Il Volo - Granada スペイン南部のアンダルシアのジプシーの哀歓を歌う。歴史転換点にあったグラナダ

2024-08-10 22:02:06 | 唄 人生の哀歓を想起

Il Volo - Granada (Videoclip)

 

グラナダ』(アウグスティン・ララ)

 

夢にえがく土地、グラナダよ
君に寄せて歌うとき
私の歌もジプシーの色合いをおびる
君に捧げる歌は
幻想からなる歌
憂愁の花にも似た私の歌

 

闘牛の昼さがりには
血に染まる土地、グラナダよ
ムーア人の瞳の魔法を
今も守るひとりの女よ
夢にえがく君は花に覆われ
ジプシーの風情に満ちて気位高い
くちづける君のえんじの唇は
私に愛を語る
汁多い林檎の実

 

美しい小唄に歌われた
粋な娘、グラナダよ
私の捧げ物はバラの花束しかない
しかし褐色をした聖母さまの
御身のまわりを飾るのにふさわしい
香りやさしいバラの花
グラナダよ、君という土地は
美しい女たちと
血と太陽に満ちている

 

洞窟フラメンコの店があるアルバイシン地区。ジプシーの住民が多い。

 

グラナダに憧れ、思いを馳せて歌う歌なんですね。

アラビア人が、スペイン人に追われてグラナダに「アルアンブラ宮殿」を中心とするイスラム文化を残し、

今度はスペイン人がメキシコをはじめとする 中南米諸国を征服し、アステカやマヤ文明を滅ぼし、

長年君臨後、20世紀に諸国が独立し、スペインはスペイン語という文化を残した訳だ。
大テノールの定番で、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスそれぞれが歌ってましたね。 

作詞作曲のアウグスティン・ララはメキシコの作曲家で、未だ見たこともないスペインのグラナダの地に思いをはせて作った曲です。 
「グラナダ、夢に描く大地」からはじまる情熱的な歌詞が歌われます。 
ラテンとクラシックが融合したアレンジにしてます。

 

 

日出ずる国・日本から、日沈む国へ。

地中海と大西洋に囲まれたイベリア半島。
ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸と対面していることから、
古来よりヨーロッパとアフリカ民族、文化の交流と融合の要所と
して繁栄してきました。ピカソ、ダリ、ガウディなど名だたる天才芸
術家を生んだ国・スペイン。大航海時代の先駆者として、いち早く
世界へと進出したポルトガル。
歴史の残り香が漂う美しい風景や情熱的で華やかな文化、世界中
の美食家たちをうならせる料理の世界など。伝統と革新が調和し
たイベリア半島は、世代を問わず人々の旅情を誘います。
日出ずる国から、ユーラシア大陸最西端へと旅行しました。

歴史の転換点の舞台となったグラナダ

8世紀アラビア人がイベリア半島に侵攻して、イスラムと融合した独特の文化を創り上げていたが、

レコンキスタ(reconquista 国土回復運動)により、徐々に 追い詰められ、最後の砦となったグラナダが陥落したのは、1492年のことである。

この年は、コロンブスが新大陸を発見した年でもあり、歴史転換の端緒となった年でもある。そして、グラナダには、あの有名な「アルアンブラ宮殿」が 残ったのだった。

わたしは23年前、初めてスペイン旅行をして、アルアンブラ宮殿を、つかぬまの散策をしたが、

本当に美しいパラシオであった。

■グラナダの中心街


「見て、聞いて、歩いて、食べて、教わって」、まさに五感で味わう多様な旅だった。
決めては何といっても、グラナダ名物とも評されるバルめぐり。狭い街の裏通りにはさまざまなバルがひしめき合い、老若男女、庶民の社交場としていつもたくさんの人で賑わいます。地元に人気のバルを私達現地ガイドとめぐりながら、同時に美しいグラナダの街のそぞろ歩きを楽しんだ。
古くからこの街を愛した芸術家、著名人は数知れず、時代を超え世界中の人々を魅了しつづける、そんなグラナダの魅力を一言で表せば、さしずめ“そぞろ歩きが楽しいワンダーランド”といったところでしょうか。どこを見渡しても絵になる景色が広がる街並みが適度な大きさに見事に配置されています。


グラナダ独特の洞窟のフラメンコ。

 

 

グラナダならではのサンブラという形式で行われ、狭い洞窟の中で熱く掻き鳴らすギター、哀愁を帯びた歌声とともに繰り広げられる、昔ながらの激しく野趣あふれるジプシーの踊りを目の前で体感してください。ショーの前後にアルハンブラ宮殿を望む夜景の絶景スポットにも案内してくれました。

■グラナダはアルハンブラ宮殿で有名です。

グラナダはスペインがイスラム国からキリスト教国になった時の

象徴的な町です。

 

グラナダの歴史

塩野七生の「絵で見る十字軍物語」(新潮社)はこう書く。


「神が、それを望んでいるから」という摩訶不思議な理由で十字軍が11世紀フランスではじまり、

スペインに伝播した。
この地が、8世紀にイスラムに支配され、以降、キリスト教が奪回を完了する1400年代までの期間

のその奪回運動をレコンキスタというがはサンティアゴ北部スペインのガリシア地方の抵抗運動の根城となった.

中世にはいってまもなくイスラム教の支配下になっていたイベリア半島も、長い歳月の間には少しづつキリスト教下にもどりつつあった。

グラナダ陥落

カステリア王国のイサベル女王とアラゴン王国のフエルナンド王のキリスト連合軍との10年にわたる包囲のなか、イスラム最後の王は 滅び行く予感にさいなまれていたのであろう。虚無と絶望の思いがこもったグラナダ宮殿は、そのかげりゆえ、いっそう美しく、訪れる人の心を捉えるのだろうか。

日本人がこよなく好む滅びの美学を、そこに感じるのであろうか。

Alhambra,英語ではアランブラ、hは発音しない。ラテン語でアルハンブラ。

だがそれも1491年、ムーア人が主体の王国に残った最後の都市、グラナダの陥落によって完成する。

シリア、パレステイナでは追い払われたのはキリスト教徒であったが、イベリア半島ではイスラム教徒が追い払われたのであった。これも当時のヨーロッパ人にすれば、40年前のコンスタンチノーブルの陥落と同じように、キリスト教対イスラム教の戦いなのであった」

しかしキリスト教もイスラム教も自分たちの信ずる神以外の神を認めないとする一線は、絶対に譲らない。

一神教同士である。ひとたびこの一線が強調され始めると・・
 十字軍とは一神教同士でなければ起こりえなかった、宗教を旗印に掲げた戦争なのであった

一つの神しか信じない、一神教であるキリスト教とイスラム教との戦争は15世紀になって、まずコンスタンチノーブルを根城にしていたビザンテイン帝国がオスマントルコに破れ、今のイスタンブールに名前が変えられた。


だが時はすでにルネッサンス時代である。グラナダが陥落した同じ年、ジェノバ人のコロンブスが、新世界発見への第一歩を踏み出していたのである、
スペイン大航海時代がはじまったのである」

  • アルハンブラ落城でも、宮殿が何故無血開城したか

イスラムに支配されること800年。レコンキスタというキリスト教再征服運動の結果、最終的にキリスト教の支配になったのが1492年。イスラム側から言わせると、最後の牙城 グラナダのアルハンブラ宮殿落城の年が1492年である。

この宮殿は1238年に建築が始まり、260年間にわたりキリスト教徒を退け、堅固な城砦として王族が暮らす豪華な館である、

グラナダ王国最後のイスラム王ボアブデイルはカトリックのイサベル女王・カステリア王国とフエルナンド・アラゴン王国の連合軍との10年にわたる戦争が終わり、ボアブデイル王は北アフリカへ逃げた。無血開城である。

イサベル女王はその豪華な宮殿に驚き、破壊せずにそのまま使って 今日の宮殿があるのである。

この宮殿があるのがアンダルシア地方(人口67万人)の最大の町グラナダ(人口25万人)である。

 グラナダに今でもイスラム王朝のモニュメントが多く残るが、その最大のものがアルハンブラ宮殿である。

 ・日本では応仁の乱がおわり、足利義政の時代。室町時代の出来事である。

  • ヨーロッパでは、コンスタンチノーブルがオスマントルコにより陥落した、ビザンチン帝国が終わり、東ローマ帝国もおわり。トルコのイスラム支配のはじまりである。
  • 1453年。トルコのイスタンブールの誕生である。

 

  • グラナダの名前はどこから・・

グラナダは日本語で柘榴・ザクロ。その由来は紀元前地中海の覇者だったカルタゴが名産としてスペインの植民地カルタヘナ(新カルタゴの意味)にもってきて作りはじめたことに由来する。グラナダ市の紋章として、25万人の殆んどがしっている。

 スペイン南部アンダルシア地方の中心地として13世紀初めから15世紀の終わりまで、政治経済の中心地であった。宮殿があったからである。

街全体は3つの地域。アルハンブラ地区。谷の向こうが最も古いアルバイシン地区という迷路状の古い歴史街。今のカサドラルのある地区は平地で、キリスト教化の手の入ったところで現在の中心街。古い街が丘の上にあって、近代的な大規模計画を下の平地で進める 

  • グラナダは緑が多く。夜のアルハンブラ宮殿の眺めは絶景である。

グラナダは緑の多い街である。街中は通りに面して常緑樹が茂り、強い日差しを避けるために、いたるところにベンチが置いてある。<写真>

夜のフラメンコ観劇の後にみた空はぬけるように美しく、星はきらめき、からりと乾いた空気が肌に心地よい。洞窟の中にあるフラメンコ劇場はジプシーの踊り子3人の競演で、靴のスタッカートの音が狭い洞窟に響き、感情を盛り上げる、

gypsyは英語でエジプト人。言葉がサンスクリット語と結びつくので、もともとはインド人といわれる。スペインには40万人いる。

洞窟フラメンコがあるアルバイシン地区から見たアルハンブラ宮殿ははスポットライトの光に赤茶色に浮きだち、それは感動的であった。

観光ポスターで必ずでてくる風景がそのままである。

アルバイシン地区の住民は夕方から日没のアルハンブラをみて日々幸せを感じるのだというのも実感としてうなづけるのである。

また、アルハンブラからはアルバイシンの空間が良い形で見える。斜面の下にある住宅の中庭が見える。家並みの白い壁と屋根のかわらの色。中庭に緑があるから快適そうである。<写真<

市民は環境活動に熱心で街中に大きなゴミ箱が5つづつ、通りに面して置いてあり、夜間のうちに回収する。

  • 買い物は平地の中心街でする。丘の上のアルハンブラには店がないのである。
  • 驚きの医療費は無料である。           
  • ガイドさんがグラナダで最も感激したのは「医療費がタダだった」との貴重な体験をしている。

昨年来たとき、ツアーの1人が急病になったという。外国では日本の保険証は意味をなさず使えない。病院は現金だ。いくらかかるか見当がつかない。そんなに持ち合わせがない。心配だったという。ところが診察がおわり、1晩入院して翌朝退院できた。そこで初めて「タダ」といわれた、という。医療費はグラナダでは無料、ということで

ツアー客で病気になる人はグラナダまでガマンしてもらう、ことにしたという。

ちなみにスペインの消費税は食物が7%。日用品などその他は19%である。領収書で確認してみた。

 

 

 

 

 

 


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