独立系FPを目指すブログが、農業日記になりつつある今日この頃
本日の収穫です
誰しも知っているオクラですが、花はなかなか見ないと思います。
午前6時ではまだ気温が低く、花は開き始めたばかりでした。
オクラの花と芙蓉の花、とても似ていますね
アゲハ蝶が羽を休めていました。大きなオクラの葉っぱが気に入ったようです
今週は毎日、秘伝の枝豆で晩酌、グビグビグビ~
苦~い皮が大人の味アケビももうすぐですね。
さて、県内最大の公募美術展として、歴史と伝統を誇る第64回県総合美術展(県美展)に行ってきた。
知り合いの画家さんから招待券をいただいて毎年足を運んでいる。
今年も日本画、洋画、彫刻、工芸4部門の入賞・入選作など494点の力作が並んだ。
普段はあまり見ないが、日本画は良かった。一方、彫刻や工芸はおしかった。なぜなら、「この作品、どうなってるのかなぁ」と興味を持っても裏側が見えない・・・つまりたくさんの作品を受け入れ」すぎて、展示のスペースに余裕がないのだ。痛し痒しであるが、素人目からしても、ちょっともったいない気がした。
常設展のうち、吉野石膏コレクションには必ず立ち寄る。大胆不敵にもシャガールとピカソに囲まれたソファーで寝てしまった
しばしの極上空間、ありがとうございました。
引き続き、女流美術展へ。
こちらは名前の通り、県内で活躍されている女性芸術家による作品展で今年で21回目となる。
楽しみだったのは、ある先生の作品。
私が小学校4年生のときに、読書や山登りやネパールの勉強をさせていただいた「自由学校」という課外活動の先生の奥様が出品されているのだ。
これまでネパールの作品しか見たことはなかったが、今回初めて見る静物画も人柄がにじみ出るような優しいタッチだった。先生が亡くなられてだいぶ経つが、相変わらず描き続けていらっしゃる奥様のご様子を伺えただけでも行ってよかったと思う
そして夜は志の輔落語を聞きにいってしまったわけで、(口に出してはいけないと知りつつ)やっぱり忙しい。
もちろん分かっている。自分で忙しくしているってこと。
そしてその優先順位のつけ方は、自分にとって楽しいこと~
昔から全然変わらないなぁ
自分のことを知るのは、他人のことを知るよりも時にずっと難しいことである。
それでも自分が惹かれるもの、惹かれる人、惹かれる言葉を集めてくると、なんとなく自分ってこういう人間なんだなぁと分かってくる。
幼稚園か小学生のときだったか、「あぁ家族」という昼ドラがあった。
その主題歌は、沖縄民謡の「花~すべての人の心に花を~」
なぜかその歌がすっかり気に入り、
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
とその身空で歌っていた
今でもこのフレーズは大好きだ。
川は流れて どこどこ行くの~
人も流れて どこどこ行くの~
そして相も変わらず、
苦しいときには、水を想え
悲しいときには、風を想え
良寛のように、「こだわりを捨て日々を楽しむ。水のように、風のように。」
また、道元のように、「ゆるゆると水の流れのままにきて、咲く花を追っていくうちにここに至りました。」なんてカッコいいじゃいですか。
はたまた、老子に学ぶ、「上善若水 水のように生きるのが最高の生き方である。」
水とは柔らかくも強い。万物に恵みを与え続けているのに威張ることなく低いほうへ低いほうへと流れていく。
謙虚だねぇ
なるほど、私はこういう人間になりたいのだな
「なんだか最近分かってきたぞ~」
しかしこういうことを口に出すと、途端に分からなくなる・・・。だからこそっとしかいえない。
私だけかもしれないが、「これはきっと自分にとって何かいいことに違いない」と見越してやると、なぜか失敗に終わったりする。それと同じだ。
原理はわからないが、そういう思い上がりを抱いた瞬間に周りが変化し、また自分は振り出しに戻ってしまうのだ。いつまでたっても成長したかと思えば逆戻り・・・
皮肉なものだ。
謙虚であれ、素直であれ、とは、真理なんだね。
本日の収穫です
誰しも知っているオクラですが、花はなかなか見ないと思います。
午前6時ではまだ気温が低く、花は開き始めたばかりでした。
オクラの花と芙蓉の花、とても似ていますね
アゲハ蝶が羽を休めていました。大きなオクラの葉っぱが気に入ったようです
今週は毎日、秘伝の枝豆で晩酌、グビグビグビ~
苦~い皮が大人の味アケビももうすぐですね。
さて、県内最大の公募美術展として、歴史と伝統を誇る第64回県総合美術展(県美展)に行ってきた。
知り合いの画家さんから招待券をいただいて毎年足を運んでいる。
今年も日本画、洋画、彫刻、工芸4部門の入賞・入選作など494点の力作が並んだ。
普段はあまり見ないが、日本画は良かった。一方、彫刻や工芸はおしかった。なぜなら、「この作品、どうなってるのかなぁ」と興味を持っても裏側が見えない・・・つまりたくさんの作品を受け入れ」すぎて、展示のスペースに余裕がないのだ。痛し痒しであるが、素人目からしても、ちょっともったいない気がした。
常設展のうち、吉野石膏コレクションには必ず立ち寄る。大胆不敵にもシャガールとピカソに囲まれたソファーで寝てしまった
しばしの極上空間、ありがとうございました。
引き続き、女流美術展へ。
こちらは名前の通り、県内で活躍されている女性芸術家による作品展で今年で21回目となる。
楽しみだったのは、ある先生の作品。
私が小学校4年生のときに、読書や山登りやネパールの勉強をさせていただいた「自由学校」という課外活動の先生の奥様が出品されているのだ。
これまでネパールの作品しか見たことはなかったが、今回初めて見る静物画も人柄がにじみ出るような優しいタッチだった。先生が亡くなられてだいぶ経つが、相変わらず描き続けていらっしゃる奥様のご様子を伺えただけでも行ってよかったと思う
そして夜は志の輔落語を聞きにいってしまったわけで、(口に出してはいけないと知りつつ)やっぱり忙しい。
もちろん分かっている。自分で忙しくしているってこと。
そしてその優先順位のつけ方は、自分にとって楽しいこと~
昔から全然変わらないなぁ
自分のことを知るのは、他人のことを知るよりも時にずっと難しいことである。
それでも自分が惹かれるもの、惹かれる人、惹かれる言葉を集めてくると、なんとなく自分ってこういう人間なんだなぁと分かってくる。
幼稚園か小学生のときだったか、「あぁ家族」という昼ドラがあった。
その主題歌は、沖縄民謡の「花~すべての人の心に花を~」
なぜかその歌がすっかり気に入り、
泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
とその身空で歌っていた
今でもこのフレーズは大好きだ。
川は流れて どこどこ行くの~
人も流れて どこどこ行くの~
そして相も変わらず、
苦しいときには、水を想え
悲しいときには、風を想え
良寛のように、「こだわりを捨て日々を楽しむ。水のように、風のように。」
また、道元のように、「ゆるゆると水の流れのままにきて、咲く花を追っていくうちにここに至りました。」なんてカッコいいじゃいですか。
はたまた、老子に学ぶ、「上善若水 水のように生きるのが最高の生き方である。」
水とは柔らかくも強い。万物に恵みを与え続けているのに威張ることなく低いほうへ低いほうへと流れていく。
謙虚だねぇ
なるほど、私はこういう人間になりたいのだな
「なんだか最近分かってきたぞ~」
しかしこういうことを口に出すと、途端に分からなくなる・・・。だからこそっとしかいえない。
私だけかもしれないが、「これはきっと自分にとって何かいいことに違いない」と見越してやると、なぜか失敗に終わったりする。それと同じだ。
原理はわからないが、そういう思い上がりを抱いた瞬間に周りが変化し、また自分は振り出しに戻ってしまうのだ。いつまでたっても成長したかと思えば逆戻り・・・
皮肉なものだ。
謙虚であれ、素直であれ、とは、真理なんだね。