鳥取暮らし

水彩画・水墨画・写真とともに普段の暮らしお知らせします。

今日の背景。

2014年01月31日 | 日記


フィレンツェ、アルノ川。

ミケランジェロ広場から見るフィレンツェの夕景が美しいというので出かけました。
広場はアルノ川のそばにあるけっこう小高い丘の上にあります。
この写真は、その帰り道に撮ったものです。
そんなふうに、とにかくあちこち歩き回るので、ずいぶん疲れました。

しかし、そんなふうに少しはつらい目をしなければ、なかなかいい風景には出会えないのですから、しかたありません。


歯医者さん。

2014年01月29日 | 日記


カフェ風景をもう1枚。

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今日は、鳥取に来てはじめて歯医者さんに行きました。

以前治療した虫歯の詰め物が取れてしまい、歯医者にいかねばならなくなりましたが、どうやって「いい歯医者」を探すかが問題になりました。

パソコンを見れば市内に点在する歯医者はすぐにわかりますが、かといってただ家から近いだけではちょっとまずいような気がします。
コメントを見ても、どうも決定打がありません。


以前通っていた大阪の歯医者をどうやって選んだかと思い返してみると、行きつけの喫茶店のマスターに勧められたことを思い出しました。
その歯医者さんは、実は同じ喫茶店に通う客同士で顔なじみでしたが、それが決め手だったわけではありませんでした。
結局、決め手になったのは、近所に昔からある医院に何年もかよっていたのにいつまでたっても治らなかったあるお客さんが、勧められた医院に変えたらあっという間に治してもらえたといって、わざわざお礼のケーキを届けにこられたところをたまたま見かけたからでした。

それで今度も喫茶店で教えてもらった歯医者さんにいくことにしました。
はたして今度のお医者さんは、当たりでしょうか?

とにかくいいお医者さんを探すのはむずかしいものです。











カフェ。

2014年01月28日 | 日記


ベネチア、サン・マルコ広場にある有名カフェ「FLORIAN」。

広場にあるカフェではどの店も生バンドの演奏があります。
外のテーブルはパイプいすを並べただけのざっくばらんなものですが、店内をのぞくと、相当格調高い雰囲気です。

カフェの話。

カフェは、単にコーヒーなどを飲む場所ではない。特にパリのカフェは、人々が仕事の合間や昼休みに一息いれるという生活と切り離せない場所であるばかりでなく、旅行者がパリの雰囲気を味わう空間であり、歴史的にはしばしば文学論議や政治論議が盛んに交わされた社交場でもあった。カフェのないパリを想像するのは難しい。(「カフェはパリの風物詩」児玉しおり)


私の生活においてもカフェがいる。

大阪にいたときは、天王寺などに出てスタバをはじめあちこちのカフェで座るのが好きだった。今も県庁のそばに新しくできたカフェや、時には駅まで出かけてドトールのカウンター席に座ってみる。

喫茶店には、はじめはコーヒーが好きででかけたものだが、機械出しのコーヒーを出す店が増えて、最近ではコーヒーの味はどうでもよくなり、それよりもそこに座り、人々が行きかうのを眺め、話し声が聞こえるガチャガチャとさわがしい雰囲気の中で、本でもよんだり、ぼんやり考えごとをしているのが好きというふうに変わってきた。

だから私にとっては、カフェは何よりそのロケーションが重要であり、座った場所から見える風景や様子、店の広さや空間デザインや配置、店員の気分のよい対応などということが重要なことになっている。

客がそのように変化してしまっている現在、コーヒーを出す側にいる人たちは大変である。

鳥取にもかつては街中に数多くの喫茶店があった。
大阪で知る人ぞ知る「マルフク」の本店は鳥取である。
だがコーヒーの味にこだわり、本格的といわれる味を追求しても始まらないだろう。若い人の中にはコーヒーが飲めない人が多い。

コーヒーというのは元来そういう飲み物だった。
わたしの経験でも、コーヒーは大人になるための儀式のようなものだった。あの当時はすでに、高校生は喫茶店に出入りすること自体禁止されていたわけではなかったけれど、けっして気安く入れる店ではなかったのだ。そこに入り浸ることが、それまでの子どもから脱して、大人になるという気配があった。

コーヒーの味などわかるわけもなく、苦いコーヒーをブラックでのどに流し込むというのみ方から入ったのだから、いまどきの若い人たちのように口当たりのよい、おいしい飲み物しか口にしない傾向があれば、飲めるようにはならないはずである。

だから街中の小さな喫茶店はほとんど姿を消した。
それも時代の流れであれば仕方がないか。

それでも喫茶店が少し姿を変えたカフェという名前で、若い人にもなじめる飲み物を出すことで復活してきたのはうれしいことである。
そんな店がいごこちのよい場所を提供してくれて、この町が気分のよい場所になれば幸いである。

先の文章の結びに、
パリのカフェの軒数は定かでないが、サンドイッチ店などに押されてかなり減っていることは確かだ。しかし、冬のつかの間に陽だまりの中、テラスで一息つくのは何ものにも代えがたいパリのカフェの楽しみだ。


パリには、まだそういう場所が残っている。





今日の背景。

2014年01月27日 | 日記


ベネチア。

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大阪から戻りました。
大阪にいる間中あたたかくて晴れた日が続きましたから、春のような日差しを先取りで満喫してきました。そういうことが気持ちを明るくさせてくれます。


そろそろ大阪のマンションを手放そうかと考えています。

月に1度京都の画塾に通っています。
マンションを残したのは、まずはそのためでした。

2年前に鳥取に移ったときに、もう毎月は通えないからと、一度画塾をやめたのです。
そして1年たって、一人で絵を続けることの難しさに気づいて、復帰して1年になりましたが、またまた同じことを迷いはじめました。

先生について絵を学ぶということは、その先生の絵の描き方を身につけようとすることです。
先生の筆遣いなどの実際的な技術、モノの形の理解の仕方、絵についての考え方、それらすべて、極端に言えば先生の人生観にいたるまで学ぶことなのかもしれません。
しかしそれらすべてを先生と同じように頭を切り替えてしまわない限り先生の絵は描けないのだとしたら、とてもそこまではできません。

いつまで、どこまで先生の絵を学ぶのか。
そのことが自分の中で問題になってきていました。

そろそろ画塾をもう一度離れてみるか・・・
そうでないといつまでたっても先生の絵の呪縛から離れることができず、「先生の描くような絵」しか描けなくなってしまいそう・・・
先生のような絵が描きたいと通い始めた教室ですが、絵など、好きなように描いていればいいのではないのか・・・

画塾に通わないのなら、マンションに用はありません。

25年以上暮らした家。
家はもちろん、一度手放したらもう二度と戻りません。
それを手放してしまうことに無性にさびしさを感じます。

しかし、それも時の流れでしょう。

知り合いに売却の話を手伝ってもらうことにして、鳥取に戻ってきました。