覚でしょとか幻聴でしょとか仰いますが、一度体験するとわかりますよ~、独特の、言葉にできない感覚ですのでw
(まあ、普通はそんなの体験したくないよね~w)

そういう経験上なのか、なんなのかわかりませんが
今日は明らかに「憑いてる」人を見てしまいました。


飢餓状態でなくなられた霊なのか、食べ物に対してすごく執着のある霊なのか、とにかくそういうものが憑いてましたね。

これは目で見るというより、「わかる」「感じる」に近い感覚とでもいいましょうか。
なんとなくわかっちゃうんですよ。


まあ、自分自身も本体は霊魂+肉体ですんで、あまりそういう存在をコワイとは思わないんですが...
逆に、「怖い」と思ってると、低級霊を近づけちゃうこともありますんで、あんまり意識しないほうがいいかもしれません。


自分の霊初体験は、全然知らない通りすがりのおじいさん霊に「殺してやる」と耳元で囁かれ息を吹きかけられた...ってやつです。
今までの生涯でたった一度だけの「金縛り」も、そのとき経験しました。
声なんか出ないね。
動けないんだよね。
当時学生寮で、同室の子とかもいたので(自分は2段ベッドの上で横になってた)回りは周りで時間動いてるのに自分のとこだけが違った空間になってるって、明らかにわかりましたよ。
目の前に見えてるけど次元が異なってる。

だから、霊が出たり消えたりとか、UFOが急に消えたりとか、そういうのもあるってわかります。
今のこの空間のすぐとなりに、別の次元があるんですよね、霊の存在してる次元が。


あ、でもこれも別に怖くないです。
自分もいつか死んだら、そのときはお邪魔するところなのでw


で、まあ、通りすがりのおじいさんにそんなこと言われたわけですが、こっちはその方に心当たりもないし、向こうもこの子はそういう次元の子じゃないんだなと通じたらしく、すっと消えてくれましたけどね。


霊は同じレベルとか、同じ考えの人に憑きやすいので(引き寄せの法則)、そういうおじいさんみたいな(物騒な)意識をもったりしなければ、引きずり込まれておかしくなったりはしないので、自分をしっかり持っててもらえれば怖くないです。www


とにかく、予知夢とか幽体離脱しかけるとか、妙な経験はいくつかしているので、そっち方面は冷静に学んだりもしました。


なんで今日、ここでカミングアウトしたのかな~?
なんか必要性があったんでしょうけどね。
人生に無駄なことはひとつとして無し。
無駄とおもうのは、自分のものに対する見方が後ろ向きなだけである。
座右の銘?です。



おおお!もうこんな時間だ。
知人のチャットの時間過ぎちゃったので、この話はまたいずれ。
(でも、みんなが怖がるようならもうやんない)www

やなひとはいるものです

2010年04月27日 04時49分23秒 | スピリチュアル
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とかいって、今この時期にw 
いろいろ迷ってるというのにw


昨日は被害妄想気味な人がいて疲れました。
前、勤め先でもそういうタイプの人がいましたが、何にも起こってないのに(というか、自分がカンチガイとか忘れてるだけなのに)攻撃してくるとかいじめてるって思い込んで、逆に嫌がらせをする人がいたなぁ~www


当時はそういうことがすんごいストレスで、「やってないことをやったといえる証拠がどこにあるんだ!」と自分も怒ってましたがw
怒るって、すんごく自分のパワー消耗するんだよね...


そういうことに気づくと、「怒る」行為自体が自分の体にも精神にもひとつとしてためにならん、とわかったので、最近では極力、「怒らない」という「努力をしてる」自分です。(あくまでも出来てないからまだ「努力」の段階にすぎないのが哀しいw)


それでも、昔よりは随分どうでもよくなったのです、そういうことがw


やなひとがいる~、と考えちゃイカンというのは自分の課題だったのですが、怒らないことができたら(気にならなければ)それでいい、というご意見を師匠からいただきました。
人間誰しもあう人あわない人はいるものなので、それを気にするほうがいかん、と。
すべての人をスキになりなさいというのはもっともっとず~っと先の課題なんだから、今はそんな相手をさらりとかわしてほほほ~ん、と生きるほうが大事なんですって。


波動の法則(同類のものがひきつけられる)によるならば、そういう被害妄想&攻撃的なひとが近づいていても、自分の心が同じような傾向にひっぱられないのなら(つまりうられたケンカを買わなければw)自然とその相手は居心地が悪くて離れてしまうから、心配はいらないと。そんなことで心煩わすよりも、自分が楽しい~!っっておもうことをやってたほうがいい。そしたら楽しいことがどんどん増えてくるから、というものです。

そっか~。
やだなあ、っていつまでも思ってると、相手にもそういうの伝わりますもんね。
それよりも、距離をおいて楽しいことに目を向けてるほうがいいものね。
(これは問題解決から逃避する、ということとはまた別物なので、それはいずれ機会がありましたら)


お師匠さんとか正観さんみたいに、ぜ~んっぜん気にならないくらいのレベルまで到達したいものです!