旭川市 合唱団 旭川フラウェンコール

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マニラからの電話

2013年01月22日 | 合唱団

その電話は、フィリピンのマニラからだった。

「OSです・・・」電話の声は、電波の乱れで、少ししゃがれていた。熊五郎・・・!!!
その野太いバスの声で、高校時代がいっぺんによみがえった。

長い国際電話の後、メモしたアドレスに何度か失敗しながらメールした。@hopmailじゃなくて@hotmailだ。 「着いたらメールしてください」。
間もなく返信が来た。

「着信しました。 ことしは西高で出会ってから丁度50年目の年ですね。 何歳になっても美しい詩に接したら涙をながせるようでいたい と言ってたのを時々思い出していました。では また」

木造の古い校舎の教室。教壇に向かって右にある石炭ストーブの3列目が、我々の席だった。3時間目が終わると熊五郎の弁当を二人で食べて、昼休みには私のを食べた。

私の弁当のおかずによく入っていたギンダラが、熊五郎は気に入っていた。
「蜂屋」のラーメンに「二幸」のかつ丼。

政治の話、文学の話、音楽の話。
慣れない酒を飲みながら語り合うと、いつの間にか夜は明けていた。
そろそろ寝なくては・・・(学校に行かなきゃ)・・・

写真はノスリ。大きな落葉松のてっぺん。気温マイナス10℃!

 


マラウイの国旗再び!

2013年01月19日 | 合唱団

マラウイは、アフリカのタンザニアの下にぶら下がっている 南北に細長~~い国だ。(片手でタオルをぶら下げたような)

広さは北海道と九州をあわせたほどで、右側に(東)にやはり細長~~いマラウイ湖がある。

マラウイ湖は九州の80パーセントほどだというから、国土の相当の広さを湖が占めている。

湖にあらわれる かげろうを、現地の人が「揺らめく炎(マラウイ)」と呼んだことから、湖も国の名前もマラウイになったのだという。

マラウイの国旗は横に 下から緑赤黒で、三分の一の黒の部分に赤い太陽が顔を出しているというとてもいいデザインだった。

それが、いつのまにか太陽の部分が白くて真ん中になっていて、がっかりしていた。2010年7月29日からなのだという。

先日、駐日マラウイ共和国大使館公式ホームページを見たら、なんと!もとの国旗に戻っていた。

国旗を変えた強権政治のビング・ワ・ムタリカ大統領が急逝して、新たに就任した女性大統領ジョイス・ヒルダ・バンダが、昨年(2012年)の7月に もとの(この写真)国旗に戻したのだという。二年弱でめでたく もとの国旗に戻った。


警笛の理由

2013年01月16日 | 合唱団

 ひさしぶりに 厳寒の石狩川のほとりを散歩した。

歩くとキュッキュッと雪の悲鳴が聞こえた。

細い道をはさんで、山側に線路がある。

旭川発の鈍行列車が、トンネルを出てしばらく行って 止まったようだった。

そこは遠くて やっと見えるほどのところで、無人駅のようだった。

・・・伊納駅か・・・・・

伊納駅は、旭川から札幌へむかう二番目の駅で、急行は止まらない・・・そう、無人駅だ。

いつもなら、すぐに出発するはずなのに、いつまでも止まっている。なぜだろう?  

その日、雪は降っていなかったから、雪で立ち往生しているはずはなかった。

ん?・・・これは・・・警笛の音だ。何度も何度も鳴らしている・・・

警笛は5分以上も断続的に鳴らされていた。

やっと出発したのは10分ほども経ってからだった。

超望遠で写した写真を帰ってから見てみたら・・・

・・・・・そういうことだったのか。

 

 


赤いギンザンマシコ

2013年01月11日 | 合唱団

 旭川の今年の冬は気合が入っていて、日中でもマイナス10℃以下の日が続いています。

このぶんなら、まもなくシベリアに追いつくでしょう。

冬は寒いけれど 夏は暑かったので、大雪山の松の実りが悪かったのだといいます。

いつもなら山奥にいるギンザンマシコが、街路樹の実を求めて町の中にやってきています。

私の20年のカメラマン(自称)歴のなかで、1度か2度しか写したことのないギンザンマシコが、

街の中にあらわれたので、大騒ぎしました。

真っ赤なのはオス。

 


新年

2013年01月01日 | 合唱団

あけましておめでとう!

大晦日は大吹雪だったけれど、

今日、元旦は穏やかな天気です。

写真は 雪が舞う忠別川の 川岸のハルニレについたヤドリギ。

赤くなった実が、キレンジャクが来るのを待っています。

みなさんの今年一年が、嬉しい年でありますように!!!