前に、アルコール依存症の人のことを好きになった。
肝硬変をおこし、食道静脈瘤が破裂するほど、状態は悪かった。
糖尿病も併発していた。
なのに、毎日、700ミリの泡盛、ビール何缶かは欠かさない。
40も過ぎて働きもせず、70近い母親が近くのホテルの厨房でパートで働くお金で、親子2人暮らしていた。
家は、あばら家といっていい状態だった。
自分が重なる。
こんなはずじゃなかった。大学のときからキャリアを考えていた。
ずっと、良かれと思って、道を選んできた。
退職して、年老いた親の年金の世話になる。
これから、就職だってできるんだろうか。
この家が、あばら家になるのが目に浮かぶ。
ここ以外、いくところが無いのだから。
アルコール依存症の彼も、淋しい病だった。
よく、電話がかかってきた。ある日を境に、とらないことにした。
アルコール依存症の彼も、働いたり、家の手伝いもしたいと思っていただろう。
肝硬変で糖尿病で、栄養失調状態で、一日中酔いが醒めない状態では、それもままならなかっただろう。
わたしも、覚醒リズムが悪くて、肥満で、軽い抑うつでは、簡単な作業もままならない。
彼と同じだ。
何かを変えないと、ああなってしまう。
これを、焦りというのか。