ヨーロッパを代表する世界の3大ピアノのひとつ、ベヒシュタインピアノについて、少しご紹介したいと思います。
画像の転載元はこちら→ ベヒシュタインジャパン公式サイト | BECHSTEIN JAPAN Official Site
世界的に有名なピアノなのですが、日本で見かけることは少なく、国内の演奏会で聴く機会も滅多にないと思います。
しかし、名だたる名器を生み出してきたスタインウェイやベーゼンドルファーにまったく引けを取らず、その繊細な響きは、今も多くのピアニストたちに支持されています。
創業者のカール・ベヒシュタイン(CARL BECHSTEIN)は、1826年ドイツ生まれ。
当時のピアノ造り最先端であったフランスのピアノ工場で修業してノウハウを学び、1853年、ベルリンにベヒシュタイン社を設立します。
当時のピアノは現代ピアノのような頑丈さがなく、大きな音、力強い響きを求めることは到底不可能でした。
その頃、ピアニスト・作曲家として活躍していたフランツ・リストは、ピアノの可能性をとことん追求し、「もっと頑丈なピアノ!もっと繊細なピアノ!もっとレスポンスのよいピアノ!」を常に求めていました。
この要求に応えた最初のピアノメーカーが、オーストリア・ウィーンでピアノを製造するベーゼンドルファーでした。
その耐久性の高さ、音の響きの良さに惚れ込んだリストは、その後ベーゼンドルファーのピアノを弾いて、数々の名演奏、名曲を生み出していきました。ベーゼンドルファーのピアノが一躍有名になったきっかけでもあります。
リストの一番弟子だった、ハンス・フォン・ビューローは、「ドイツにはまともなピアノがない」と常々嘆いていたそうで、それを聞いたベヒシュタインが、「よし!俺がいいピアノ作ったる!」(と言ったかどうかは不明ですがw)ということで、リストの力強い演奏にも耐えられる、頑丈なモダン・グランドピアノを作ろうとします。
ベヒシュタインのコンサートピアノは1856年に完成し、ハンス・フォン・ビューローがこの最先端コンサートピアノを演奏会で弾いて大成功を収めました。
ハンス・フォン・ビューローが、ベヒシュタインのピアノを大絶賛したことから、師匠のリストも次第にベヒシュタインピアノに惹かれていき、その後演奏会で時折ベヒシュタインピアノを弾くようになります。
ちなみに、ハンス・フォン・ビューロー(後のベルリンフィル常任指揮者)はベヒシュタインと親交がありました。お互いを親友と認めていたそうで、仲は良かったのでしょう。それ以降、ベヒシュタインピアノは有名になり、躍進します。
やがて第二次世界大戦になり、1945年にドイツが連合軍に負けて敗戦国となり、ベルリン工場も戦火にまみれて消失します。
その後ドイツは東西に分断、ベルリンの分割統治が始まります。
(当時のブランデンブルク門前のベルリンの壁)画像転載元はこちら→ ベルリンの壁 - Wikipedia
1963年にはアメリカのボールドウィン社がベヒシュタインを買収しますが、1986年にドイツの実業家カール・シュルツがベヒシュタインをドイツ人の手に戻します。
その後1989年にはベルリンの壁崩壊、翌年に東西ドイツの再統一、1993年にEU加盟など、まさに波瀾万丈の時代を経てベヒシュタインは今もドイツにあります。
フルトベングラー、ケンプ、バックハウスといった、ドイツ人の著名な音楽家たちがベヒシュタインピアノをこよなく愛用してきました。
1996年には、ついに上場を果たし、上場株式会社になりました。
詳しく知りたくなった方はぜひ、ベヒシュタインジャパン公式サイトを訪れてみてくださいね。
ベヒシュタインジャパン公式サイト | BECHSTEIN JAPAN Official Site
「ピアノ音楽は、ベヒシュタインのためだけに書かれるべきだ」
クロード・ドビュッシー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます