今日は先週見てきました中村正義の映画に触れてみたいと思います
どのくらいの方がご存知か分かりませんが
1924年愛知県生まれの中村正義という日本画家がおります
彼は1977年、つまり四半世紀も前に亡くなっています
その中村正義は生前、福井にいた三上誠と交流があり
お互いがかなり強く意識し合っていた間柄でした
中村正義は体が弱く正規に中学校を卒業していないので
高校の後(高校は豊橋商業高校でした)
美術大学を受験することが出来ませんでした
それでも高校生の頃から
”自分は画家になる”という決意を持ち
独学で絵―日本画ーを学び
当時日展の大御所であった中村岳陵の門下生になります
当時の作品がいくつか紹介されましたが
二十歳前のものでも、彼の絵は作品化されているのに驚きました
美術学校に行っていない分、目標をはっきりと持たずに
悩んでいる時がなかったのかも知れません
それでも日展の日本画ですから
周りには画家として大成している面々が並び
逆に見れば
絵画というものを一から考え直すような作家には
出会えていなかったのかも知れません
そんな中、京都藝大学生の三上誠の作品は
大きな衝撃を正義に与えたのだと映画で話されていました
紆余曲折の人生でしたが、
三上誠は結核で命を落とします
その訃報を聞いてすぐさま、この地福井に来た正義が
見つけたメモには、お金が無くて東京に行けないという
辛い言葉が書かれてあり、それを読んだ正義は涙したということでした
その正義も若い頃結核にかかり、
その後は大腸がんに侵され
「自分は風邪をひいたら死ぬんだ」と言っていたそうです
そして預言のごとく
風邪をこじらせ入院してすぐに咽喉を切開
声も出さずに最後を迎えるという終わり方をしてしまいました
社会とは大きな関わりを持たず
作品、制作、それと生活費にほとんどの
エネルギーを使わなければならなかった三上誠、
社会的に(大)成功もし日展脱退の反逆をしてみせ
なお金銭問題にも眼を背けなかった中村正義
どちらがどちら、ということはありませんが
いずれにせよ美術藝術にとって
住み心地のあまり良くない日本風土というのは
二人に共通する問題だったようでした
二人の作品掲載が出来ないのが残念ですが
ご興味のある方
検索してみてください
どのくらいの方がご存知か分かりませんが
1924年愛知県生まれの中村正義という日本画家がおります
彼は1977年、つまり四半世紀も前に亡くなっています
その中村正義は生前、福井にいた三上誠と交流があり
お互いがかなり強く意識し合っていた間柄でした
中村正義は体が弱く正規に中学校を卒業していないので
高校の後(高校は豊橋商業高校でした)
美術大学を受験することが出来ませんでした
それでも高校生の頃から
”自分は画家になる”という決意を持ち
独学で絵―日本画ーを学び
当時日展の大御所であった中村岳陵の門下生になります
当時の作品がいくつか紹介されましたが
二十歳前のものでも、彼の絵は作品化されているのに驚きました
美術学校に行っていない分、目標をはっきりと持たずに
悩んでいる時がなかったのかも知れません
それでも日展の日本画ですから
周りには画家として大成している面々が並び
逆に見れば
絵画というものを一から考え直すような作家には
出会えていなかったのかも知れません
そんな中、京都藝大学生の三上誠の作品は
大きな衝撃を正義に与えたのだと映画で話されていました
紆余曲折の人生でしたが、
三上誠は結核で命を落とします
その訃報を聞いてすぐさま、この地福井に来た正義が
見つけたメモには、お金が無くて東京に行けないという
辛い言葉が書かれてあり、それを読んだ正義は涙したということでした
その正義も若い頃結核にかかり、
その後は大腸がんに侵され
「自分は風邪をひいたら死ぬんだ」と言っていたそうです
そして預言のごとく
風邪をこじらせ入院してすぐに咽喉を切開
声も出さずに最後を迎えるという終わり方をしてしまいました
社会とは大きな関わりを持たず
作品、制作、それと生活費にほとんどの
エネルギーを使わなければならなかった三上誠、
社会的に(大)成功もし日展脱退の反逆をしてみせ
なお金銭問題にも眼を背けなかった中村正義
どちらがどちら、ということはありませんが
いずれにせよ美術藝術にとって
住み心地のあまり良くない日本風土というのは
二人に共通する問題だったようでした
二人の作品掲載が出来ないのが残念ですが
ご興味のある方
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