2020/6/3(水) 曇
天候は曇り、最高気温25°。今日は、午後から雨予報に午前10時半からポタリングに出る。
今日の目的地は、出水1丁目熊野座神社境内の熊本市指定史跡「出水国分寺七重塔心礎」(熊本市指定史跡)とする。
途中で市立図書館に寄って本を借りる。以前の閲覧席はほぼ満席状態だが、今日は座っている人はいなかった。本を数冊借りてさっさと退館する。
熊野宮熊野座神社(写真1参照)は、電車通りを横断し出水小学校を廻るように探すと、水前寺成趣園から南下する県道103沿いにあった。
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鳥居を潜り境内に上がると直ぐの北東隅に大きな石がある。
説明板もあり、この石が国分寺塔心礎(写真2参照)であることが分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/d5/2b32c46a779111ff17fef1a1c9074ac7.jpg)
角度を変えて東南方向から見る。手前の石も礎石一部(写真3参照)のようだ。
もう一つ「猿田彦神」の所にもあるようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/e6/baaeb0bb305897d6e32434be08b0cf11.jpg)
説明板(写真4参照)では、「奈良時代天平の頃、各国に国分寺と国分尼寺がおかれ、都にはその総本山として東大寺・法華寺が造られた。肥後の国分寺も国府の東造られ壮大な伽藍を誇っていたと考えられる。この礎石は、その七重塔の心柱のものである。ただし、元位置から移動しているとみられる。」とある。
この地は、旧熊本湾が陸地化し新田開発の余地か大きく、また江津湖岸を湊とする水運に恵まれた地の利から肥後における拠点としての国衙を設置したと推測するが、貞観11年(869年)9月14日の風水害で国府は益城に移転したようである。
「是の日 肥後国に大風雨あり 瓦を飛ばし樹を抜き 官舎民居転倒する者多く 人畜圧死勝げて計うべからず 湖水漲り溢れ 六郡漂没す 水退之後 官物を博摭するに 十の五六を失う 山より海に至る その間の田園数百里 陥て海となる」(熊本国府高等学校H.P.より)
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南側に手水(写真5参照)がある。揚水ではあるが、豊富な地下水に恵まれた地なので流し放しにしてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/da/8b9eb9b48b89ac6023850fb49693a628.jpg)
この時代の史跡、球磨駅家跡、陣内廃寺、池辺寺跡、高橋東神社等を訪ねると、分からないことが多い分想像を膨らますことが楽しい。
現在時刻11時半。ショボショボだが小雨だが降り出したので、急ぎ帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→出水国分寺七重塔心礎17km→熊本(自宅)
所要時間2時間(実1.5時間) 総計17km 走行累計33,992km