きょうもまた、秋晴れのさわやかな一日でしたね。
私にとっても、新たな心の1ページが拓かれるような心身軽くなるすてきな日となりました。
きょうは、六本木のギャラリーへは所用があって行き、そこで開催されている若手作家さんの個展と、国立新美術館で開催中の「ニキ・ド・サンファル展」を鑑賞してきました。
実は昨日、ギャラリーに行ったものの自分の勘違いで用を果たせず、それならば気になっていたニキの造形を鑑賞しようと新美術館に寄ったものの、いつも火曜休館のはずが前日の火曜が祝日だったため水曜の昨日がたまたま休館日となっていました。
それで今日は再チャレンジということでギャラリーと新美術館へと向かったわけです。ギャラリーでは気になっていたことも一段落。「片山 穣」さんという作家さんのろうけつ染めの技法での作品展をやっていました。とても透明感のある美しい色彩の作品なので私は好きで楽しく鑑賞していたところ、外出から帰ってきた作家さんともいろいろお話しすることができました。
感受性の豊かな作家さんとのトークは楽しかったです。染色という技術から生まれる色彩の透明感のお話とか、工芸(生活でつかえる芸術)としての位置づけではなくアートとしての位置づけの染色作品であることとか、しかし職人的な経験値に基づく技術と絵画的な偶然性とのせめぎあいで生まれる宇宙でもあることとか、感性の奥義を垣間見せていただくことができ、日常ではなかなかそういう話ができないだけに心がわくわく踊りました。
その作品のなかでふと気になり目に留まるものがありました。全体に透明感のある黄色とピンクの小作品です。題名は「Beatiful Body」と絵画作品ではあまりなじみのない感じ。片山さん曰く、痩せていることが美しい女性とされる現代風潮の中で、どんな体でも美しいことを認め自分を丸ごと受け入れる活動をしている女性の話題に感動して制作したものであり、また技法的にも新しい試みなのだということでした。
私は何か自分自身と重ね合わせるような感覚になりました。私は若い頃は痩せていて洋服がパツパツになることも知らずにおしゃれを楽しんでいましたが、最近はかなり太ってしまって階段昇るのも一苦労、おしゃれ心も無意識に諦める感じで遠のいていました。自分を愛すことを他の人とともにわかちあうセラピストという活動をしようとしている人間が、頭では健康であればよいなどと思いながら、痩せていることを良しとしていたことに私は気がつきました。
ご縁を感じた私は、小作品でお手頃価格だったということもあり、その絵を購入することにしました。とても喜ぶ作家さんと別れ、私は「ニキ・ド・サンファル展」鑑賞に新美術館へ向かいました。
ニキの作品と言えば、胸ボーン!お腹ボーン!おしり太ももボーン!ボーン!!と、とにかく太っていて、そのうえおおっぴらに股あけていたりしてかなりセクシュアルな女性の造形ですね。写真をみればどこかで見たことある方もいるかもしれません。とにかく大きい、形も色彩もエネルギー爆発って感じです。ゴジラがいたりカラフルなブッダもいたりで、小学生も来ていましたが「かわいい」などと言って飽きる様子はありませんでした。
しかし、私はそのエネルギーに満ち満ちた表現を楽しみながらも、その裏には怯えた小さい女の子である繊細な心を感じずにはいられませんでした。「ナナ」シリーズのパワフルで明るく元気な女性像の作品の部屋に入るとちょっと涙も浮かんできました。それは、彼女が11歳の時に父親から性的虐待を受けたという事実を知ったうえで作品を鑑賞したからだと思いますが。ニキがそのことを「話せるようになった」のは、晩年のことです。
彼女が作家としてデビューしたのは射撃絵画なる過激なものです。その様子が記録として残っていますが、絵具の入った的に銃口向ける集中した彼女の姿を見て、私は暴力的な感じはしませんでした。むしろ、そこには「祈り」のような静けさがありました。銃口は、彼女の外の世界にも内の世界にも向けられていました。精神のバランスを崩した彼女が、芸術に出会い「生きる」ことを選択した、のか、「生きる」意志が彼女を芸術に向かわせた、のか。。
ビューティフル ボディ・・・丸ごと愛そう。ふとそういう思いが浮かんできました。「生きる」ことは「丸ごと愛す」ことなのかもしれません。
昨日ではなく今日の日の出会いをくれたことに、偶然と片付けず、何か意味を感じ感謝してこのへんで筆をおきます。