紗羅のアトリエ

Healing Art 美しいもの 楽しいこと 2007年春より食道がん患者 

体力回復

2008-05-26 | My Favorite Things
久しぶりに指輪をしてみたら、ぴったり☆
だいぶ肉が戻ったとは思っていたけれど、指輪がブカブカじゃなくなったのがとても嬉しい。
去年の夏はやせ衰えて、・・・<白いミイラ>として博物館行き・・・と噂されていた。

この写真はミャンマー(ビルマ)の仏像。私に似ている、と、送られてきた。似ている?自分では・・ワカラナイ。

ヤンゴン(ラングーン)にある仏像の多くは、ド派手な電飾を施されており、あれはやだなーと思ったけれど、この白い仏像はおとなしいですね。
似ているならば光栄です。

国際支援をようやく受け入れるという彼の国。軍事政権の算盤勘定に呆れ果てる。
自国の被災者に眼も向けずにいたくせに、家畜の犠牲数はひとけたまで詳細に発表したんだと。まったくもー!

さてさて、指輪をつけて出掛けた先は、久々のジャズライブ。徒歩圏内です。手術後初の楽しいお出掛けです。
お馴染み、経堂・ワンダーランド。
音楽を聴く体力が自分にあるのかどうか・・・些かの不安と共に行ってみました。

この日のメンバーはドラムスの巨匠、小山彰太さんのトリオです。ピアノは前から気になっていたスガダイロー。ベースは是安則克。

小山彰太さんを聴くのはまだ三回目だけれど、やっぱり凄い。
彼は雷様に違いない。雷鳴が轟き稲妻が走り、雲の合間の濃い青空を背負って、雪駄履きで疾走する雷様。虎皮ぱんつも似合いそう。オリジナル曲がなかなか良かった。

かぶりつきで聴きましたが、セカンドステージが終わるまで、しっかり楽しむことが出来ました。いい音楽なら大丈夫☆みたいですね、私の体力?!

期待のスガダイローくんは、なるほど面白い。おっきな厚い手から繰り出される音の表情の多様さにびっくり。思わず笑ってしまうのでした。

ステージ終了後、スガダイローくんが客席にチラシを配りました。そこには、な、なんと、股旅姿のダイローくんと、侍姿の我らが友人ベーシスト、加藤真一

この6月18日リリース予定のCD 「ジャズ・テロリズム」(Jazz Samurai)の宣伝チラシでありました。

そこに居た一同「これ聴きたいね!」

というわけで、加藤真一にさっそく連絡。OKの返事。またまた楽しい企画の決定です。
時はこの夏。8月30日(土)。所は経堂・ワンダーランド。近くなったら再度ご案内させていただきましょう。

去年の7月の自分で企画したライブの時は、化学療法のダメージが強くて退院できず、病院のベッドでうずくまっておりました。口惜しかった。残念だった。哀しかった。

4月11日の手術からの立ち直りに悶々としている日々。といっても5月中旬からはだいぶ楽になりました。

次のCT検査は7月14日。それまでは2週間に一度になった食道拡張術があるだけです。
どうか無事に、いよいよ体力回復して、チャンバラ・ライブ(?)を楽しむことが出来ますように。

ほやのスパゲッティ

2008-05-16 | 美味しいもの
この数日、だいぶ体調が良くなってきたのを感じます。
はい。久々に美味しいもののオハナシです。

イタリアのパスタで一番好きなのはカラスミ(ボッタルガ)のスパゲッティ。これはイタリアのレストランでもメニューにあるところが少なく、探すのに苦労します。サルディーニャのボッタルガが最高・・・だったかな・・・。とにかく一度食べたらやみつきになります。

その味を再現したくて、台湾産のからすみで試してみたことがあるのですが、無残な結果、しか得られませんでした。ああ、カラスミがもったいない・・・。

今日、思いつきで作ったほやのスパゲッティ!
これはボッタルガに負けません!
ええ、やはり珍味系ではありますね。三陸の海産物、ほやをご存知でしょうか?ほやの美味しさを知っている方はぜひお試しください!!!。

ほやの一夜漬け、というものが手に入ったのでこれを使いましたが、新鮮な生のものを一晩塩漬けにして作ったら、もっと美味しいと思います。

オリーブオイルを熱してほやの塩漬けをジャー!っとぶっこみ、茹でたてのスパゲッティを加えて混ぜ合わせる。隠し味に昆布出汁醤油少々。オシマイ。ほやを半生で仕上げるのがコツですね。美味しいよ~~~。

食べる物がしみじみ美味しいと、ほんと、シアワセ、です。生きててよかったなぁーと・・・?!?!

イタリアで食べるイタリア料理。
前菜だけをたくさん食べさせてもらえたらどんなに嬉しいことか・・・、と、いつも願望しておりました。ズッパ・ディ・ヴェルデューレ(野菜スープ)とカラスミのスパゲッティだけで「ごちそーさまー♪」と言うのが夢でした。どちらもハードな前菜なので、それらを選ぶと、その後のメインディッシュが拷問と化してしまうのです。

自分で作れば前菜だらけのイタリアンメニューも可能!(日本のイタリアンレストランでは結構可能)
料理するエネルギーも少しづつ出てきました。ほやの季節はこれから~。この夏の定番メニューになりそうです。

デルタ地帯

2008-05-11 | 旅・モブログ
海のように広い泥の河、イラワジ河の支流をフェリーで渡り、埃だらけになってミャンマーの海辺、ベンガル湾に面したチャウンタ・ビーチにたどり着いたのは2002年12月4日のことだった。

床板の穴から地面の見える、韓国製の年季の入った中古バスに揺られること10時間。ヤンゴンを出発してからの10時間は、揺られる・・なんて生易しいものではなかったな。お尻の痛さに泣きたくなった。パンクしたタイヤを取り替えるためのスタッフが数人乗車しているバスである。

雨季になると通行止めになるデルタ地帯、エヤワディ管区。あれらの町は、あの海辺は、あそこで暮らす人々は一体どうしているんだろう。

一週間前のサイクロン被害のひどかった地域として、ミャンマーのエヤワディ管区の記事が連日新聞に出ている。150万人が被災したという。スマトラ沖地震の時もちょっと心配したけれど、今回こそはただ事ではない。

5月は雨季の始まりである。

小さな川に沿うでこぼこ道。バスの中でも、舞い上がる細かい埃に眼を開けていることが出来なかった。雨季には泥濘と化すであろうその道。溢れるであろう川。

川沿いの掘っ立て小屋。小屋と道路をつなぐ棒っ切れ一本。それが橋であることが信じられなくて、眼を擦りつつ、バスの窓からの風景を凝視した自分。その地域に住む貧しい人々の暮らしぶりは、半端なものには見えなかった。

サイクロンで家を失い、軍政下で援助物資も届かず、雨季が始まる。

海辺のスラムにもうっかり足を踏み込んでしまった。泥と夥しいゴミ。汚物が交じり合った湿地の上に板切れの家を建て、人々が暮らしていた。かなりのショックを受けた私は鼻をふさぎ、足早に通り過ぎた。見ない振りをした。

サイクロンで家を失い、軍政下で援助物資も届かず、雨季が始まる。

乾期に、選ばれた場所に行って、心地よい風に吹かれ、楽しいことばかりしてきた自分に、彼の国の人々は優しかった。抑圧されても貧しくても、素朴に生き、通り過ぎる旅人にさえ優しかった。

日本の5月にしては冴えない天気の、寒い日が続く今日この頃。病が癒えるまでの時間をただひたすらやり過ごすだけの私。
つらいだの、寒いだの、退屈だの・・・。何言ってるんだろう。私には雨露しのげる部屋があり、食べる物もある。言いたいことを言えるし、聞いてくれる人もいる。

彼の国のいい思い出を胸に、何もせず、ただ涙ぐんで、毛布にくるまっている。

明るい声

2008-05-03 | がんとのお付き合い
「明るい声が聞けて良かったわ」
と、電話でおしゃべりをした何人かの人に言われました。ん・・?・・何かが変わった?・・・・私、明るくなった?。
あぁー、解った。変わったのは声だ。


一昨日、5月1日。柏の国立がんセンター東病院。
手術が済んで3週間です。胸を銅線で縛られているような苦しい感じは相変わらずですが、ずいぶん動けるようになりました。
まずは狭くなりがちで困った我が食道。先週に引き続きY先生の拡張術を受ける。
そして退院後初のD先生との面談。

頸部郭清に伴い、迷走神経と横隔神経を切ってしまうので、左の横隔膜が上がってしまう可能性がある。呼吸が浅くなる。声がかすれる、etc・・。手術の後遺症については聞いていました。

「騙したようでごめんなさい。だんだん楽になるから、とにかく努力して動いてください」
「声がかすれるのは・・・」
「それは治りません」
「・・・」

普通にしゃべろうとすると、声が出ずに咳き込んでしまうのです。

いろいろ試してみてわかりました。
☆腹話術の人形喋り☆これです。
頭部共鳴の高い声を使い口先でしゃべれば言いたいことが言えます。

しかし、これは、はずかしい。
ので、工夫を重ねる・・・。
というわけで出来たしゃべり方。地声よりちょっとハイトーン。これが「明るい声」の正体です。

低めの声、ハスキーヴォイス、なんぞが個人的には好みなのですが・・・。もー、しょーがないですねぇ。明るい☆と言われてみれば、それはめでたい。喜ばしいことであります。せっかくだからこのまんま、中身ももっと明るくなるといいなー。