熊本から気ままに山と自転車のブログ

吾平山陵(あいらさんみささぎ)

吾平山陵
2016/7/1(金) 曇/晴

降水確率天候予報は午前20%、午後10%ということで、降雨の心配なく午前11時出発する。
目的地は、山鹿市菊鹿町相良字日向の「吾平山陵」さん。

国道325を横断し県道9を北上する。「アイラトビカズラ」や「相良観音」の案内標識を頼りに北進する。
相良地区の入り口の坂の下にアイラトビカズラの自生地見学用駐車場(写真1参照)がある。
アイラトビカズラはこの石段の上。


日本ではここだけに自生する珍種で、国指定特別天然記念物に指定されている。
説明板(写真2参照)には、「・・・花は古来より優曇華(うどんげ)と呼ばれ3000年に一度しか咲かないと言われるが、近年は毎年4月下旬から5月上旬に咲くようである・・・」とある。

坂を上ると「相良大門跡」(写真3参照)の碑がある。
元は「吾平」と表記したものを内田相良氏が「相良」表記としたようである。
鎌倉時代から続く肥後相良氏庶流宗頼は山鹿郡泉荘内田村に住して内田相良を称し文亀年間(1501~1503年)に没落し大友氏の庇護下となった。


相良地区の集落から、「相良観音」の山門前を通り西進する。
「吾平山陵」さんは、福岡県と熊本県を分ける脊梁山地の南方向に延びる山並みから、東方向に突き出す支尾根の先端の標高270m、標高差70m程の丘の上にある。
道が坂になり始める所に、菊鹿町教育委員会の標柱(写真4参照)がある。
由緒を書いてある(写真5参照)が殆ど読めない。


この標柱から曲がり、歩いて上る道(写真6参照)だと思い進んだが、山地にかかる所から先は草深くて歩けない。
道を少し戻り左側に迂回して進み登ったが、右側に進み陵さんと同じ位の標高から迂回するコンクリート舗装路が本道のようだ。


道を登り詰めると御陵西側に出た(写真7参照)。
地元で「陵(みささぎ)さん」と尊崇されている所である。
「吾平山陵」とは:
「久しくして彦波瀲鵜鸂草葺不合(ひこなぎさうがやふきあえず)尊西洲の宮に崩ず、 因りて日向の吾平(あいら)の山の上(ほとり)の陵に葬る。」(神代紀)
彦波瀲鵜鸂草葺不合尊は神武天皇の父で、「海幸・山幸」神話の山幸の子であり、成人の後、叔母の玉依姫を妃として、五瀬命、狭野(さの)命(神武の幼名)など四人を生んだ。(この項:久留米地名研究会HP古川清久氏の文から引用)


東側に廻ると遥拝殿がある(写真8参照)。
遥拝殿向うの御陵と見做される 所が墳墓か自然微高地か判然としないが、円墳に見えなくもない。
「吾平山・日向」という地名からして神話が史実であって欲しいと思う地元の人々心情は理解できるし、大切にして頂きたいと思う。


菊のご紋章がある立派な遥拝殿(写真9参照)である。


鳥居(写真10参照)が三重にあり、一の鳥居まで降りてみたが、その下は直線的に上れる道ではなかった。
吾平山陵の場所:(マップファン地図)


暑い一日であったが、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)26km→水辺プラザ14km→吾平山上陵さん35km→熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6時間) 総計75km 走行累計17,340km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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