デジタル画、始めました。

落書きしてます

蓋を取る

2021-06-30 23:35:00 | 日記
塗りのお膳に蓋付の器が乗っているのもいい。
体の右側にある物は右手で、左側にある物は左手で蓋を取ると教わった。

描く時に鉛筆を持つのは右手なので、つい左手ばかり描くことになってしまうけど・・・





蓋の高台部分を親指と人差し指でしっかりと抓む。
他の指は伸ばして高台に当てる。
でも当てると言うより、抓んだ指と一緒に指全体で蓋の高台を持つ感じ、と私は勝手に解釈してやっている。

器によって高台の持ちやすさが違う。
作った人のこだわりが分かって、いろいろ触ってみると面白い。

美しいだけではなく高台が抓みやすい器に出会うとやっぱり嬉しい。
見た目がきれいでも、高台がつまめないものもあって、そういう時には残念に思う。


偶然って?

2021-06-30 00:35:00 | 日記
この世が必然でできているのか、偶然でできているのか、ふたつの混ぜこぜなのか、長い間考えていた。
そのきっかけになったのは小学校の教科書に出ていた森鷗外の「雁」という話だった。

そのうち、右足から歩き始めるのと左足からとでは人生にどんな違いが出るのだろうか、などとバカな事を真剣に考えるようになってしまった。本当にバカだったと思う。単にヒマだっただけかもしれないけど。

今はそれなりに自分なりの答えがあるので大丈夫。ヘタな事を考える時間が減った。

前にもちょっと書いたのだが家の門のところで一日中隠れていた猫に纏わる顛末にも、偶然があった。
朝、猫がいることに気がついたのはアルだった。猫はとても上手に隠れていたので姿はちっとも見えなかった。
アルが幌に鼻を入れてクンクンしてたら突然猫が飛び出して来た。毛を逆立てて怒っている。フーって。でもアルは吠えない。
そのまま猫を置いて散歩に行った。近所をひと周りして戻った時、猫の体が幌の下から覗いていた。

昼に見た時にもそこにいた。そして暗くなってからも。

夕飯時、次男に猫の事を言うと見に行くというので一緒に付いて行った。
次男が撫でていると綺麗な顔が見えた。次男が「僕の理想の猫だ」と言った。
そして猫はゆっくり歩いて行ってしまった。

しばらく経ってアルを外に出した。アルは庭がトイレになっている。
そうしたら家の横の狭い道で二人連れが懐中電灯であちこち照らして何か探している。
あの猫?と思って声をかけたら、やはり猫を探しているという。

その後、次男が出て行き猫を見つけた。

今彼が自分の部屋で飼っている黒猫は次男の言う事をよく聞く。クロの世界の殆どを次男が占めていると言ってもいい。
次男が入院したときには、オロオロしていたと思う。私もそうだったのでよく覚えていないが。
クロのためにもう自分は入院は出来ないと言っていたことがあった。

ついでに言うと、アルも次男が大好きだ。

ところで私はその後、電話で義妹にその話をした。しばらくして義妹からラインで猫の飼い主の方が書いたフェイスブックが送られてきた。
猫が見つかりました、という内容だった。
実はそのフェイスブックを見た弟の友人が、遠くに住む弟に送ってきたということだった。
義妹が弟に、私から聞いた猫の事を話そうとしたら、弟から「もう知ってる」と言われたというのが面白かった。

私はアルのために外に出て偶然、猫を探している方を見かけたのだけれど
飼い主の方は、私が親切心から表に出てきたのだと思っておられる、ということがわかった。
いえいえそんなことはないのです。単に偶然だったのです。

後日飼い主の方からご丁寧な御礼をいただいてしまい恐縮している。


膝に置いた手をひっくり返した形。
「こちらへどうぞ」なんて言いながら、方向を指し示す時にはこんな感じの手にする
両手でお盆や御膳などを持つ時にも使う。


梅雨の時期なのに

2021-06-28 06:45:00 | 日記
梅雨の時期なのに雨が少ない。

昨日も、雨になる前に剪定と草取りしようと思って早くから取り掛かっていた。
夕方になって役所からの「おうちに帰りましょう」放送を聞いてからもしばらくやっていた。

結局雨は降らなかった。

陽当たりの良い普段歩くところの土はカチカチでシャベルを入れるのが大変だ。
枝垂れ桜は先端が枯れてしまった枝もある。
芝生に水をやって終わりにした。

今朝はもう青空。







ココママさんの愛のこもった鉛筆画をブログで拝見して、鉛筆だけの絵もいいなあと思いました。
「そのうち普通の絵を描くのも良いね」と言われたのも気になっていました。
そう言ってくれた娘も、スケッチブックと鉛筆を買ったということでした。
そうしたら使いかけのスケッチブックが出て来ました。
紙と鉛筆の擦れる感じが懐かしかったです。

お稽古の時の普段の手は、手のひらを平らにしないで、まんなかを少し窪ませるようにします。
ずいぶんとお年の先輩から「人差し指と薬指を少し近付けるのよ」と教えていただいたこともありました。

お稽古で正座した時には、手は組みません。こんな形の手を両腿に「ハ」の字になるように置きます。



入門のきっかけ

2021-06-26 22:47:00 | 日記
先日のこと、教場の仲間と電話で話していた。
そうして彼女がどのようにして稽古をするようになったかということを聞かせてもらった。

彼女は私より五歳若い。そして同じ中学を出た。つまり学校で礼法の授業を受けている。
私と同じで、授業の内容はほとんど覚えていないという。

その彼女が就職後しばらくして仕事に慣れて来た時、仕事だけでなくて他にも何かやりたいなぁと思ったそうだ。
そうしたら中学校の授業で先生が「家にお弟子さんが来て、皆一生懸命にお稽古している」とおっしゃったことが思い出されて先生にお電話したのだという。
人の記憶というのは不思議なものだ。

先生の教場には看板は掛かっていない。知らない人から見ると普通の民家に見える。だから飛び込みで入る人はいない。
私は姉の紹介で入った。他の方はどうなのか今度うかがってみたい。








水引を結ぶ

2021-06-25 14:21:00 | 日記
お稽古で水引の結び方を習った。

こういう身体を動かさないことをするのは夏だった。教場にはクーラーがなかったから、他の方は汗だくになってお稽古している。
その邪魔にならないように、下手にある行き止まりの廊下に小机を出した。

教えていただいたようには、なかなかできなくて苦労した。

やっと結んで片付けようとしたら先生から「片す前に見せなさい」と言われた。そういうものかと思った。
それからは、何か作った後は「先生、出来ました」と言って、持って行って見て頂くか、こちらに来ていただくかするようになった。

その時は先生が私の前にお座りになり、さっと手で形を直して、水引の端にもう一度ハサミを入れた。
そうしたら水引が見違えるように活き活きした。しおれた葉が水で生き返るみたいだった。
100本結べば上手に出来るようになるとも、親指で直しながら結ぶと良いとも言われた。

熨斗の作り方も教えていただいた。
熨斗はペチャンコにしないというのに驚き、水引と紙の間に挟むだけと聞いてまた驚いた。

今は何とか形にはなる。でもたまにしか結ばないので思い出すのに1、2本は無駄にしてしまう。結ぶ時にはしっかり気合を入れないと上手く出来ない。



以前絵に描いて説明したことがある。
出して見たら、手の形におかしなところがあるのに気がついてしまった。あらまあ