社会人になってから初の長期休暇に向けて密かに準備中
ドキドキ~、ワクワク~
試験終了後、初の関門が有給願いでした。
もともと夏休みや冬休み、リフレッシュ休暇などのまとまった休みがない職場。
おまけに旅行好きの同僚もいないので「何?何連休!?」と数えられてしまった
そして「今度どこの山や~」「よく行くね~」「山なんか信じられない」と相変わらずの変わり者呼ばわり。
それは私にとっては大いに結構。 だって他の人にすべて分かってもらえるとは思っていないし、何とでもお好きに評価してくださいな、といったところ。
なんと小学生のときから「自分は自分、他人は他人」と発言していた私。
「変わっているね」の言葉でさえ今や褒め言葉である
先日、大学の先生と食事していて、読書から登山、仏教、成功哲学に至るまであれやこれやと話していたら、「やっぱり変わってるよね~、その年で普通いないよ」と言われてしまった。
私には普通なんだけどなぁ
そうなんです。みんな無意識に「あの人変わっている」というけれど、どこかで思っている、「自分以外の他人はみ~んな変り者」だって・・・。
「変」と「普通」の基準って何だろう。どこ?誰の?
それは間違いなく、自分の、でしょう。その枠から外れると「変わっている」ことになる。
そして自分パラダイムからは想像もつかない行動をする人を「変わり者」と一線を画するわけだ。
「あの人、理解できないわ・・・ブー」
例えば何かにつけて原則やルールを盾にとって他人を避難する人っていないだろうか。
それは自分の考えやこれまで経験に照らしていえば「正しいこと」なので、相手を傷つけていることにも気付かない。
でも実は、これも自分の身を守る術だったりする。それに自分が指摘されることは気づきにも通じる。
だから必ずしも全てがマイナスとは限らない。
つまりは受け手の選択次第である。だからむやみに落ち込むこともない
どうぞどうぞ、何とでも言ってくださいな~
あまり言うとふてぶてしいが、自分を知っているとはいちいちぶれないということでもある。
ただし、ここで注意すべきはただ一つ
自分もどこかで同じように他人を違う人種だと決め付けて避難してはいないだろうかということ。
他人が犯す過ちは自分もやってしまう可能性があることを忘れてはいけない。
「賢い人とは、自分の心をコントロールしている人であり、愚かな人とは、逆にそれにコントロールされている人である。…自分の心をコントロールしていない人は、真の意味では生きていない人である。」
(「きっと!すべてがうまくいく」ジェームズ・アレン)
今年2月に読んだ際、「環境が人を作るのではない。環境は私たちに、私たちがどんな人間であるかを知らせてくれるだけ。…結局、私たちは、どんなときにも、自分が学び成長を遂げるために最適の場所にいる。そして、私たちがある環境で必要なことを学ぶと、その環境はまもなく、次の新しい環境に取って代わられることになる。」という言葉にも付箋をつけていた。
出会った瞬間、ズバリと言い当てられたことに衝撃を受けた
経験的にそうかもしれないと思い始めた矢先だったからだ。
これは人と人との出会いと別れを示唆しているだけではなく、人生には何一つ無駄なものはないというメッセージでもあり、ひいては人間は果たすべき使命を持ってこの世に誕生するという生きがい論でもあると思うのだ。
今日、会議の後片付けをしながら、現在妊娠中の同期に話した。
「赤ちゃんはあの世からこの世に来るとき既に自分の使命を持って、それを果たすため覚悟してあの男性とあの女性の間に生まれよう、エイっとお腹に入るんだってだからお腹の赤ちゃんはここを選んで来たんだね」
「人はそれぞれ「自分らしく成長する」ためにこの世に生まれてくる。自らの魂を磨くために、それが喜びであれ、苦しみであれ、必要な出来事を、自分で自分に引き寄せる。つまり、自分に起こることがどんなことでも、自分の益になるように、自分で選択して、引き起こしているのである」(ベティー・イーディー)の言葉には、大きくうなずいてしまう。
私は時々本気でうちの両親を、この家族を、自ら選んだのだなぁと思うのである
それは例えばエニアグラムで私は「タイプ7」であると診断されたとき、「そっか~、だからこの両親の子供なんだなぁ。私にとって最高の場所に生まれてきたんじゃん」と逆に納得したくらいだ。
しかしその同期は、「え~っ、絶対自分はうちの親を選んできていないよ。ありえない」と言っていた。
どうやら小さいときから両親との関係がよくないらしい。特に母親とは一緒にいて半日が限界と言っていた。
実はそれも自分の果たすべき使命の一つかもしれないのだが…。
読んだ人の9割が涙した感動のストーリー、野口嘉則さんの「鏡の法則 人生の問題を解決する魔法の知恵」を思い出した。
SBC読書会の課題図書「7つの習慣」の副読書として推薦されたこの本はPDF「鏡の法則」でも読むこともできる。
確かに泣ける・・・非常に仲のいい家族に生まれ落ちた私でも泣けた 同期はこうも言っていた。
「こないだ性別を調べたらね、男の子だったの。それがさ、うちの母親、なんて言ったと思う『な~んだ、男の子か、女の子がよかった』だって。それってひどくない?初孫だしどっちでもいいじゃん。それなのにいつもいつも一言余計なんだよね。ホント頭にくる」
なるほど、確かに言われたくないかも・・・。
なんて返したらいいかわからず「そっか~」と聞いていたが、その後、「もしかしたら、お母さんにとっては、娘がいたことが嬉しかったんじゃないのだからあなたにも女の子を産んでほしいなぁって思ったのかもよ」と言ってみた。
最初彼女は目を白黒させていたが、「いや、うちの母親はそういう人ではない。ホント私とは合わないんだよね。」とどこかに行ってしまった・・・。 ダメだこりゃ。それって、彼女とお母さんが似ているから頭にくるんだろうなぁ・・・と思ったけれど、本人には口が裂けてもいえません
「あなたの周りの人たちは、あなたを映し出す鏡にほかならない。」という「原因と結果の法則」は、その働きを永遠にやめることはない。そして何よりも、この単純な真理を忘れないことである
元気な男の子を産んで、慈しみ育ててね