JAZZ PIANO で行こう

ヤノテルの音楽ブログです。ジャズピアノの研究・指導・作曲・ライブをしています。音楽が人生の喜びです。

音楽と脳 その1

2018年10月12日 | 音楽と脳

昨日、今同居している次男坊が

居合の稽古から帰ってきて、


興奮しながら

練習中にすごいことが起こった」


と私に話しかけてきた。

和歌山市からは、

練習場のある有田市まで高速で、


1時間ほどのところに通っていて、

帰ってくるのはいつも、夜の12時前。


日頃、練習後に話しかけてくることは、

めったにないことなので、 


興味深く話を聞いた。 

 

昨日は居合7段の先生が珍しく来て、

指導してくれた中で

起こったらしい。

息子は居合をはじめて

まだ3年ほど。居合は田宮流を

習っている。それでも熱心に通って、

今は二段の腕前。

 

刀はもちろん真剣。

(実は、私も居合はやりたかったのだけど、

いい先生が和歌山市にいないので、

諦めて、ジャズピアノから道をそれないように

心がけています。笑)

 

居合とは、

腰の真剣を抜く動作、

刀を振り上げる動作、

斬りつける動作。刀を鞘に収める動作。

その一連の動作を

スムーズにつなげていって、

刀を鞘から抜き、

鞘に戻すまでの動作を

なんの淀みもなく、

美しく立居振舞う。

 

ところが息子が言うには、

斬りつける動作に入ると

まったく、刀を持っている感覚がなくなって、

気がついたら、刀がさやに収まっていた。

一瞬刀が手から離れしまったのかと

思ったそうです。

こんな感覚は初めてだ。というのです。

 

先生はそれを見て、なんか言ったの?と聞いてみると、

何も言わなかった。問題があれば、先生からなにか

注意はされるけど、何も言わなかったら、

それは問題がないということだそうです。

 

なるほど、先生の手ほどきや先生の美しい所作に

影響を受けて、そういう境地に入ったのかもしれないね。

 

実は、自分もジャズピアノのスタンダードや

オリジナル、またインプロビゼーションの演奏中に

まったく、自分が鍵盤を弾いているということが

見えなくなって、ピアノから出てくる音そのものと

一体化してしまうことがあるということを

息子に言いました。

 

おそらく、人の脳は左脳と右脳のデュアルコアになっていて

音符の処理や、鍵盤に対する処理は左脳で、音楽性そのものは

右脳でコントロールしているらしいです。

 

ところが、人は、何らかのきっかけで、

左脳から解き放たれると、自分と音が一体になる感覚が

やってきます。

 

これは、また十代の頃、ピアノを練習していても

まったく起こりませんでした。

昨日もモーツアルトの曲を練習しているのですが、

クラシックを練習していても何もおこりません。

 

どちらかというと、あまりコード進行も決めずに

インプロビゼーションをする中で、

そういう境地に入ることもありますが、

入れないときもあります。

 

人間の脳というのは、本当に不思議なものです。

自分ではなかなかコントロールはできません。

しかし、音楽というとてもピュアな芸術には

自分の脳を解き放つことのできるスイッチが

潜んでいるように思えます。

 

そのスイッチが入るかどうか、これは

自分ではわかりません。

 

しかし、その境地に入った瞬間、

ものすごく気持ちが良いことは確かです。

 

僕は、とくにピアノを演奏しているときは

やはり、集中力がでます。全身が耳。

そんな感じですが、その状態は

まだ序の口で、本当に音に憑依する状態は

そうは簡単に入れません。

 

前も言いましたが、いつもフォルテワジマで

弾いているベーゼンドルファーは

どちらかというと、そのピアノのおかげ?で、

音と一体化しやすいです。

 

何事も芸事というのは

いくつもの段階があって、

修練することで、

思わぬ自分を発見することができるものです。

それはあらゆるジャンルにおいて

同じことが言えると思います。

 

日々の鍛錬あるのみですね。

 

 

 

 


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