小さい頃、父に尋ねたことがある。「ひとは、なんのために生きるの?」
実はコレは私が作ったものではない。
父は「子どもを育てるためだよ」と言った。
え、でもその子どもは何のために生きるの?その子どもの子どもは?と私は思った。
それを言葉に出したのかどうかの記憶はあやふやなのだが、そのあと父は何も言わなかった。
それでは答えになっていないなあと、子ども心に思った。
でも、父はそういう気持ちで頑張っていたのだ、そういう気持ちで6人の家族を支えていたのだと、
父の言葉を思い出して、今、とてもありがたく思っている。
私はその疑問について長い間考えていた。
でもその答えにはなかなか辿り着けなかった。
偶然か必然か知らないが、辿り着いた伊勢白ブログでリーマンさんが答えてくれていた。
今その答えはぴったり心に嵌っている。
それを私なりの言葉にすると、こうなる。
神様が、私に感謝と愛情を自分から出すことが出来るように、「生きる」という舞台を用意して下さっているのだ。
納得出来る答えを得て、私は生きるのがだいぶラクになったと思う。
実はコレは私が作ったものではない。
娘が私に「こんなこともできるよ」と写真からの抽出の仕方とマルの出し方を教えてくれていた。
ステキな画面なので頼んで顔を描いてもらったら、もっと可愛くなった。
こういう我が出ていない絵を描きたいと思っている。
でも娘は、この絵の良さが判らないと言う。
自分のことは自分が一番判らないと言うのは、絵にも当てはまることなのかもしれない。