熊本から気ままに山と自転車のブログ

陣内廃寺跡

陣内廃寺跡
2016/5/11(水) 晴
塚原古墳公園を北側に下り右折して東方向に走り、鰐瀬橋を渡り左折する。
古墳公園から3km程の所に、陣内廃寺跡(写真1参照)はある。


解説板によると、西暦700年前後から100年間ほど存在したとある。
西暦700年とは大和政権が確立された時期で、肥後国の在地勢力(熊曽於族?隈庄の地名あり)に対する権威の威武か?
「城南町史」では官寺とあるので、肥後国府設置と同時期の建立か?推測だが、国府が託麻(熊本市国府)へ移り地元負担の維持費捻出が難しくなり廃寺になったのか?
伽藍配置図(写真2参照)を見ると、160m四方と、広大な敷地を誇る。


礎石(写真3・4参照)の文字の意味合いがよく分からない。


陣内廃寺跡から北側の丘陵に上り、中山地区から甲佐町田口地区を通り田口橋で緑川を渡ろうとしたが、地震の影響で通行禁止(写真5参照)
やむなく迂回して帰途に就く。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)29km→陣内廃寺跡29km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計58km 走行累計16,773km


陣内廃寺跡
2014/10/3(金) 晴

久しぶりの晴天の下の自転車走行。
南を目指し10時出発。
釈迦堂橋を渡り、塚原歴史民俗資料館を目的地としようと雁回山を正面に見て走る。
木原不動尊参道入り口交差点を左折し、国道266に出て右折する。
国道266から左折し塚原古墳に到着する。
「塚原歴史民俗資料館」に立ち寄り館内見学ゾーンを一周する。
前回のポタリングで見つけるこができなかった「陣内廃寺跡」の位置をお聞きして早々に退館する。
資料館を北へ下り県道32を右折し、鰐瀬地区に向かう。
鰐瀬の鰐は和水町の和仁と同じか?
鰐瀬で「陣内廃寺300m」の標識を見て左折する。
300m辺りにはそれらしき物は見当たらないが、「陣内瓦窯跡」の標識を見つけた。
標識に従って鬱蒼とした竹山のなかの細道を150m程行くと窯跡がポッカリと口を開けていた。
脇に説明板(写真3参照)があったので、写真を撮ろうと後ろに下がろうとしたら、そこは溜池の淵だった。危ない!


その説明板に「東北500mに廃寺跡・・・」とあるので、再度本道に出て走ると、右手に「八坂神社」を見る。
500mはこんなに遠くないと引き返すと、あった!(写真4参照)


大きな礎石と文字を刻んだ石が2つ(写真5参照)
「文化十三」とは年号か?廃寺が奈良時代とすれば、この時間差のある石はなんなのか?

奥に説明板(写真6参照)がある。
160m四方の大寺院にして何の記録もないとは、不思議に思うのは私ひとりか。
古代の権力関係の変遷が関係しているのか?
「鰐」「陣内」「廃寺」「八坂神社」のキーワードでいろいろ仮説が脳裏を過ぎる。私にはこんな時間が楽しい!

陣内廃寺の場所:(マップファン地図)

帰路は国道266を北進し、南熊本のスポーツ用品量販店で自転車を見て16時半帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)28km→松橋収蔵庫12km→陣内廃寺跡22km→熊本(自宅)計62km 走行累計7,884km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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