2023/5/29(月) 曇
今日は最高気温30°の真夏日に、午前中ツツジの剪定とゴーヤのグリーンカーテン用の網を設置したが、今日から梅雨入りでジメジメムシムシの天候に汗が流れる。早目の昼食を取り午後12時からポタリングに出る。向かい風になるように、目的地を南方向の宇土市の三日山如来寺とする。
往路は向い風でペダルは重いが、思った以上に風が涼しい。二本木の世安橋で白川を渡り、新世安橋東詰めを通る。堤防際に、旦過の瀬の説明板(写真1・2参照)がある。
説明板には、「此の付近一帯の白川の浅瀬を昔、旦過の瀬(タンガのセ)と申しました。旦は元旦の旦で朝という意味です。朝早く人々がここを渡って往来したことから、その名がついたそうです。
この旦過の瀬では、今から約四百数年前の天正八年に一大合戦が行われました。
阿蘇家の軍勢と島津家に心を寄せる肥後中央部の諸城主とが対峙したとき阿蘇家の家老であった甲斐宗運父子は、夜中に旦過の瀬を渡って勝利のちどきをあげました。
世にこれを旦過の瀬合戦と呼んでいます。」とある。設置者の名前がないが、有志の方かと思う。
熊本市観光振興課の標柱は、対岸の堤防にあり、この説明文と相違する部分がある。
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蓮台寺
2018/12/25(火) 晴
今朝は晴天。気温は低いが昼間は緩むと言う。
今日の目的地は南方向、新幹線側道を南下し、祗園橋から白川右岸を南下する。
蓮台寺山門前(写真1参照)を通過する。
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蓮台寺横に檜垣の井戸跡がある。檜垣姫の歌は、後撰和歌集に収録されていると云う。肥後国司清原元輔とも交流があったと云う。
旦過の瀬・檜垣の井戸
2017/9/2(土) 晴
石塘を通り白川沿いに南行すると、堤防上に「旦過の瀬」の標柱(写真2・3参照)がある。
標柱説明文には、「この付近は古くから白川の渡河地点で、名前の由来は対岸の無漏寺で行脚僧に一夜の宿を供(旦過接待)したことによる。天正八年(1580)、豊後の大友氏に味方する阿蘇家の重臣甲斐親直(宗運)と、隈本城主城親賢を中心とする肥後中部の連合軍が戦った古戦場でもある。白川の左岸に陣を敷いた甲斐軍は対岸の連合軍を挑発し、敵が白川に馬を乗り入れると、緑川で訓練した兵が川の中で襲いかかり、岸に登った軍には矢部や阿蘇の騎馬部隊が襲いかかり大勝利を得た。肥後の戦国時代の一齣である。」とある。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/91/9d28a81111a7f80e88e354f7cf9092e4.jpg)
更に蓮台寺まで南行すると、能「檜垣姫」のモデルとなった平安時代の女流歌人檜垣の住まいがあったと謂う「檜垣の井戸」(写真4参照)の横を通る。
標柱説明文には、「檜垣は、平安時代の女流歌人で蓮台寺に住み、岩戸観音を篤く信仰したと云われている。
肥後の国司、歌人として名高い清原元輔との交遊が深く、「檜垣集」にこの贈答歌が見られる。
この井戸は檜垣が使ったと伝えられる。」とある。
「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」という歌が残っている。
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