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熊本から気ままに山と自転車のブログ

カタルパの花(合志義塾跡)

カタルパの花(合志義塾跡)
2023/5/14(日) 晴
今日は最高気温25°夏日で陽射しが強いが晴時々曇予報の曇に期待して、目的地を合志義塾跡軒のカタルパの花として午後14時半からポタリングに出る。

経路は、県道37を野々島で県道30に右折して、上生川を渡って左折する。台地に上がって更に少し高くなった所の交差点を左折すると、道路右側の墓所の反対側に「私立合志義塾」と陰刻してある石標(写真1参照)がある。


その石標のある駐車場に4本のカタルパの幼木(写真2・3参照)がある。
昨年(下記)は、花はなかったその幼木に一枝と言おうか一房と言おうか、今年は丁度良いタイミングで花が咲いている。


説明坂(写真4参照)には、「合志義塾は、明治二十五(1892)年、二人の青年教師(工藤左一:二十九歳、平田一十:二十八歳)が私財を投じ、教育の機会に恵まれない地方農村子弟のために創立した私塾です。
昭和二十五年までの五十八年間に六五九〇人もの卒業生を輩出した県内では他に例を見ない私塾でした。
教育勅語の理念に感銘を受け、その実行を目標としながらも、国の文教政策とは一線を画した農民教育を行いました。師弟同行・男女共学・学団といった当時としては先進的でユニークな取り組みが行われました。
私塾であったため、卒業しても資格を得ることはできませんでしたが、人間を磨く塾であったので、その教育方針が評判となり、遠くから多くの若者がここ黒松を目指してやってきました。また、卒業生の多くは、農業に従事しましたが、政治家や医師・教員になった者もいました。
合志義塾に植えられている「カタルパの樹」は新島襄がアメリカから持ち帰り、教え子の徳富蘇峰に贈り大江義塾に植えられ、そして大江義塾で学んだ平田一十がその苗を譲り受けたものといわれています。」とある。今日は、ここを折り返し点として帰途に就く。


17時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→合志義塾跡17km→熊本(自宅)
総所要時間3時間(実3時間) 総計34km 走行累計54,268km


合志義塾跡
2022/6/7(火) 晴/曇

今日の最高気温予報は27°、午後から所用があるので午前9出発の午後14時までに帰宅予定のポタリングに出る。
目的地は、合志市荻迫横穴群(跡)と合志義塾跡と黒石地筒鉄砲射場跡とする。

熊鹿ロードを北へ走り、向坂から国道3を横断して小野泉水経由で東方向へ走る。塩浸川沿いを遡るつもりが、上生川沿いを遡った。
ならばと、合志義塾跡に向かう。目的はカタルパの花だが、咲いていないようである。
合志義塾跡入口横に駐車場(写真1参照)が出来ている。義塾跡は写真中央の道の突き当りだが、牛舎があり疫病防止のため立ち入り禁止になっている。この駐車場も、その予防対策のひとつか?


駐車場には、カタルパの幼木が4本(写真2参照)植えてある。



合志義塾跡のカタルパの花
2021/5/8(土) 曇

午前中は黄砂でステイホームしていたが、花の命は短いと、昨日に続きカタルパの花を見に出かけた。目的地は、菱形小学校と合志義塾跡とする。

菱形小学校を後にして合志義塾跡に移動する。
先日の様子からすると花はあまり期待できないが、取敢えず行ってみる。すると、やはり花は見えない(写真3参照)。


よくよく見ると僅かに咲いていた(写真4参照)。
他の三ヶ所は例年にない沢山の花が咲いているのに、どうして?と疑問を持ちつつも、自然のことだから分かりようもない。いい汗もかけてストレス解消も出来たようだから良として帰途に就く。


帰宅は17時半、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→合志義塾跡16km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計40km 走行累計40,583km


合志義塾跡のカタルパの花
2018/5/11(金) 晴

今日は、
「カタルパの樹(日本名アメリカキササゲ)は、京都の同志社の創設者である新島襄がアメリカから持ち帰ったもので、熊本出身のジャーナリスト徳富蘇峰にその苗が譲られ大江義塾(熊本市)に植えられました。
大江義塾で蘇峰と平田一十は師弟関係にありましたが、のちに一十が地元の黒松に合志義塾を開いたことを聞きつけ、蘇峰はその苗を合志義塾にも譲り渡しました。」(合志市ホームページより)
と言う合志市黒松合志義塾跡のカタルパの花を訪ねた。

県道30(大津植木線)を大津方向に走り、上生川を渡った所から左側の台地に上がり、少し広い道を左折すると「合志義塾跡」の碑が見える。
この碑から左折した突き当りが「合志義塾跡」
この碑の右手の墓地に平田一十と工藤左一の墓碑(写真1参照)がある。
このお二方が農民教育のために塾を設立し、それは昭和24年の閉塾まで続いたという。


目的のカタルパ(写真2参照)は私有地の敷地内にあるが、タイミングよく作業中の当主と思われる方にお断りして写真を撮らせて頂いた。
木の下には、「合志義塾跡」碑があった。新島襄に始まる教育の情熱が、カタルパの木とともに熊本の地に広がっていった歴史がそこにあるように思われる。


ここのカタルパも大きな白い花(写真3参照)が咲いていた。


合志義塾跡を後にして、帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→合志義塾跡17km→熊本(自宅)所要時間3時間(実3時間) 総計35km 走行累計24,658km

カタルパの花(菱形小学校)
カタルパの花(徳富記念園・四時軒跡)

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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