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伊勢根付職人 梶浦明日香の『手のひらの幸せ』

伊勢根付、やめちゃうんですか?

各方面から、
「伊勢根付、やめちゃうんですか?」

という心配の声がありますので
今考えていることをきちんとご説明しますね。

実は、年明けからずっと、
「伊勢根付を国指定の伝統的工芸品に指定できないか」
と、考えており、あちこちに相談していました。
(その節は本当にIさんお世話になりました)

三重県の南部には、国指定の伝統的工芸品がないんです。三重県にはたくさんの工芸品があるのに指定されているのは北部ばかり。
一方で、伊勢をはじめとする三重県南部は観光が盛んな地域。私は大学時代に観光学部で伊勢志摩を研究しており、この地域の観光の課題は滞在時間が短いこと。滞在時間を伸ばす体験型の観光を作れたら観光業をはじめとする周辺産業がより大きく発展すると考えられます。
滞在時間を伸ばす一つの選択肢として、伝統工芸を体験してもらうというのは大いに未来への可能性がある現実的な解決策だと考えられます。
特に、これからは海外からの観光客が日本に多く訪れます。日本ならではの文化で、この地域の誇りなんだよと伝えられたら、観光にとって、工芸の発展にとって大きな意味を持つと思うんですよね。
私は今、海外からのVIPで根付の好きな方から「根付のことを解説してほしい」
というご依頼などもあり、東京や海外に対して発信する機会があります。日本より海外の方が専門書も多く、博物館などでもよく見ます。日本よりずっとよく知られているんです。
伊勢志摩が根付の産地だともっと正々堂々とみんなが言えたら(地元の人もあまり知らないもんね)よりそういった人も伊勢志摩に訪れるようになると思うのです。だから、国指定となり話題となることはとても大きな意義があると思っています。

さて、
伝統的工芸品の指定には4つの条件がありまして
1,100年以上の歴史があり当時の作り方が残っていること
2,地域に根ざしている
3,産地としてある程度の規模がある
(10企業もしくは30人以上)
4,日用品として使われる

伊勢根付としては、
1は軽くクリアです。
2も、伊勢参りの土産物ですからクリア
3が難しいからこれまで無理だと思っていました。
4は、昨年岐阜の和傘が登録になっているので、和傘が日用品と認められるということは、根付も大丈夫でしょう。

問題は3なわけです。
しかし、調べていくと
人数がいないからいくつかの工芸が集まって、「伊勢の木彫」みたいな形で登録していたりと、いろんな申請の仕方があることもわかってきました。
それなら、たとえば伊勢の一刀彫と伊勢の根付で一緒に申請する方法もあるわけです。
さらに、担当者などにお話しを伺うと、10企業というのは、10人の個人事業主でもいいことが判明。

現在、伊勢根付の職人は、
作品を細々とでも販売している人で11人?12人?といったところ。
それだけでは食べていけず、農業などとの兼業がほとんどです。
これはどうなんでしょうか?
と、担当者に聞くと、日本全国いろんな事例があるようで、ハッキリとダメではないようなのです。でもハッキリとオッケーというわけでもなさそう。
それは審査で、と明確な基準はないため、それぞれの事例を調査してということなんだそう。
うーん。これは進みながらその都度解決策を探すしかなさそう。

と、あちこちあれこれ調べたりお願いしたり頼ったりしていたところ、国の担当者も少し調べてくれたのですが、その調べた先の地元の人が根付のことをほとんど知らなかった。
「これ、地元に根ざしてるって言えませんよね?」

そうなの?地域に根ざすってそういう意味なの?
(根付なのに、根付いてないと。。。)
たしかに。たしかに、知名度がありません。
ほとんど知られていません。
だから、国指定にしたいのです。
稼ぐ、稼がないの問題以前の話しでした。

これはもう、長い目で知名度を上げていくしか方法はなさそうです。
その間に根付の職人がどんどん減ってしまうのでは?という心配はありますが、師匠も頑張ってくれています。
いろんな可能性を模索していきます。まだまだ諦めるつもりは決してありません!!
未来の職人が、あのときの根付職人が登録しておいてくれて良かったって思えるように、どこかのタイミングで誰かが頑張らないとね。

では、長い目で見て、伊勢根付は存続可能なのか。
実は伊勢根付には、存続について致命的な問題があります。我々が使っている朝熊山の黄楊。
これは、現在では師匠の友人のご好意で手に入るけれど、それはあくまで永続的に手に入るものではないのです。師匠やその方がいなくなったら、朝熊山の黄楊は根付職人には手に入らなくなります。これでは、何百年と伊勢根付が続いていくのは不可能です。

国指定を受けるにあたって、伊勢根付の歴史や
過去の名工のことも調べました。
そもそも、伊勢根付の定義って師匠たちが県の指定を受ける際に決めたんです。当時は三重県の根付職人は伊勢市周辺にしかおらず、山から勝手に木をもらってくるのも暗黙の了解で許されていたため、みんな伊勢で活躍した根付の世界的名工である正直のやり方にならって朝熊黄楊を使っていた。だから、より個性を引き立たせるために、伊勢根付の定義を朝熊黄楊で彫った小さな彫刻ということに。
それは、時代の移り変わりとともに再現不可能になってきています。

じゃあ、伊勢根付は正直のやり方を受け継ぐ人だけなんですか?津(泯江)や関宿周辺(虎渓)など、江戸時代に伊勢国で活躍した名工たちは伊勢根付の系譜って言わないの?と師匠に聞いたところ、
「そりゃ、言うだろうなぁ。
伊勢国だからな。伊勢街道沿いで土産物としても使ってただろうし。木彫だし。」

実は、泯江や虎渓はなんでも彫るんです。
黒檀から紫檀から桜から樫、もちろん黄楊も。当時の距離感からして、たぶん朝熊黄楊は使えてないんじゃないかなぁ。

つまり、伊勢根付は朝熊黄楊限定ではないんです。
そうか!
それならその定義をきちんと整えたら、まだ伊勢根付の未来は繋がる余地は残る!!
良かった良かった。
では、伊勢根付って木彫ってことになるのかな?
と思ってふと思い出したのです。

私は元々NHKのキャスターで、この地域をたくさん取材してきました。個人的にも好きで、数え切れないほどの地域の歴史資料館へ顔を出しています。
(まちかど博物館といって、三重は個人宅でも博物館をすることが推奨され、大小さまざまな数多くの博物館が存在します)
あちこちの資料館で根付を見せてもらったのですが、木彫の中にいくつか陶磁器の根付があったんです。
年代とか誰が彫ったとか、そういったことは定かではないのですが、当時(15年以上前)80を超える方々がわしらが生まれる前に使われていたもんやな。と言っていたので100年の歴史はあるのではないかと。これは私の憶測ですが、明治の頃この地は万古焼がさかんで、多くの萬古焼が海外へと輸出されました。同じ頃、第二次根付ブームと呼ばれる時期が来ていて、根付も大量に海外へと輸出されます。その頃の作品なのかもしれませんね。

つまり、この地域には根付の専業かどうかはわかりませんが、陶磁器で根付を作る職人もいた可能性が高いんです。
そう思うと、伊勢根付の歴史を掘り起こす意味でも、新しい可能性を探る意味でも、これを伊勢根付と言っていいのかわかりませんが、陶磁器でも根付を作ってみたい。
より多くのチャレンジをしてみたい。

そんな風に思って、陶芸を習い始めました。
(新しい先生については後日お伝えしまーす!)

ふー、長かった。
伊勢根付の定義が今後どうなるのかはわかりませんが、ここまでお伝えしたら、
私が伊勢根付をやめるつもりはないんだということをご理解いただけますでしょうか?
むしろ、やめたくないから、このままでは存続が不可能でその時が来た時に後悔したくないからさまざまな可能性を探っていきたい。
伊勢根付という文化を掘り起こし、可能性を広げて未来へ繋げていきたいと思っています。

長い文章になりましたが、
ちゃんと、どうして今こういう動きになっているのか、何を考えているのかをお伝えしたかったんです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

さあ、道がどこへ続くのか〜




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