「さらば青春」にこめられた青春の蹉跌
同じ時代に生きた小椋佳の歌に共感する。
シンガーソングライター小椋佳は芸名である。本人は東大法卒メガバンクの部長まで務めたエリート銀行マンであった。名作「シクラメンのかほり」「愛燦燦」など過激な銀行勤めのなかで繊細なヒット作品を世に送り出し、多彩な才能をみせた。
その彼が体力の限界をしり、今年で歌手活動をやめるといって、今全国をまわってフアイナル・コンサートを続けている。
神奈川県には県民ホールで6月25日行う。
チケットはみな売り切れている。
「シクラメンのかほり」は彼の奥様の名前「佳穂理」をとった
作詞 作曲 歌唱「さらば青春」(1971年)
は全共闘の嵐が吹き荒れるさなかに作った。
彼はノンポリだった。
僕は 呼びかけはしない
遠く すぎ去るものに
僕は 呼びかけはしない
かたわらを 行くものさえ
見るがいい 黒い水が
抱きむように 流れてく
少女よ 泣くのはお止め
風も木も 川も土も
たわむれの 口笛を吹く
ノンポリの彼は友達が学生運動にのめり込んでゆくさまを傍観しながらこの歌をつくったのだ。当時の東大は学生運動のメッカともいわれ「黒い水」「黒い犬」というのは、左翼運動家やその運動を指している。そしてそういった煽動に巻き込まれていく学生たちや人々の群れを指しているのだ。
彼は司法試験を目指して、緑会という学内の法律相談所でいろいろな相談を受けたりしていた。
激しかった学生運動とは一線を画しながら友人達と思想的に決別する、その宣言の歌なのである。
僕は呼びかけはしない、学生運動に走る友達を、ノンポリである自分の傍から離れてゆく友を・・
マイクで呼びかけ続ける運動家たちのようには、僕は呼びかけはしない。
己も大学こそ違え同じ法学生だったので、あの雰囲気のなかに同化してゆくのを、良しとしなかったのをおぼえている。
いそれゆえ この歌詞は身に染みてよくわかるのだ。
この歌詞は今でも そのまま受け取れる。
ここには青春の原風景というか、青春の蹉跌ともうかがえる節がみえるからだ。
では あえて呼びかけはしなかった友人たちは 傍らを通り過ぎて左翼運動に走った友たちはその後どうなったか。
かれらは見事に転向して法曹の世界や公務員の世界へ行ってしまった。
公安のリストに載った活動家でも、試験さえ通ればその道に進めたのだ。
彼自身は法曹の世界はあきらめて銀行へいってしまった。
「さらば青春」には、このほろ苦い経験がかくされている と思っている 。
私自身も法曹への道はあきらめて、民間の会社へ入り、憧れの米国へ行き、小さいながらも会社を立ち上げ、今はおだやかに葉山で余生を送っている。
「さらば青春」を聞くたびに 走馬灯のように 若い時から今日までの記憶がフラッシュバックしてくる。
「さらば青春」には このような思い出が詰まっている。