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gallery AXIS 6917

ギャラリーアクシス6917の近況いろいろご報告します!

古民家のギャラリー

2013年12月13日 | 展示
gallery AXIS 6917の寺下清兵衛が東京でGALLERY TERASHITAを
運営していた2007年、
ヨーロッパの作家5人で”Made in Europe”という展覧会を企画しました
この時5人の作家を東京のホテルで滞在させることを思うと
かなりの費用を要します。
そこでどこか一軒家を短期に貸してもらえることろを捜したところ、
知り合いが神奈川県の大磯に古民家があり、貸してもらえるということに
なりました
そこはかの有名な村上春樹氏が以前ご自分で移築して住まわれた家屋
ということで、ヨーロッパの作家たちも大変喜んでくれました

その古民家は大き目なリビングに暖炉があって吹き抜けになっており、
中二階の狭い部屋が作家の執筆室とのこと、どこの柱をとっても
立派な材が使われていて、小部屋にしてもとても気遣い行き届いてる
家だったのを思い出します

私たちが海外旅行をしても同じようなことが言えると思いますが、
最新の技術を駆使した超高層ビルを見ても、その耐震性や
眺望の良さに感心することはあっても、世界共通の良さや
便利さに頷くのであり、土地土地の風土風俗、そして人々が自然と
共存していた時間を感じることは出来ません
それとは対照的に歴史を感じるような住まいは、人類の知恵を味わうことが
できます そしてその知恵の使い方にその土地の美しさが現れるのでは
ないでしょうか?

しかし我が家もそうですが、古い家には面倒な事も付き物です

その村上春樹氏が住まわれていた家のお風呂はガスが故障していて
お湯が出ませんでした

このことを5人の作家に伝えるとき、私はどのようにお詫びしながら
伝えるべきか考えてしまったのですが、
それを聞いた彼らは何と
「No problem!」
それは5月も浅い、まだ肌寒ささえ感じる、私(一般的日本人)なら
「冗談じゃありませんよ-」と嘆きたくなることなのに
彼らは
「I like fresh water」と言いニコニコしていました
彼らの体温はどうなっているのか? 否、それが彼らが
彼らの土地で培った文化的感覚というものなのでしょう


2007年Made in Europe開催前のヨーロッパからの作家たち


当時のdm



本日のgallery AXIS 6917外観






展覧会の中で

2013年12月12日 | 展示
今gallery AXIS 6917の私たちは福井大学内で進められている
ふくい文化創造カンファレンスという文化庁からの助成金を得て
美術や文化に関わる仕事をお手伝いしています
これは福井県内の美術館、記念館、文化ホール、そして小学校などの
教育施設などに横の連携を作って文化の活性化を図るプロジェクトで、
一つの県だけの問題でなく、日本の都道府県にも使えるような
モデルを作り上げることを目標としています


11月22日には大会が初めて開かれ、多くの関係者が参加し
主催者側も予想を上回る反響を得ました

今までは美術館や市町村クラスの文化館などが連携するという
発想がなかったのですが、縦割りの中では広報や企画力が
十分に発揮できないというジレンマを各々の施設の方が感じられているようでした

役所の縦割り行政がここそこに見えてくるのが日常生活の常ですが
県、市、町、教育委員会などの区割りでなく
美術や音楽、演劇、伝統文化など中身のジャンルを共通項として、
協力し敢えていければ現在の文化的低迷状況から明るさが
見えてくるのではないかと考えています


今の小野忠弘展、彼が生きて活躍していた時代、
日本は発展途上から先進国に経済発展した時代であったと思いますが、
いろいろ社会状況や略歴を調べていくと
どこかしら美術の動きに元気を感じることがあります
良く言われる成熟した社会には、どのようなサプリが必要なのでしょうか?



ラ・ファーム 23x16cm. キャンバスに油彩


罠 27.5x23cm. ミクストメディア 1960年代

小野忠弘 面白話

2013年12月07日 | 展示
本日、画廊に小野忠弘と同じ町に住み、晩年は家族のように過ごしていらした方が
お見えになりました。

その方は美術とは関係のない仕事をお持ちで、ご夫婦でお仕事をされているとのことでしたが、
小野忠弘が晩年奥様を亡くされてから一人住まいを気遣い、毎日夕飯を届けることを約束したそうです。
そうして毎日夕食を届けるようになってからのこと、どうしても仕事の関係で
夕飯の支度が遅れてしまうと、小野忠弘から電話が入り
「もう私は夕飯が済んだからこれから寝ます。」という。

でもこれは彼特有のダダをこねているので、電話口で「これから帰ってすぐに支度しますから」というと
ちゃんと待っているのだそうです。かと思えば「私はバナナだけで生きていける。」とか
「食べなくても生きていける」だとか言っては、夕飯を催促したそうです。

またその方と町を歩いていて、気に入った物が置いてあると
自分は(小野忠弘)は見張り番をしているから、あれを盗んできてくれ、
などと言って随分困らされた記憶があるというお話しも伺いました。

そして一番興味を引いたのは、誰の絵でも気に入ったものを見ると
どんな人が描いていようとライバルになってしまい、
子供が描いた絵に感心しては翌日「あの絵に負けない物を描いてきた」と
自慢げに見せるという性格だったそうです。

天真爛漫のようでいて、自負心が強く人の物は自分の物、自分の物は自分の物、
それでも憎めない人柄であったと、
その方は懐かしく思い出しておられました。

自宅に表札も上げていないのに自筆で”面会謝絶”と貼っていたというのですから、変人ぶりが察せられるというものです。




ピエロ 33x24cm. キャンバスに油彩 1973年



ラ・ファーム 33.4x24.2cm. キャンバスに油彩

1970年代に入ると具象の作品を多く油彩で作っていきます。
これらの作品の多くにも絵の具の下に
junkを忍ばせていることが多いのが分かります

サム・フランシス 三国町での出来事

2013年12月05日 | 展示
前回三国町の小野忠弘を訪ねたサム・フランシスのことを書きましたが
その時期のことでもう一つエピソードがあります。


三国町にはかの有名な東尋坊という、とても風光明媚な海岸があり
そこに隣接するように雄島(おしま)があります。
雄島は島という名が付くように、ほんの少しですが陸地とは離れていて
現在は赤い橋が架かっていますが当時は船で行き来していたと思われます。
(この雄島こそ本当に美しい所で今年ベルギーから来た作家もここの美しさに惚れ惚れしていました。)

サム・フランシスと彼の妻(日本人)はこの雄島を訪れたとき、
その美しさに魅了され「買いたい!」と言ったそうです。
サムの妻はある大変裕福な(大富豪と言ってもいいでしょう)家庭の御嬢さんでしたので、
そこまでサムが思うなら買ってあげようと考えたとか。
ただこの雄島は島にある大湊神社の所有で譲渡などは考えられないということで、
遭えなくサムはこれを諦めたということです。

1960年代はまだまだ海外からの観光客も多くはなく、また日本人の海外旅行も珍しい時代でありました。
アメリカ人のサム・フランシスには東洋の楽園にさえ見えたかも知れない雄島、
そこに世界でも通用するするjunk artの作家がいたのは驚きだったのではないでしょうか?
作品”アンチプロトン”に使用されているjunk(ゴミ)はもしかしたら東尋坊で拾われたobjectだったかも知れないのに。



点字ランボオ 90.7x82.8cm. キャンバスに油彩、他 1964年


点字ランボオ 100x80.6cm. キャンバスに油彩、他 1964年

これら点字ランボウシリーズは1960年代半ばに制作され、
東京のときわ画廊で1965年と1966年に開催された
難波田龍起、昆野恒との3人展に出品しています