私なんぞは、タイコで自分が表現できない!と悩みつつ叩いているようだが、聴く人が聴けば、私そのものを音によってしっかり表現しているのだろう。
手だけで叩く、遊ばないで叩く、中途半端に叩く、日頃の物事に対する自分の有様が音に映る。
音楽を創ろうとしないで、音を寄せ集めるアンサンブルは砂漠のようなものか・・。
自分自身が見えないことには、何をやっているのか、訳が分からないが、少し自分が見えてきた気がする今日この頃。
手だけで叩く、遊ばないで叩く、中途半端に叩く、日頃の物事に対する自分の有様が音に映る。
音楽を創ろうとしないで、音を寄せ集めるアンサンブルは砂漠のようなものか・・。
自分自身が見えないことには、何をやっているのか、訳が分からないが、少し自分が見えてきた気がする今日この頃。