3月15日から東京の科学博物館で
開催中です。Youtubeで展来会に
先立って行われた報道者向け発表
会がアップされていました。
篠田館長と藤尾慎一郎国立歴史民族
博物館名誉教授という分子人類学と
考古学の第一人者が、今までの長い
研究生活の成果を披露されてました。
私も古代史に興味を持ち色々な資料
や情報に接して両者の考え方も大概
は理解するようになりました。もと
もと日本列島にいた縄文人と呼ばれ
る人達が弥生時代が始まったと言わ
れる3000年前頃から大陸にいた人達
によって、本州に於いては9割方が入
れ替わったする篠田先生の考えは
ゲノム解析的には事実そうなのです
が、簡単にそう言い切るには抵抗感
があります。というのは縄文時代が
極めて長い期間続いていたので、単純
にその期間の人達を縄文人として定義
づけるにはサンプル数が少な過ぎる気
がしてしまいます。
今回の展示では宮古島の洞穴遺跡か
ら見つかった27,000年前の旧石器
時代の人骨の復顔が展示されていま
した。旧石器時代の骨はなかなか出
土してなかったので、昔は日本列島
に人はいなかったと思われていたそ
うでですが、この人骨は日本列島に
残る最古だそうです。この骨は沖縄
科学技術大学院大大学教授でもある
ノーベル賞を受賞した独マックス
プランク研究所のペーボ博士により
DNA解析が行われて復顔が試みられ
たようです。このリアルな復顔を見
て私の沖縄人の友人に似ていると思
いました。彼はお酒が強く、良く言
われる縄文人の形質を現代にも残し
ています。篠田教授も約3,000年前
に水田稲作を日本列島にもたらした
渡来人の人骨は未だ見つかってない
と認めていますが、先生は中国東北
部の西遼河流域の民族が日本列島に
最初に渡来したと断言されています。
ただ彼らは水田稲作民ではなくて雑
穀農業主体の文化を持つ人達なので、
弥生時代に彼らが稲作をもたらしたと
云うにはやや説明不足です。3,000年
前に水田稲作をもたらした人がどうい
う人達だったのかは本当の所、現代の
分析科学の力を持ってしても、未だ良
くわからないのが現状です。
また人骨のサンプルを科博で日本列島
全体を網羅しているとは云えず、陵墓
と指定された関西の古墳の人骨のDNA
の解析も手付かずのままです。むしろ
出来ないのが事実かもしれません。
純粋に科学的に歴史研究をしようにも
日本では予算も含め制限が多すぎる感
じです。私も科博に行って展示を見て
科博に寄与したいと思いますが、上京
には少し健康面で危険過ぎます。