紗羅のアトリエ

Healing Art 美しいもの 楽しいこと 2007年春より食道がん患者 

デート

2006-10-29 | Healing Art
ご予約いただいているお客様からのメール。

明日のその時間、出張施術ということで、代々木八幡までご足労願えませんか?。「波多野睦美&つのだたかし」さんのコンサートがありまして席をひとつ確保してあります。タイマッサージの素晴しさと波多野さんの歌声に出会わせていただいた感謝の気持ちとしてプレゼントさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?。

「こ、これって、もしかしたらデートのお誘い?」
一瞬うろたえた私は、一緒に仕事をしているルカを話に巻き込む。
「あら、きっとお食事もよ!」とルカはのたまう。

このお客様は、タイのバンコクでタイ古式マッサージに出会い、ネットの検索でアトリエ紗羅にたどり着きました。
私のセッションに感動してくださったらしいのですが、寡黙で多くを語らないシャイな方です。私の好きな音楽、波多野睦美さんの歌声にも惹かれたようで、CDをたくさん購入されたとか。

そして、7回目の来店にあたるこの日のご予約が・・・。
タブラトゥーラの長年のファンですが、まだ一度も生で聴いたことはありません。「波多野&つのだ」のコンサート!。演目はイギリス、16~17世紀のリュートのためのラブソング。演目<恋人よもう少しここにいて>等・・・。
あらまぁ。どうしましょ。デートに誘われるとは!。私めもまだ捨てたもんじゃない?!

ご一緒させていただきます・・・メールで返信。

家に帰って連れ合いに報告。
「明日はデートだからね。コンサートに誘われたの」
「おっ!異性か。珍らし珍らし」
「そうだよーん」
「ディナー付きかぁ~。うらめやましい」ルカと同じ事を言う・・・。


当日になって、すっかりその気。ハイテンション。いつもより化粧に気合が入る。うきうき、わくわく。ちょっぴりドキドキ。久々に、お気に入りの香水にも手が伸びる。

待ち合わせたホールの入り口。ロビーのソファーでひっそりと待っていてくれました。そして、ありきたりのあいさつ、他人行儀の無難な会話。
「お忙しいところをすみません」
「あら、どういたしまして。聴きたくてもきっかけが無かったんです。今日は喜んでまいりました」
「いいホールですねぇ・・・」

実にしっとりとした、こころのひだにしみこむようなコンサートでした。
ステージの波多野睦美さんは予想通り気品のある華やかな人。やわらかく優しい妙なる歌声。音空間にすっぽり包まれました。
つのださんのアコースティックなリュートのソロにも・・・うっとり・・・とろり。

「お疲れのところすみません」「あ、いえいえ。そ、そんな・・・」

舞台が終わり、そぞろ駅へと向かう人の流れに乗って、並んで歩く。会話がぎこちない。ゆっくり歩いているのだけれど、立ち止まる気配はない。

代々木八幡の駅に着く。
それぞれがパスネットを取り出し、ズルンと通してホームに並ぶ。夜風が寒い。
「・・・」
彼はポケットから白い封筒を取り出す。
「あの、これ・・・」
「えっ、なんですか?」
「あとで見てください。ラブレターです」
「あの、オカネじゃないでしょうね。それは困ります。仕事していませんから」「いえ・・・」「・・・」

なんですか、それ。そんな無粋な~。すったもんだの挙句、ではそのオカネで食事をしましょうと私から提案。
駅を出て街に舞い戻り、居酒屋の客になる。カウンターに肩を並べる。

これはもう、飲むしかありません。何か話があるはずです。甘いデートじゃなくてもいいけれど、一緒に音楽を聴いて、はいさようなら。それはないでしょう。

黙々と食べました。杯を重ねました。
ふと、彼が言いました。
「ホームページのリンクにITMってのがありますよね」
「ん?はいはい・・・」
「実は、そこで勉強を始めました」
「えッ? えッ! ええぇ~~~!?」
「何と言い出せば良いのかわからなくて・・・」
「やっだぁー! 早く言ってくださいよぉ、もー」
ビッシバッシと年上の男性の肩を叩き、急にタメグチになる私。

聞きました。彼はタイ古式マッサージのあまりの気持ちよさに驚き、来店の3回目あたりから自分でもやってみたいと思うようになったとのこと。
インターネットで検索し、たどり着いたのがITM東京の依田延子さんのところだったということ。

3年ほど前のことです。タイマッサージのサロンをやる、と決めた私は着々と準備を進めていました。
思い込み→まっしぐらに前進!タイプなのですが、日本に同業の知人は誰もおりません。
不安山積みのある日、古くからの友人、ゆっこが「いとこに同じことやってるのがいるけど会ってみる?」と言います。
これ幸いとお目にかかり、セッションを受けさせてもらいました。それが依田延子さんとの出会いです。

長年タイ古式マッサージの普及に努めている彼女は、私に安心感と自信を与えてくれました。と同時に励ましてくれました。
それ以来何かと相談に乗ってもらい、タイマッサージを習いたいと希望する人がいればITM東京をお奨めしています。

Atelier 紗羅への来店がきっかけでタイ古式マッサージを勉強することになった人は、これまで3人。なんとCさんが4人目ということになるのです。
偶然にも延子さんにたどり着いているのです、はい。楽しい嬉しい偶然。
デートはここから激変。会話がどんどん弾みました。だってねぇ、もう仲間ですもん。

Cさんがいいます。「ヨガはある程度までやったら、それからは自分自身で深めていくだけ。そこへいくとタイマッサージは2人でやるヨガでしょ。これは面白そうだと思ったんです」

ふむふむ、なるほど。

「病気療養中の妻を相手に練習してみたら、気持ちがいいと喜んでくれたました」と、ぽつり。
ステキ!です。いいお話です。
「プロになろうって訳じゃないのです。自分の老後のささやかな楽しみになれば、と」
Cさんは温厚でとてもとてもハートウォームな方でした。

というわけで、いい友達が出来た晩秋の夜。こころときめくデートの、意外な顛末でございました。

らくだの涙

2006-10-20 | Healing Art
だいぶ前にレンタルビデオで観た映画「らくだの涙」が、折に触れてこころに去来します。

モンゴルの遊牧民の日常を追ったドキュメント。ミュンヘン映像映画大学の卒業制作として、ビャンバスレン・ダバーとルイジ・ファロルニが共同監督したものです。

らくだの出産の季節。春。ある若い母らくだは、難産の末産んだ白い子らくだを拒絶します。乳をあげようとしない。すると放牧民の家族は、遠い街から馬頭琴の演奏家を連れてきて、母らくだに音楽を聴かせます。哀調あふれる馬頭琴の調べと女性の歌声。

母らくだの目に涙があふれ、そして我が子を受け入れる。

伝統の音楽療法だそうです。人間と動物の絆。音楽のちから。親と子の関係。自然の中で生きること。いろんな意味で深い感銘を受けました。

先月の「プージェー」。梅ヶ丘で行われたモンゴルのドキュメンタリー映画上映会の時、山田和也監督と関野吉晴さんのお話で、やはりらくだの涙のことを聞きました。母親が死んで孤児になった子らくだを、別のらくだの乳で育てる。この場合も母らくだに音楽を聴かせると、涙を浮かべ、よその子を受け入れるようになるそうです。

らくだの涙」の監督、ビャンバスレン・ダバーはモンゴル生まれ。彼女の家も祖父母の代までは遊牧民だったそうです。動物に音楽を聴かせる風習は、祖父母にとっては至極あたりまえのことだったとのこと。

モンゴルの遊牧民もずいぶん減ってしまったけれど、現在でも、この療法がうまくいかなかったという話は聞いたことがない、と、ビャンバスレン監督はインタビューに答えています。

らくだには「HOOS」と繰り返し歌う。ひつじには「TOIG」を三回繰り返す。動物によって使う言葉は異なる、という記述もありました。

何にこんなにも感銘を受けたのか・・・。未整理のまま数ヶ月が過ぎて、今日こうして書いてみています。

いわゆる先進国に生まれ育った自分。競争社会。市場経済原理。よくわからない不安感に支配され、こころに余裕を持てない現代の日本。

プリミティブな何か・を感じられる民俗音楽にずっと惹かれてきました。何か・って、そう。こういう、とてつもなく深く、強く、優しいエネルギー。

自分にこのようなエネルギーはないのだろうか。
らくだに聴かせる馬頭琴の奏者。そして、それを取り巻く人々に Healing Art の理想のかたちを見たのだと思います。

そういうひとにわたしもなりたい。

今日の写真は、梅ヶ丘、Atelier 紗羅の窓から見えた数日前の夕空です。

ともしび

2006-10-14 | Healing Art
日一日と木の葉が色付き、地をすべる枯葉が、乾いた風に吹かれてカサコソと音をたてる季節になりました。いつだって秋の訪れはなぜか淋しい。なぜか物悲しい。

すっかり終わってしまった彼岸花。まぶしい日差しの下で、あでやかだった真っ白な曼珠沙華が、今日は妙に淋しい花に見えます。たった二週間前の写真なのにね・・・。

ぎっしりと種を太らせて重そうな頭の枯れたひまわりも、刈り取られてしまいました。美味しそうだなぁと、毎日眺めていたのですが・・・。

日が暮れて、民家にともる窓の灯り。ほのかなぬくもり。人恋しい季節です。知っているひとの部屋の灯りが点いているのを目にすると、それだけでちょっぴりほっとします。

「いつも帰りに、アトリエ紗羅の灯りが点いているのを見ては安心します」「昨日は遅くまでいらしたんですね」そんなことを言ってくださるお客様が多くなりました。ご近所にお住まいの方たちです。嬉しいことです。わたしがあなたを見ているように、あなたもわたしを見ていてくれる。あら、ちょっとセンチメンタルな今日のわたし・・・。

「梅ヶ丘の駅に降りると、もう、嬉しくて嬉しくて~」と、おっしゃってくださったお客様。先日は「ここに来ると決めた日は、朝から一日中嬉しくて~」と言ってくださいました。そんなことを言われた日には、こちらこそホント、嬉しくて、子犬のように身もだえしてしまいます。

こころを暖めるのはひとのこころ。淋しかったり楽しかったり、悲しかったり嬉しかったり・・・C'est la vie・・・ですね。たくさんの暖かさに包まれて生きています。わたしも小さなともしびとして、在り続けることが出来ますように!

音痴

2006-10-07 | My Collections
歌舞音曲が大好きですが、実は「ど」の付く音痴です。

小学校の三年生の時、音楽の授業で歌わされた「赤とんぼ」。ひとりで立って声を出したら、なぜかとんでもなく音程が狂い、収拾がつかなくなってしまいました。赤面した!。笑われた!。消えたくなるほど恥ずかしかった・・・。それ以来、鼻歌すら歌うことが出来なくなりました。

ユネスコの合唱団にも入っていた私は、それまでは音痴ではなかったはず・・・。トラウマってやつでしょうかねぇ。おそろしや、おそろしや。恥をも恐れぬいい大人になりましたが、未だにりっぱな音痴です。

小、中、高校。音楽と体育の成績だけ(!?)が極めて悪かったのです。内向的な少女の頃は、押入れにこもって本ばかり読んでおりました。

表現欲があふれだし、19の時に演劇少女から舞踏に転向。身体で表現するしかない、と思ったのです。軟弱極まりない自分自身に鞭打って、いろんなメソッドと取り組みました。暗黒舞踏からクラシックバレエ、パントマイム、新体道、インド舞踊、ヨガ、太極拳、ジャズダンス、フラメンコ。そんな中から自分なりの表現を模索し続けました。

クラシックバレエに付随して、フランスで身に付けたバーオーソルというメソッドが、身体作りには一番役立った。これはロシアでサーカスのために発展したもの。言うなれば床に転がってやるクラシックバレエのバーレッスンのようなものです。

バーオーソルには、タイ古式マッサージのストレッチに通じるものがある。というわけで、現在の仕事にも活かせております。ひとにストレッチしてもらうことの気持ち良さ!嗚呼!

あ、脱線。今日のテーマは音痴!。じゃなくてフラメンコ!?

どうしようもない音痴です。歌おうとすると声が勝手にお散歩に行ってしまうのです。あー、どこへ行っちゃうのぉ~。

せめてからだでリズムを取れるようになろうと始めたのがフラメンコ。ずいぶん前ですが、小島章司さんのところへ2年ばかり通いました。あ、今ホームページを拝見したら分りました。1980~1982年。出演させていただいた懐かしい公演のパンフレット発見。スペイン語で歌いながら踊るってのもありましたっけ・・・。おそろしや、おそろしや。

ここからが本題です。音痴だから取り組んだ懐かしのフラメンコ。久々にレッスンに行きました。PICAちゃんに誘われて。すなわち、24年ぶり!。捨てずにおいた靴もまだ大丈夫!。おっかなびっくり行ってみたのですが、なんともこれが楽しかった☆

えぇ、えぇ、動けません。覚えていません。じたばたあるのみの1時間半。けれども、とっても楽しかった。

それ以来続いているナチュラルハイ!。単純に、無目的に、踊ることを楽しめる自分に出会えた喜び。

不安神経症を発症したことから現在の仕事に転職した私です。こころの病は治るのに時間がかかる。薄皮をはぐように、少しずーつ、少しずーつ・・・。

何をやってもこころの底から楽しめない自分に困っていました。長い間。

だからね、とっても嬉しいのです。
こんな自分が嬉しいのです。
明日も行きます。フラメンコ。
だからね、音痴も捨てたものじゃない!?


今日の写真は、9月22日にご紹介したリモージュの陶板のもう一枚。1920年代のフランス。おかっぱ頭。裸でトウシューズを履いているって・・・良く考えると不思議な構図。この時代、アールデコの文化状況を良く表していると言えるでしょう。アトリエサラのオイルトリートメントルーム。入って左の壁にあります。