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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

9月11日になると思い出す【私のトラウマ《9.11》】

2024-09-12 16:41:49 | 雑感

はじめに

同時多発テロで犠牲になられた方々のご冥福の祈りと

ご遺族の方々へ追悼の意を捧げさせていただきます。

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さて、運がいいのか悪いのか

 

これまで”何度も命拾い”させてもらってきた人生と

独りで勝手に自負(?)しているのですが

 

そんな思いにさせられた経験のひとつが

2001年9月11日に発生したアメリカの同時多発テロ

 

備忘録をかねてその時に遭遇した出来事を記事にさせていただきたいと思います。

【当時のデジカメで撮影した画像は、動かなくなったパソコンのHDにしかないため

パスポートのスタンプ以外は借り物ばかりでごめんなさい

 

 

2001年は起業した翌年の

まだ安定収入を得られる事業を模索していた時期で

時折、海外での出稼ぎ仕事を請け負っていたところ

 

香港の船会社が所有するタンカーの発電機が致命的な事故を起こし

その大修理を監督する仕事の依頼を受け

 

8月25日

関空から香港に飛び

香港に入国

香港島の湾仔にあった請負元である日本企業の香港駐在事務所に向かったところ

そのタンカーはアメリカのヒューストンに寄港して

修理用の部品一式を積み込むので

アメリカのサービス代理店のワーカーとそこから乗船し

修理完了してから次の寄港地で下船して帰国の途に就いてもらうとの事

 

航空券は香港の船会社の手配で

香港出発が8月28日なので

その前に家族(駐在員夫人とその子供達)が

深圳のアミューズメント施設に行きたがってるので

深圳まで同行して欲しいとの依頼

(深圳でもまだ治安が悪くタクシーなど信用できない時代だったのもあって)

実は、その依頼元は

起業する前まで働いていた会社で

駐在員は元同僚

元々は大の仲良しで彼の誘いでその会社に中途採用で入社し

その後も毎晩のように仕事帰りに飲み歩く間柄だったので

 

依頼元というよりも友人のような関係だったので承諾して

8月27日 

高速船ターミナルのある尖沙咀から高速フェリーに乗り込み

香港出国

その頃から海路での深圳の最もポピュラーな玄関口となった

蛇口に渡り

深圳経済特区での特例観光ビザを受けて

勝手知ったる深圳から中華人民共和国へ入国

タクシーでアミューズメントパーク近くのホテルに送り届け

私はたしか国境近くのホテルに泊まり

のんびりと中華料理を堪能して仕事に備えて身体を休め

翌日の8月28日

今度は陸路で昔からの中国・香港の国境

羅湖から香港に入国

その昔

まだ深圳が未開の地のような荒地だらけだった頃

この橋を渡って香港に入った途端

ホッと安堵の溜息をついたものでした。

そして羅湖駅から地下鉄に乗って湾仔に戻り

預けておいた荷物を引き取って空港に向かい

香港出国

たしか満席の747のエコノミー席で

太平洋を横断して

LAX(ロスアンゼルス)到着

 

国内線に乗り換えてHoustonに向かい

現地の代理店が予約しておいてくれたホテルに投宿

実は、私が前の会社で管理職だった頃

何度か北米市場開拓でHoustonの代理店を訪問してたり

技術研修で来日していたその代理店の共同経営者の一人と顔馴染みだったこともあって

この時は、DownTownのHilton Hotelを予約してくれてたので

 

夜遅くに到着しながら時差ボケと香港からの長旅の疲れを癒そうと

ルームサービスでポンド(煉瓦)サイズの血の滴るレアステーキをルームサービスで頼み

お腹パンパンで大満足

 

翌日の8月29日は

その会社の共同経営者と

(地元南部訛りのアメリカ人と

元”デトロイトディーゼル”で働いてたイギリス人
そしてたしかギリシャ系の移民で技術者ではない出資者の計3人)

 

Houston郊外の風光明媚なSea Food Restaurantで

楽しいひとときを送らせていただきました。

アメリカらしいハイカロリーなワンプレートで

お腹いっぱいになりましたね~

(↓画像は借り物ですが、こんな感じ)

「熟練のワーカーを派遣するから安心して」との言葉に安堵しながら

夜、ホテルに戻り

船(タンカー)の入港を待っていたところ

 

突然、別れたばかりの共同経営者の一人から電話がかかってきて

トルネードが直撃する予報で船の入港が遅れそうとのこと

 

仕方なく

ホテルの部屋のTVで竜巻の緊急速報を観ていたところ

次々と新しい巨大な竜巻が発生して

Houstonのど真ん中を直撃するとの進路予想図が映し出され

警報が発令されて高層階の部屋から外を眺めると

道路が閉鎖され、さながらゴーストタウンの様相

 

しばらくしてホテルの窓ガラスが強風で割れそうになったと思ったら

突如停電となって真っ暗闇

 

非常灯だけはついてくれましたが空調も止まって辛かったですねぇ

(↓Houstonは竜巻銀座なんです)

 

そんな大変な一日もありましたが

竜巻も通過して乗り込む予定のタンカーも入港するとの連絡を受けて

9月2日午後 ようやく乗船

致命的なエンジンの損傷で

重さ数トンの大型部品の積み込みに半日以上費やし

船は予定通り出航したのですが・・・

 

実は、タンカーという代物

勿論、発電所への供給等定期航路に就航している船もあるのですが

ほとんどが先物として取扱われ

荷主(だいたい商社)が市場価格の変動で売買するため

とりあえず積み込んでから

揚げ地が変更するのがざら

 

この時もHoustonのGalvestonで積み込んだものの

とりあえずメキシコ湾の変針点まで向かうとのことで

 

通常でも組立だけで約1週間はかかる修理工事だったので

気楽に構えていたところ

 

揚げ地がプエルトリコの先のアメリカ領バージン諸島の

St Croixに決まり

入港予定は5日後と伝えられ

 

乗組員も会社からの命令を受けて

突貫工事となりその後の3日間ほぼ徹夜

 

なんせ普段でも高温多湿の機関室なのに

酷暑のメキシコ湾航路とあって気温45℃以上の環境での作業

 

そのうえなんせ香港の船

船内での食事は三食いつも油だらけの中華料理で

アメリカ人のワーカー二人は口に合わずグロッキーになってたのですが

 

一人のフォアマン(職長)はそんな事態も想定してたのか

鰯のマスタード漬け缶詰を持参していて

『油だらけで食べられないよな。良かったら食べて!』と渡してくれて

南部訛りの酷い白人ワーカーだったけど、無口で黙々と作業をしてくれ

頼れる人材で良かったぁと思ってたら

そんな心遣いもしてくれて嬉しかったなぁ

 

因みにもう一人は、中南米系の明るくて調子者

どうやら技術者としての技能を持たない単純労働のみのワーカーで

あまりの3K仕事にほぼ倒れる寸前

 

そんなこんなで生き地獄のような数日でしたが

なんとか4日目に試運転を済ませ

 

5日目に入港すると乗り込んできた船級協会の検査官の立会いの下

負荷試験や耐久試験をクリアしたところ

なんせケチケチな香港オーナー

すぐさま帰りの航空券を手配してシャワーを浴びただけで下船することとなり

アメリカ人の二人も一刻も早く逃げたかったようで

9月9日

そうして数時間後に出発するマイアミ行の航空券が渡され

空港へ直行となったのですが

 

地獄のタコ船から下船してホッとしたのもつかぬ間

このあと空港でひと悶着

 

当時のアメリカは、出国時に航空会社のカウンターで

入国時に入管で渡される入国カードの一端を保存しておき

それを渡すだけで入管の出国スタンプ等はなく

 

この時は、Houstonを出航する時にそのカードを渡して

一度は出国したことになっていたのに

またまたアメリカ領で上陸することとなり

 

港の代理店が私の再入国手続きをしていなかっため

アメリカ人の二人は問題なく通過できたものの

入管が『あなたは飛行機に搭乗できない』と言い出し

 

『Houstonから出航した時に出国カードを渡していたのが

またアメリカ領で上陸することになったからだ』と主張して

 

『問題があるんだったらSt CroixかHoustonの港の代理店に連絡してくれ』と伝えるも

なかなか連絡がつかないのか遅々として動かず

先に搭乗手続きを済ませたワーカー二人が

搭乗の締め切り時刻が迫って心配そうに眺めるなか

 

入管のカウンターを叩いて

『いいかげんにしろ!乗り遅れるじゃないか!』と怒鳴ったのが功を奏したのか

ようやく飛行機に乗り込めたのですが・・・

 

マイアミに到着すると

ワーカー二人はHouston行の航空券が手渡され

 

私は、連日の徹夜作業で疲れ切ってるし

東海岸のニューヨーク辺りで休んでから帰ろうと思っていたところ

 

香港の船会社が手配したという

ロスアンゼルス経由で香港行の航空券を渡され呆然

 

(実は、船会社には特別な航空運賃のタリフがあって信じられないような低価格で乗れるんです)

(このような船の機械の大事故では保険で費用が求償できるため技師はビジネスが普通)

(同様に移動にかかる宿泊費や経費も五つ星で請求するのが一般的なのです)

 

たしかカリブ海のSt Croixを出発したのが9月9日の夕方で

夜マイアミでロスアンゼルス行に乗り換え

LAX(ロス空港)に到着したのが9月10日の早朝

 

疲れ果ててDownTownに行く元気もなく

翌日のフライトにしてもらう交渉をする気もおこらず

数時間後に出発するエコノミー座席のジャンボ機に乗り込み

時差で9月11日の朝 

すし詰めのエコノミー席で仮眠することもできず香港到着

一度は入国手続きをしたものの

やはりDownTownまで行く元気なく

 

再び出国手続きをして

日本(関空)行の飛行機に乗り換え

夕方ようやく関空に到着しリムジンバスで奈良の自宅に到着し

 

ヘトヘトになりながら食卓に座り

TVを横目に晩御飯を食べていたところ

あのマンハッタンのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む

衝撃の映像が流され 目が点

 

実は、帰国の途についている間

あまりの待遇の酷さに

『金輪際、こんな劣悪な条件の仕事は断ろう

と心に決めていたのですが

 

もしもあの時

①入管が許可せずSt Croixで一泊していたら・・・

②マイアミから東海岸経由にしてDCかNY辺りに泊まっていたら・・・

③LAからのフライトを一日遅らせていたら・・・

 

たとえマンハッタンに泊まったとしても

そんな朝早くからワールドトレドセンターに行くことはないだろうし

散歩に出て惨事に遭遇することは万に一つもなかっただろうけど

 

あのテロの後、アメリカ国内では全ての航空機が飛べなくなり

一週間以上足止めされていつ帰れるかわからない状況に追い込まれててたかも

 

まあ、それ以前に

*Houstonで竜巻の直撃に遭遇してなかったら

*タンカーの揚げ地がSt Croixじゃなかったら

(それでもカリブ海の島だったら大体マイアミかLAX経由での帰国になるんですけどね)

 

 

そんな運命に導かれてたのかと

9.11になる度に思い出す自分史の一頁です。

 


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