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シッダルタ太子

2018-01-24 09:07:09 | 道徳

シッダルタ太子の三つの願いとは何か?
ある日、父・浄飯王に手をついて、「城を出てまことの幸福を求めさせて下さい」と頼まれました。 驚いた浄飯王は、「一体何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」 と言われると太子は、
「それではお父さん、申しましょう。私の願いは三つです」と言われています。
「三つの願いとは何か」と、不審そうに浄飯王が聞かれるとシッタルタ太子は、こう言われています。
「私の願いの一つは、いつまでも今の若さで年老いないことです。」
「望みの二つは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。」
「三つ目の願いは、死なない身になることです」

 それを聞かれた浄飯王は、
「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない」と、あきれ返って立ち去られたと言われます。
太子の出城の思いは、もはや抑えがたくどうしようもないものになっていたのです。
「老いや病や死を超えた真実の幸福はないのだろうか、それこそ、人生の目的ではないか」
シッダルタ太子は、城を出て、真実の幸福を求める 気持ちは日に日につよくなっていかれました。

そして、29歳の時、ついに出家の決意をされるのであります。 シッダルタ太子が城を出るに思い至った一押しは、 意外な一幕からでした。それは一体どんなことでしょうか?


ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰(めいせき)とは、彼女そのものだった。

2018-01-24 08:53:20 | 韓国

ソウル大学を卒業した後、米国の大学院で生物化学を修めた才媛。頭脳明晰(めいせき)とは、彼女そのものだった。

 その上、記憶力が抜群ときているので彼女から聞く昔の思い出話は、楽しく興味深いものだった。

 亡くなる月まで日本から文芸春秋を取り寄せ、日本の世情に精通するだけでなく、ニューヨーク・タイムズなども購読する教養にあふれた最愛の友人の1人だった。

 慰安婦問題に関しても、彼女は、自分の人生経験を基にして怜悧(れいり)に韓国を見つめ、このように話をしていた。