goo blog サービス終了のお知らせ 

gallery AXIS 6917

ギャラリーアクシス6917の近況いろいろご報告します!

福井大学 流しそうめん大会

2013年07月20日 | 日記
昨日は福井大学、美術科の学生が用意してくださった
納涼 夏の流しそうめん大会にお呼びいただき参加してきました。
かれこれ10年ほどの歴史をもっている行事だそうです


会場には福井大学の美術科学部生と院生、それに国語科の生徒数名(1名かな?)と
教授の宮崎先生、准教授の湊先生、坂本先生、西端研究員らが来られ
学生たちが作ってくれたサラダや鳥手羽先の煮物、数種のお豆の
ドレッシング和え(湊先生作)
に加え、バーベキューや本題の流しそうめんにうどんなどなど
そして各種の飲み物などなど
大変ご馳走になってしまいました。

学生の半数くらいでしょうか
納涼らしく浴衣姿もあでやかに
いろいろと気を配っていただき
参加費も出さずに
恐縮してしまいました

写真もバチバチ撮ったのですが
今どきは確認せずにweb.などに載せるのは
マナー違反ですのでやめておきます
皆さんに掲載許可をいただいておけば良かったと
後悔しています

次は11月の
ふいご大会のご招待も受けたので
そのときには写真掲載の承諾をいただき
このblog.に載せたいと思います

本日展覧会最終日ですが

2013年07月14日 | 日記
昨日から北陸3県で大雨、雷、竜巻注意報などが出てくる空模様。
本日最終日なのにお客様の出足が難しいかな? と空を眺めます。

福井に来て驚いたことの一つに、
雨の予報があって、実際雨は降っているのに
一日中雨ということは少なく
一日の内に何度も天気が変わるということです
天気予報では傘マークが明朝まで続いているのに
晴れがあり曇りもあり、ドシャ降りもあるという
目まぐるしい変化があります。

そんな天気の中
我が家の周りをカメラを持って見回ったところ、
いました、いました



これはサワガニだと13代

ちょっと大きめ 20cm.弱のカエル殿


カエルは1cm.にも満たないようなのが、
歩くたびにピョンピョンして道を開けてくれます。

もう一つおかしなことに
我が家では昔ながらの蚊取り線香も使っていて、
それに火を付けておくと、
燃えているうちに湿度で巻が垂れ下がり
受けのお皿にくっついて自然消火してしまいます。
そうすると今度はそれを逆に差し込んで火を付け
普段は見慣れない形にしながら煙を出していくという
福井の風物詩(?)があります




夏の暑さは東京と同じです

2013年07月12日 | 日記
福井は絶対と言っていいほど冬は東京より寒いのですが、
夏はほとんど変わりません。
この数日東京が35度という猛暑でしたが、
私どもの画廊がある福井市近郊でも35度に近い気温が
続いています。
強いて言うなら山を背にしているので、
都会のビル群より風が吹くことは多いようです。

(そう言えばビルの谷間風という言葉がありますが、
あれは夏には当てはまらないのですね。)


そんな中うちのネコ(亡くなったお母さんが拾ったノラです)は夏になると
かなり夏痩せするタイプで、ころころしていた冬からすると2回り以上
小さくなった気がします。
生まれがノラなので餌は食べますが、あまり人にはなつきません。
っていうか主人の13代が始めの頃、
姿を見るとホースで水を掛けようとしたりして
ふざけていたので警戒心が解けなくなってしまっています。
それでもお腹が減っている時は、13代や私の姿を見ると
”ニャーニャー”言って後を付いてきます。

私が
「暑いねー。」
「にゃー」
「お腹すいたの?」
「にゃー」
「ごはんもらう?」
「にゃー」
とまるで会話が成立しているかのような…。

自宅を画廊にしてからは
家には立ち入り禁止にしてしまったので、
コミケ(名前)からするとひどく迷惑な話かも知れません。

迷惑そうにレンズを見ています。





ギャラリー入り口

2013年07月07日 | 日記
今年の5月に画廊をオープンするにあたり、
それまで住まいだった入り口をそのまま使うのには抵抗もあり、
伝手をたよりに欅の蔵戸を探し、据え付けることにしました。
これを見た知人が「蕎麦屋にしたら良かったのにー!」と。(トホホ)




また庭にはテーブルを作りちょっとしたガーデンパーティが開けるようにもしました。
周囲にリンゴ、オリーブ、ブルーベリー、ブラックベリー、レモン、ミカンにイチジクと
食せる樹木を植えましたが、何年かかることでしょうか。





順能墓石 雑感

2013年07月05日 | 日記
突然ですが、
我が家の敷地にはお墓があります。

先祖のお墓のようですが詳しいことは聞いたことが無く、
また清兵衛(屋号)13代というのも昨年亡くなった母から聞いていただけで
子供のころより特別気持ちの傾くことはありませんでした。

そんな地元意識の薄い寺下清兵衛13代ですが、
自宅を改装してgalleryをオープンし、毎朝近所を散歩するようになると
自然と周りが気になり始め、古いお墓を調べてみることにしました。

このお墓には
”順能 寛永八年□月二十日”と刻まれていて横には
”釈順智 寛永九年三月九日”と書かれた
小さいお墓が並んでいます。

この順能という人物が没した寛永8年は1631年なので江戸の始め頃
という感じでしょうか。

この人は父が真能上人(しんのうしょうにん)と言い、
遡ると浄土真宗開祖親鸞の流れをくむ僧侶だったそうです。
そして順能も僧侶、兄真教も僧侶ということでしたが
この兄弟争いが3年も続き、残念無念我が順能は敗れてこの地本堂に身を隠し、
そこで生涯を終えたということが、郷土歴史家の資料に書かれておりました。

また寺下の家は名前からも分かるようにお寺に関わっていて
家の一部を念仏寺として使い正月三ケ日には本堂町の人がお参りに来られます。

お墓のある順能という人がお経を読んだのか
その順能を弔うために念仏を唱えたのが始まりか
この頃より寺下清兵衛が始まったのでは?
と400年近く以前の私の血筋を想像すると
見慣れたいつものお墓ながら
時の流れの重さ、不思議さを語ってくれるお墓なのでありました。