鳥取暮らし

水彩画・水墨画・写真とともに普段の暮らしお知らせします。

自問自答。

2012年05月01日 | 日記


そろそろ藤の花。

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今は、絵のことしか頭にない。
考えることは絵のことばっかり。
ちょっと入れ込みすぎです。

絵なんてものは、もっと気楽でええよ。
今は教室に習いになんかいってるもんで、むずかしく考えすぎてる。
もっと簡単に描けばええと思う。

およそどんな感じか、わかればそれでええ。
それ以上のものなんか、ない。

おれの絵でも、その絵がすきやというてくれる人がおるのや。
ほかの絵ではなくて、おれの描いたその絵がええのやというてくれたんや。
それは大事なことや。
人は、何も上手な絵だけがええんとちがう。

絵を描いていると、もっと上手になりたい、もっとうまくなりたいと思うものやけど、絵を見てる人はそんなことはたいした問題やない。自分はこんな絵がすきや、というのは人それぞれや。
自分もそれに合わせてたらええんや。つまり自分の好きな絵を描いてたらええんと違うか。

それやったら、やっぱり絵なんか習いにいったらあかんちゅうことか。習う絵はむずかしなる一方や。いっぱいいろんなこと考えんとあきません。

絵なんかなんぼ考えてもしょうがない。
描きたいように描いて、どや!カッコええやろ!
いうてたらええねん。
しかし、絵習いに行くのやめたら、ここから動かれへんようになる。
それはやっぱりまずいで。

あんまり絵に入れ込まんようにするか。
教室の課題は適当にしといたらええ。
そうでないと、結局絵が楽しいことない。楽しいものにならん。

絵というのは、自分の理解の結果やということはよくわかるが、よう勉強して、ようものがわかるようになった絵が、そんな絵がホンマにええんか、ということもある。
おれの描いた絵がすき、見ていてやさしい気持ちになれたという人がいた。それでええやろ。それ以上の何がいるというんや。最高のほめ言葉をもろたんやぞ。
あとはそれを自分なりにもっと完成させていくことだけや。
ちがう絵を描けるようになる必要などどこにあるのか。

自分の絵をもっと描こう。

習う絵と、自分なりの絵のしのぎあいや。これはどうあっても自分の絵が勝ってもらわんことにはあかん。


絵にかかりっきりの暮らしです。
まあ、そんなことが悩みというていられるぐらい気楽なことです。


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