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Be Natural

気取りも なんのてらいもなく 
あるがままの自分を 感性の赴くままに
そんな独りよがりの書き捨て日記です。

心の故郷フィリピンでイラチを治す旅【その④Dipologってこんな場所】

2025-03-30 15:24:22 | 旅行

2月20日

Dipolog2日目

安宿で朝食付きではないため

またまた前日にブランチを食べた店に行き

フィリピンの典型的な朝食のひとつ

Corn Silogを注文

 

その後、近くの飲料品専門店でSan Miguel Pale Pilsenの

1リットル入りGrandeを2ケース(12本)を手土産にして

トライシクルを呼び止めて

目的地までの値段交渉して乗り込み

いざ出発

市街地を離れのどかな田園風景に目がハート

これがまたフィリピンらしく

田植えからまだ日が浅い田圃があれば

少し先にはそろそろ出穂の稲の田圃もあり目の保養になりました。

田圃にはいくつものニッパハウスが点在していて

今度来る機会があったら ケース買いしたビールとオツマミを持ち込んで

日長一日ボーッと田圃を眺めていたいなぁ なんて夢を描いてました(笑)

やがてPolancoの町に入り

道端にはホウキやブレッドフルーツが売られていて

のどかだなぁと思っていたら・・・

 

突然渋滞となってどうしたんだろ?と様子を伺ってみると

道路脇の竹の伐採作業中でした

 

この先でトライシクルの運転手がどこへ行くのかと尋ねられたのですが

なんせ聞いているのは

地名と家の外観の写真のみ

 





 

奥さんの携帯番号を聞いていたので

あんたの携帯で電話してみてくれと言うと

なんと、携帯もってないとのこと

 

しゃーないなー どないしよと思ったところ

一度通り過ぎてしまった道端にあった垂れ幕にその地名があったので

戻ってそこから奥に入っていったのですが・・・

 

写真と同じような門と家がみつかり大喜び

いや~、楽しませていただきました。

実は、この大親友

青年海外協力隊の同期で訓練所で同じ部屋だったこともあり

とっても仲良しなんですが

 

類まれな経歴の持ち主で

団塊の世代で高校卒業時があの東大安田講堂事件の頃

あえてスペインのマドリッド大学へ留学することを決め

フランス郵船の貨客船でアフリカ喜望峰周りでヨーロッパに渡り

大学で学んでからイギリスに渡って数年過ごし

なぜか帰国して、瀬戸で陶芸を学んだり

なぜか土木の道に入ってから

青年海外協力隊に参加してきた強者

 

「土木の世界じゃあ、セメント袋をどれだけ担げるかが大切なんだよ」

などと訳のわからないことを話すガテン系のお兄さんだと思ってたら

語学研修では試験で英語のトップクラスとなり

MIT留学者や旧帝大出の連中と同じクラス

 

そんな経歴の持ち主なのに

フィリピンのミンダナオ島へ陶芸隊員として派遣され

そこで出会った闘鶏の世界にのめりこみ

現地の女性と知り合って結婚


(フィリピンの隊員仲間から、『陶芸隊員じゃなくて闘鶏隊員』と呼ばれてたんだとか)

 

その後任期を終えて帰国して

しばらく奥さんも子供も日本で暮らしていたのですが

奥さんの実家近くで購入していた土地が、運良く地上げで資産が倍増

その後、Dipologに数百坪の土地を買って家を建て奥さんと子供はフィリピンで暮らすようになって

 

毎年、1週間ほど休暇を取ってDipologで過ごし

奥さんも毎年日本で暮らす二重生活を送っているのですが

 

コロナ禍となってワクチン反対派なのでフィリピンに渡れず

今回5年ぶりにDipologで約1月滞在

75歳となってそろそろフィリピンで隠居生活もと思っていたようでしたが

 

やはりまだまだ日本の方が住み易いと感じたようで

終の棲家となるのはもう少し先になりそう

 

家の隅々まで案内してもらい

玄関ポーチで山ほどの貝でビールをご馳走になっちゃいました。

最初は警戒して吠えてた犬も

すっかり懐いて膝の上に寝転んでなでなでを要求

我が家のクロッチ(黒猫)と一緒だなぁと目を細めておりました。

 

しばらくビールを飲みながら歓談していたところ

 

闘鶏仲間が訪ねてきて闘鶏話で盛り上がり


その中の一人は、40年前協力隊員だった時代からの仲良しなんだとか
 
今はもう82歳と聞いてビックリ
 
 
それでも40年たって昔の友人に再会できるって幸せですよねぇ~
 

 

その来訪者たちを見送ったところ

突然腹痛に襲われたらしく

どうやら貝なのか、生魚のお刺身にあたったみたい

しばらく横になって安静にしてた方がいいですよ

もしも痛みがひかなかったら、日本から陀羅尼助を持参してるから言ってねと断って

わたくしはホテルに帰ることにしました。

 

写真には撮っていませんでしたが

裏庭のはるか遠くに椰子の木畑と放牧場があり

椰子の木陰でのんびりと寛ぐ牛たちの姿にとても癒され

隠居暮らしにはとってもいい環境だなぁと羨ましかったです。

(たぶん2・3日で飽きてしまうだろうなとも思いつつ

ふらふらと歩きながら大通りに出て

手を挙げて二人乗りバイクのタクシーを拾い

ホテルに戻り

またまた飲み足りなかったので

ビールを求めて市街地を彷徨い

 

この日は、パンシット(フィリピン風焼きそば)とバグス(ミクルフィッシュ)定食

 

翌日は、少し離れた町で開催される闘鶏の大きなダービーの日で

お誘いしていただいていたのですが

Dipolog最終日となるため、のんびり田舎町を味わおうとお断りしてたので

 

翌朝、ビーチ沿いを散歩していて地引き網を発見

↓Wifiのプリカなんてのもあってビックリ

どこで朝御飯食べようか?

できればビール飲める店がいいなぁと徘徊し

 

ブランチからビールの飲める店をみつけて

結局、この日は飲んで、食べて、昼寝してと

のんびりさせていただきました。

 

Google Mapsでみつけた Tuna Grill のお店

やっぱりお酒は置いてないんですよ~

 

で、結局夜もブランチのお店で

 

やっぱりミンダナオ島のそれもZamboanga(西部)方面は

イスラム教徒も多いからなのかなんなのか

食堂では気軽に飲めないことを知りました。

 

翌朝、早朝のフライトだったので朝5時起きして荷物をまとめ

トライシクルで空港に行くことに

 

空港開港の歴史を説明していましたが

日本に侵略された後と書かれていて大ショック

たぶんもう来ることはないだろうなぁと思いつつ

朝御飯を食べ

セブ行のプロペラ機に乗り込みました。

 

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心の故郷フィリピンでイラチを治す旅【その③ミンダナオ島Dipologへ】

2025-03-26 15:34:35 | 旅行

2月19日 深夜フィリピンに到着した日の朝

ほぼ徹夜状態で国内線に乗り込み

Minadanao島 Dipologへ

ミンダナオ島は、フィリピンの南の大きな島

その昔は、台風はほぼフィリピン諸島中央東部のレイテ島を直撃して北上するものの

それより南にはほとんど上陸しないため

バナナやパイナップルなどのフルーツのプランテーションが多く

過ごしやすい土地なんですが・・・


いかんせん、インドネシアやマレーシアにも近いため
モスレム(イスラム教徒)が多く
基本的に敬虔なカトリック教徒の多いフィリピンでは異端児となり
独立を狙うゲリラだらけで
特にミンダナオ島の主要都市 
サンボアンガ(Zamboanga)は結構怖いところなんです。
 
自称フィリピン通のわたしも
実はミンダナオ島は
そのサンボアンガとこれまたゲリラの巣窟の
General Santosしか訪れたことしかなく
 
Dipologは初めて
ミンダナオ島は実に25年ぶりの訪問となりました。

 

自称晴れ男なのでめったに雨に降られることはないのですが

この日は大雨

着陸前に観たDipologの町があまりに田舎町で

どうみてもタクシーなどない様子

 

再びDipologのことを説明すると

セブ・ボホール・ネグロス島に近いため


海路ではネグロス島のDumageteからフェリーで結ばれていて
生粋のミンダナオ(サンボアンガ)の人間からは
「あそこはミンダナオじゃなくてセブ文化圏」
と言われている場所なんです。

 
Dipolog空港は、戦前から存在する空港で
(フィリピンはほとんど太平洋戦争前からあった空港が多いんです)

馴れないセブアノ語圏だし

預けた荷物を待ちながら

『さて、どうやってホテルまで行こうか?』と

少々不安に感じながら、雨の中空港ターミナルを出て

トライシクル(バイクのサイドカーの乗り物)へ向かって歩いていると

「オォ~イ、長坂さ~ん」と呼ぶ声が聞こえ

なんと今回のDipolog行を決めた

現地に家族がいて約一月のお休みをとって中原さんが

奧さんとお孫さんの運転で迎えに来てくれててビックリ

 

とりあえず孫息子さんの運転でホテルまで送ってもらい

(赤いスポットがホテルの場所)

中原さんとはその日の夕食をご一緒するとしていたため

 

そこで別れてブランチがてら

食事ができる場所を探してみたのですが

どうにも田舎で 近くにまともな食堂がみつからず

カリンデリア(イーテリーとの呼ぶ簡易食堂)があったので

すかさず入店

とりあえずLechon Kawali(焼き豚)付Sisig(豚の顔肉の鉄板炒め)を注文し

「ビールはないの」と尋ねると

「ビールはおいてないです」との返事

 

吞兵衛のわたくしにとって

酒無しでの食事は論外のこと

 

そそくさと食事を終えて店を出たのですが

ほとんど外国人が訪れない土地なのか

タガログ語と英語の会話が嬉しかった様子で

店員はとても嬉しそうでしたが(笑)

 

店を出た途端土砂降りの雨となって

近くの雑貨屋に飛び込み 傘を購入

お酒を求めて 傘を差しながら徘徊し

素焼きの炭のコンロや竹工芸品を置いている

ハンディクラフトの店を眺めたり

 

何軒かの飲食店でビールの飲めないかと尋ねながら



(↑の赤いスポット)

 

ようやくアルコールを置いてある店をみつけ

すかさず入店

アテには大好物のフィリピン風刺身キニラウ(ココナッツミルクのマリネ)と

エビのガーリック炒めを注文

結局サンミゲルビールを5本ほど空けて

気分よくホテルに戻り

中原さんとの待ち合わせが夜7時だったので

とりあえず爆睡

昔は、フィリピンでは差し込み口が丸い穴のタイプCしかなかったのですが

日本と同じタイプAも併用できるようになっててこれまたビックリ

便利な世の中になりましたねぇ~

夕方、晩御飯をご馳走してくれると言ってたものの

こちらから勝手に押しかけてきたのと

団塊世代の中原さんも75歳となって

日本でも週に2・3日のアルバイトをしているようなものの

未だ一応現役で働いている身なので 

こちらからご馳走させてもらおうと

近所のATMを探し、現金を引き出し

(もう20年以上、海外ではATMでクレジットカードからの借り入れにしています)

(レートも悪くないし、手数料も僅かなので現金での両替よりもよっぽど便利なんです)

 

 

ホテルに戻り

夜7時、中原さんの奥さんの運転する車で

Dipologでの人気スポット

Dipolog Boulevard Food Parkへ

(↓のオレンジ色の下側のマークの場所)



 

基本串焼きのサティを炭焼きして食べる場所なんですが

申し訳なくて 

ほんの少しだけ注文したのですが

やっぱりお酒は置いてなくて、ちょっとガッカリ

(洗い物が楽になるように、お皿はラップに包まれてました)

その後同居しているお孫さん(孫息子と孫娘の二人)も

学校から戻ってきて合流し

「遠慮せずにもっと食べて」と言っていただいたのですが

なんせビール無しでは食事がすすまず

 

食事を済ませてからお別れして

またまたビールを飲める店にくりだし

カラマレス(イカのリング揚げ)とBicol Express(豚肉をココナッツミルクと唐辛子で煮た料理)で

またまたサンミゲルを4本ほど飲み干して

このお店

どうやら夜が本番らしく

お酒やカラオケを楽しむお客で賑わっていましたが

歳とって女っ気にも興味がなくなってしまったため

お酒で酔えただけで大満足

トボトボと歩いてホテルに戻りました。

 

【その④に続く】

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心の故郷フィリピンでイラチを治す旅【その②2025年2月LCCでフィリピンへ】

2025-03-19 17:30:51 | 旅行

【その①】で私とフィリピンとの関係をご説明しておこうと思いつつ

あまりにも長い前置きとなってしまい大変失礼いたしました。😅

 

テレコ(関西弁で”入れ違い”等の意味)となってしまいますが

1987年から1989年までの二年間

JICAのフィリピン国立航海訓練所プロジェクトでレイト島タクロンバンに派遣され

その後もフィリピン通として民間企業に転職した時も

フィリピン事務所の立ち上げから、職場の連中をゴルフツアーに連れていったり

退職して独立してからはエンジニアや研修所のインストラクターなど

1990年以降だけでパスポートのスタンプを数えてみたら48回の入出国

 

そんな訳で私にとっては、世界中で一番訪れてきた国となり

心の故郷となっているのですが

それらの詳細についてはまた改めて記事にすることにして

 

今回、協力隊時代の同期でフィリピンに派遣され

現地の女性と結婚して長年日本で生活した後に

奧さんと子供さんは住み慣れたフィリピンに戻り

家を建て

コロナ前までは毎年フィリピンに行ったり

奧さんが日本に来て数か月を過ごす

そんな生活を送っていた大の仲良しが

 

久しぶりにフィリピンの家に行くと聞き

それは是非お邪魔しに行こうと決め

ついでに30年以上ぶりにレイテ島を訪れようと

急遽旅程を立て、つい先日旅してきた時の記録です。

 

この旅をするために自治会、水利組合、仕事を調整して

2025年2月18日火曜日 14:50

 

奈良から関空行きのリムジンバスが激減して1日に4本しか運行しておらず

空港で無駄な時間を過ごさなければならない上に

片道2400円もするため(近鉄と南海なら1500円)

近頃変に倹約家になってしまったようで、つい鉄道を選択

フィリピンに行くため夏服にダウンジャケットを羽織ってただけなのに

無情にも雪がちらついてました。

15:30 南海なんば駅到着

この日のフイリピンへのフライトをLCCとしていたため

またまた駅ソバ(イカ天そば大盛り)で小腹を満たし

関空行き急行に乗車

16:30 関空で交通系カードをチャージしておこうと券売機に向かうと
インバウンド観光客で大混雑

事前に日本滞在中はICOCAが便利との情報を得ているようで

それを購入しようとしてるのですが

なんせマナーの悪い人間が多くウンザリ

それでもなんとかチェックインカウンターに向かい

大行列に並んだのですが・・・

なんと乗客のほぼ95%がフィリピン観光客で

タラタラしてるのでチェックインに40分

イラチ(セッカチ)なので相当イライラさせられ

こりゃあ先行きが不安だなぁと行く手に暗雲が立ち込めていましたが

保安検査を済ませてしまったら

ボッタクリの飲食店しかないだろうなと

立ち食いそばだけじゃあお腹が空くだろうなと

2階のコンビニでオニギリとアルコールを買ってベンチで夕食

その後保安検査&入管を済ませて中に入ってみると

インバウンド観光客からぼろ儲けしてやろうとの魂胆みえみえの

免税店や飲食店だらけ

コロナ前まではそこそこ定期的に渡航していたので

10代の頃から習慣にしているコロンを切らしたことはありませんでしたが

ここ数年はめったに国外へ出ることがなくなり残り少なくなっていたので

今回は出国時に購入しようと

以前一度だけ使ってそこそこいい香りだったBVLGARIを覗いてから

結局、1979年に練習船で立ち寄ったLAで購入して以来

基本常用しているGIVENCHYを買うことにしちゃいました。

爺さんになってからは、加齢臭消しなんですけどね

今回は、LCCなので航空会社のラウンジが使えないので

カードラウンジを探し

六甲のアネックスへ

とりあえずLCCで、機内サービスを頼んでいなかったので

しっかり飲み物を補給して

搭乗ゲートに向かったのですが・・・

 

な、なんと約2時間強の遅延

慣れているのか、到着からわずか30分ほどで乗客を乗せ

2時間6分遅れで出発

普段なら夜間飛行なので窓のシェードを閉めるのですが

この飛行機ではクルーからの指示もなく全部の窓が開けたままだったので

外を眺めていたところ

オリオン座を発見

やがてマニラ上空を通過して

予定時刻より1時間35分遅れでNAIA(ニノイアキノ国際空港)に到着

 

この日はターミナル内のトランジットホテルで泊まるつもりだったので

(ターミナルに入場するゲートがいつも大混雑で、時間によっては1時間はかかるので)

その施設に向かうと 

「予約してますか?」

「してなければ満室です」と断られ

さてどうしようかとターミナル内を歩き回り

日本食チェーンのレストランができているのに驚きながら

どこか休めるところがないかと探したのですが・・・

 

結局みつけられず断念して国内線がチェックインを開始していたので

そのままチェックインカウンターに向かい

中で待つこととしたのですが

 

時間潰しがてら フィリピン食をアテにビールを飲み

ベンチでうとうとしただけの

ほぼ徹夜状態で

ミンダナオ島Dipolog行の飛行機に乗り込むこととなりました。

 

【”その③ミンダナオ島Dopologを満喫”に続く】

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心の故郷フィリピンでイラチ(せっかち、気が短い)を治す旅【その①私とフィリピンとのつながり】

2025-03-05 15:53:33 | 旅行

【この①は、内容のほとんどが回顧録、なのでいつも以上にダラダラと無駄話が多いので

ですので私個人を知らない方はどうかスルーしてくださいませ。

 

さて、このブログでも何度かフィリピンについて

アレコレと書かせていただいてきましたが

 

実は、私にとってフィリピンと言う国

母の弟(叔父さん)が学徒出陣で徴兵され

地元豊橋の第15師団の下で当初関東軍(中国大陸)への派兵だったのが

戦局悪化から再編成され第23師団となり昭和19年になって台湾派遣が決まり

移動中に派遣先がフィリピンに変わり

傷病兵となったのかバギオの野戦病院に入院中に

アメリカ軍の爆撃を受け、戦死したと墓碑に書かれていたのですが

(ここから余談↓)

生まれ故郷の豊川市牛久保の母方の菩提寺(禅宗の寺)の戦没者慰霊塔に

実際には遺骨もなく祀られていたのですが・・・

 

母も亡くなり、兄弟姉妹も全て天に召され

あまりに不憫だなと頻繁に墓参に訪れていたのですが・・・

ある日訪れてみると

何やら紙が貼ってあり

遺族もほとんどいなくなって、ほとんど無縁墓地のようになっていたのは事実でしたが

この文言には怒れるやら呆れるやら

ようするに戦没者慰霊塔を整理して墓地を増やしたい金儲け主義がみえみえ

電話をかけて、ちゃんと墓参しているんだからと抗議したものの

結局更地にされてしまいました。。。

こんな銭ゲバのような寺だらけ

『乞食と坊主は三日やったらやめられない』の諺どおりだなと

こうした寺と坊主を心の底から軽蔑しています。

(勿論、とても信頼のできる寺もあるのですが)

 

話を戻しますと

母は、性格の優しい弟だったから

きっと逃げ延びて現地人と結婚して生きていると

己に言い聞かせていたようで

 

子供の頃からそんなことをずっと聞かされていたところ

 

何の因果か、航海訓練所の遠洋航海で立ち寄ったトンガで

青年海外協力隊員を知り協力隊員になろうと心に決め

 

実務経験と語学習得にと

商船学校を卒業して最初に就職したのが

フィリピンのPhilippine President Linesという船会社の

日本総代理店(実際の運航は全て日本)

 

Manilaの本社は

マニラ市街の中心地、スペイン時代のサンチャゴ要塞のあるイントラムロスや

フィリピンの英雄ホセ・リサールの記念碑もあるリサール公園にほぼ隣接した

UN Avenue(国連通り)にあり

↓の赤い屋根がそのメインビルと駐車場や銀行の建物

(↑私が入社した1979年には既に存在していたので、たぶん築50年以上の本社ビル)

とても大きなビルですが、実はほとんどがテナント用で

船会社のオフィスは、当初手前の平屋を使っていましたが

その後銀行業を始めたために、船会社部門は一階ロビーの左手に移転していました。

(日本でいうところの”海運局”や”海上保安庁”など官庁も使っていたためビルの存在は知られていました。)

 

創業者は、1925年生まれのEmilio T. Yapと言う中華系フィリピン人で

元々が中国福建省出身の華僑

 

マニラのチャイナタウンにいた祖父を頼って渡比し

その後、ネグロス島のドゥマゲッテイの雑貨屋の店員として働き

 

太平洋戦争後、どのようなツテを使ったのか

米軍の払い下げのジープを購入してU.S. Automotiveという会社を興し

それをベースに改造した公共交通機関であるジプニーが誕生したとの逸話を聞かされました。

 

その後、どのような背景があったのか

Philippine President Linesという名称の船会社を始め

1970年の大阪万博の時期には

日本をハブに台湾、フィリピンを周遊するクルーズ船を運航し

横浜港や山下公園に面したNew Grand HotelのGreen Roomを事務所として

日本総代理店を開設

その後、日本をベースに一般商船業界に参入

 

当時大手船会社のひとつであった大同海運の

(その後幾度も吸収合併の変遷を経てJapan Line, Navix Line、現在のMOL《商船三井》に)

北米航路の中古貨物船や新和海運のバラ積船をベアチャーター契約込みで購入

船籍をフィリピン(フィリピンフラッグ)とし

全フィリピン人船員で運航していました。

 

会社名のとおり、歴代の大統領の名前を船名にし

M/S President Aguinaldo

M/S President Roxas

M/S President Garcia

M/S President Quezon

M/S President Osmena

M/S President Laurel

M/S President Quirino

M/S President Magsaysay

 

(実際の運航隻数は老朽船の入れ替えがあって一定ではありませんでしたが)

 

で主に日本を拠点に北米&欧州の定期航路

東南アジアから南米向けの不定期航路

オーストラリアからの塩を運ぶ定期航路があり

基本的に修繕ドックは日本

フィリピンに寄港しなければ税金がかからないとかで

船員はほとんど日本で交替させてと

 

フィリピンがオーナーの船会社でしたが

チャーター契約から運航その他ほとんど全てを日本の代理店で行っていたため

私の職務は海務部工務担当(工務監督見習い)で

 

日本各地に寄港する際には

現地に赴いて船長、機関長と船の調子をヒアリングして

ドックオーダーをまとめたり

船用品のオーダーやその他船の保守にかかわる諸作業と

毎日各船からTELEXで送られてくる報告や要望を本社へ取次ぐのが使命で

時差で四六時中勤務時間など関係なく

その上、中古船でエンジルトラブルも日常茶飯事で

それはそれは激務の毎日を送っておりました。

 

 

その後、荷役に時間のかかるデリック(ウインチとワイヤーの装置)からコンテナ船

鉱石(バラ積)船、自動車運搬船などなど専用船が主流となって

 

それまでは船員組合が強く、日の丸フラッグ(日本籍船)は日本人の乗組員しか乗れなかったのが

便宜置籍船(船籍を税金の安い、リベリアやパナマ船籍にして乗組員も日本人の縛りがなくなった)となり

安い賃金のフィリピン人船員で運航することのメリットが無くなったことなど

私の記憶では2000年には貨物船の運航を停止していました。

 

会社自体は、やり手のYap氏だったので

銀行(Philtrust Bank)や新聞社(Manila Bulletin)を買収したり

当時、川崎重工を取り込んで大型造船所PHILSECOを作ったり

マニラの港湾の利権を取得してコンテナヤードを作ったりと

船会社以外の分野で業績を伸ばしていたのですが

 

とはいえ創業者のEmilio T. Yap氏

前述の1970年の大阪万博時代に客船を運航したことが忘れられず

1950年にイタリアで建造された当時世界4番目の豪華遠洋定期貨客船を中古で購入し

いつかクルーズ船の需要が復活するだろうと

香港にペーパーカンパニーを作りMandarin Oriental Hotelに事務所を構え

節税対策だったのか、何度も船名を変え

その後、1980年代後半から台湾の高雄の造船所で改修工事をしてから

初めてManilaに運ばれ

Manila湾で投錨した後に

 

Yap氏が経営にかかわるようになっていた伝統ある名門Manila Hotelに隣接した桟橋に係留して

Floating Hotel &restaurantとして開業したのですが・・・

 

この頃船齢は既に60年超え

あまりにレトロな内装や施設設備で需要がなかったのか

はたまた船体の老朽化(リベット船でした)に維持するのを断念したのか

わずか2年ほどでスクラップとしてインドに売却されてしまいました。

 

実は、最終的にこの船をずっと担当していた人物が

Philippine President Linesの工務部長(取締役級)のRiezaさんという方で

元々はNaval ArchtectureでYap氏が海運部門で最も信頼していたスタッフ

 

私が東京で働いていた頃は

工務監督として来日するとほぼずっと毎日一緒に行動していたこともあって

ほとんど寝食を共にするような間柄で

お休みの日曜日には敬虔なるクリスチャンだったので

教会のミサに連れて行ったりと

とても温厚で、まともな英語も話せず船の知識もまだまだの未熟者だったのに

とっても優しくして接してくれた方だったんです。

 

その後1987年にフィリピンに赴任した時に

マニラに滞在する度にPPLビルを訪ねてRiezaさんの所在を尋ねると

毎回台湾の高雄に駐在中とのことで

任期中にはとうとう会うことができなかったのですが

 

1997年頃になってゴルフで度々マニラに行く機会ができて

諦めきれずにPPLを訪ねてみたところ

 

オフィスにRiezaさんが居てビックリ

 

その時には、その客船がマニラ湾で投錨していたため

フィリピンに戻ってきていると知って思わず飛び上がりそうなほど大喜びしちゃいました。

 

私が東京で働いていた時に、既に50歳を過ぎていたので

この時には既に70歳以上となっていていたのですが

 

沖に浮かぶ船に通船を手配して乗船し船内を案内してくれ

その後、日を改めてフィリピン料理をご馳走しれくれたりと

またまた貴重な時間を過ごさせていただいたのですが

とうとう、それが最後の再会となりました。。。

 

 

すっかり船会社時代の話が長くなってしまいましたが

実際には、その時期には頻繁に寄港地で訪船したり

調査のために航海中に乗船したりとフィリピン船員とは仲良しになっていて

文化習慣、食べ物なども精通していたのですが

実際に本社を訪れる機会なく

退職して青年海外協力隊員となったためフィリピンとは関係が切れたのですが

 

実は、その青年海外協力隊員のトンガ時代

国連のFAO(世界食糧機構)の木造船建造の船大工として派遣されていたのが

フィリピン人のRosario(家族連れで赴任してました)

フィリピン人にはとても親近感を覚えていたので

よく話をしていましたが

FAOのボスがイギリス人で、当時は日本を馬鹿にしていたため

残念ながら仕事場以外で付き合うことはありませんでした

 

そんな訳で1986年までは

フィリピンとは深い繋がりを持ちながら

現地を訪れる機会をもたないまま過ごしていたのですが

 

1987年になって、突然フィリピンに派遣されることとなったのです。

 

【その②に続く】

 

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出張ついでに遠くへ行きたい【目論見が外れO型気質を感じた旅@北海道】

2024-12-19 16:34:44 | 旅行

2024年12月16日 月曜日

普段は自他ともに認める[働かないオジサン]

オフィスでお昼ご飯を済ませ

個室でボケボケとしていたところ

 

午後3時前、突然内線電話が鳴り

「〇〇からのメールみられましたか?

「気づくのが遅くなってすみません、訪船依頼が来てるんですけど

明日北海道の苫前とのことで、時間的に無理だと思いますのでお断りしておきましょうか?」と

 




苫前といえば、去年大寒波の下, 道北の旅で

札幌からのバスで通過した場所で

三毛別ヒグマ事件のあった場所

  

最寄りの旭川行の飛行機に空席があるか調べ

 

わが社の優秀なスタッフはすぐさま航空写真で

それなりの船が入れる港があるか調べ

現在地が釧路と聞いて

北方四島の国境からオホーツクに抜けて稚内を回るかなぁ

津軽海峡から日本海側に出て北上する?

何よりも羽幌だったらまだしも

漁港しかない苫前に行くとは考えられず

 

これはたぶん苫小牧の間違いだろうなと問い合わせたところ

やっぱり苫小牧

 

苫小牧なら千歳から目と鼻の先なので

札幌便(新千歳)なら空席あるだろうなと調べると

伊丹発の最終便(18:55発)が取れそう

 

その仕事、先月から依頼を受けていたものの

諸々の先約があって12月16日以降しか無理ですとしていたため

先送りしていた誠意をみせなければとの思いと

 

近年お気に入りの北海道、東北方面はめったに依頼がないので

快諾して

 

事務所での必要部品や書類等の出張準備を完了

(この間、わずか15分ほど)

 

 

家に帰って厳寒の北海道仕様の作業服や衣服をカバンに詰め込み

最終の注文を確認してからネットで航空券を購入し

 

最悪、伊丹まで車で移動して駐車場に停めておこうと思いつつ

16:15に最寄りのバス停発の空港バスがあったため

チャンカーに送ってもらい

まだ晩御飯には早いし、せっかく北海道まで行くんだから

現地で美味しいものでも食べようと、ラウンジでは飲み物だけにしていたところ

 

遅延のお知らせ

 

それでも新千歳空港で食べられるだろう と

楽観してそのまま飛行機に乗り込んだのですが・・・

 

新千歳空港に到着してみると

ほとんどの飲食店が午後9時で閉店

泣く泣く電車に乗り込み

南千歳で苫小牧行に乗り換え

もう閉まってる駅弁の売店のポスターを恨めし気に眺め

 

ホテルに到着したのは 既に22時40分過ぎ

(駅舎内のコンビニも閉まってました

フロントで「少し離れた歓楽街ならまだ開けてる店もありますよ」とのことでしたが

 

凍結してツルツルの歩道に恐れをなし

あえなく断念して 最寄りのコンビニですませ

ゆっくりとホテル内の人工温泉に浸かり

 

船の到着予定時刻が延期されたため

翌朝は、混雑を避け8時過ぎに朝食バイキングをガッツリと

 

その後、飛行機の移動では運べないスプレーを買いに

よくある駅前の商業施設に入ったドン・キホーテへ

ついでに、去年稚内でツルツルの道路でひっくり返って

泣く泣く旅を途中で断念して凍結した道路の怖さを学習させられたため

靴屋さんで アイス・スパイクを購入

 

そして到着予定時刻に合わせてタクシーに乗り込んでバースに向かうと

丁度着岸作業中

 

とりあえずジャコブスラダー(縄梯子)がかけられたのですが

岸壁の防舷材が1mほどの厚みがあり(船と岸壁の間に隙間があるって意味)

 

運悪く梯子の位置は防舷材のない冷たい真冬の海面

これまでの自分だったら躊躇なく飛び移って駆け上がり乗船してたのですが

 

先日、造船所で握力を計測して

両手で85kgの合格基準になかなか達しなくて大焦りしていたので

もし落水したら心臓麻痺起こしちゃうだろうなと諦め

アルミ製の梯子をかけてもらって乗船し

早速仕事にとりかかったのですが・・・

 

機器が古くて経年劣化で電子基板の故障で完全復旧ができず

これまでだったら代わりの部品(自動車1台以上の価格の代物)を持参して

その場で新替えして解決できてたのですが

 

今回は予備品の依頼を受けていなかったので中途半端で終了

 

これまでこの機器数百台を取扱い無事に作業を終えてきたので

中途半端で下船するしかない事態に落胆してしまい

 

寒空の下、携帯で呼び出したタクシーを待ちながら

『もう明日は素直に帰ることにしよう』と決めちゃいました。

仕事に入る前まで

『仕事を終えたら苫小牧からどうしようか』 と

あれこれと妄想

 

登別で温泉に浸かってもいいし、訪れたことのない室蘭を歩いて

夜行フェリーで青森に行くのも面白そう

 

それとも、他のフェリーで

敦賀や舞鶴、名古屋から船旅を楽しんで帰るのもいいし

秋田もいいし、八戸、いやいや大洗もありかな


と選択肢を表にして

妄想を膨らめてたのですが

仕事が中途半端となってすっかり撃沈

 

そういえば、何か事前に決めてるといつもダメになるんだよなぁ

と思いつつ

(それがいつも“行き当たりばったり旅”をするようになった理由なんです

 

世間ではどんな感じのかなと調べてみると

 

 

 

ありゃま、それってO型気質だったのか とビックリ

 

まあ、めげずに前向きにと己に言い聞かせ

苫小牧の夜の町へと繰り出し

 

去年、結局食べられなかったジンギスカンは絶対に達成しておきたかったので

ネットで下調べして評価の高かった このお店に向かい

独りだし、食べ飲み放題のレギュラーコースに

 

食べ放題って言うから

好きな肉を注文できるのかと思ったら

コース別のお皿が全て出てきてビックリ

ラムランプ、ラムショルダー、ラムハツ、ラムレバー、ラムソーセージ、

仔鹿ロースに野菜盛り合わせとタップリ

 

食べ物の方は、それはそれは結構なボリュームで大満足

それもあってビールがすすみ

サッポロクラッシック何杯お代わりしたのかなぁ

 

ビアグラスだったので、たぶん10杯くらいかな

 

お店のスタッフも最初は機嫌よく出してくれていたのですが

終盤は、原価割れで近寄ってくれなかったような

 

でも十分満足したので

時間内だったけど『ご馳走様』して

 

苫小牧の夜の町を徘徊してみました。

 

得意の嗅覚で場末感溢れる路地を探し出し

(残念ながら雪が少なくて情緒はイマイチでしたが

古そうなラーメン屋を発見

もうお腹いっぱいなのに、北海道に来たら外せない塩バターラーメンをいただきました。

 

その後大音量で自らの歌声に酔い痺れてるオッサンのカラオケに導かれ

このスナックの前でしばし佇み

他に場末感溢れる居酒屋かスナックがないかと夜の町を徘徊


丁度時刻は21時
ご出勤中のミニスカート姿のホステスさん達とすれ違いながら
散策を続けたのですが・・・





やはり仕事が中途半端で
気兼ねなく大酒を飲む気分になれず断念

 
早めにホテルに戻って
人工温泉で冷えた身体を温めて
眠りにつきました。
 
 
夜中にネットで帰りの航空券を購入しておいたので
またまたゆったりと朝食を済ませ
 
チェックアウト時刻の10:00にホテルを出て
気になっていた支笏湖方面の雪山
樽前山の写真を撮ろうと
 
あちこち歩き回り
 
JRの敷地横の盛り土に上ってみたところ
土が抉られた跡を見つけ興味津々
 
 
猪はいないだろうから鹿だろうな
と勝手に決めつけ
 
 
鉄ちゃんの喜びそうな【キハ40】を眺めながら駅舎に戻りました
 
 
実は、苫小牧から新千歳空港への乗り換え南千歳はわずか3つ目
特急はあるものの、普通は通勤通学時刻を過ぎると
9時代に一本、10時代は特急のみで普通はなし、11時に一本と選択の余地なし
札幌や空港方面行のバスも同様で
 
飛行機の選択をミスったなと気づいたものの
時すでに遅し
 
それなら名物の北寄貝でも早めのお昼に食べようと思っていたのですが
 
 
 
な、なんと定休日
 
泣く泣く、しばらく改札前の待合室で過ごしてからホームに向かったところ
室蘭本線で貨物列車が鹿だか線路に入っている人をみつけて運転を見合わせてるとかのアナウンス
 
前日も、南千歳駅で待っていた時に
特急が鹿を撥ねたとかで運転再開に時間がかかるので札幌方面は快速をお使いくださいとか
そんなアナウンスを聞いてたし
 
タクシーの運ちゃんも鉄分を欲してレールを舐めるのか
鹿にはねられる事故は日常茶飯事と話してたのを思い出し
 
北海道では鉄道の移動には時間の余裕を持たせておかないと大変なんだと学習しました。
 
そんなこんなで少し遅延して空港快速に乗り換え

予定時間より少し遅れてチェックイン
北寄貝を諦めて 空港でラーメンでも食べるつもりでしたが
 
またまた諦めてラウンジに向かい
機内で駅弁もいいかな と思いつつ
心惹かれる弁当がなく
またまた諦めて飛行機に乗り込みました。

機体や翼の雪や氷を融かすデアイシングカー(除雪・除氷車)が頑張って作業してくれてました。
 
 
帰りの便はほぼ定刻に離陸
 
今回の飛行ルート
 
 
佐渡上空から越前海岸沿いに南西に飛んで
丹波篠山辺りから旋回
 
普段乗り慣れてる成田・羽田や東北方面からのルートでは
生まれ故郷の豊橋を左にセントレア上空から伊勢志摩で西向きに針路を取り
信貴山上空で北西の伊丹に直進するので
 
珍しさが勝って楽しかったですね~
 



コレ↓が生駒・信貴山系を横切ったところ
 
ほぼ定刻の15:07、無事伊丹空港に着陸
乱気流と737と小型機だったので
そこそこのハードランディングでしたが
 
プレミアムメンバーなのですぐに荷物を受け取れたものの
奈良方面のバスは16:40発しかなく
 
15:30発のなんば行に乗車

 
御堂筋を眺め
16:20頃 南海難波駅前で下車
(ホントは、近鉄の乗り換えに便利なOCAT行に乗りたかったのですが20分後だったので諦め
 
トボトボと裏路地を歩いて近鉄大阪難波駅へ
 
16:32発の急行奈良行に乗車して
最寄りの学園前駅がほぼ17:00
チャンカーの迎えで家に到着したのが17:20
 
伊丹発16:40発の奈良行でも 第二阪奈生駒停留所が17:20着なので
歩いたり電車に乗り換えることを考えたら
空港バスの方が楽なんだよな と再認識

 

それにしても 今回の出張

結局、ついでに旅行することもできなかったし

本音は絶対にしたくない往復ほぼ同じルートでのとんぼ返り

 

『何かしようとすると、思惑通りにならない』と嘆くのが

O型気質なんだと知りましたが

 

まあ、今更治らないだろうな

 

さて、今季もまた極寒の北海道に行けるのでしょうか

 

思い通りにならないだろうけど、また旅のプランでも妄想しとこっと

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旧知の友との晩秋の旅【2024年肥前・肥後・豊後】1/3

2024-12-16 14:40:53 | 旅行
これまでにも度々記事にさせていただきましたが
 
青春時代、青年海外協力隊で
隊員候補生として共に訓練時代を過ごした仲間達は
 
我が人生にとってまさに《刎頚之友》
 
1981年の9月下旬から10月下旬までの一か月間を東京の広尾で
その後の二か月半を長野県の駒ケ根訓練所と
合計約100日間だけの間柄ながら
 
純粋な気持ちだけで集い
名誉もお金もなんの見返りも求めず
ほとんどが未開の地で危険やさまざまな病気の蔓延する土地と知りながら
派遣国での活動を夢見てた心の底から繋がっているからか
 
すでにもう43年もの歳月が経過しているのに
未だに親兄弟や妻や子供達よりも心が通じている気がして
再会する度に訓練所時代に戻ってしまうんです。
 
個別には時折数名が集って会食しながら旧交を温めていたのですが
いまから13年前の2011年に30周年を記念して
懐かしの駒ケ根訓練所で同期会を開催したところ
 
同期隊員103名
うち当時連絡先不明25名物故者3名で
75名中34名が遠くはアメリカから2名が帰国しての参加を得て
 
懐かしい思い出だらけの訓練所に宿泊し
翌朝は訓練中毎朝の日課だった講堂での音楽隊員のピアノ伴奏での
協力隊の歌”若い力”を合唱したのですが
 
つい訓練当時の追憶の日々の情景が甦り
みな目頭が熱くなって歌えなくなるほど感動したこともあって
 
その後もほぼ毎年のように全国各地でプチ同期会を開いていたのですが
一昨年、奈良の我が家で猪鍋を囲む会からは
ほんの一握りのメンバーとなってしまいましたが
年に2回のペースで開催
 
 
本日は、そんな旅の記録を記事にさせていただきました。
 
 
 
今回は、関東から2名、関西から1名、地元九州から1名の計4名
移動は愛車のベンツでとのオファーをいただいたのですが
 
荷物もあるし、4名ではゆったりできないかなと
ミニバンをレンタルするから 
 
ワイワイ楽しく旅を楽しもうと提案
 
当初は、また当日シニア割で伊丹から空路で福岡に飛ぶつもりでしたが
 
当日、もし空席が無くなってたらどうしよう
飛行機が遅延したら大変だなと
博多で前泊することも考えたのですが
 
お気に入りの西中洲の居酒屋で泥酔してしまうのを恐れ
得意の瀬戸内航路のフェリーを使うことに

実は、名門大洋フェリーは

船のスペック(仕様)や食事がバイキングしかないのであまり好きくなかったのですが

大阪南港からとアクセスが便利なことと

大阪17:00発 新門司05:30着の便があり

余裕で博多に到着できるからと

 

個室は既に売り切れていましたが

ツーリストベッド(片道6,600円)の席をネット購入

最近は二段ベッドといっても

上下を交互に配置しているため一番端のベッドにすると

ほぼプライバシーが守られて快適に過ごせるんですよ

食い意地を張って食べ過ぎてしまうため

売店で何か買って夕食にしようかなとの考えていたのですが

バイキングも1,800円とリーズナブルな価格なので

ついバイキングレストランに決めちゃいました (意志弱すぎ

 

その上、旅行中は飲み過ぎちゃうだろうなと

乗船後に売店で発泡酒のロング缶を買って飲んでおき

お酒も控えるつもりだったのに

 

レストランの入り口に置いてあった

900mlの芋焼酎の紙パックが1,100円だったので

ついつい『お得なんちゃうん』と購入

とりあえず、バイキングのほぼ全メニューを並べ

ウッシッシと喜んで独り酒を楽しんでいたところ

隣に座った年配のオジサン(昭和24年丑年生まれの方でした)

から声をかけられ

 

お話してみると、仕事上でも関係のある会社のOBで

更に奧さんを亡くされてヤモメ生活の中

旅行会社のツアーで国内フェリーの旅を楽しまれているとお聞きして

 

「良かったら焼酎飲みませんか」とお誘いして

自分が経験してきた国内各地のフェリーの旅の情報をお伝えしながら

とうとうレストランの終了時刻まで歓談しちゃいました。

 

そんな訳でしっかりと酔いが回ってしまい

夜中に目を覚ますと、服を着たままベッドに倒れ込んでたのに気づき

 

大反省

 

まあ、泥酔してお風呂に入るのは危険なので

それで良かったのかも と思いつつ

 

下船前に朝風呂に入るつもりでしたが

この船は朝はシャワーだけだったので面倒臭くなって

着替えだけして下船

小倉駅までの無料連絡バスに乗り込み

05:50新門司港出発

06:25 門司駅を経由して小倉駅に到着

小倉駅の南北に置かれている

無法松の一生を彷彿とさせる小倉祇園太鼓像を眺め

改札口へ急ぎ

普通電車や在来線特急のソニックでも間に合うようでしたが

普通運賃 1,310円 所要時間1時間38分

在来線特急 1,910円 所要時間54分

新幹線 2,160円 所要時間18分

 

朝の通勤通学ラッシュ時間帯だし

選択の余地なしだなと新幹線に乗車

小倉~博多間は、早朝はこだまのみで

ほぼ通勤通学客だらけなんですよ~

朝ごはんは、九州に行ったら定番の”ゴボ天うどん”

もうね、歯が要らないどころか歯茎のいらない クタクタのうどん最高なんです

博多駅から地下鉄に乗り込み

福岡空港でレンタカーを借りたのですが

これがなんとド新車

パーフェクト保証に入ってるのに

車内を汚したら、匂いが残ったら

ノンオペレーションチャージ25,000円と脅されて

面倒臭いなぁと思いつつ

待ち合わせ時間まで余裕があったので

 

先日、急逝された訃報にショックを受けながら

この福岡を訪れることが決まっていたため

大好きな”にっぽん縦断こころ旅”の録画をみなおし

2014年384日目に訪れた埴安神社までの旅のトレースをしたのですが

それは前々回の記事にさせていただいたので端折らせていただいて

 

そして待ち合わせ時間の午前11時過ぎ

関東からのメンバーを空港近くでピックアップして

中央区在住の一人の自宅へ立ち寄ってから

 

一路唐津の呼子に向けて車を走らせたのですが・・・

 

実は、この日の宿は

佐賀県唐津市呼子沖の小川島

 

フェリーの時刻が15:00発なのにカーナビでは到着予定時刻14:45と表示され

大焦り

 

ところが実際には14:30前には無事呼子に到着できてホッと一息

最新のカーナビだからか、短くてクレームがこないように設定してあるので

所要時間を少し多めに予想しているようでした

 

そうして無事フェリーに乗り込み

沖の小川島に渡ったのですが

さすがは荒波で知られる玄界灘

 

数日続いていた低気圧の影響もあってか

なかなかのうねりで

 

船乗りのわたくしは平気でしたが

他のメンバーは辛そうな様子

 

つい無法松の一生の歌を思い出しちゃいました

♪小倉生まれてで 玄海育ち♪

♪口も荒いが 気も荒い♪

 

この宿(民宿クジラ支満)

実は、前回エガチャンネルにハマって呼子の朝市を訪れた時に

泊まるならどこがいいかなぁとネットサーフィンしていて

魚介類を満喫できそうな画像に釘付けとなってのですが

 

4人以上との条件が難しいなぁと半ば諦めていたところ

今回、偶然幹事の女史から『呼子に行きませんか』との提案があり

それならばと、この宿をお知らせしたところ

みなから快諾されて決めていただいた次第なんですよ。

呼子は鯨漁で栄えた地で
 
小川島はその鯨漁の前線基地だったらしく
見張り所や供養塔がありました。

今回選んだ民宿”クジラ支満”

訪れた時期が運悪く海が荒れていたため
普段より種類が少なかったようですが
鯛の煮つけに
 
伊勢海老のお造り(1匹で二人分)
ムール貝に烏賊に河豚の天ぷらに
 
鯨のお刺身に

その他もろもろ山ほどの魚介類

鯛と平目の姿造り、サザエのお刺身

大きなアオリイカの姿造り

ゲソと頭は後で天ぷらにしてくれたのですが

この量

そんなこんなで魚貝類でお腹いっぱい

旅館なので隣室とは襖で仕切られているだけ

雑魚寝のような環境でしたが

我々だけの貸し切りだったのでのんびり寛がせていただきました。

 

翌朝、まだ暗い頃に目が覚めてしまったため

縁側のカーテンの隙間から外を覗いてみると

堤防にいくつものヘッドライトをつけた人達がいる様子

 

釣り客で賑わってました

朝は、前日の残りのお刺身がお茶漬け用に漬けにされ

更に、漁港ならではの充実の朝ごはん

伊勢海老のお味噌汁

美味しかった~

 

8:50分のフェリーに乗るため

8:30に民宿を出てフェリーに乗船

(往路でも乗っていた別の民宿に泊まってた団体さんも同じようにたぶん魚貝類を堪能した様子)

 

前日同様、玄界灘の荒れた海でしたが

少して湾内に入り一安心して

下船しようとしたところ

 

乗客、乗員全員のスマホが大音量で鳴り響き

『玄海原発で事故発生!半径5km以内では”安定ヨウ素剤を服用してください』

とのメッセージに大焦り




 

『これは放射能漏れが発生したんだな』と

急いで駐車場に停めておいたレンタカーを取りに向かいながら

呼子が原発から半径5km以上離れているのを確認し

さて、北風だしどうやって逃げようかと思案しながらメンバーの待つフェリー乗り場に戻ると

 

荷物の見張り番をしていてくれた幹事の女史以外は朝市に行ったとのこと

で、よくよく話を聞くと【緊急速報の訓練】だったとの事

 

 

どおりで駐車場までの道路にいた人達も落ち着いてたわけだ

とホッと胸を撫で下ろしましたが

 

 

東日本大震災の避難者の支援ボランティアをしていて

相馬から避難してきた人から

福島原発の水素爆発直後、放射能漏れの情報で大慌てで逃げ出した時の話を思い出し

慌てましたねぇ

 

で、1年9ヵ月ぶりに呼子の朝市を歩いてみました。

前回は、3月初旬の平日だったので

ほとんど朝市とは信じられないほど店もなく静かでしたが

この日は土曜日とあってそこそこの店と

そこそこ賑わっていましたが

前日、魚貝類三昧だったのと

レンタカーが新車で匂いがついたら

ノンオペレーションチャージと脅されていたので

買い食いも土産も買わず終いでした。

ご参考までに

小川島の民宿、1泊2食付き税込み12,100円

この日は、瓶ビール数本と熱燗を飲んで

一人当たり13,000円でした

 

呼子から小川島までのフェリーが片道520円

新鮮な魚貝類三昧で大満足しました。

 

因みに呼子へのアクセスですが

公共交通機関なら

福岡空港(博多経由)→唐津:

①鉄道JR筑肥線(空港線地下鉄直通)1時間30分

②高速バス(福岡空港、博多、天神経由)1時間30分

 

唐津→呼子:

バス 唐津駅から所要時間25分

毎時2本運行しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

【2/3:肥前から肥後へに続く】

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欲張り?いえいえだたの貧乏性な旅【③乗り鉄しながら大好物の食材を仕入れて帰路につく】

2024-10-16 13:23:59 | 旅行

今回の貧乏性の小さな旅 3日目(10月13日:日曜日)

 

音花火の段雷がドンドンドンと鳴り響き時計を見ると朝6時

その後も万雷(ダダダッ、パラパラパラ)が続き

 

そう言えば、子供の頃から運動会、お祭りと

催しがある日になると鳴り響いてたなと思いだし

昔は10月10日と言えば 

実家のある橋良神社の例祭日だったなと記憶が蘇り

ネットで調べてみるとやはりそのとおり

ただ、よくよく開催場所を見てみると

神社ではない近くの広場

 

Google Mapsの航空写真を調べてみると

神社は住宅の中に埋もれ 

由緒ある村祭りの名物、手筒花火を奉納することもできない様子

 

私が子供の頃は、神社は田圃や畑に囲まれて

(↓は1961年頃)

 

普段は夜ともなると暗闇の中

ところが祭りになると、豊橋はテキヤの町なので

参道の両側にはいくつもの屋台が並び

煌煌と裸電球で眩しいほどになり

昼は神社の行事と餅投げがあるので山ほど人が集まり

広場には大きな幕が張られ

夜は映画の上演会

(子供向けの東宝のゴジラやモスラ、大映の大魔神と

大人向けは兵隊ヤクザ、森繫の社長シリーズなど)

そしてフィナーレが青年団による手筒花火の奉納

 

↓豊橋のある三河は徳川のお膝元なので

江戸時代禁制だった火薬類を取り扱えたため

花火づくりが盛んで

青年団のメンバーは祭りに備えて竹を切り

竹筒の節を抜いて火薬を詰め、破裂しないように藁縄を巻き

この筒を抱えて火をつけて火柱があがる中耐え続け

最後に底の火薬玉が爆発するまでの度胸試しなんです。

(青年団は朝から神輿を担いで町内を練り歩くのですが

家々で振る舞われる酒に酔ってみなベロンベロンになってました

 

子供達には、近所の集会場で花火のセットが配布され

特に男の子は爆竹を打ち鳴らすのがある種の根性試し

 

導火線に線香で火をつけて

いつまで持っていられるかを競うのですが

爆竹によって火の回りが違うので

指から離す前に爆発してしまい

血豆を作ってしまうのがある種のルーティン(笑)

 

1970年代まではまだ周辺には畑も残っていて

なんとか神社で実施されてたと記憶していますが・・・

 

もう騒音だとか火の粉で火事になるとか

周辺住民からのクレームで

神社ではできなくなっちゃったんだろうなぁ

そんなことを思い出しながら

『もう一泊して祭りも覗いてみようかな』とも、一瞬考えましたが

 

どうせまた、浦島太郎のように現実を知らされて落胆しちゃうだろうなと思い直し

もう奈良に帰ることを決め

 

頭の中でその日の旅程を組立て

 

9時過ぎにホテルをチェックアウト

普段なら最初の目的地には歩いて向かうのですが

この日は、実は大きめな保冷バッグと着替え類を入れた布製バックを抱えていたため

市電(路面電車)を使うことにしちゃいました

この豊橋の市電

駅前からその昔、軍都だった頃に師団や郊外の花街への足として開通したもので

全国各地の市電と比べると距離も支線もほとんどありませんが

沿線にいくつかの私学の高校があって通学での需要と

市役所や警察署、陸上競技場、野球場などの公共施設に

最近の車離れもあるのか、いまでもそこそこの利用者があるため

市民の便利な足となってるんです。

また、豊橋名物にちくわと練り製品があるため

冬には”オデン車” 夏には”納涼ビール電車”なるイベント車両も運行したりするんですよ。

 

この車両は、元都電荒川線の7000形(モ3500型)みたい

 

この日は、駅から3番目の停車場”札木”で下車

 

この札木というところ

東海道の街道沿いにあって、江戸時代以前から旅館や待合茶屋で賑わってた場所で

城下町時代からの商店街(?)もあって

そのひとつ、魚町にあるヤマサちくわの本店と

豊橋っ子の台所、スーパーサンヨネで食材を仕入れるためでした。

ちくわとオデンネタと花かつお&刺身用鰹の柵を買って

すぐさま、またまた市電に乗り込み

(T1000形 ほっトラム H.20)

 

 

 




 

急いで豊橋駅に戻り 豊橋鉄道の渥美線新豊橋駅へ

私にとっては馴染みのない

たぶん東急の中古車両(モ1800形)に乗り込み

(1997年に電圧を600Vから1500Vに昇圧したため昔の車輛が使えなくなったんです

 

田原市のやぐま台駅で下車

 

 駅から約1.5km、早歩きで15分後、次の目的地”千春うなぎ”に到着

実は、これまでは鰻もスーパーサンヨネで生鰻(但し、開いてあるもの)を買ってたのですが

あまり満足していなかったため

 

以前田原に行く途中で、国道沿いで看板を見つけ

航空写真から養鰻場の直営だろうと思い込み

一度味見してみようと

開店時間の9時に電話をかけて10時半頃取りに行きますと伝えていたのですが

移動時間の憶測を誤ってしまったため

焦って向かったのですが

焼きたて鰻を手渡されて万歳三唱

ただ、航空写真からてっきり養鰻場の直売だと思ってたら

養殖池は既にソーラーパネルに覆われて

契約養鰻場から生鰻を仕入れ

加工販売(主にスーパーなどへの卸)にしちゃったらしいです。

まあ、浜名湖周辺も、養鰻130年の歴史を持つ豊橋も

昔のように露天の養殖池では温度管理が難しく

ハウスで温度調整しながらと手間もお金もかかるようになって

浜名湖では養鰻からスッポンに変えたり

養鰻を廃業してソーラーパネルだらけになっちゃいました。

 

そんな事を考えながら”やぐま台駅”への戻り道

このところ渥美半島のほとんどが栽培しているキャベツ畑を発見

このキャベツ、栽培期間が短くて楽とか、年間を通して何度でも栽培できる様子で

収穫前の畑の横に、種なのか苗なのか植えられてばかりの畑も混在していて

驚かされます。

豊橋市内でもキャベツの栽培が盛んなのですが

道を隔てた豊橋市内側はいまも稲作が中心の様子

 

またまた15分ほどでやぐま台駅に到着したところ

渥美線のほとんど駅がパーク&ライドになっているのを発見

 

市電同様、車社会になってローカル線はほとんど存続の危機に陥ってるのに

豊橋周辺では、このパーク&ライドが成功して

市電は通勤・通学のピーク時が9本/時 その他でも7本/時

渥美線も約15分間隔で運行されて

需要と供給のバランスを保っているようです。

 

反面、路線バスはどんどん運行本数が減少し

路線が廃止されたりルート変更したりと惨憺たる状況で

『この先どうなっちゃうんだろ?』と思いつつ

傍観するしかないもんなと寂しい気持ちに

 

そしてまた渥美線に乗り込み

軍都時代の遺跡のひとつ

現在の高師緑地、軍都時代からの松並木が残されてるんです。

これらの松、根元に近いところの樹皮を剥がれ溝が刻まれた木だらけ

戦争末期、松脂を採取していた様子がわかり歴史を実感させられます。

この渥美線での移動の軌跡はこんな感じ↓

千春うなぎまでが↓

11:55 豊橋駅前着

その後、急いで金券ショップに向かい

名古屋までの切符を買ったのですが

 

名古屋では、名鉄が1,100円、JRでも1,010円なのに

豊橋で買うと920円 または830円(名鉄休日キップ)

 

前日、名鉄で豊橋に来てたので

あえてJRで名古屋まで行こうと休日でも高いJRを購入

 

我ながら面倒臭いヤツだなぁと思いつつ

 

さて、新幹線改札口にあったのが

この↓ アニメの聖地巡礼マップ

 

聖地巡礼が大好きだけどアニメには興味ないので

歯牙にもかけず

 

お昼にと立ち食いのお店へ

今でこそプラッチック(関西人風)の容器になっちゃいましたが

その昔は、駅の改札口近くの構内にあった平屋の建物で

各ホームに向かう跨線橋の袂にあって

冬になると開けられた引き戸から湯気がモウモウとあがっていて

素通りできずに暖簾をくぐり「きしめんひとつ」と注文したものでした。

 

浦島太郎は昔の記憶が鮮明に残ってるので

『今はもう別物だな』と思いつつ

ついつい立ち寄ってしまうのであります。

 

あと昔からあるお店としては

豊橋のものではありませんが

昔から人気の”知立名物の大あんまき”

 

あと、立ち食いそば&きしめんの店と同じ経営の壺屋の稲荷寿し

豊橋の名物駅弁と言ったらこの”稲荷寿し”で

豊川鉄道(豊川稲荷へ行くための私鉄で、現在の飯田線)の起点だったので

この弁当が生まれたんだと思います。

『ショボイ弁当だよなぁ』と思っていましたが

この歳になると、あの甘辛い稲荷(油揚げ)が無性に食べたくなったりします。

そしてまたまた豊橋始発の岐阜行快速に乗り込み

名古屋駅では連絡通路で近鉄に移り

13:30発の大阪なんば行アーバンライナーに乗車

お昼がきしめんだけだったので

缶ビールのロング缶2本とアテを買い込み

 

15:20大和八木で下車

京都行特急に乗り換えのため下の橿原・京都線のホームに移動したところ

近鉄の新型車両発見

10月にデビューしたばかりの「8A系」

インバウンド観光客が激増しているからか

優先座席にはキャリーバッグのストッパーがあるんですよ。

 

この新型車両に乗りたい気持ちいっぱいでしたが

乗り換えの特急に追い越されるので

諦めてビスタカーの2Fシートへ

 

15:50 最寄り駅に迎えにきてくれたチャンカーの車に乗り込み

16:00無事帰宅となりました。

この日の移動の軌跡はこんな感じ↓

 

この日、豊橋で仕入れてきた食材は

ヤマサのちくわで

特選ちくわ5本入りx2

半月(はんぺん)

上揚げ半

一口きんぴら

青じそ揚げ

野菜ソフト

(値上げしまくりでこれで約4,000円弱

 

続いて 千春のうなぎ

上から 肝焼き(100g)500円

白焼き2尾 @1,800円

タレ焼き @1,900円

クロッチとわけわけ(?)用

サンヨネのかつお削り 3袋

 

これまたクロッチとわけわけ用に 生鰹 税込み951円

 

 

因みに、今回お試しで買った 千春のうなぎ

身は分厚くて、柔らかくて、タレもメッチャ美味しくて

 

チャンカーも大喜び

 

カク一(かくいち)と言い

帰省する楽しみがまた増えちゃいました

 

ありがたや ありがたや

 

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欲張り?いえいえだたの貧乏性な旅【②時間を無駄にしたくないなと旅程変更して伊勢湾フェリー特別運航】

2024-10-15 15:01:58 | 旅行

実は、今回の旅

一番最初に日程を決めたキッカケが

ネットニュースで知らされたこの↓情報

なんせ、幼少の頃からお伊勢さん詣でと言えば

地元からの団体バス

渥美半島の付け根の故郷豊橋からバスで伊良湖岬へ行き

伊勢湾フェリーで鳥羽に渡り

二見ケ浦の夫婦岩に立ち寄ってから外宮、内宮を周り

また伊勢湾フェリーで帰るのが最もポピュラーなコース

 

なんせ当時は陸路を電車で名古屋回りするにしても

近鉄は宇治山田までしかなく

 

道路では東名しかない時代で

せいぜい国道1号線から名四国道で四日市に出てから延々と下道を走る

 

そんなとてつもなく不便で面倒な時代だったので

豊橋より東方面からの利用者(団体バス)は、東名を三ケ日か豊川ICで下りて

間違いなく伊勢湾フェリーを使っていたため大盛況だったのですが・・・

 

自分自身も中学を卒業して鳥羽の商船学校に入学し

全寮制でしたが、父が大病を患ったこともあって、母から顔を見せに帰っておいでと

月に2度ほど帰省時に利用していたため

学生時代だけでたぶん200回は乗船

 

その後も奈良から豊橋に帰省するのに度々利用してきたフェリー

何だかんだ300回くらい乗ったでしょうか。

 

高速道路も東名名古屋ICから名古屋市内の都市高速に

東名阪に繋がるバイパスができ

東名阪も年々延伸してゆき

更には伊勢自動車道も年を追うごとに延伸し

伊勢までつながったのは2005年だったかな?

 

そうして陸路からのルートも選択肢となっていたところに

あの悪夢の民主党政権時代に

休日高速道路上限1,000円なる愚策によって

 

伊勢湾フェリーの利用者が激減

 

そのうえ、2005年に師崎航路を常滑航路に変更し

伊勢にターミナルを新設する計画が頓挫するなど

経営の失敗もあって立ち行かない状態に追い込まれ

 

2010年に運航を終了して会社を清算すると発表して廃止届を提出したことから

関係自治体(愛知県、三重県、田原市、鳥羽市)が全株式を買収して

航路が存続されることになったものの

 

経営状況は、初詣やGW,夏休み、SW以外はガラガラで

そのため運賃(特に車両の航送)も高めとなってしまい

一時期は6隻もあった船も3隻となって

船齢も29年、20年、19年と老朽船ばかり

 

これからどうなっちゃうんだろう?と不安に思ってたので

このニュースは信じられないような画期的な朗報

と言うのも

蒲郡は、東名なら音羽蒲郡ICから距離にして10km弱

まもなく全通する国道23号線バイパスの蒲郡ICからならたぶん5km以内

鉄道では豊橋で新幹線から東海道本線に乗り換えて蒲郡駅までわずか10分

駅から埠頭まで徒歩5分程度なのでアクセス抜群なんです。

 

今回は、蒲郡市が積極的に動いて実証実験を兼ねた臨時特別運航でしたが

愛知県三河以東、関東方面から伊勢志摩だけじゃなく関西方面へのアクセスにも使えるルートで

勿論反対に関西方面から東海・関東方面へのアクセスも混雑する名古屋周辺を迂回できて

乗船中は身体を休めることができるし

 

乗船運賃や車両の航送運賃が納得できる額であれば

伊勢湾フェリーも復活できるかも

 

と心の底から期待してるんです

 

(現在は、加藤汽船のグループ会社らしいです)

 

そんな背景もあって

この実証実験運航に乗ってみたくて

 

何日にどこから乗ろうか?といろんなパターンで得意の妄想をしていたのですが

 

この特別運航を知ったのが8月26日

京都南座の錦秋喜劇特別公演のチケットを購入したのが9月9日で

観劇日を10月11日午前の部に決め

(稲刈りに気を揉まなくてもよい頃にと思って)

 

乗船は京都から日を置いて三連休の最終日にしようと思っていたところ

YouTubeで観たTV愛知の番組で紹介されていた

名古屋の飲食店(あんかけスパ”コモ”、香蘭園、屋台ラーメンヤムヤム)と
飲み助の投稿で豊橋の飲み屋(”カク一”、”花せん”、”喜喜”)に無性に行きたくなってしまい

 

それならとりあえずと

11日に京都での観劇を済ませてから直接豊橋に向い”カク一”の下見を終え

12日はホテルでのんびりと”母の待つ里”をネットで鑑賞して

夜、”花せん”を訪ねゆっくりと酒と肴を楽しみ

 

13日に豊橋で大好物の食材を買い込んでから蒲郡に移動して

フェリーに乗って鳥羽から奈良に帰ろうと思っていたのですが

 

”カク一”で楽しい時間を過ごせたのに気を良くして

『昼からホテルで缶詰めしてちゃあ勿体ないな』と思いだし

 

急遽、どうせなら蒲郡航路の第一便に乗ってやろうと

朝一で豊橋駅に向かい

東海道本線の岐阜行快速に乗車

蒲郡駅から徒歩数分距離の埠頭に着いたのが

出航時間の9時より30分以上前だったので余裕だろうと思っていたら

この↓大行列 

実は、ほとんどが前売り券を買っていた人達でしたが

ネットで購入するため、その確認作業が遅々として進まず

 

当日券の乗客は後回しとなって

この時すでに時刻は8:57

(中央右のGAMAの前で名刺交換してるのは蒲郡市長)

 

それでも一応8:59には乗船できましたが

船内はこの有様

三谷水産高校の漁業実習船も”賑やかし”に来てました

(↓ 蒲郡のランドマーク、蒲郡クラッシックホテルと竹島)

西浦温泉街と三ヶ根山も遠望でき

佐久島、日間賀島、篠島を横目に伊勢湾に入り

伊良湖沖からはいつもの航路

 

つい最近就航した鳥羽市営船の新造船と行き違い

答志島と菅島の間を抜けるとやがて鳥羽の町が

 

いまや廃墟となってしまった”ニュー美しま”

 

ミキモト真珠島を眺めながら

『海女の実演だけなら久慈まで行かなくてもいいんだけど、北限の海女はまた違うんだよなぁ』 

と先日、海が荒れてて中止となったのを思い出してました

11:00 蒲郡から2時間後 無事鳥羽到着

水族館の入場口へのショートカットを抜けようと思ったら

いまは通れなくなっていて結局大回り

ミキモト真珠島

学生時代の1973年頃には

まだ橋が架けられてなく通船で渡ってたんですけどご存知かな?

 

あと、学生時代の漕艇(カッター)の時間は

学校から漕いできて真珠島を一周してましたねぇ

(夫婦岩の二見ケ浦方面も良く漕いでいってましたが、

当時は団体の観光客だらけで黄色い声援に喜んだりしてました

入場料を見たら1,650円だったかな

学生時代は鳥羽水族館もミキモト真珠島も気楽に入れる料金だったのになぁ

(もしかしたら学割りだったかも

 

こちらは、廃墟となったニュー美しまの本店 ”美しま”

倒産してこちらも廃墟となってしまいましたが

少し年上の美人の娘さん(美しまのエッチャン)に片思いしてたなぁ

こちらは、”喫茶テネシー”

ここのオーナーさん、他所から来た方で

学生時代、居酒屋でアルバイトしてた時に

毎晩のように訪れて常連になっていて

カウンターに座ってはバイトにもビールを注いでくれました

こちらも居酒屋時代の常連さんのお店

いろんな因縁を持った間柄でした

↓この通りが鳥羽のメインストリートで

道路の左の空き地に修学旅行生や団体観光客が下駄履きに浴衣姿でウロウロしてたお土産屋さん

その奥に”国際秘宝館”もできてたんですよ。(結局入ったことなかったけど

 

この↓真珠屋さん、同級生の一人がここの娘に惚れ込まれて追いかけられてましたねぇ

こちらは地元の漁師の嫁さん達が商売している飲食店

その昔、俺たち商船学校の学生の、特に若い低学年が歩いてると

「ほらニイチャン、これ見てみぃ!オ〇コそっくりやろ

とニタリ貝を手にもってからかわれたものでした。

 

それにしても、今時は大あさりが1,100円もするなんてビックリ

学生時代は200円もしなかったと思うんだけどなぁ

そんな想い出探ししながら鳥羽駅に到着

電車の運転士さんに尋ねたところ

名古屋方面の特急の乗り継ぎが宇治山田だったので

停車していた普通電車に乗車

最近、中吊り広告を含めた一切の広告を無くして

テーマでデコレーションした車両が登場していますが

これもそのひとつ

伊勢志摩のマリンリゾート車両で売り込んでいました。

やがて伊勢方面に向かって右手に海が見えたら

その反対側には我が母校が

その昔は学校の敷地ギリギリの海岸線に沿った国道しかなく

 

入り江には旧艇庫と古い大昔には陸上帆船もあったのですが

国鉄の線路ができ、近鉄も延伸して並行する線路ができ

その後線路沿いに直線のバイパスができてしまいました。

 

やがて電車は宇治山田駅に到着

 

↓この宇治山田駅前にある伊勢市民会館

丁度1年生の年(1973年)の秋にキャロルのコンサートがあり

メンバーの誰かと鎌倉出身の上級生に縁故があったとかで

ほぼ無理やりチケットを買わされて観に行きましたが

超絶頂期で痺れちゃいました

この右手の和風の建物は

宮内庁、神宮司庁御用達とも言われてる老舗割烹の”大喜”

まだ古い建物だった時代に

電車でお伊勢さん詣りをした帰りに家族でお昼に立ち寄って 

ビールのアテに伊勢名物の”サメのタレ”を注文したのですが

給仕のオバチャンが目の前で一切れ落としてしまい

 

「新しいのを持ってきます」と厨房に戻ったのですが

すぐに「新しいのお持ちしました」と言ったのですが

実は、厨房で「サッと拭いといたらええやん」と話していたのが筒抜け

 

申し訳ないけど、もう30年近く前のことなのに

すっかり脳裏に刻まれてしまいました

この近鉄宇治山田駅

その昔は修学旅行生だらけでしたが

昨今はガラガラ

でも歴史を感じさせるとても魅力ある建物なんですよ。

ほどなくして到着した特急に乗り込み 一路名古屋へ

 

名古屋駅で地下鉄東山線に乗り換えて

栄の久屋大通を横切って

そう、実は”行きたいところ”のひとつ 

名古屋のあんかけスパ”コモ”へ今回の旅の間に行こうと思いついたのが

日程&旅程を変更した理由でした

なんせ豊橋の人間にとっては

あんかけスパ=オーギヤのすぱげっ亭”チャオ”で

鉄板に溶き卵を敷いた上でジュージュー音を立ててるスパを

ハフハフ、フーフー、ズルズルと食べるものを思っているため

 

ここまで必死になって食べてみたものの

あんかけソースもパスタも、残念ながらわたくしの好みではありませんでした。

14:20 まあ、そんなこともあらーな(味が期待外れ)と思いつつ

前日の飲み疲れ+移動疲れもあって

さっさと豊橋に戻ろうと今度は名城線で金山に出ることに

金山に到着してからは

昔からのクセで、豊橋までの切符は金券ショップでと

駅近の自動販売機で購入

(JRなら1,010円、名鉄は株主優待で1,100円)

往路が蒲郡までJRだったので

子供の頃から乗りなれた名鉄にしちゃいました。

この金山~豊橋の運賃(所要時間)

いまは名鉄が1,270円(45分) JRは1,180円(51分)で

名古屋になると

名鉄1,270円(50分) JR1,340円(56分)

 

国鉄時代は、本数は少ないし所要時間はもっと長く運賃もずっと高かったため

豊橋人の頭には名古屋方面へ国鉄(JR)を使うことは考えられませんでしたねぇ。

そんな他愛もないことを思い出しながら

15:40豊橋到着

そこそこ移動疲れしていたので

とりあえずホテルに戻り

 この日の移動はこんな感じ↓

蒲郡駅前から臨時フェリー乗り場となった埠頭まで


こちらは鳥羽のフェリー乗り場から近鉄鳥羽駅まで

そして名古屋
名駅から地下鉄東山線で栄
栄の久屋大通から大津通&広小路のコモで食事して
地下鉄名城線で金山に出て名鉄に乗車


それにしても
ホテルで缶詰めになってるのがイヤだからって
こんな大回りするかなぁ
 
ああヤダヤダ
貧乏性な我が身が情けない
 
 
その後、

今夜訪れようと考えていた”花せん”に電話したのですが

まだ時間が早すぎて応答がなかったので

お風呂に入って疲れを癒してから5時過ぎに電話すると

「本日はカウンターが埋まってるので、空いたらお電話します」とのこと

 

開店が6時だったので

少なくとも2時間は空かないだろうなと見当をつけて一眠り

そろそろかなと8時過ぎにホテルを出て

繁華街に向けて歩いていると電話が入り
「遅くなりましたけど、いまカウンター空きました。来られますか」と尋ねられたので

「はい、15分くらいで着けると思います」と返事して

駅前の昭和の香り漂う一角にある”花せん”に到着

口コミで魚が美味しいとあったので

またまた鰹の刺身と

マスターが一人で厨房をこなしてると書き込みがあって

時間がかかることがあるとあったので

作り置きのオデンと肉じゃがを注文

続いて 鰆のたたきと

焼き牡蠣を注文

 

実は、この店も年末の同級&同窓会の場所にとお試しで選んだのですが

お刺身類はそれなりのネタを揃えていて合格点でしたが

”オデン”と”肉じゃが”は味が濃すぎたのと

オデンネタが残念すぎて私のクチには合いませんでした。

 

まあ、人ぞれぞれ好みがあるので

もし店主の方がこのブログを読む機会があっても気にしないでくださいね。

 

そしてこの日も疲れからハシゴする気にならなくて

アッサリとホテルに帰りました。

今回泊まったホテル

そこそこ古くからのビジネスホテルで

1泊素泊まり5,500円と超リーズナブル

夜しか使えませんが大浴場もあって

ガテン系の利用者やスポーツ系の団体が

朝・夕の食事付きで人気の宿

 

駐車場もタダなので、お得に泊まろうと思ってる方には重宝すると思います。

 

【③に続く】

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【緊急のお知らせ】“糸の切れた凧”の旅 訂正します。JALの当日シニア割ありました❗️

2024-10-07 11:19:08 | 旅行

このタイトル”糸の切れた凧”で

投稿した記事の内容に

大変な間違いがありましたので

急ぎ訂正の記事を書かせていただきました。

 

誤解を招くような記事でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 

話が長くなるので、先に要点をお知らせしておくと

【伊丹~花巻のJAL便でも当日シニア割がありました

 

その間違いを生じた背景をご説明すると

 

今回の旅のルートを決める際に

Google Mapsの航空写真で東北地図を眺めながら

『やはり最寄り空港は花巻だな

『なら伊丹か神戸、関空から花巻への便は・・・』と

昔、関空からPeach便があったのを覚えていましたが

現在は就航しておらず

 

それならば、と花巻空港のHPから調べてみたところ

 

伊丹(J-AIR:JAL)

神戸(FDA)

名古屋(FDA)

 

が見つかり

 

 

スマホのアプリで料金を調べてみたところ

 

伊丹からのJALは

最安値で47,640円 

 

 

 

FDAはその日によって違うものの

名古屋便には最安値で16,500円があったので

とりあえず名古屋からFDAに乗ろうと思い込んでしまったのが運の尽き

 

FDAの花巻到着時刻から

当初は盛岡から龍泉洞行のバスがあることがわかり

宿泊アプリでも空きがあって比較的安価だったのと

岩手の代表的観光地の龍泉洞にも行きたいなと決めたのですが・・・

 

前の記事に書いたとおり

直前になったら団体客で満室となってしまい断念

 

それならばと旅程を変更してできるだけ三陸鉄道に乗りたいなと

花巻空港からほぼ真横に移動する釜石に行こうと計画したものの

到着時刻が遅すぎてその日は釜石で泊まるしかないかと考えなおし

盛岡に出てJR山田線で宮古に出れば

翌日には田老や島越を訪れることができるなと宮古泊まりにして

 

あまちゃんのロケ地”小袖海岸の小袖海女センター”と久慈駅に行くことにしたわけなんです。

帰路も、『JALは割引運賃がなく高い!』と決めつけてしまい

FDAで花巻から名古屋か神戸飛ぶことも考えて

ネットで料金を調べてみると

当日なら42,790円(前日でも38,000円超え)

 

そんなら同じルートも嫌いだし青森まで出ようをした次第なんですが

 

 

陸中&三陸海岸の荒々しい海と海岸線に魅了されてしまい

 

まだ視聴してないのですが

夏バッバ(宮本信子さん)の最新出演作

”母の待つ里”に絶対ハマルだろうなと予感して

 

次は”母の待つ里”のロケ地、遠野を中心に旅しようと

またまた旅の妄想をしていたところ

 

花巻は高いから仙台からかなぁ

仙台から遠野までのルートを探していたところ

 

仙台から気仙沼・陸前高田・大船渡を経由して釜石まで行くバスも見つかり

釜石から遠野に行こうとルートを決めて

仙台までならANAのスマートシニア割でいいか

料金を調べてみたところ




待てよ 
ANAがあるなら仙台までだしJALの当日シニア割もあるんじゃないか
と調べてみたところ
またまた高い運賃しかなく
 
おかしいなぁと、ようやくアプリでの設定ミスを発見
 
調べてみたら 花巻便もシニア割なら
たったの18,050円と格安なのを知って愕然としちゃいましたが
 
 
 
 
 
 
 
とはいえ、前回の旅では
めったに使わない小牧空港にも行けたし
FDAなるヘンテコリンな飛行機にも乗れたし
 
JR八戸線で潜水土木科のある種市(高校)の場所を知ることができたし
 
久慈から八戸までの陸中海岸も眺められて
久しぶりに青森駅にも行けたので
 
不幸中の幸い だったかな
 
と、”転んでもただは起きぬ”ヤツなので
思っている次第です。
 
 
みなさんは
わたしのようなオッチョコチョイなことはしないと思いますが
安易に思い込みせずに
石橋を叩いてみてくださいね。
 
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”糸の切れた凧”の旅【その⑤因縁の八戸を経由して青森に出て家路につく&旅の総括】

2024-10-05 13:15:58 | 旅行

久慈駅から9:16発の八戸行に乗り込み

45分後の10:01潜水土木科のある種市高校の種市を通過

 

ということは

高校に通おうと思ったら久慈から6:41発に乗車しないといけないわけで

三陸鉄道がその前に到着するのは始発で

堀内(袖ヶ浜)駅6:05発 久慈(北三陸)6:35着

 

『ほぉ~、あき(あまちゃん)は勿論、足立ユイちゃんは相当早起きしてたんだなぁ』

と勝手に想像して喜んでました。

 

JR八戸線の車両も

2007年の前後数年間、八戸の某造船所の仕事で頻繁に出張していた時に

何度も利用した古いキハ40系からすっかり変わっててビックリ

久慈からしばらくは内陸部を走っていましたが

陸中中野の手前からは

八戸港までずっと陸中らしい荒々しい波に洗われた岩だらけの海岸線や砂浜も眺められました。

 

さきほども書きましたが

2005年頃から2010年の約5年間

八戸の某造船所にフィンランド製の大型機器を納入していたため

頻繁に建造中の作動確認と引渡前の海上試運転の立会で

出張していた土地なので

懐かしい思いもありましたが

なんせ「ウチはこの製品はこれからもずっと〇〇さん(私の会社)ですから」と言われ

それならマンパワーも準備しなければと技術系社員を雇い

事務所を移して社宅も準備して対応していたところ

 

数か月後もたたないうちに競合の会社からの接待攻撃で

たぶん袖の下も受け取っていたのか

舌の根の乾かぬうちに失注

 

新しく雇った社員を抱え、その後数年相当苦労させられたこともあって

”八戸”と聞いただけで虫酸が走る気分

 

本八戸辺りでは苦々しい思いで造船所のクレーンを眺め

11:00 八戸駅に到着

乗り換え時間が4分しかなかったため

結構焦りましたが 無事乗車

陸奥湾沿いではまだ刈り取っていない稲穂を眺め

久慈から3時間21分、八戸から1時間33分後の12:37 青森駅に到着

ここも駅舎がすっかりモダンになって昔の面影はありませんでした。

八戸へ頻繁に出張していた頃

 

急ぎの時は仕方なく東海道新幹線、東北新幹線を乗り継いでいましたが

座りっぱなしの移動にうんざりして

いろんな方法を試していましたが

(伊丹・羽田と飛行機を乗り継いで三沢経由とか、

八戸、盛岡、仙台間を高速バスに乗ってみたりとか

当時まだあった東海道の夜行寝台で東京に出て始発の東北新幹線に乗ったり)

 

一番お気に入りだったのが

寝台特急”日本海”で京都~青森を

ゆったりと車窓を楽しみながらの移動

 

まだ東北新幹線も八戸までしかなく

八戸~青森間の特急も本数が多かったので

早朝、青森から特急で八戸に行けば

朝一から仕事ができてとても便利でした。

 

なので青森での乗り換えで何度か降りたことのある駅でしたが・・・

 

なので、青森は15年ぶりくらいだったかも

青森到着前にネットで調べた食堂に向かうと

な、なんと月曜定休でシャッターが下りたまま

その先に 暖簾の出ていた寿司屋があり

とど肉、エゾジカ、クジラなどのメニューが面白そうでしたが

暖簾の横に「急ぎの方はご遠慮ください」とあり

『なんか面倒くさいかも』と諦めて

それより先に青函連絡船眺めに行くことに

 

実は、私が商船学校を卒業した1979年はまだ就航していて

同窓生が何人も青函連絡船に就職していたこともあって

自分が乗船する機会には恵まれませんでしたが・・・

内部の見学はせず

案内板にエンジンの写真があり

大型のV型エンジンが数台搭載されてたと知り

更に CPP(可変ピッチプロペラ)だったのも面白く眺めてみました。

その後、新しく”ねぷた”を常時展示している施設ものぞいてみました。

その後、駅前で飲食店を探し回ったものの

どうにも気に入った店が見つけられず

 

結局 ランチ営業をしていた居酒屋へ入店(13:45)

2時半までの営業だったので

ビールは中瓶しかなかったので2本注文して

鮭の親子丼みたいなランチセットと

追加で リンゴ酢サワーを飲んだらもう閉店時間前になったたので

迷惑かけないように店を出たのですが

飛行機の時間までどうやって時間潰ししようと

駅前に戻ったところ

 

駅横のビルにこんなお店を発見

大好きな”昼飲み”の文字(笑)

アチャー、この店にしとくんだったぁ~ と思いつつ

真昼間からベロンベロンで飛行機に乗るのもちょっと恥ずかしいかなと諦めて

 

青森空港へ行くことに

(実は、夜中にスマートシニアのチケット購入しときました

バス乗り場に行ってみると

インバウンド観光客も多いようで

紅葉情報や”熊に注意”の注意書きもありました

(十和田湖とか八甲田山とか酸ケ湯温泉とか

奥入瀬やランプの宿の青荷温泉など自然が人気みたい)

ほどなくして

空港行のバスに乗り込み

残念ながら航空会社のラウンジはない空港だったので

クレジットラウンジで休憩

 

伊丹行はプロペラ機でちょっとビックリ

ANA系は、マイナーな航路にはIBEXの小型ジェットか

このプロペラ機なんですよねぇ

 

ということで、17:35発でしたが 定刻前に出発し

19:30には伊丹で荷物を引き取って

20:10の空港バスに乗れ 20:45に家から最寄りのバス停で下車

21:00には無事帰宅できました。

 

ということで

/////今回の”糸の切れた凧旅”の総括/////

 

現地(陸中・三陸)への移動は

 

(往路)

大和西大寺→大和八木→名古屋→名古屋空港→花巻空港

(復路)

青森→伊丹→奈良

 

陸中・三陸周辺の移動

花巻→盛岡→宮古→田老→島越→野田玉川→陸中野田→小袖海岸→久慈→八戸→青森

 

宮古

田老

島越

 

野田玉川

 

陸中野田から小袖海岸へ

 

あまちゃんロケの聖地 小袖海岸

 

久慈駅周辺

 

青森駅周辺

 

【旅の期間】

9月27日07:30出発 9月30日21:00帰宅

3日14.5時間

 

【ウォーキングの距離・歩数】

9月27日 9.7km 13,621歩

9月28日 10.6km 15,982歩

9月29日 9.1km 14,710歩

9月30日 5.2km 8,561歩

合計 34.5km 52,874歩

 

北三陸の津波の被災地を訪れ

被害の現実を知り鎮魂の祈りを捧げることができ

あまちゃんのロケ地聖地巡礼も満喫できて

 

とても有意義かつ至福の時間を過ごさせていただきました。

 

今回は

①龍泉洞温泉ホテル満室で旅程変更

②JR山田線の不通

③小川旅館満室で宿変更

④宮古~新田老 三陸鉄道不通で代行バス

④あまちゃんマラソンで陸中野田からのバス運休でタクシー移動

⑤今年最後の小袖海女センターの素潜り実演のために日程を決めてたのに海が荒れて中止

⑥久慈駅周辺の飲食店定休日

⑦青森駅前の飲食店定休日

 

と、そこそこハプニングに遭遇しましたが

それも私にとっては楽しみのひとつ

 

ハプニング中毒なので、さて次はどこへ行こうかなぁ~

 

 

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”糸の切れた凧”の旅【その④北鉄(北三陸鉄道=三陸鉄道リアス線)の北三陸駅(久慈駅)へ】

2024-10-04 14:46:08 | 旅行

9月29日

”あまちゃん”ロケの聖地【袖ヶ浜(小袖海岸)】を堪能してから

定刻14:00発上り久慈駅行に乗車

↑ 時間帯からも想像つきましたが

基本、地域住民の方のためのコミュティバス

 

朝7:00は通勤通学で

次の9:00はたぶん病院行

土日祝のみ12:00と14:00がありましたが

下りは小袖海岸着が 平日で12:37 15:22 17:56

土日祝が10:30と12:37なので

 

※休日ダイヤの下りは12:00発が7月~9月のみ

14:00発は4月から10月までの期間運行なので

それ以外の季節はタクシーかレンタカーでしか行けないのでご注意ください。

 

あと期間運行の時間設定からも

滞在時間は1時間半もあったら十分ってことなんでしょうね。

 

バスは海岸沿いの険しいワインディングロードとトンネルだらけの道を走るんですが

久慈の市街地近くまで景勝地の連続

あまちゃんのオープニングで岩だらけの小島から

たしか鵜が飛び立つシーンの岩もありました。

 

バスは、久慈駅の東側にある文化会館前を通過するのですが

やはりコミュティバスらしく県立久慈病院と

ドーナツ化現象なのか寂れて空き地だらけの駅前以外で

飲食店などのある”道の駅くじ”を経由してから

JR久慈駅(八戸線)と三陸鉄道久慈駅前に到着(所要時間約30分)

 

これこれ

この潮騒のメモリーズの看板のある駅前デパートも見たかったんだよなぁ

 

そしてドラマでは”北三陸駅”の久慈駅

とりあえず、これもまた旅の目的のひとつだった

夏バッバが作ってたウニ丼の見本となった”うに弁当”

を売ってないかなと覗いてみましたが

すでに完売

オバチャンに翌日の朝来るからと予約しちゃいました。

 

あと、あまちゃんコーナーもあり

 

ただ、残念ながら 軽食&喫茶リアスもスナック”梨明日”はないし

駅長の大吉っつぁんもブティック今野の夫婦も琥珀の勉さんもいませんでしたぁ

 

北三陸観光協会でジオラマ見たかったなぁ(笑)

 

とりあえず、予約していた旅館のチェックイン時間が16:00からだったのと

小袖海女センターの”うにごはん”だけでは足りなかったので

スナック梨明日のモデルと言われてる 喫茶モカへ直行

あまちゃんのロケでは 

クドカンから俳優さん達も入り浸ってたお店だそうで

事前にナポリタンとたまごサンドが美味しいとのクチコミがあったので

早速注文

ナポリタンは、昔の喫茶店風そのもので美味しかったですよ

ただ、愛知生まれなので鉄板で出して欲しかったなぁ

 

たまごサンドは、関東風に甘い玉子焼きタイプ

豊橋生まれで子供の頃はこの玉子焼きがスタンダードだったのに

関西が長くなると、茹で卵をマッシュしてマヨネーズ合えの味に慣れちゃったかな

 

時刻は午後3時頃と

ピーク時を過ぎていたので

店内には、あまちゃんマラソンに参加したらしきジモピーと

あまちゃんの聖地巡礼で訪れてた様子の一人旅風の若い女の子と

喫茶店定番のオシャベリ場に使ってたオバハン達がいましたが

 

マスターとその奥さん(たぶん60代の夫婦)と

ジモピーの会話を聞いてたところ

その日は、開店時間の10:30からずっと大行列で

私が入店した時がやっと一息つけた頃らしく

 

ご夫婦ふたりともヘトヘトのクタクタになってました。(お疲れ様

 

そんな会話を耳にしてたので

長居は迷惑かなと食事を終えてすぐに店を出て

駅前に戻ると 北限の海女さん風の絣姿に赤い鉢巻をしたガイドさんが

数十名の観光客をぞろぞろと連れて案内している光景にであい

 

去年の再放送で 自分同様

あまちゃんブームが再燃してるんだなぁと再認識

 

 

”あまちゃん”関連のイラストの描かれたシャッターを眺めながら

旅館に着いたのですが・・・

時刻は15:30前で入口に (Check in 16:00~)との札が下がっていて

諦めてしばらく周辺を歩いて時間潰ししてから

16:00丁度に戻りようやくチェックイン

実は、近所のビジネスホテルもあまり料金は変わらなかったのですが

(但し、この旅館は朝食付き)

やはり国内の一人旅には旅館が似合うなと決めたのですが・・・

 

今時はインバウンド観光客の需要も多いのか

コロナで感染予防に神経質になったのか

旅館らしい人情味やおもてなしの雰囲気はあまり感じられなかったかな?

(不愛想ではないんですよ。親切なんだけどちょっとビジネスライクな感じ)

冷蔵庫の中には無料のサービスドリンクがありますと案内していただきましたが

夜中にトイレに起きた時に喉が渇いたなと扉を開くと

ミネラルウォーター1本とファンタ2本のみ残ってました。(2階は満室でした)

 

部屋もしっかりリフォームされてるし

お風呂は大きくきれいなユニットバスが三つあり時間帯で貸切るシステムで

快適ではありましたが

部屋数もそこそこ(2階で10部屋かな)で収容人数も多いからか

昔ながらの商人宿風の旅館らしく

夜中でもトイレに行くため廊下を歩く音や隣室の話し声も筒抜けで

耳栓使うべきだったなぁとの印象でしたけど

 

これで朝食まで付けてもらって6,000円だから文句は言っちゃあいけませんよね。

 

この日も朝から移動と、あまちゃんのロケの聖地を

5時間かけて歩き回っていたため

クッタクタ

 

荷物を置いてから早めに飲食を済ませて宿でのんびり休もうと

居酒屋や食堂をネットで探してみると

 

日曜日は休業だらけ

 

旅館で尋ねると、やはり「日曜はあまり開いてないんですよ」と

少し離れた寿司屋や海鮮も置いてある和食の店を教えてくれたのですが

 

翌日、高い”うに弁当”を予約してるし
一昨日からご馳走続きで贅沢しすぎかな?

Google Mapsで駅の反対側に”つぼ八”があるのをみつけ

 

またまた駅前に戻り 

ついでに 翌日の移動手段やルートを決めていなかったので

バス停で長距離バスの時刻を調べ

また盛岡に戻って高いFDAかJALで帰るなんて芸がないよなぁ

と思い直し

 

とりあえず帰りのルートは先送りして駅前地下道で久慈駅東口へ

目的地の”つぼ八”はほぼ駅前にあって

その先には大型スーパーマーケットもあって

久慈駅前の再開発は東口を中心にするような雰囲気

まだ開店時間前でしたが

自動ドアが動いて中に入れたので尋ねてみると

大丈夫とのこと

この日も動き回って汗かきまくってアルコールを欲してたので、嬉しかったなぁ

とりあえずで生ビールを頼み

つづけて定番の出汁巻

お刺身の三種盛りで

生ビールをオカワリして

その後、冷凍レモンチューハイと追いチューハイを2杯ほど飲んだら

オヤツのナポリタンとたまごサンドでまだお腹が空いてなく

 

つぼ八に行ったら必ず注文する若鶏の半身揚げが届いたものの

(小樽のナルト本店を真似たメニュー)

もう入る余裕なく、持ち帰りをお願いして店を出たのがまだ17:45

大きなお腹を抱えながら旅館に帰る道すがら

久慈駅前のビックリするような激安の駐車場を発見

 

空き地だらけの駅前がいつ変身するのかなぁとお節介な妄想をしながら

旅館に到着

その直後、18時に時報チャイムで”潮騒のメモリー”が流れてビックリ

『久慈市ってどんだけ”あまちゃん”に依存しとんねん』 って感じ(笑)

他の泊り客は食事で出ていたようで

食休みした後にお風呂を予約して

のんびりと入浴させていただきました

 

気持ちよかった~

 

この時点で、もう早朝出発で三陸鉄道や八戸線に乗る気はなくなっていて

 

翌朝までしっかりと身体を休め

 

朝7時

夕方は”潮騒のメモリー”でしたが朝は”あまちゃんのオープンニングテーマ”の時報チャイムが鳴り響き

部屋に朝食のお膳を届けていただき 美味しくいただきました。

 

この久慈というところ

なんせ三陸鉄道もJR八戸線も 1日数本の運行のみ

 

三陸鉄道は5時代に2本と次は8時代に1本次は12時までなく

(新田老と宮古が不通で一日12本のうち3本が運休中)

 

JR八戸線に至っては1日8本のうえに

5時と6時代の通勤・通学用の次は9時代までなく

 

あとは高速バス(東京・盛岡・二戸)のみ

前日に予約した三陸リアス亭の”うに弁当”が朝7時からと言っていたので

8時代の三陸鉄道でまた宮古に出るのも面白くないし

バスで盛岡に出ても高い飛行機しかないので

 

八戸経由で青森に出て

当日シニア割で伊丹から帰ることにしちゃいました。

 

と言うことで

8時半、旅館を出て 三陸鉄道久慈駅のリアス亭で”うに弁当”を引き取りましたが

このサイズで

2,500円也

あまちゃんの夏バッバを思い出させることがなかったら

絶対に買わないだろうなぁ

 

この時は、次の電車は12:00までないため

ガラガラでしたが、実はこのあと9時過ぎに

またまた観光ガイドに連れられて数十名の団体さんが駅を訪れて

写真を撮ったりお土産を買ったりしている光景に目が点

 

”あまちゃん”が

久慈市にとってはホント貴重な収入源になってるんだなぁ

 

前日の夕方は人気の無かった”あまちゃんコーナー”では

若いオネーチャン二人が”潮騒のメモリーズ”やっていて大笑いしちゃいました。

そして隣のJR駅に入り

時刻を確認して

交通系ICカードが使えるかな?と思っていたら

なんと使えずキップを現金かクレジットカードで買うのみ

(因みに、三陸鉄道もワンマンカーで基本現金のみですが、県北バスはICカードが使えます)

その上、営業時間は朝9時以降午後3時20分まで

この時に知ったのですが

JR東日本では、大人の休日倶楽部パスなるお得なキップがあって

そういえば前日の三陸鉄道でも期間限定で使えるようで

秋の旅行シーズンもあって大盛況だったんだとわかりました。

 

待合室で改札を待つ間

久慈の名物の展示品で”まめぶ汁”をみつけて悔しかったぁ

その後、”あまちゃん”で何度も出てきた三陸鉄道のホームを眺め

”あまちゃん”の聖地巡礼旅に幕を閉じ

八戸行のワンマンカーに乗り込んだのですが・・・

 

車窓を眺めていたところ

青森との県境近くで”種市”なる駅があり

 

種市先輩を思い出してたら

駅前に変わったモニュメントがあるのに気づいたので

急いでスマホで調べてみたところ

あの南部潜りの潜水土木科がある高校が

種市高校だとわかり なんか嬉しかったですねぇ

(↓画像は借り物です)

 

 

【その⑤因縁の八戸から青森に出て家路につく編】

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”糸の切れた凧”の旅【その③いよいよ”あまちゃん”ロケの聖地、袖ヶ浜(現実の地名は小袖海岸)へ】

2024-10-03 17:07:13 | 旅行

9月28日 午後3時半

ようやくその日の宿(国民宿舎えぼし荘)からの送迎車が待つ

三陸鉄道 野田玉川駅に到着

当初は、”あまちゃん”で袖ヶ浜の最寄り駅として何度も登場した

普代村の堀内(ほりない)駅で下車して

漁港や安家川橋梁を眺めながら小野旅館まで歩き、泊まるつもりでしたが・・・

ワゴン車でわざわざ出迎えに来ていただき

それも20分弱遅延したため待たせてしまい申し訳ありませんでした。

 

野田村のマスコット”のんちゃん”は

鮭の稚魚で出っ張ったお腹には幸せがいっぱい詰まってるんだとか(笑)

宿は大きな国民宿舎でそこそこ年季が入っていましたが

結婚式場などにも使われていた様子。

基本、大浴場と共用トイレの部屋でしたがそんなに悪くなかったですよ。

大浴場は露天風呂もあって

日帰り入浴500円(回数券もあり)だからか

家で風呂を使いたくない地元の年寄りだらけ(笑)

畳みの部屋でちゃんとリフォームしてあるので

清潔でエアコンも新しくて良かったです。

料金は、ビジネス、観光、季節の幸と3コースあり

私は観光コース一泊二食9,500円を選択

これだけちゃんとしたお膳で大満足しました

 

お酒は、生ビールと地元の生酒

そしてこれもまた地元のにごり酒を注文

お昼にも発泡酒のロング缶を2本飲んでたので珍しくこれで満足しちゃいました。

 

早起きして田老、島越を訪ねて歩き回ったからか

しっかり熟睡

 

ゆっくりと朝風呂を楽しんでから

バイキングの朝食をガッツリといただいて

地元のお土産を買ってチェックアウト

7時45分に宿を出発して 7時50分には野田玉川駅に到着

前日は観光客がいっぱいで遅延していたため

乗り継ぎ時間15分に間に合わなくならないかとちょっと心配したのですが

定刻通りに発車、到着してホッと一息

”あまちゃん”で使われた古い車両でとても幸せな気分でいたのですが。

 

陸中野田駅で下車したのは、

なんせ”あまちゃん”ロケの聖地【小袖海岸】は

公共交通機関でのアクセスが超不便で

バスを使って海女の実演を見学しようと思ったら

この陸中野田駅8:30発の久慈市市民バス海岸線1便のみ

 

なんとか時間に余裕をもてたなと安心して

駅前のモニュメントを眺めてみると

野田という土地は、昔から塩づくりと牛ベコで東北の山間部まで供給していたと知り

更に岩手の観光案内図を眺めながら、次はどこを訪ねようか?と

のんびりとしていたところ

偶然、駅舎にあったポスターをみつけ

あまちゃんマラソン大会なるイベントがあって

開催日をみるとなんと、その日が当日

 

バスの発車時刻(8:30)となったため

ザックを担いでスタンバイしたのですが

8:40になってもバスが来ず

時刻表にあった連絡先に電話すると

「今日は、あまちゃんマラソンで道路が通行止めのため運休です」

と言われ、一瞬で奈落の底へ

 

駅の切符売り場でタクシーを尋ねると

「久慈から呼ぶしかなくて、回送料がかかりますけど・・・」

と説明され

久慈と小袖までの区間が通行止めとなったら

陸中野田からの路線バスのルートでしか行けないかもと

 

他の選択肢はないなとタクシー会社に電話して

小袖海岸まで行きたいと伝え、迎えを頼んで電話を切って一安心していたところ

 

駅でタクシーの電話番号を教えてくれたオバチャンが走り寄ってきて

「バス会社から連絡があって、迂回運行のバスがあるみたいです」と

そのお知らせの紙を持ってきてくれたのですが(8:39)

 

時すでに遅し

「ありがとうございます。もうタクシー頼んじゃったから大丈夫です」と答え

ほどなくして(15分ほどして)タクシー到着(8:50)

 

陸中野田駅から陸中海岸らしい険しいリアス式海岸を少し走ったのち

集落をつなぐ狭い山道を走り

回送料金が1500円と言われてたので、そこそこの出費を覚悟していたところ

メーターが3,500円になったところで支払いに切り替えてくれ

(ようするに、合計で5,000円までとなるように)

小袖海岸のバス停近くで降ろしてもらい(9:15)

(↓はマラソンで通行止めの起点)

小雨降るなか、歩いて小袖海女センターを目指しました

 

地元の漁協が経営する番屋食堂なる建物もあったのですが

観光客で賑わうシーズン(7・8月)以外はどうやら営業してない様子

バスは運休するわ、雨は降るわで

雨ガッパ代わりのジャケットを着て

少々気落ちしながら海女センターに向かい

それでも、北限の海女のマンホールや

さまざまな石碑や案内板に

ドラマで見た景色が現れて幸せな気分に戻り

素潜り実演(9月は日曜の11:00のみ&9月末で終了)が見られるかな? と

喜び勇んで海女センターに入り(9:27)

海女クラブのオバチャンに

チケットを買おうとお金を渡したところ・・・

「本日は、海が荒れてしまい中止なんですよ」と申し訳なさそうに言われ

 

『この素潜り実演に間に合うようにと

草刈りや仕事を片付けて

ようやく【糸の切れた凧】になれたのになぁ。。。』

と、度重なる我が身の不運を嘆いてしまったのですが

 

それなら、事前に調べておいた海女センターの中で”ウニ丼”を食べようと

海女クラブのオバチャンに尋ねると

「センターの食堂は8月末までで 

今日は”うにごはん”しかないんですよ。」とのこと

 

今日は【天中殺】だったのかぁ

とまたまた落ち込みそうになりましたが

 

そこはこれまで数々の辛苦を味わってきて”打たれ強いわたくし”

「じゃあ、売り切れないうちに”うにごはん”ください」と言うと

「売り切れることはないですけどね」との正直なお言葉(9:50)

 

その後も雨が降り続いていたものの

雨雲レーダーにはそんなに濃い雨雲は見当たらず

そのうち雨もあがるだろうと

海女センターの外のベンチに座って待ち続けていたところ

 

(この間に、東京からや遠く沼津ナンバーの車など、実演を期待して訪れてきた人々が”中止”と知らされ

諦めきれずにウロウロしていましたが、結局落胆して帰っていきました)

 

 

久慈市の軽自動車がセンターの横へ駐車して

女性職員らしき人物が降りてきて

そのほかにも”エフエム岩手”の腕章をつけたお兄ちゃんがきて

”素潜り実演”の看板を片付けだし

 

車から運んでいた大きなビニール袋の中に

小さな花束らしきものが入っているのが目に入り

 

素潜り実演の観光海女らしきオネーチャンも集まりだし

 

これは今年最後の素潜り実演の日だったから

実演は中止になったけど

クロージングセレモニーや写真撮影でもするつもりだな

といつもの勘が働き

 

何気ない素振りで待ち続けていたところ

(10:40)ようやく雨が止んだのを見計らって

ドラマで何度もみた 海女の実演場所、夫婦岩に防波堤

灯台などなど

ゆっくりと時間をかけて聖地巡礼してから

堤防の上や灯台は【立ち入り禁止】となっていたのと

アキ(あまちゃん)が何度も飛び込んだり自転車で海に落ちてましたが

よほど荒波が打ち寄せるのか

いまではテトラポットがギッシリと積まれていて

『今ならあのシーンはなかっただろうな』と

ちょっぴり寂しい気持ちになりました。

 

”あまちゃん”アキが夏バッバから海に突き落とされた

船らしき漁船が戻ってきたため

ヒトデを並べてたので

「写真撮ってもいいですか?」と尋ねると笑ってました。

(11:00) 海女センターの前に戻ると

たぶん広報用の記念撮影の真っ最中(関係者のみで)

ふ~ん、わざわざ最終の実演を観にきたけど

中止になって落胆してる人達には知らせようともしないのか

と、ちょっとオカンムリ

 

『訪問者(観光客)がいて自分たちの仕事があるんだろ』 と

一言いいたい気分でしたが

 

文句言ったら”カスハラ”だとか言うんだろうなぁ

 

まあ、いまどきの気遣いのできない世代の連中なんかどーでもいいや

と、ロケ地巡りを継続することに

 

まずは監視小屋を目指して古道を歩き

監視小屋の手前には、過去に北海道までイカ釣りに出漁していた漁船が

八戸から久慈に向かう途中で嵐に遭遇して遭難

多数の犠牲者がでたとのことでその慰霊碑がありました。

11:11監視小屋到着

実際に使われている監視小屋ではなくて

たぶんロケ用に建てられてものなのか

廃墟になってました。

この監視小屋までの道

なかなかの傾斜で急な坂道だったので

『春子(小泉今日子)がここまで登ってきたのかな?』と

勝手に感心していたのですが

 

実は、監視小屋のすぐ後ろには”小袖”の集落があり

昭和8年の津波の記念碑があってビックリ

(ようするに撮影時のスタッフや俳優さんはこの道を使ったんだろうな)

この小袖には湧泉(井戸)があって15戸の集落があったんだとか

 

ここに陸中野田からの路線バスのバス停があってまたまたビックリ

同じ道を歩くのが嫌いなので

そのバスの走る町道(?)を下ってみました。

 

この間、突然晴天になって汗ダク

せっかくキレイに晴れてくれたしと

海岸に下りて動画で打ち寄せる波を撮影してみましたが

うねりが凄くて驚かされました。

 

 

その後、また海女センターに戻り

お土産を買ったのですが

(あまちゃんのクリアファイルや海藻類、網で作って垢すりなど)

店番をしている海女クラブのオバチャンに

 

「今年は素潜りの実演みられなくて残念だったけど、

『また来なさい』って神様の思し召しだと思ってまた来るわ」と言うと

 

「はい。また来てくださいね。」と笑顔を返してくれましたが

 

やはり、そこは『ジェジェジェとちゃうん?』と突っ込みたかったな(笑)

館内をゆっくりと見学して

 

(12:30)屋上の展望台で

”うにごはん”をお昼に食べ

14:00小袖海岸発久慈行のバスまで、まだたっぷり時間があったので

撮影で使われた衣装や小道具、その他資料がいっぱい展示されているコーナーで

”あまちゃん”の台本をみつけ

じっくりと読ませていただいちゃいました

 

 

そうこうしていたらアラームをセットしていた13:30となり

 

バス停に向かったところ

13:45頃でしたが、少し離れた場所に停車していたのに

待たせては悪いと思ったのか

バス停に停車して乗せてくれました。(優しいなぁ)

 

朝からいろいろと困難や絶望を味わうこととなってしまいましたが

それでも夢にみた”あまちゃん”ロケの聖地を楽しませていただき感謝感謝


 

【その④北鉄(北三陸鉄道=三陸鉄道リアス線)の北三陸駅(久慈駅)へ に続く】

 

 

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”糸の切れた凧”の旅【その②北三陸津波の被災地へ】

2024-10-02 16:27:17 | 旅行

9月27日宮古到着後

にっぽん縦断こころ旅2016年春の旅

541日目のこころの風景”宮古港出崎埠頭”と

東日本大震災直後、津波動画を観てトラウマとなっていた宮古市役所跡を訪れてから

『さて、どこかで夕食でも』と市街地を歩いていたところ

 

いつもの嗅覚で歓楽街の面影が残る一角を発見

昭和な淫靡な雰囲気の漂うとても魅力的な場所でしたが

もはやすっかり時代に取り残された遺跡となってしまっているなと

肩を落としてトボトボと徘徊していたところ・・・

薪を燃やしている匂いがして

見上げてみると高い煙突とたなびく煙が目に入り

これは間違いなく薪炊きの銭湯だな と気づき

『ひとっ風呂浴びよかな』と心惹かれちゃいましたねぇ

後ろ髪を引かれる思いで煙突と煙を目に焼き付けてから

飲み屋探しを続けていたところ

なぜかとても気になる赤提灯の居酒屋を発見

『よしこれは入ってみなければ』と躊躇することなく暖簾をくぐり

大将に断ってカウンターの隅の席に座り

「とりあえず生(ビール)」と注文しながら

お品書きをみてみると

どれもこれも魅力的なメニューだらけ

この、大きな大根と糸コン、つくね団子に

海苔がたっぷり入った”突き出し”

ムチャクチャ美味しくて

『この店、正解だったな』と確信

”生牡蠣”と”しめこはだ”で生ビールを数杯飲んでから

『さて、次は何飲もう?』

と悩みながら

日本酒は飲み過ぎて早起きするのが辛くなりそうだし

甘いチューハイやサワー類じゃ肴に合わないなと思っていたところ

 

突如、あまちゃんで北鉄の駅長”大吉っあん”が頼む

”ウーロンハイ”焼酎抜きを思い出し注文(但し、勿論焼酎入り

 

続けて、店の売りと思われる”どんこたたき”なるものが気になって

ネットで検索してどんな魚なのか確かめてから注文したのですが

肝であえたタタキは最高でしたねぇ

この辺りで、地元の常連さんらしき客がカウンターの隣の席に座り

続けてその友達も来店した頃にはすっかり打ち解けて

 

それまでにもそこそこ飲んでいたものの

まだ飲み足らず、かと言って一人でボトル頼んでも勿体ないからと

彼等も飲むかと尋ねてから赤霧島をボトルで注文

 

続けて、宮古港まで歩いていた時に見かけた カレイの一夜干しを頼み

↓ 意気投合した大将がオマケでサービスしてくれた鮪のお刺身

これも最高に美味しかった~

『宮古の津波の動画がショックで市役所跡に行ってきた』

と話すと当時ことを話してくれて

『遺跡のような歓楽街を眺めてきたけど、その昔は漁船の乗組員で賑わってみたいだね』

『あと、火野正平さんの自転車の旅で出てた出崎埠頭に行ってきた』

とか

『この店も嗅覚で探し当てた』と話すととても喜んでくれて

彼等と大将も加わって会話も弾み

そこそこいい気分になったところでオアイソしてもらったところ

「ボトル代が入ってお高くなっちゃいました。。。」と

9千なにがし円の紙を渡されたのですが

 

生牡蠣800円

しめこはだ600円

どんこたたき800円

カレイ一夜干し800円

に生ビール4杯(600円x4=2400円)

ウーロンハイ5杯(500円x5=2500円)

赤霧島 ボトル 2700円

ですでに10,600円

突き出しを加えたらそれ以上とわかっていたので

その心意気が気に入ってしまい

 

ついついまたまたフーテンの寅さん『釣りはいらねーよ』から

この日は諭吉を二枚渡し

「今夜は良い店がみつかって美味い酒が飲めて嬉しかったなぁ。

彼等の飲み代の足しと大将に酒勧めなかったからとっといて」

と往時の藤山寛美ほどじゃないけど

つい大判振る舞い

 

受け取るのを遠慮してるので

「今度は火野正平さんの番組で観た山田町の荒神社(あらがみしゃ)に行くからまた寄らせてもらうわ」

と店を後にしたのですが

 

その後、〆のラーメンが食べたくなってしまい

ホテルに戻ったのに入らず

宮古駅方面を彷徨ったまでは覚えているのですが

その後の記憶なし

翌日、三陸鉄道が動き出した音で目覚め

外をのぞくと丁度日の出時刻

前日には気づかなかった 大煙突をみつけ

調べてみると”ラサの大煙突”だそうで

前日、出崎埠頭近くでラサの精錬所の遺構をみていたので

当時は漁業以外での代表する産業だったんだなと納得

 

いや~、何も調べずに現地で知る新たな知識 ためになりますね。

朝イチで朝食を済ませ

宮古駅に向かい

すでに新田老までは不通となって代行バスになってることを知っていたので

駅の構内で”あまちゃん”の第一回の開業記念日を彷彿とさせる写真を眺め

自販機でキップを購入

代行バスに乗り込みました

 

新田老駅で下車後は

ほとんどの乗客が三陸鉄道に乗り継いでゆく姿を見送り

 

とぼとぼと歩いて

その昔は万里の長城と呼ばれた防潮堤を訪ね

その奥に新たにつくられた防潮堤に驚きながら

 

津波遺構として保存されている”たろう観光ホテル”を眺め

 

 

標識に誘われて展望台まで登ってみたものの

木が生い茂っていて三王岩を眺めることができず

諦めてまた漁港に戻って三王岩に向かったところ

 

修復された製氷保管施設があり

港内には少し大きな定置網用の漁船もあるものの

ほとんどが小型の船外機付きのFRP和船だらけ

この辺りの主流はアワビなんだと知りました。

漁港の先は荒波が岩に砕ける音が鳴り響く海岸線となり

その先に三王岩があったのですが

津波で動いてしまった大きな岩を眺めながら

前日、居酒屋で仲良くなった常連さんが

「『津波で三王岩が一王になったらしい』って噂が飛び交ったました」との話しを思い出し

 

よく耐えたなぁと

三王岩の近くには

奇跡の一本松があり、陸前高田は枯れてしまいましたが

ここ田老は煙害にも耐えたようで驚かされました。

その後、また昔の防潮堤方面に戻り道

過去の津波の高さを教える標識がありましたが

 

田老は入り江が狭いため、

容積で押し寄せた津波が行き場所をなくして上に逃げたんだなと実感させられました。

これは、川の河口に作られた防潮堤

分厚いコンクリートの扉にビックリさせられましたねぇ

中央の狭い切り込みが海と繋がっている箇所

また昔の防潮堤をまじまじと眺めてから

 

道の駅へ向かい

ジオラマや津波の直後と現在の比較写真で

その被害の大きさを実感

この田老の道の駅には訪問者がどこから来たのかシールで残してありましたが

奈良からは3人目でした。。。

その後、新田老駅に向かい(新田老駅は津波の後新設された駅)

津波で被害を受けただろうと思われる建物もしっかり使われていて驚きました。

あと、新築の5階建てのマンションも最上階から屋上に上れる梯子があり

また津波に襲われたら屋上まで逃げられるようにしてるんだとこれまたビックリ

 

この日は土曜日だったからか

三陸鉄道も大賑わい

 

代行バスも2台体制でしたが

宮古からのバスの遅れと

新田老駅は三階がプラットホームのため

エレベーター待ちで更に遅れ

とうとう20分遅れでの出発となりました。

 

新型車両はすっかり観光仕様

 

次に向かったのが

島越(しまのこし)

”あまちゃん”で親友の足立ユイが東京に向かおうと乗車していて東日本大震災に遭遇

大吉とトンネルを出たところで津波で破壊された線路を呆然と眺めていた場所だったので

今回の旅ではぜったいに訪れなければと思っていた土地でした。

新しい駅舎は、津波で破壊された駅舎を模した宮沢賢治ゆかりの地のひとつ

t

津波前の航空写真がありましたが

現存してるのは高台にある家のみ

ここの駅舎には やはり津波前の島越のジオラマがあり

これは津波がきたら”ひとたまりもない”だろうなと実感

島越のある田野畑村には

にっぽん縦断こころ旅で火野正平さんが訪れていた北山崎のあり

断崖クルーズの観光船があるとの案内があったので

乗れないかと電話してみたところ

「風が強くて本日は欠航です」とのつれない返事

それならばと、訪問先に決めていた旧駅舎跡と宮沢賢治の碑を目指そうと歩いていたところ

橋の架け替え工事で年度末まで通行止め

そんならいいやと歩いて海岸線に出ることに

新しい防潮堤の上から海を眺め

 

迂回路で大回りして旧島越駅階段と

 

 

 

 

慰霊碑に手を合わせ

断崖クルーズの観光船のある漁港まで行ってみましたが

実は、ザックを担いでもう10キロ近く歩いていてヘトヘト

まだ次の三陸鉄道の発車時刻まで1時間以上ありましたが

駅舎に戻り

田老の道の駅で仕込んでおいた

発泡酒ロング缶2本と塩オニギリと玉子焼きとフライドチキンで昼食を済ませ

そのままベンチでうたた寝してから改札口に向かったのですが

やはり遅延していて20分遅れ

 

駅まで迎えに来てくれる国民宿舎の方に申し訳ないなぁと思いつつ

支援のつもりでお土産を買わせていただきました。

 

【その③いよいよ”あまちゃん”ロケの聖地、袖ヶ浜(現実の地名は小袖海岸)へ】

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”糸の切れた凧”【その①目指せ陸中】

2024-10-02 10:54:06 | 旅行

なんせ社会人になって以降

出張漬けから、長期海外派遣を何度も繰り返し

連続TVドラマはほとんど観れない生活が続いたため

 

すっかり縁遠い人生となってしまったことから

某国営放送の朝ドラ”あまちゃん”が面白いと耳にしながら
視聴するのを諦めていたのですが・・・

去年だったかな? BSで再放送すると知って

全編録画設定して保存していたものの

なかなか余裕を持って観る機会がなく、半ば忘れていたところ

 

このブログでも記事にした

7月末に断食することを決めた際

録画したブルーレイとパソコンを持ち込んで

個室で誰にも邪魔されることなく見続け

(150回x15分=2,250分[37.5時間])

家に帰ってからも数日間、毎夜仕事を終えて寝るまでの楽しみとなり

残りの回数が少なくなると

今度は”あまちゃんロス症候群”が怖くなり
わざと1話、2話だけ観ることにして完結しないようにしたのですが

それでも最終回を迎えてしまい

 

その時にはいつものことで

直ぐにでもロケ地へ飛んで行きたい気持ちに駆られてしまったのですが

 

いかんせん8月は水利組合の池の水管理当番

9月は環境整備の委員長もあり

それまでにそこらじゅうの土地の草刈りをしなければ

後ろ指を指されるなと

 

Google Mapsの航空写真を眺めながら

ルートや旅程を空想しながら

旅程を組み立てて

悶々としながら過ごしていたのですが

 

9月22日、ようやく環境整備を終え

とりあえず近所の空き地の草刈りも終えて

 

会社と家族に旅に出ることを伝え

最も楽そうな花巻空港へ飛ぶこととしたのですが・・・

関西からは以前はピーチもあったのですが

今はJ-AIRのみ

競合のない航路もあってシニア割もなく

片道40,000円超え

 

他に方法がないかなぁ?と花巻空港への乗り入れフライトを調べてみると

FDA(フジドリームエアライン)の神戸と名古屋便があり

神戸は一日1便のみで到着時間からせいぜい盛岡泊まりしかできず断念

名古屋便は4便あって昼頃のフライトなら現地移動も楽とわかり

他の選択肢はないなと自分に言い聞かせ即決

事前に調べておいた時には、早割だったのか片道16,500円程度だったのが

前日だったので28,500円

(但し、当日だと40,000円ちかくなってJALの方がお得)

 

悩ましいなぁと思いつつ

新幹線に乗るのは絶対にイヤなので

ネットでチケットを購入

 

さて、飛行機が確保できたし

宿も予約しよ と

宿泊予約サイトで龍泉洞温泉ホテルを探すと

どうにも出てこず大焦り

 

それならばと直接宿に電話したところ

団体客が入って満室なんですとのこと

 

周辺の宿も全くとれず

これはヤバいぞと二日目の宿

あまちゃんで何度も登場する

袖ヶ浜の最寄り駅で、安家川橋梁の眺望も楽しもうと

”堀内(ほりない)駅”に近く

食事もよさそうな”小野旅館”に電話してみると

「すみません。満室なんですよ」とのこと

 

急いで小野旅館の先にあった”国民宿舎えぼし荘”に電話すると

「風呂・トイレ共用のお部屋ならあります」とのことだったので

 

 

アチャー

これは旅程から見直さないとと

花巻から 釜石線で釜石に出るルートも考えたのですが

どうにも不便

 

盛岡からJR山田線で宮古のルートも考えて

いずれにしても初日は宮古泊まりにしようと決め

駅近くのホテルを予約

 

当初は、とりあえず”あまちゃん”ロケの聖地

袖ヶ浜(小袖海岸&小袖海女センター)と北三陸駅(久慈駅)を訪ねてから

帰路、東日本大震災の津波の被災地【宮古】【田老】そして【島越】で

鎮魂の祈りを捧げようと思っていたのを急遽変更

 

急いで国民宿舎えぼし荘に電話して予約を済ませ

「堀内から歩いて行けますよね?」と尋ねると

「野田玉川へお迎えにあがりますよ」とのこと

堀内駅で下車できないのが残念でしたが

旅程を組みなおし

 

当日、朝7時30分に家を出て

大和西大寺から特急で大和八木に向かい

大和八木からは 特急ひのとり(8:29発)

平日の朝だからかビジネス客がほとんどで 

それもほぼ満席

10:08 近鉄名古屋駅到着

地下街を抜けて

ミッドタウン前のバス停から

県営名古屋空港行バスに乗車(10:35)

(11:00)県営名古屋空港到着

その昔、セントレアができる前は

名古屋からNZのオークランド行とかに乗ったこともあったなぁと思い出していたところ

 

三菱重工の建屋を発見

例の大失敗したMRJの工場みたいでした

その後、花巻空港や盛岡でのんびり食事する時間がないので

つい、ランチを注文して大焦り

断食してからお酒はやめられないので

食事は思いっきり節制してたのに

どうしよう と思いつつ完食しちゃいました。

その後、搭乗口へと向かったのですが

いまや定期便はFDAのみなんですねぇ

 

でもって、なんといまどき紙のチケットのみ利用可能

それでも、福岡、高知、丘珠、山形、新潟、花巻など

そこそこ本数もあってビックリ

FDAって、フジの名前のとおり静岡空港がハブで

どうやら鈴与が関与した会社で

JALと提携したLCCみたいでした。

てっきりANA系のIBEXみたいな小型JETかと思ってたら

ずんぐりむっくりした機体で

機内はゆったりとしていて乗り心地は良かったですよ。

ただ、相当使い込んだ翼をみてると『そうとう古そうだなぁ』との印象も

花巻空港への航路は 北アルプス上空から富山、新潟と

佐渡島を右手にみて針路を変え山形上空から花巻に進入してました。

予定時刻より少し早めに花巻空港到着

13:50発のバスしかないかと思ってバスのチケット売り場に行くと

13:20発の盛岡行バスが待ってますといわれ大助かり

宮沢賢治ゆかりの花巻農業高校横から

花巻空港駅を経由して花巻ICから東北縦貫自動車道を走るのですが

周辺に民家のない山裾には”動物注意”の標識の絵が”熊”

 

場所によって、狸だったり、猪だったり、猿や鹿は良くみるけど

さすがは陸中 熊が普通に棲む土地なんだなぁと納得しちゃいました。

14:10 盛岡駅東口到着

前述のとおり当初予定では

盛岡からバスで龍泉洞に向かい

龍泉洞温泉ホテルに泊まり

翌日龍泉洞を見学してから岩泉小本に出て三陸鉄道に乗るつもりだったのが

ホテルが団体が入って満室と断られ

 

花巻から釜石線で釜石に出ること

それよりも素直に盛岡から宮古に出ようとJR山田線に乗るつもりでいたところ

台風5号の大雨で被害を受けて不通となっていたことを知り大ショック

 

ネットの乗り換え案内サイトで月日時刻まで入力して調べたのに

そんな不通の情報は全く知らされず

 

(いまどきはGoogle Mapsで経路を調べた方が正確なのを再確認しました

 

調べてみると盛岡~宮古のバスがあることを知り

切符売り場できっぷを買って

車内にトイレがあるかと尋ねると

「トイレがないので、1時間後にトイレ休憩します」とのこと

薬のせいもあって、頻尿気味なので

JR駅のトイレに向かうと

久慈の琥珀のお店や

”紅生姜かき揚げそば”なるとっても美味しそうなそばを発見!

少し離れたところに ”わんこそば”のお店や

”盛岡冷麺”の店など

後ろ髪をひかれる思いでバスに乗り

 

14:36 宮古行特急バスに乗車

途中でみかけた履物屋さん

一本歯の下駄や高下駄、雪駄類もいっぱいで

いつか店に入ってみたいなぁとの印象(笑)

こちらは岩手県公会堂

生まれ故郷の豊橋にも昭和レトロで名物となっている公会堂があるので

つい目にとまってしまいました。

お次は、盛岡の象徴”岩手銀行”の建物も見ることができました

盛岡の市街地を抜けてからは、途中の停留所をまわるため

細い山道となりましたが

しばらくして盛岡・宮古横断道路に合流し

途中、道の駅”やまびこ館”でトイレ休憩して

16:30 宮古駅前到着

16:40 宮古に向かうことを決め急いで予約したホテルにチェックイン

駅近で決めた宿でしたが

三鉄(三陸鉄道の線路沿い)の車輛もみれて気分はウキウキ

とりあえず荷物を放り込んで

 

”釣瓶落とし”の季節なので 日没までに動かないと

最寄りのバス停から港方面に行き

 

にっぽん縦断こころ旅 2016年春の旅【541日目】で紹介された宮古港の出崎埠頭へ

 

当時はまだ工事中だった場所には

津波用に新設された防潮堤ができてました。

撮影当時は、まだ昔の魚市場があった場所には新しい防潮堤ができ

お手紙の主のお父さんが機関長をしていた内航船の接岸していた埠頭も

いまや漁船の水揚げ岸壁となっているようでした。

その後、津波到達地の碑をみつけ

 

東日本大震災直後、ボラバスで気仙沼へ行き共に活動した仲間(♀)から

2011年5月頃にメーリングリストで周知してもらった津波の動画を思い出し

 

https://www.youtube.com/watch?v=Run7WrfCgRE&t=618s


 

【宮古=津波の被災地】と刷り込まれていたため

撮影された市役所跡(いまは公園になってます)に立ち寄り

 

鎮魂の祈りを捧げてさせていただきました。

 

 

【”その②北三陸津波の被災地へ”に続く】

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高脂血症薬の副作用による【横紋筋融解症】を疑って緊急で断食した旅

2024-08-05 17:40:33 | 旅行

2024年6月のとある日の真夜中

 

ここ数年眠りが浅いのか

いつごろからか早寝

(帰宅直後の午後6時過ぎに晩御飯を食べ、TVも観なくなって午後8時過ぎには就寝)

が習慣となってしまったことや

 

糖尿病の薬(ジャディアンス)が排尿と共に糖を排出する薬効により

頻尿と喉の渇きのために夜中に何度も目が覚めてしまうようになり

 

時計代わりについでにスマホを覗いては

そのままFBやYouTubeを開いて数時間

そんなクセがついていたのですが

 

偶然開いたYouTubeのトピックが

”高脂血症治療薬の副作用による横紋筋融解症”

というもの

 

現在服用している高脂血症治療薬を調べてみると

 

 

 

それらの症状があまりにも最近の我が身に現れていたのに気づき

思い起こしてみると・・・

 

1月5日 

中性脂肪値が規定範囲を超過し

好き放題飲み食いしている日常生活を自制するのが難しそうなので

無理しなくても良いように薬で抑えませんかと勧められ投薬開始

 

その後、十分な睡眠時間を取っているのに目覚めが非常に悪くなり

朝起きることがなんとも苦痛

 

更に脱力感と階段で2階にのぼるだけでも筋肉痛を感じるようになり

脱力と倦怠感に加えて、兄のように慕っていた桜井研次さんの訃報にショックを受け

気力も無くなり 66歳となって老化現象なのかなと諦め気分でいたところ

(時々尿の色がコーラ色になったこともあり)

 

1月19日

突然右腰から背中にかけて激痛が走り

寝床から起き上がるのも困難となり

腎臓か尿管結石かもとCT撮影するも原因不明

その後、胃の内視鏡するもやはり原因不明

【胆石に似た症状】

 

なんとか気力を振り絞り

友人達に会うために上京したり、出張仕事の依頼をこなすものの

 

例年の雪山歩きに行く元気はなく

サンチャゴ巡礼の旅(Camino de Santiago)に挑戦するつもりだったのに

体力作りもせずにスペインに渡るのは無謀と断念

 

その後も自分で処理しなければいけない仕事が無ければ

出勤してもほぼオフィスの自室で居眠り

 

なんせ身体を動かすのが億劫で

我が人生もそろそろ終止符なのかもと諦め気分でいたのですが

 

【副作用=横紋筋融解症】なのかも?との疑問が湧いたため

6月末毎月HbA1Cを検査のために受診しているクリニックを訪れた際

主治医に「どうにも副作用が疑われるので一度薬をやめて様子見したい」と伝え

 

その代わり自力で中性脂肪値を下げる努力をしなければと

ネットで断食道場を探していたところ

(これまで利用していた信貴山が火事で閉業してしまったため)

 

愛知県の奥三河にある断食センターを発見

クチコミから体験者のブログ記事がみつかり

ちょっと怪しいなぁ(韓国系キリスト教施設?)

との疑念を抱きつつ

 

愛知県生まれながら、足助&香嵐渓方面を訪れたことがなかったのと

格安で質素な施設が自分好みだったので

すかさず予約を入れ

 

※時期と日程決定の背景

①前々から約束していた協力隊同期の友人との会食できる日

②実家(兄夫婦)訪問と墓参(両親と異母姉夫婦)

③会社のスタッフに約束していた豊橋産の西瓜とメロンを買うこと

④赤味噌と花かつお、生鰹、ちくわ&練り製品を買うこと

⑤豊橋市美術館で開催中の”市電と渥美線”拝観

⑥水利組合の池の水管理当番(8月1日~)に間に合わせること

 

そうして

協力隊同期の友人との会食を7月25日と約束していたため

断食センターを7月26日~31日(5泊6日)とし

 

手土産を買わなければと

出発前日の7月24日 大阪鶴橋へキムチを買いに出かけたところ

商店街の定休日(水曜)で空振り

 

転んでもタダでは起きないヤツなので

以前大阪在住の学生時代の親友と

サムギョプサルでソジュを呷りまくったシクタン(食堂)へ行き

テンジャンチゲ(味噌汁チゲ)でお昼をすませ

 

出発日の翌7月25日

商店街が午前9時から営業するのを調べておいたので

車で鶴橋に向かい、戦後の闇市そのままの迷路に入り込んで

ナッパ(シロ菜)とカクテキ(大根)、キュウリとゴマの葉のキムチを買い

 



 

数年前から西名阪に通じる阪神高速が橋梁大規模更新工事で通行止めとなっているため

疎開通りから平野を抜けて松原JCTから西名阪で名古屋方面に向かい

 

11:50 伊賀SAでトイレ休憩

名阪国道、東名阪、湾岸線からR23号線で蒲郡ICへ 13:30

14:30 豊橋あんかけスパ チャオ本店で

バイキング(チキンカツとウインナ)鉄板Lサイズランチ

昭和なレーコー(アイスコーヒー)を飲み干して

実家に立ち寄ってキムチを手渡し

久しぶりに兄夫婦と雑談を楽しみ

 

豊橋駅西口のホテルにチェックインしてから

会食のため予約していた居酒屋へ

友人のご家族も招待していたため(奥さんと娘さんとその子供)

鯨は一品だけであとは”おばんざい”を全品注文

日付が変わる前にホテルに戻り

翌日は朝食をすませてから 両親の眠る市営墓地で線香を手向け

これまたネットニュースで知った”市電と渥美線”展へ

10:18 拝観開始

(ジモピーしか面白くないと思いつつ、またいつかブログネタにしてご紹介しますね)

11:45 美術館を出て

12:40 旧南設楽郡作手村(新城市作手)のお寺へ

異母姉夫婦が眠る永代供養塔で線香を手向け

道の駅でランチ(ついハヤシライスの大盛りを注文して大後悔)

その後、長年道路崩落で通行止めとなっていた県道を抜けて

”鳴沢の滝”へ

この欅 全長5.8m 直径70cm 販売予定価格180万円との表示

正直な話、『こんなん買うヤツおるんかいな』

(今時は樹の価格と言うよりは伐採して運搬してきた費用がほとんどかも)

14:18 香嵐渓(落部)到着

15:00 断食センター東海リラクゼーションオアシス到着

いくつもの建物があって

オ〇ム真理教のサティアンみたいで怖いなぁとの印象も持ちましたが

考えてみれば信貴山断食道場も宿泊棟がいくつもあって

仏教なのか神道なのか訳のわからないところだったので

それでもそれなりの需要があって増設してきたんだろうなと納得

今現在は、一応朝ハーブティの時間やゴズペルの時間があるものの

自由参加なので、結局滞在中それらのプログラムへは一度も参加しませんでした。

これが男性棟の私の部屋

プレハブに安普請で防音も断熱も全くない環境でしたが

そんなに気になりませんでしたよ。

こちらが集会(元礼拝)室で

真夏で誰も使っていませんでしたが

ロデオマシン、マシンバイク、ダンベル他運動器具があって

気候さえよければ断食中の運動も楽にできそうでした。

冷蔵庫内には販売用の炭酸水が入れてありますが

空きスペースは自由に使えるため

いくつもの保冷剤とペットボトルの水やお茶を凍らせてました。

 

それ以外にも、断食中に無理しないようにと黒糖&生姜ホットドリンクや

酵素ジュース、果物等も自販機のチケットで購入することができるので

精神的にもとても楽にFastingができる環境でした。

こちらは談話室

自由に使えるスペースですが真夏はちょっとキツイかな(冷房がないので)

標高550mほどあるようで

下界と比べたら温度は低いはずなのですが

日中の30℃超えはやはり辛かったですね。

(夜間は22℃まで下がるので、掛け布団が恋しかったです)

ということで、翌日豊田の市街地まで出て

ネッククーラーと床で寝そべられるようにと茣蓙を購入

足助ではアユ釣りしている光景を見かけましたが

それでも暑そうでしたねぇ

翌日は本断食(水以外抜き)2日目でしたが

まだ元気だったので近辺をドライブしてみたところ

 

動態保存しているボンネットバスを発見

名古屋から足助、飯田を経由して塩尻までつながっているR153号線で

愛知県、岐阜県、長野県の県境の町、稲武の道の駅まで行ってみました。

今回の断食センター

ちょっと不便なのがお風呂がないこと

 

そのため、水曜日以外はセンターの車で

足助にある公共の宿の日帰り温泉(300円)への送迎をしてくれるのですが

それ以外に選択肢としてこの”どんぐりの湯”がオススメだったので

その下見を兼ねて訪れてみたのですが・・・

そこそこ人気のある道の駅の様子で

飲食類が充実しすぎてて

意志の弱い自分としては断食中は避けたいなと思いました。

ただ、夏場はこの稲武の観光案内コーナーで涼めるのが超オススメ

いつもながらの同じ道を単純往復したくないなと

伊勢神トンネル手前から県道に入り

足助川沿いの県道33号線で断食センターに戻ったのですが

 

途中で渓流に折り畳み椅子を置き

木陰で足を水に浸けながら天然のクーラーで涼んでるオッサン発見

 

もし真夏に行かれる方は、折り畳み椅子を持参されるようオススメします。

 

こちらは水曜日以外毎日送迎してくれる豊田市の公共の宿&日帰り温泉”百年草”

この”百年草”(標高たぶん250m)

標高550mの断食センター(栃平)から

五反田町の集落を抜け距離にして約10キロ

標高差300mの下り道なので

 

リピーターの入所者は毎日歩いて足助や香嵐渓、百年草に向かい

入浴(断食中は危険なためシャワー)して迎えの車で戻る

そんなルーチンで行動してました。

 

こちら↓は、愛知県では紅葉の名所として有名な香嵐渓

家族連れが川に浸かって水遊びしてました。

 

断食センターの周辺には民家がなく樹木に囲まれているだけ

そのため夏は朝の4時と夕方の4時になると蜩(ヒグラシ)の大合唱が始まりますが

30分ほどでおさまってウグイスやその他の鳥の鳴き声が響いてました。

これは回復食(初回)

回復食(2回目)

回復食(3回目)

回復食(最終日朝)

 

今回の断食は

7月26日 午後3時到着後断食開始

27日 全断食 (市街地へ買い物&稲武道の駅下見)

夜、好転反応で腹痛(普段の暴飲暴食のツケ)

28日 全断食 朝から週日好転反応で眠気

但し、午後百年草へ(入浴)

29日 午前 断食 好転反応で眠気 午後4時 回復食(初回)

30日 朝、夕回復食 午後百年草でシャワー

31日 朝、回復食 10時30分 センター出発

体重:3.5kg減  血圧: 110/70(平均) 投薬なし

糖尿病薬は投薬中止(8月2日にクリニックでHbA1C6.4しばらく様子見)

 

なにより普段全く休肝日が設けられず毎晩缶ビール6~8本家飲みしてたのを

断酒できて体調はバッチリ回復

 

前日まで断食と好転反応でフラフラだったため

退所日に豊橋経由で奈良まで運転できるだろうかと不安でしたが

 

いつものように断食直後は身体が軽くなってるのと

リセットされて元気溌剌

 

いや~、これだから断食やめられないんですね~

 

帰路は、やはり往路と同じ道を走りたくなかったので

県道33号線で設楽に出て 

ほぼ対向できる場所のない険道365号線で田峯方面を南下

 

豊川の源流のひとつ寒狭川の元栗島川を渓流を横目に

河川公園を横切って

元南設楽郡(現新城)に出ると 久々の35℃超え

豊橋市内の元吉田城下町で食材を仕入れ

遅めのお昼に 三河っ子のソウルフード”にかけうどん”としたのですが

胃が小さくなってて食べるのに相当苦労しました。

その後、鰻でもと

最近有名になった豊橋産養殖うなぎの店に行ってみるも

小売りはお休みの日で断念

めげずに予定していた西瓜とメロンを買って

午後6時15分 奈良の自宅に到着

 

本日は8月5日で、断食から戻って5日目ですが

高脂血症治療薬をやめ

糖尿病治療薬も一時休止してることもあって

 

喉が渇くこともなく、頻尿もなくなり

なんといっても睡眠時間が5時間未満でも元気溌剌

 

以前のように活動的にもう少し生かせていただけそうな感じです。

 

 

 

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