以前のブログにしたマイボーム腺炎ですが
瞼の腫脹を感じて以来、毎日抗生剤の点眼
を1日3回続けていました。途中で反対側の
下瞼にも小さな腫瘤が出来て両方に点眼を
したりしました。今朝になってやっと左側
下瞼の違和感が消失していました。治癒す
るまで随分とかかりました。点眼薬も無く
なりかけていたので、少し安心しました。
ステロイドを常用してると易感染性に注意
するよう主治医にも言われていましが、
日常の基本的な感染対策が重要です。
お盆シーズンとなり、都会から帰省したり
旅行へ出かけたりと人々の動きが活発にな
ると感染が全国的に拡がります。私の住む
所でもコロナを始め、感染症の患者さんが
急増しています。
今日から入盆ですから色々とお盆の準備
があります。茄子と胡瓜で精霊馬を作る
のは妻で、私は向かい火の用意をします。
この時期、昨日は日航御巣鷹山遭難の番組
があったりして、私自身40年前の8月12日に
あの日航機に搭乗する予定で帰省の準備を
していました。そういう意味で感慨深い思
いです。私の地元は当時はANA直行便だけ
で、2階席のあるJALジャンボ機に乗りたい
という思いがあって、調べてみると大阪行
きの最終便がそれで、旅行会社に航空券を
手配してもらうつもりでした。大阪で12日
は一泊し、翌日に大阪から乗り継ぎで帰省
する計画で仕事場にも休暇を入れました。
その事を実家の親に話すと、そんな面倒な事
はせず直行便で帰ってこいといわれ、航空券
を送ってやるといわれました。それで大阪行
き最終便は諦める事になりましたが、時間が
余ったので、8月12日は仕事が終わった後は
同僚たちと酒を飲んでいて自宅へはすぐ戻り
ませんでした。そのときに飲み屋のテレビで
JAL遭難の第一報を聞いたのでした。家には
実家から何度も電話をしたのに応答がないの
で、JALに搭乗したのかと心配させてしまい
ました。携帯電話のない頃で連絡手段には
今より制限がありました。翌日は親から送ら
れて来た航空券を持って羽田へ行きましたが、
報道陣でごった返しでした。東京から地元へ
の直行便は盆シーズン期は混んでいましたが、
その日の便はガラガラでした。主要幹線ルート
以外でJAL2階席のある機種は就航してなくて、
当時は航空機好きだった私は一度乗って見た
かったのですが、あのとき航空券が送られて
こなければ、どうなっていたかと思います。
今は携帯電話からオンラインで予約が完了する
時代ですら搭乗券など見ませんが、ちょっと
した事が人生の幸と不幸の分かれ道になると
いうことでしょうか。