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昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

変見自在 高山正之の本は面白い52 中国には飴より鞭がいい

2014-01-25 00:46:58 | 読書と映画
中国には飴より鞭がいい 2004/8/26

「中国政府は相変わらず反日運動を推進している。学校の教科書に反日プロパガンダを刷り込み『大嫌いな日本』という歌まで作って授業で毎日歌わせる。 国際会議で中国人は『今も昔も全ての国と誠心誠意お付き合いしています。然るに敵は謂われなき罪を被せ、付け込んでくるのです』と……」
先日の北京でのアジアカップ決勝戦では六万の中国人が揃って日本人サポーターに中指を立てたり、ブーイングしたり、伊豆・波勝の猿みたいに下品なポーズで喚いてみせた。 

あまりじゃないのと指摘されると外務省報道官は日頃の反日教育には触れないで 「ごく少数の行為を日本のマスコミが政治的に誇張した」 と逆に日本に因縁をつけてきた。
冒頭の一文は、そういう恥知らずな中国の対応を論じたようにも見えるが、実を言うとこれ、70年前に米外交官ラルフ・タウンゼントが書いた『暗黒大陸・中国の真実』(芙蓉書房出版)の一節なのだ。

その頃は国民党の蒋介石の治世。70年たった昨今は江沢民、胡錦濤の治世になるが、やっていることも言っていることも進歩がないというか、恐ろしくよく似ている。 
念のため言えば、タウンゼントがこれを書いたのは昭和8年、江沢民が反日の原点のように言い立てた南京事件の4年前で、要するに何もなくても反日はやっていたわけだ。
 
ところで筆者のタウンゼントは、引用した一節でも分かるように中国には批判的でその分、日本を公平に見ている。 それで真珠湾の後、その論調が厳しく非難され投獄もされている。
著作も長らく埋もれてしまったわけだが、だからと言って彼は日本贔屓かというとそうではない。 本の中にあるように白人にとって黄色い日本人や中国人は「虫酸が走る」もので「我々(白人)は本能的に人種差別している」ことも素直に認めている。
それで日中を冷静に論評するから説得力があり、さらに言えば 「世界に冠たる詐欺師、ペテン師で掠奪から人殺しまで何でもしながら責任逃れは上手」(同)な中国人をどう扱うか、日本はどうすべきか、の大きな示唆も与えている。

ケーススタディとして挙げているのが福建省の福州で起きた外国人市民殺害事件とその対応だ。
一つは英国人の女性宣教師二人が野盗に捕まった事件で、二人は私設法廷で中国を犯す「帝国主義者」と断罪され、生きたまま体中を切り刻んでいく凌遅の刑で処刑された。 こういう野盗グループの背後には「国民党がついていた」とタウンゼントは言い、この酷たらしい宣教師殺しも英国の出方を窺う狙いだったという。 しかし英国は日中を引き離し、中国を取り込む戦略を優先して騒がなかった。以後、中国人は英国をなめ切って好き放題を始めたと同書は言う。

この騒ぎに続いて日本人学校の教師夫妻を中国人秘密結社、つまり野盗グループが「殺す」と脅してきた。
日本総領事館はただちに対応するが、それが 「(日本は)馬鹿馬鹿しくも主権国家に対する礼儀を重んじ中国側当局に事情を説明して、夫妻の警備を要請した」。中国側は誠実そうに夫婦の家に兵士を配置し警備に当たるが、ある夜、兵士が突如消え、その間に野盗は易々と襲撃して夫婦を殺してしまう。 「当局が野盗と組んで襲撃時に警備を引き揚げさせた。

信頼させて寝首を掻くいつものやり口」だった。
田村総領事は怒り、「中国側に警備の手落ちがあったのだから中国当局には5万ドルの賠償を願う」と談じ込んだ。 中国側は今回の外務省報道官のように言い逃れるが、総領事は 「軍艦数隻がこちらに向かっている。熟慮されるよう」促した。 中国側は、日本の軍艦が到着する直前に5万ドル、耳を揃えて持ってきた。
タウンゼントが言いたいのはこの後。
「この件があってから福州では日本人に対する態度が一変した」 日本人殺害はもちろん、あらゆる反日行動がぴたりと止んだ。日本人は最高の扱いを受け、最も尊敬される外国人となった」。 そして日本総領事館には台湾行きのビザ取得に中国人が市をなした。中国では働いても役人に搾り取られるが、日本領台湾ではそんなことがないからだ。 それに対して米国は英国と同じに「軟弱外交ゆえに反米運動の対処に忙殺された」。 中国と友好第一で付き合う愚がよく分かる本だ。

10年も前の記事であるが、今はもっと反日の度合いがひどい。この頃は反日デモや日系企業・商店の襲撃はなかった。
最近の中国の態度はひどいと日本だけでなく周辺国は皆思っている。
民度の低い国が金をふんだんに持つとこうなってしまう悪例が中国だ。
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変見自在 高山正之の本は面白い50 外交官は命を賭して

2014-01-22 02:55:16 | 読書と映画
外交官は命を賭して 200/4/1/1

1913年、政情不安のメキシコでマデロ大統領の腹臣がクーデターを起こした。大統領は処刑され、大統領夫人と子供たちはクーデター派の軍隊に追われて日本公使館に助けを求めてきた。

夫人にとって幸せだったのは、公使館の主が瀋陽の岡崎清総領事とは全く別のタイプだったことだ。公使は喜んで彼女らを匿った。
彼は堀口九萬一といった。長岡の出身で息子の大学は後に詩人として知られることになる。やがて追っ手の軍が公使館に殺到した。外の騒ぎを聞きつけて堀口は公使館の表玄関に日の丸を敷いて仁王立ちになり 「彼女らを捕まえるというなら私を倒し国旗を踏んで館内に入るがいい」 と大音声した。
「日本と戦争する覚悟でやれ」と。 外交官特権とか身の安全とかが保証されるのはもう少し先の話になる。文字通り命を張った対応に革命軍は気圧され銃口を下げた。 堀口はさらに単身クーデター派の総大将ウエルタに掛け合いに出かけて「窮鳥懐に入る」諺を語り、大統領の家族の身の安全を約束させた。

それから60年後の1973年、スーダンのサウジアラビア大使公邸がパレスチナゲリラ「黒い九月」に襲われた。公邸にはパーティに招かれたクレオ・ノエル米大使とその家族も含まれていた。 「黒い九月」は捕まった仲間の釈放を求め、それが拒絶されると米大使の処刑を宣言した。その日の朝、大使は妻に「愛している」と、そして息子には「私に代わって母を頼む」と伝え、毅然として邸外に出ていった。夫人はその直後、数発の銃声を聞いている。

外交に友好などない。国益が何かを判断する頭脳と勇敢さと、同時に男の死に方も知っている者のみが外交官になれる。

二人の外交官の生き様がそれを示しているが、ただ戦後日本の外交官は一切そういうマナーを捨てた。

いい例が米大使処刑の翌年、日本赤軍がクウェートの日本大使館を襲った事件だろう。
石川良孝大使は大使館内の女子更衣室に潜んでいるところを見つかり、日本に涙声で電話をかけ善処を乞うた。要するに命乞いだ。 外務省は日本の名誉より大使の命を大事にして日本赤軍の要求をすべて呑んだ。この恥さらしの大使は後に栄転している。
同じ年、日本赤軍はハーグの仏大使館を占拠し、仲間の釈放を求めた。この時に日本の外交官が身内の外交官の安否を確認するために無線交信をした。 実は日本では外国公館が無線交信するのを禁じてきた。ところが日本人外交官が外国で無線を使ったわけだ。

外交の世界は何事も互恵平等だ。日本は各国に無線使用を認める羽目になり、狸穴のソ連大使館も葵町のアメリカ大使館も屋上にアンテナを林立させ東京は一瞬にしてスパイ天国になった。短波放送で数字を並べていた北朝鮮も晴れて無線通信で拉致を指示しはじめた。
日本の外交官に国益意識など、かけらもないことがよく示されている。
今の日本の外交官はひたすら御身大切だ。
インドでは危ないパンジャブには人は出さない。パキスタンではカイバル峠の向こうには行かない。レバノンが危なくなれば大使はさっさとシリアに疎開した。 今の上村司駐イラク大使もさっさと引っ越した。そんなのは外務省に聞くまでもない、当たり前のことだった。
そしたら官僚上がりの川口外相が世間の顔色を見て止めさせた。かくて引っ越しは中止、今は健気に頑張っている風を装っている。
その地で日本人外交官が撃たれて死んだ。 二人の生き様が新聞に載ったが、正直、我々の知る日本人外交官とは思えなかった。案の定、奥克彦氏は早大、井上正盛氏は熊本大出身で、東大卒の外務官僚本流ではなかった。汚い仕事は非東大組に任せ連中はひたすら逃げ回る姿は国際社会ではよく知られている。 死んだ二人を日本人外交官の象徴と思ったら、とんでもない大間違いだし、何より勇敢だった二人にはうんと失礼になる。

外務省が害務省と言われて久しい。外国に赴任した大使は現地では”閣下”と呼ばれるらしい。
待遇も飛び抜けて良いらしい。私はそれでも良いと思っている、経済大国の日本の大使だもの・・・・・
いざという場面でこの堀口公使の様な働きが出来るならばだが・・・・
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永遠の〇(ゼロ)

2014-01-21 01:46:40 | 読書と映画
百田尚樹氏が素晴らしい。
「海賊とよばれた男」が書店で山積みになっているが、それ以上に「永遠の〇(ゼロ)」が書籍でも映画でも大ヒット中だ。

私はハワイに出掛ける時にこの文庫本を持ち込んだのだが、引き込まれるように読み続け感動で胸が熱くなった。
この〇(ゼロ)はゼロ戦のゼロなのだが、映画も見てきた冒頭は真珠湾攻撃であって、それをたまたまハワイで読んでいたということになる。
ゼロ戦の飛行士で最後は特攻攻撃で亡くなった祖父の軌跡を現代の孫が尋ねて真相が明らかになるのだが、そこに至る展開は圧巻だった。


ゼロ戦の優秀さは当時際立っていた、私の友人がこれについて記したものを以下にコピーさせていただきます。
大正5、6年(1916,17)頃まで、日本は外国機の製作権を入手し、外人技師を招聘して、その技術指導のもとに機体やエンジンの設計製作を進めるのが、せいぜいだったそうです。
その後、日本人自身の手で設計・製作するようになるが、欧米先進国の模倣に過ぎなかった。

昭和7年(1932)に、海軍の航空本部技術部長・山本五十六少将他の提案で、日本独自の航空技術を生み出すために、外国機の安易な模倣を禁じて、民間各社に自社設計を命じた。
真珠湾攻撃のわずか12年前の事でした。

昭和10年(1935)に三菱重工名古屋航空機製作所が完成させた試作機は、当時世界の最新鋭機の最高速度410キロを破って、450キロを達成し、それまでにない高速で急上昇や急降下をして見せた。
紀元2596年の96を冠して、この戦闘機は96式艦上戦闘機として制式に採用され、約1千機が生産された。
その設計主務者が、次に零戦を開発する堀越二郎技師でした。

次期戦闘機の計画要求について堀越技師に課せられたのは、最大速度は500キロを要求し、外国でも実用機では例のない20ミリ機銃2挺の装備が要求され、さらに航続距離、旋回性能、上昇性能など、外国の一流機の水準を超えたあまりに厳しすぎる要求だった。

早速、堀越のチームは、軽くて強度のすぐれた素材はないかと探し、住友金属工業で、それまでの超ジュラルミンより抗張力を3~40パーセント強めた超ゝジュラルミンを開発した事を聞いて、さっそく採用した。
さらに少しでも機体を軽くすべく、機体表面のビスの頭を削り、強度に関係ない部分に2、3ミリの穴を数多く開ける事までして機体の軽量化を図った。

日本の飛行機としては初めての引き込み脚を採用し、空気抵抗を少なくして、航続距離を伸ばし、翼の面積は思い切って広く取り、旋廻性能を良くし、空母からの離着艦を容易にした。
こうして設計された機体は、96式艦上戦闘機よりもスマートな美しい形状をしていた。

昭和14(1939)年3月16日、第一号機が完成した。
最高速度は、海軍の要求を上回る時速533キロを記録した。
当時のドイツとアメリカの最新鋭機の速度、それぞれ444キロ、426キロを、はるかに凌ぐスピードであった。

海軍の熟練パイロットによる試乗テストが行われ、「96式艦上戦闘機に比べると、最高速度は相当増しているのに、着陸が容易なのは大いに良い」と好評だった。
昭和15年の紀元2600年を記念して、末尾の零をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられた。

昭和16年(1941)12月8日から、航空常識を覆して世界の航空史は新しい時代を迎えた。
まず12月8日、ハワイ・真珠湾に停泊中の戦艦8隻からなる大艦隊を、航空母艦から飛び立った航空機のみの攻撃で壊滅させた。
同じ日から10日にかけて、台湾の台南、高雄両航空基地から飛び立った大編隊がフィリピンの米軍航空基地への渡洋攻撃を襲い、壊滅的打撃を与えた。

渡洋攻撃した零戦34機を2倍近い米戦闘機群が包囲して、大空中戦が展開されたが、米軍機44機が撃墜され、零戦の被害は一機のみであった。
米軍は、まさか戦闘機が台湾からフィリピンまで飛んで攻撃できるとは夢にも思わず、その後の数日間、フィリピン近海に航空母艦がいるはずと必死に探し回って、日本の航空隊指揮官たちを苦笑させた。

12月10日、南進する日本の大輸送船団を攻撃しようと出撃したイギリスの誇る新鋭不沈艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、巡洋戦艦「レパルス」を、日本軍は航空攻撃のみで撃沈した。
当時、世界最強と言われたドイツ空軍でも、2年3ヶ月もイギリス艦隊と戦って、戦艦はおろか、一隻の巡洋艦すら沈めていなかった。
飛行機では大艦は沈められない、という世界の常識が覆された。

開戦劈頭の戦果は、当時の世界水準から抜きん出た日本の航空技術によって、もたらされたものでした。
米軍パイロットにとっては、まさに悪夢でした。
彼らは圧倒的な工業技術力を誇る米国が作り出した戦闘機と、自分たちの優れた操縦技能からすれば、日本が物真似で作った戦闘機など、簡単に撃ち落とせると考えていた。

しかし、目の前に現れた戦闘機は、見た事もない、ほっそりした優美な姿をしていた。
そして、遭遇したと同時に、驚くほどのスピードで突き進んでくる。

格闘戦に入った途端、呆れるほどの上昇力と旋回性能で、すぐに自分の後ろについてしまう。
そして、そのひ弱そうな機体からは想像もつかない大口径の機銃が火を噴くと、たちまち彼らの戦闘機は火災を起こし、一直線に落下して行くのでした。

米軍パイロットにとって、零戦は戦闘機と言うよりも、神秘性を帯びた奇怪な飛翔物だった。
あるパイロットは、その飛翔物と出会うと、友軍機がそれぞれ競い合うように、自ら墜落していったように思えた、と怯えて語った。
米軍パイロットたちが、日本の航空機など敵ではない、と考えていたのは、無理からぬ事でした。

その零戦も、大東亜戦争末期のフィリピンや沖縄での戦いでは、零戦を中心とした特攻作戦が大きな戦果をあげ、米軍を恐怖に陥れた、体当たり攻撃機として最期を歴史に残す事になります。
結局、零戦は支那事変から大東亜戦争まで5年間も第一線で主役を務め続け、世界航空史に画期的な一頁を残したのです。


百田尚樹氏は安部首相の誕生に寄与していて、その後もWILLなどで度々会談をしている。安倍さんとの親交も深い。
新たにNHKの経営委員にも就いて、今後の日本を支える重要な役割を果たしてくれると期待している。
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変見自在 高山正之の本は面白い49 日本の判事は国を売る

2014-01-17 03:26:12 | 読書と映画
日本の判事は国を売る 2003/12/11

米ジョージア州のフリーウェーでトヨタ・カローラが前を走る大型トレーラーに追突し、乗っていた二人が大怪我をするという事故があった。
本当は居眠り運転だったのだろうが、運転していた男は 「下り坂で突然アクセルが戻らなくなった。事故は車の欠陥が原因だ」と言い出してトヨタをPL法で連邦地裁に訴えた。

米国ではよくある言い掛かり訴訟の一つだ。
嘘がばれてもともと。でも今回はカモの日本企業が被告だし、判事が心得ていてさえくれれば大儲けできるはずだと原告は皮算用していたのかもしれない。

しかしトヨタもずるい米国人相手に商売をしてきた。その辺は十分心得ていて権威ある研究所で事故車を徹底的に調べさせ、事故当時アクセルが正常だったことを法廷で立証した。 原告は恥知らずにも 「いや実はブレーキが利かなかった」 と告訴理由の変更を言い出した。判事は驚いたことに同じ米国人原告に理解を示し変更を認めた。彼もまた恥を知らなかった。
トヨタもそれぐらいは想定内のことで、ブレーキも正常だったことを立証した。普通の国ならここで終わるが、そうはいかないのが米国だ。

原告は三たび理由の変更を申し立てた。 「事故原因はブレーキペダルの下にフロアマットが折れ込んで減速できなかった」 というものだった。 判事も三たび原告の主張を採用して、トヨタにフロアマットが絶対に折れ込まないことを証明せよと迫った。トヨタもさすがに絶句した。かくてトヨタに事故の責任が認められるとして、判事はトヨタに200万ドルの損害賠償を命じた。

これは米国での例だが、どの国でも「裁判は自国民の利益に」という語られざる原則がある。
中国もそれは同じで、例えば可哀想なオリックス。
中国人はリースでモノを借りても頭金を払っただけで後は一切払わない変な主義がある。リース料を払わないどころか、ときにはリース物件をよそに転売する、つまり取り込み詐欺も平気でやる。で、オリックスが訴訟に持ち込む。当然、勝訴するが、それでは裁判所が自国民に不利な判決を下すことになる。 それで裁判所がオリックスの訴訟を受け付けなくなった。受け付けなければ裁判をしなくてすむから自国民に不利な判決を下さなくなるというわけだ。

裁判に言う管轄権とは漁業で言う排他的経済水域と本質的に同じだ。管轄権のあるところでは裁判所はどんな汚い手を使ってでも自国民に有利な判決を出します、逆に不利なことは葬ってしまっても一向に構いませんという領域を言う。

旧日本軍の毒ガスにやられたという中国人に東京地裁の片山良弘判事が 「日本政府が悪い。約2億円を支払え」 という判決を下した。敗戦のどさくさに日本軍が遺棄した毒ガスは日本政府がきちんと対応すべきだったという解釈だ。
しかし、この判事は大きな誤りを犯している。まず判事は自国民の利益を第一に考えるという鉄則に違反したこと。 第二に日本人としてあまりに無知で、日本に「敗戦のどさくさ」がなかったことも知らなかった。

あのとき日本軍は不意に攻め込んだソ連軍と8月15日まで戦い、そして間を置かず武装解除だ。それこそが毒ガスから鉄砲一挺まで引き渡したことがソ連の公刊戦史にある。この兵器は中国政府が引き取り、その後は中国人が持ち出して今回の被害者と同じに鉄屑にしようとして解体中に火傷した、といった話が聞こえている。中国軍に直に引き渡した証文も出ている。遺棄でないことは北京政府も被害者もみんな知っている。

ただ彼らはリース料をとぼけたように、カネになると思えば見事に知らないふりをして見せる。
それに乗せられた片山判事の愚かさには呆れる。あるいは他国民にも等しく法の利益を考えるのが素敵な判事だとでも思い込んでいるのか。こんなアホな判決を続けていると裁判員制度になったあと「プロの判事はいらない」なんていうことになるかもしれない。

「裁判は自国民の利益に」が本当にいいのか?は多少の疑問は残るが・・・・・・
トヨタの裁判のひどさにはあきれる。こうした時に、アメリカにある領事館は全くの非協力だとも聞いている。
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変見自在 高山正之の本は面白い48 マッカーサーの本性

2014-01-12 03:01:14 | 読書と映画
マッカーサーの本性 2007/7/12

真珠湾と同じ日の朝、台湾を発進した約200機の陸攻(山口注:陸攻=陸上攻撃機の略。日本海軍は双発の大型爆撃機を、こう呼んだ)と零戦がフィリピンの米軍基地を叩いた。
いわゆる渡洋爆撃である。
これでB17爆撃機18機を含む108機が破壊、または撃墜されたが、それを目の当たりにしながらマッカーサーは「日本機は空母から発進した」「操縦士はドイツ人だった」と大きな判断ミスをした。

司令官としては相当お粗末だが、彼のお粗末はこれだけではなかった。
日本軍が上陸すると彼はコレヒドールの要塞に逃げ込む。
さらに戦況が悪化すると彼は部下を見捨ててさっさと身内だけでオーストラリアに脱出した。
「I shall return(必ず帰ってくる)」と彼は言い訳するが、これでは南京城から土壇場で逃げ出した蒋介石軍の唐生智と同じではないか。
唐生智はその後、中共に寝返って出世するが、マッカーサーも同じように栄光の道を歩む。

もっとも米兵士の間では批判は当然あって、敵前逃亡という意味で「I shall return」を使ったとどこかに書いてあった。
彼のよろしくない本性は日本が負けた後、剥き出しになる。
彼はフィリピンで戦った本間雅晴中将にでっち上げの罪を着せて無理矢理死刑にした。
それは旅順攻略の後、降伏したステッセル将軍に帯剣を認めて礼を尽くした乃木大将とは大違いだった。
「米国には欧州と違って騎士道精神を醸した中世が無かった」から米国人に騎士道はないと西尾幹二の『沈黙する歴史』にある。

マッカーサーはその意味で典型的な米国人だった。
彼は日本で皇帝のように暮らしているうちにトルーマンに馘にされた。
やれやれと思う日本人の中で独り惜別の涙を流したのが朝日新聞だった。
彼の去る日、この新聞は「我々に民主主義の良さを教え、この明るい道へ親切に導いてくれた」「日本国民が民主主義への道を踏み出していく姿を喜び激励してくれた」「マ元帥の偉大な功績を私たちは忘れない」と社説に書いている。
「敬愛する首領様」とやる北朝鮮テレビのおばさんの口ぶりと似ている。

彼はこの新聞の愚かぶりが気に入って論説主幹の笠信太郎らに「国家は敵だ。憲法の前文にそう書いたから毎日それを唱えて新聞を作れ」と命じた。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに」というくだりだ。
笠らは感涙にむせんで国家を永遠の敵にすることを誓った、と思われる。
なぜなら以来この新聞は国の施策に悉く反対する紙面を作り続けてきたからだ。
きっとマッカーサー様がお喜びになる、と。

だから警職法改正案が出ると「警察国家になる」と言って潰し、国が社会保障番号の導入を考えると「あなたは番号で管理されたいか」と囃して廃案にした。
今の社会保険庁の不始末はそれが実現していれば起きようもなかった。
今回のトラブルは朝日が生みの親ともいえる。
日本を攻撃できるならこの新聞は何でも利用した。
江沢民が南京大虐殺を言い出すと、当時、南京に何十人もの記者を出していて何が起きたかを知っていながら江沢民の嘘を支持、マッカーサーの言う通り日本を攻撃する材料にした。
朝鮮人の言う「従軍慰安婦」も構造は同じだ。

ちょっと前、茨城県神栖町(現神栖市)の井戸水からヒ素が検出され、それを飲んだ住人に中毒症状が見られた。
朝日新聞はそれが旧日本軍の毒ガス成分に似ていることと現場が旧鹿島航空隊基地に近いことで、軍が毒ガス弾をここに遺棄、それが今頃になって漏れ出したと騒ぎ出した。
中国でも同じ被害が出たと中国人が騒いでいる。
日本は他所の国でも国内でも悪いことばかりする。
さあ中国人にも神栖町の住民にも何億円か払ってもらおうじゃないか。
ところが地中から出てきたのはコンクリートで包んだヒ素入り産廃とコーヒーの空き缶だった。
鹿島航空隊時代に缶コーヒーなんかあるものか。
朝日は途端に沈黙して何億の国家賠償の話も立ち消えてしまった。
鰯の頭でもマッカーサーでも信じるのは勝手だ。
でもその信心で住民を踊らせたらタダはなかろう。
それともマッカーサーみたいにこそこそ消えていくか?

再び言おう、朝日よ早く潰れてしまえ!
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変見自在 高山正之の本は面白い47 酢抜きなど食えない

2014-01-10 00:00:31 | 読書と映画
酢抜きなど食えない 2007/3/22

今月で大学を辞めることになって、久しぶりにロスに遊びに行ってみた。
久しぶりな分、あちらも変わっていて、とくにフリーウェー。
10年前は55マイル制限だったのが、いまは真ん中で90マイル以上。
70マイルぐらいで走っていると煽られる。
そんなに飛ばせば事故も起きる。
ラグナビーチに行ったときは道すがら二度も事故現場に行き遭った。
交通整理をしていたパトカーがトヨタのプリウスだったのにも驚かされた。
「ディスカバリー・チャンネル」店の名物だった惑星模型が姿を消していた。
米国印の冥王星がオミットされたのがよほどショックだったらしい。

リトル・トーキョーの寿司屋「薄井」で見た青年にも驚かされた。
お絞りで手を拭くと慣れた調子で板前にお勧めのネタを聞く。
ちょっと思案してお任せの刺身を頼む。
馴染みかと親父に聞くと、いや一見だという。
青年はやがて寿司に切り替え「中トロ」を頼む。
握る板前に彼は中トロの「中」が映画『スターウォーズ』のチューバッカの「チュー」と同じなのを知っているかと聞く。
板前が首を振るとあれは日本語の「大馬鹿」ほどではない「中馬鹿」という意味だと説明する。
キャラクターから何からみんな日本の漫画に頼ったジョージ・ルーカスが思い付いた名前だという。
青年は最後の注文を「ギョク」で締めて爽やかに去っていった。
会話の妙といい、こういう日本人にも勝る寿司の楽しみ方を知る米国人が結構、増えているという。

震源はロサンゼルス・タイムズといわれる。
同紙の別冊「Food」は毎年、レストランのランク付けをしたり、料理特集を組んだり、寿司も頻繁に取り上げてきた。
とくに評判だったのがC・カレーニョ記者が2年前に書いた「寿司通になる」特集記事だ。
カウンター越しに板前と会話することの大事さを説いたもので、マナーも「醤油を皿にたっぷり入れてはいけない」「ガリをネタに載せて食べてはいけない」「しゃりを醤油に浸してはいけない」など細にわたる。
ネタ選びでも例えば「ウニ」は「猫の舌のようにはっきりとした形をしているものが新鮮」と見極めるコツを紹介している。
そして通たるものの心得として「ネタは日本語で注文し、くれぐれもカリフォルニアロールを頼んではならない」と結んでいる。
あれは米国人がまだ寿司を分かっていなかった頃に日本人板前が妥協して生み出したもの。
「本物ではない」というわけだ。
件の青年のマナーはこの指導書通りだった。

そういう通を目指す米国人と並んで日系の寿司屋によくやってくるのが朝鮮系の客だ。
ロスには朝鮮系の寿司屋が多い。
なんで同胞の店に行かないのかと「薄井」の親父に聞いたことがある。
「寿司飯が違う」という返事だった。
実は朝鮮には酢を使う料理が少ない。
ましてご飯に酢を混ぜる発想などもない。
だからあっち系の寿司屋で握るのはただのご飯。
中には胡麻油で味付けした飯もあったりして「酢抜きで油漬けの寿司などとても食えたものではない」と。

松岡農水相はいかにも悪そうで、付き合いたくない人ナンバーワン風だ。
だから彼が言う海外の寿司屋認証制度も「悪い」と決め付けて「現地風変わり種の日本食に水を差すことが国益になるのか。
無粋で余計なお世話では」(東京新聞)と下品な評が出る。
AERAも「米国の寿司は日本人には理解し難いが、どんな寿司でもいい。
それより食中毒の方が心配」というプロの寿司職人の言葉を載せる。

しかし前述したように米国では「理解し難い」ものは排され本物志向が進む。
衛生面でも米国は「ネタはすべて冷凍」を基準にし、解凍後は「華氏41度以下で保存」を命じている。
さらにカリフォルニア州衛生局は「日本が発見した寿司飯の酢の殺菌効果」を高く評価して、各店ごとに寿司飯のpHを測定してライセンスを交付する計画を進めている。
いい加減な論評やって酢抜きの寿司が食中毒を起こす前に、日本の食文化を少しは勉強した方がいい。

酢抜きなど考えられない、サビ抜きもだけれど・・・・・・
寿司は世界中で愛されているようだ。和食が文化遺産になったのも誇らしい。しかし、一般家庭で和食が減っているのは気になるのだが。
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変見自在 高山正之の本は面白い51 北朝鮮のしっぺ返し

2014-01-07 00:00:50 | 読書と映画
北朝鮮のしっぺ返し 2004/7/22

金日成は朝鮮戦争を始めるとき、スターリンに相談を持ちかけ、宗主国の毛沢東には内緒でコトを進めた。
スターリンがOKして戦争に必要な武器弾薬を提供してくれたが、北朝鮮はそれを船で運びこんだ。陸路を使えば毛沢東に気付かれてしまうからだ。 そして1950年6月、北朝鮮軍は38度線を越えて韓国な攻め込んだ。

シカトされた毛沢東は激怒した。
たかが朝貢国の分際で何様のつもりか。 南北に分かれた朝鮮人同士の戦いは虚を衝いた分、北に利があって、韓国軍はあっという間に釜山まで追い詰められた。 李承晩を日本海に叩き落とせば、北朝鮮はもはや中国の属領でも一介の朝貢国でもない。大国ソ連と手を結んだ存在感ある国になるはずだった。 しかし世の中、そう甘くはなかった。

マッカーサーが仁川に逆上陸し、横腹を衝かれた北朝鮮軍はひたすら潰走を始め、追う米軍は鴨緑江にも達した。
今度は北が滅びる番だ。
北京で周恩来も林彪も金日成の醜態をただ笑っていた。いい気味だ。
しかし、金日成の小賢しさを最も怒っていた毛沢東は笑わなかった。 追い出された北は満州に臨時政権を作るだろう。スポンサーのソ連はそれを好機と捉えて満州に入り込んで居座るだろう。そこまで行く前に北が滅んでしまったらどうなるか。いま脱北者が歩いて渡る川の向こうまで自由陣営になる。川向こうが資本主義のショーウィンドーになれば不合理な中国の共産党政権はすぐ綻んでしまう。

毛沢東は命じた。 「北朝鮮は中共を守る壁だ。軍を出動させる」。 かくて百万人民解放軍が戦場になだれ込んだ。それを目撃した米軍兵士はマクベスと同じ言葉を呟いた。「山が動いた」。いわゆる人海戦術だ。
どんなに爆弾を撃ち込もうと彼らはチャルメラの笛に合わせ、百人横隊の隊伍を崩さず突き進んでくる。人が消耗品である国にのみできる戦術だ。

北は息を吹き返し、再び38度線まで盛り返して板門店で休戦会談に入る。
米軍はこの三年間の戦闘で三万六千人を失った。フランスをナチス・ドイツから解放するために失った人命の二倍以上が、この感謝の気持ちもない民のために散華したのである。
一方の中国の人民解放軍の犠牲者はもう一桁大きい数字だった。 金日成は毛沢東に恭順の意を示し、新羅の王が年号まで唐を真似たように中共を手本にした。毛沢東が農業生産を倍増させる「大躍進」をやれば金日成もそっくりの「千里馬」をやり、中国がそれで三千万人を飢え死にさせれば、北も同じに飢餓地獄を作った。 次に中国が毛語録を手に「文革」を始めると、金日成はやや戸惑った。なぜならそういう個人崇拝はもうとっくにやっていたからだ。 北では紅衛兵どころかもっと進んだ「喜び組」もいる。出藍の誉れぐらいに思っていたら中国の紅衛兵に詰問された。 「あんたはなぜそんなに太っているのか。ブルジョアの贅沢な暮らしをしているんだろう」(産経新聞「朝鮮戦争秘話」相馬勝)。

つい最近、北朝鮮のNo2が粛清された、中国との窓口であった人物らしい。
この事態で中国が激怒したとも伝えられるが実態はどうなのであろうか?この二国の上記の経過を知れば、真相は分からない。
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変見自在 高山正之の本は面白い46 官僚とは無能のこと

2014-01-06 00:00:42 | 読書と映画
官僚とは無能のこと 2007/1/4

明治の日本はお雇い外国人に目の玉の飛び出るほどの給料を払って、その代わり鉄道も発電所も自分たちでさっさと作り上げた。
欧米に倣うだけではなかった。
明治の初めにはもう人力車を発明して西南戦争では立派に兵員輸送の大役も果たした。
人力車は別に特許とかうるさいことを言わずに中国や東南アジアなど後進地域に伝え、それはリキショーとかシクロとかの名で今も息づいている。

司馬遼太郎が「坂を上りつめて後は下り坂」と酷評した日露戦争以後だって日本人の意識は高かった。
明治41年には池田菊苗が欧米人の知らない旨味グルタミン酸を発見し、その2年後には鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミンB1)を発見して人類を脚気から救った。
同じ頃、鳥潟右一が世界初の公衆無線電話を成功させてマルコーニをびっくりさせたが、もっと世界を驚かせたのが明治学院中学生の安藤博が発明した多極真空管だった。
譬えれば今の半導体みたいなもので、実際、最初のコンピュータ「ENIAC」はこの多極真空管1万8000本を使ってつくられた。
安藤少年の発明はその後のラジオやテレビ、無線通信などを画期的に飛躍させるものだったが、ただその真空管を使うには安藤少年に特許料をいちいち払わねばならなかった。
パソコンの起動ソフトの特許を握ったビル・ゲイツのもとに全メーカーが詣でる構造と同じで、その結果ゲイツは億万長者になれてもコンピュータ産業は著しい制約を強いられたのと同じ状況にもなった。

それをこの時代、松下幸之助は解決した。
彼は少年を訪ね、特許は日本の産業の発展を阻害しかねない、私が特許を買い取って世間に解放したいのだが、と伝えた。
安藤も日本人だった。納得して特許を手放し、日本の電子産業の裾野は広がった。日本にSONYやパナソニックが誕生したのは偶然ではなかった。

同じ頃、東北大の八木秀次教授が超短波受信用の指向性アンテナを開発した。
教授はこれを使って新潟と佐渡を結ぶ警察用無線を実用化している。
しかし世界が関心を持ったのは「超短波は何かにぶつかれば反射して戻ってくる」という性質だった。
教授のアンテナはその戻ってくる超短波をキャッチできる。
つまり敵艦や飛行機を見つける電探(レーダー)に使えそうだということだった。

しかし伊原吉之助・帝塚山大名誉教授が産経新聞の正論欄で指摘したように「当時の日本は軍部を含めて各界が官僚化していた」。
無能だったという意味だ。
だから電探も「こっちから電波を発射したら敵に居所を教えるようなものだ」とその開発も研究も潰してしまった。
昭和16年、教授はアンテナの特許更新を申請したが、特許局と商工省の官僚は「重要な発明特許とは認めがたい」と逆に特許の取り消しを通告してきた。

同じ年の12月8日、日本は真珠湾攻撃と同時にマレー半島に上陸、ジットラ要塞線を1日で破って、翌年2月半ばにはシンガポールも陥落させた。
ここで日本は連合軍のレーダー2基を鹵獲(ろかく)し、その操作員が綴った仕様書も押収した。
いわゆるニューマン文書だ。
解読は、しかしすぐ行き詰まった。
文書に頻繁に出てくる「YAGI」の意味が分からない。
で、捕虜収容所で文書を作ったニューマンを探しだし、意味を訪ねた。
彼は怪訝そうな顔をして答えた。
「YAGIとは貴方の国の学者の名だ。彼が発明した指向性アンテナのおかげでレーダーができたようなものだ」

この証言から三ヵ月後にミッドウェーの海戦が起きる。
米軍は八木アンテナによって日本の連合艦隊をほぼ壊滅に追い込めた。
日本の敗北は官僚の無能ゆえと言ってもいい。

う~~ん、日本の優秀さを讃えてきたいくつかの例に比べて・・・・・・
この判断ミスは致命的であった。しかし、ここから学ぶべきはこうした事態が今もなお起きていないかである、そうでないとは言い切れない。
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変見自在 高山正之の本は面白い45 優しさは日本発

2014-01-05 00:00:59 | 読書と映画
優しさは日本発 2006/11/2

「ワレンは左手にピンセットを、右手にメスを持っていた。
彼は目の前の椅子に坐った青年に口を開けて舌を出すように命じた。
青年は迷いながらも従った。
舌が口の中から出てくるとワレンはピンセットでそれを挟んで引いた。
青年は恐怖で舌を引こうとしたが、ワレンの助手が青年の頭を押さえたので舌はさらに前に引き出された。
ワレンの右手のメスがあっという間にその舌を切り落とした。
残った舌から血が噴出した。
助手が真っ赤に焼けた鏝(こて)をワレンに手渡し、青年の目を手で覆った。
ワレンは焼き鏝を血の噴き出る舌に押し当てた。
青年は凄まじい痛みにありったけの力を振り絞って逃げようとする。
焼き鏝が滑って青年の下唇に触れた。
肉が焼ける臭いがした。
ワレンはピンセットを外した。
青年は両手で口を押さえ、唸り声を上げてふらふらと立ち上がった。」
J・トールワルドの『外科の夜明け』に描かれている19世紀の舌の腫瘍除去手術の模様だ。場所はマサチューセッツ総合病院。
読んで分かるように、この頃は麻酔がなかった。

彼らに患者の痛みを取り除くという発想がなかったからで、手術も虫歯の治療も抜歯も患者は脂汗を流しながら正気で受けていた。
あちらでは歯医者をサディストと同義語で遣っているが、よく分かる気がする。
米市民が苦痛の無い手術を知るのは1846年。
場所も同じワレン教授の手術室で、W・モートンがエーテルを使って行った。
トールワルドはその瞬間を「医学はいま夜明けを迎えた」と高揚して書いているが、実はその半世紀も前に日本でとっくに医学は夜明けを迎えていた。

華岡青洲が60歳の女性患者に麻酔をかけ乳癌の切除をしていたのだ。
この時使われた麻酔剤は朝鮮朝顔から抽出したスポコラミン。
『ゴルゴ13』では自白剤として登場している。
青洲は患者の苦痛をいかに除去するかを模索し続けた。
今で言うペインクリニックだが、妻加恵は人体実験を買って出て、ついには失明している。
この夫妻の思いはその後の日本の医学界にしっかり引き継がれて行く。

開腹しなくとも胃腸の状況を確認できる胃カメラは東大の宇治達郎博士とオリンパス光学の杉浦睦夫氏らが共同開発したものだ。
同じく超音波を使ったエコー診断は順天堂大の和賀井敏夫教授の発明だ。
冠動脈の詰まりは激痛を呼ぶが、それを切らずに治すバルーンも日本人が開発したものだ。
患者の苦痛除去という意味では前田昭二・前田病院総院長の「痔のクローバーカット」が挙げられる。
国民病と言われるいぼ痔は肛門の「菊の花」部分にできる静脈瘤を言うが、かつてはその菊の花を全て切除するホワイトヘッド方式が主流だった。
この部分は粘膜と表皮を結ぶ「移行上皮」と呼ばれる。
唇と同じ構造だと思えば分かり易すい。
その唇の一部に静脈瘤ができたからといって唇すべてを切り取るのはいかにも乱暴だし、移行上皮を取り去れば表皮と粘膜を直に縫合することになる。
その無理ゆえにホワイトヘッド方式では術後に内側の粘膜が肛門から垂れ下がり、遂には歩行不能にもなる。
それで手術が嫌われてきた。

これに対してクローバーカットは静脈の通る病変部だけを切除するため、術後も菊の花は残る。
治癒も早く、痛みも少ない。
今の日本の主流となっている。

東京医科歯科大の故・総山孝雄教授の虫歯治療法は米学会から表彰された。米国での虫歯治療は歯の神経を殺して内側を全て抉り出し、充填剤を入れる。
歯のホワイトヘッド方式といってもいい。
総山方式は患部の神経だけを殺し、残りは生かすから、歯は長生きする。
人に優しい医療技術は実は日本発が多い。
それは国民性の表れとも言える。
ただ、その優しさを理解する隣人は多くない。
中国人や韓国人は超音波を喜んで使っているが、それは胎児の性別検査で、女児だったら堕胎する。
そんな国に限って「日本軍は戦時中、残虐なことをした」とか言って、日本人の知らない残虐行為を並べる。
彼らの国民性は残忍に加え、虚言癖もある。

こうした事を知ると日本の素晴らしさ、優秀さに誇らしくさえなる。
まったく分野は違うが魚群探知機も日本の発明だ、今は世界中の漁船の必需品だ。
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変見自在 高山正之の本は面白い44 朝日が書かない真の中国

2014-01-03 00:00:44 | 読書と映画
朝日が書かない真の中国  2006/10/12

どんなだめな国でも何かひとつくらいは他人に自慢できるものがある。
北朝鮮のマスゲームもそんなもののひとつだが、今年はそのお祭り、アリラン祭が急に中止になった。
朝日新聞はその理由をソウル特派員電で「お祭の出演者が豪雨の被害復旧に動員され、それでお祭ができなくなった」といった趣旨を伝えた。
しかし産経新聞は違う中止理由を載せた。
あの祭りは例年、結構な数の観光客を呼べ、4億円近い外貨を稼いできた。

ところが今年は最も多くの観光客がくる「日本が経済制裁に出て」万景峰号を止め、日本に次ぐ大口の米国もテポドン発射で機嫌を悪くして「北朝鮮への渡航を禁止」してしまった。
せっかく20万人民を調教してマスゲームをやらせたところで観光客はゼロ。
一銭も儲からない。
それなら止めてしまえスミダとなったからだと。
豪雨被害のための動員など体裁のいい言い逃れ。
日本政府の経済制裁が実はこんな強烈な効果を生んでいたというわけだ。
憎たらしい金正日がしょぼんとしたと思うと、ちょっぴり小気味がいい。
同時に日本が眉根を曇らしただけで小さな国はここまでばたばたすることも知れた。
朝日はそれを隠し、代わりに嘘を並べた。

中国の医者は患者にたかる。
袖の下を出さない患者は診てももらえない。
それが問題だと騒ぐ世論に北京市衛生局が「医者への謝礼は賄賂ではない」との判断を示した、と朝日の坂尻特派員が伝えた。
良い医者にかかりたければ相応のカネを用意するのは当たり前だと。

それを産経の福島香織特派員が書くと、革命が起きてもおかしくない中国の世相が透けて見えてくる。
中国では実は「共産党幹部ら850万人は医療費が免除」されている。
それを下支えするために一般の患者に重い医療費負担がのしかかり、負担ができない「都市民の七割、農民の九割以上が医療すら受けられない」「急病で病院に担ぎ込まれても所持金が無いのでロビーに放置され死亡したケースもある」朝日が絶対書かない中国の姿だ。

逆に朝日しか書かない記事もある。
香港の林特派員は日本企業の商標「三光」が「旧日本軍の蛮行を連想させるとして中国当局から却下された」と伝えた。
「三光」とは毛沢東の軍がかつて村々を襲って食糧を略奪し、村民を殺し、焼き払った手口を言う。それが戦後、反日プロパガンダに使われてきた。
特派員も本社デスクも、それを検証もしないであたかも真実のように書く。
この新聞社にはまともな日本人が一人もいないのだろうか。

日本に来たマッカーサーには狙いがあった。
第三世界を目覚めさせ、白人の脅威となった日本を完全に消滅させることだ。
そのために自衛も認めない憲法を押しつけ、日本人は生きていてはいけない「邪悪」な民族という刷り込みプログラムもやった。
彼らは日本の文化も潰しにかかった。
忠臣蔵や荒木又右衛門など敵討ちものは舞台からも映画からも追放された。
彼らは将棋にも嘴を入れた。

世界に星の数ほどゲームはあるが、将棋だけが相手の駒を取って、それを自軍の手駒として使える。
その特異性をウイロビーは「捕虜虐待の思想」として将棋の廃止を言い出した。
将棋連盟から升田幸三がGHQに召喚された。
升田は「チェスは相手駒を殺していく。
しかし将棋では殺さずに能力に相応しい働き場で再活用する」と日本文化の奥行きと日本人の心を教え、諭した。
さらに「チェスでは王が逃げるためには王妃でも楯にする」。
項羽が虞美人を殺して逃げたのと同じ。
お前らの考え方こそ人の道に反すると指摘した。
かくて日本の心を象徴する将棋は生き残った。

その将棋の殿堂、将棋連盟が名人戦のスポンサーを毎日新聞から朝日新聞に乗り換えると言い出した。
結局、相乗りで決着したが、毎日といえば「百人斬り」の与太記事で無実の将校二人を処刑場に送って今なお恥じない。
一方の朝日はマッカーサーの悪意そのままの新聞。
升田が守った日本の心をこんなところに託す。
将棋界の歴史に残る最悪手ではなかったか。

将棋さえ禁止しようとした事はこれで初めて知った。さすがに升田さんだ、アメリカはグーの音も出なかったのだろう。
吉川英治の三国志等を随分と読んだのだが、敵の猛将を三顧の礼を尽くして自軍に取り込む例が沢山に出てくる、又かよと言っていいほどだ。
当にこの将棋の相手の駒、しかも角や飛車だ・・・・・・・
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変見自在 高山正之の本は面白い43 「七歳の捕虜」が語る真実

2013-12-29 00:00:12 | 読書と映画
「七歳の捕虜」が語る真実 2005/12/1

ニューヨーク・タイムズのニコラス・クリストフ記者が東京で嘘ばかり書いていた頃の代表作に 「日本兵が中国人少年を殺してその肉を食った」 というのがある。

三重県に住む旧日本軍兵士から聞いたとクリストフは書き出している。 老兵は「たった一切れしか食べなかった」が、 「妻にも打ち明けられない忌まわしい記憶」 は未だに彼を苛み続ける。そう告白する彼の「枯れ木のような手は震えていた」と。
しかし糟糠の妻にも話さなかったことをなぜ一見の外国人に語ったのか。ヘンに思った産経新聞の記者が老兵に話を聞いたら全く違った。

老兵は言う。クリストフが訪ねてきてさかんに人肉を食っただろうと言う。 中国人と違うからそんなことはしないと答えた。彼はそれでも「噂でも聞いたことはないか」と聞く。それで駐屯した中支の市場で滅多に見ない新鮮な肉が出ていたので買ってきてみんなですき焼きにした時の話をした。 食べているところへ憲兵隊がきて、何某を探しているという。 何でも中国人少年を殺して逃げたという話だった。 で、もしかしてこの肉はその子のではないかと冗談を言ってみんなで笑った。 それほど新鮮な肉だったという意味だ。 その話をクリストフは冒頭の一文に脚色した。たいした嘘つきだ。

彼はまた15年間の日中戦争で「日本軍は暴行略奪の限りを尽くし2000万人を殺した」と書いている。 江沢民の言う3000万人を1000万人ほど少なめにしたところがNY・タイムズの良識と言いたいらしい。
しかし2000万人でも15年間、休みなしで毎日3700人ずつ殺し、かつ略奪し続けなければならない。 日本軍が本当にそんな血まみれの軍隊なら、市場に新鮮な肉があればわざわざ買うか。奪えばいい。
日本兵が子供を殺したといって憲兵隊が出動して捜査するか。 この記事はクリストフ記者が朝日新聞本社ビルにオフィスを構えていた頃に書かれたものだ。 朝日に感化され、どんな嘘でもいい、日本を悪く書けばいい記事だと本気で思っていたことがよく分かる。

しかし、この記事は日本軍がいかに軍規に厳しかったかを見事なまでに証明してしまった。
中支にはもう一つ、日本軍のありのままの姿を伝える実話がある。

昭和18年6月、第37「光」師団は漢口から黄河のほとり河南省済源県に転進命令を受けた。 この地はかつて殷、周が都を置き、戦国時代には項羽や劉邦かま駆け回ったいわゆる「中原」にあたる。 同師団227部隊第7中隊約200人は黄河のほとり王爺廟付近で中国軍の大隊と遭遇する。中国側は5倍の兵員数だが、日本側は強かった。 たちまち半分をやっつけ、残りの中国軍は降伏した。
捕虜の中に7歳の男の子が紛れていた。 中国軍将校が預かっていた孤児で、名を俊明といった。 中国人将校が捕虜の身では子供の面倒もみられないということで第7中隊が代わって子供を預かることになった。 俊明はすぐに中隊のマスコットになった。 兵たちは俊明似合いそうな服や菓子を買ってきては可愛がった。 中隊が出撃するときは松山という日本名の朝鮮人家庭に預けられたが、その親子に「親なし子の捕虜の支那人」と苛められた。 いかにも朝鮮人らしい振る舞いで。 部隊は南に移動することになったが、引き取り手もなく、結局、子連れで転戦することになった。 戦いが始まると炊事班と後方で待機し、一段落すると、また合流する生活が続く。 その間に日本語の読み書きも教わった。

後に師団名の「光」を姓に日本に帰化した俊明は自伝『七歳の捕虜』の中で、別の部隊と行き会うと「その部隊にも孤児が引き取られていた」と書いている。 部隊は南支からさらにバンコクに移ったところで敗戦の知らせを受ける。 俊明はここで連合軍に戦勝国の中国に戻るか、敗戦国・日本に行くかを選ばされ、親代わりになってくれた日本軍軍医の養子になる道を選んだ。
俊明は熊本済々學高から熊本商大に進み、今は神戸で貿易商を営む。
江沢民は 「日本軍は子供を放り上げて銃剣で刺し殺した」と言い立てる。 彼も日本人の中で育っていればあんな嘘つきにならずにすんだのに。

微笑ましい逸話ですな~、日本人の優しさが顕れている。
一方で日本人の残留孤児を助けてくれた中国の人もいる、反日の中国指導部には反感を覚えるが、底辺に流れるこのヒューマニズムに国と国との対立を超えた人間の素晴らしさがまたある。
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変見自在 高山正之の本は面白い42 検証されない嘘

2013-12-26 00:00:42 | 読書と映画
検証されない嘘 2005/11/17

第一次大戦では1500万人が死んだ。
ソンムの戦いでは四ヵ月間で150万人もが戦死した。毎日1万2000人が戦死し、それが120日間も続いたというのだ。 そんな馬鹿を続けたのは双方が双方とも、これが決定打だと毒ガスやら戦車やらグロテスクな兵器を次々開発しては戦場に持ち込んでいったからだ。
その中には誕生間もない飛行機も含まれていた。最初は先を尖らせた鉄棒を空からばら撒いた。鉄棒は塹壕に隠れる兵士を頭から串刺しにした。

しかしこの馬鹿げた戦争に決着をつけたのは戦車でも飛行機でもなく「情報」だった、とアンヌ・モレリは著書『戦争プロパガンダ10の法則』で言う。

例えばドイツ軍の侵攻を受けたベルギーからの生々しいニュースだ。彼らドイツ兵は子供にも残忍な牙を剥き「子供たちと見れば手首を切り落としていった」と。
この情報は中立を保っていた米国の世論を揺るがし、ある富豪は手首を失った子供たちを引き取ると語った。
英デーリー・メール紙はブリュッセル郊外でドイツ軍が民家に火をかけ、家族を皆殺しにした事件を詳報した。 最後に「死んだ母親に抱かれた赤ん坊にドイツ兵がまさに銃剣を突き立てようとしたときに味方の軍が来て赤ん坊は救われた」と。 同紙は多くの読者から赤ちゃんを引き取りたいという手紙が殺到した。 アレクサンドラ王女からは赤ちゃんに着せてと幼児服が届けられた。 国際世論がドイツ非難に傾く中でベルギーの病院での出来事が伝えられた。 

「ドイツ兵は保育器の中の未熟児を取り出し、バトミントンのシャトルのように放り上げては銃剣で突き刺した」。 赤ん坊はぼろきれのように殺された、と。
フランスのゼンプスト村も酸鼻を極めた。 「ドイツ兵は村中の女を犯した」。 「馬商人のD・トルデンは縛り上げられ、目の前で9歳の長男がナイフで切り刻まれ、13歳の娘も強姦されて殺された。彼の妻も犯されたうえ射殺された」 ドイツ軍は「囚人の死体から潤滑油をとっている」とか「ドイツ空軍は故意に病院を爆撃した」とか悪行も伝えられた。

「手首」で揺らいだ米国世論はこうした続報で完全に風向きが変わり、参戦に踏み切る。 そしてそれが大戦を終結させた。

戦後、米富豪の思いを込めた調査が行われたが、手首を切り落とされた「子供たち」はとうとう一人も見つからなかった。 デーリー・メール紙の記事も実は創作だったと、記者本人が後にニューヨーク・タイムズ紙に告白している。
保育器の赤ちゃんを放り上げて銃剣で殺した事件も調査されたが、どの産院でもそんな事実はなかった。
仏ゼンプスト村の強姦騒ぎでは村役人がそんな事件はなかった、だいたいトルデンという人物もいなかったと証言した。

つまり堂々たる嘘が国際社会をまかり通り、それで米国の参戦という歴史的変換が生み出されたわけだ。
誰がでっち上げたかはそれで得をした米英仏に聞けば分かる。面白いのはこの創作話がその後も場所を変えて使われていることだ。

そのほぼすべてが網羅されているのが江沢民の抗日記念館だ。
「日本兵が赤ん坊を放り上げて銃剣で刺し殺した」インチキ写真や記述がある。 アサヒグラフに載った中国人女性たちを護衛する日の丸村の写真に 「日軍に拉致され強姦され殺された中国人女性たち」とキャプションをつけてある。 あるいは朝日新聞からの出典で農家から買った鶏を抱える日本兵の写真に「掠奪の現場」としたり。 米国も中国に倣って映画「パール・ハーバー」で日本軍機が病院を爆撃したことにしている。 最近では湾岸戦争の折りにイラク兵が保育器の赤ちゃん殺しをやったと報じられた。 コソボではセルビア兵が集団強姦をやったと。 後者の2例については米議会や国連でもまことしやかに語られたが、後の検証でいずれも偽情報とされた。 ところが日本軍についての事案は一切の検証は行われていない。 ただ江沢民がやったやったと囃し、政治家も歴史学者も誰もがこの残虐な例を検証することなく、事実と決め込んでしまった。 で、朝日新聞に頼みがある。 せめて江沢民が使っている朝日新聞やアサヒグラフの写真だけでも訂正させたらどうか。 中国人も朝日が言えばそこは嘘つき同士、心が通じるかもしれない。

日本はこうした事態に猛然とした抗議をしない。それが更なる悲劇を招く例もある。
国内のマスコミが加担しているのだから何をか言わんやだが・・・・・・
朝日新聞は早く潰れてしまえ!
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変見自在 高山正之の本は面白い41 民族性はわかりやすい

2013-12-22 00:52:25 | 読書と映画
民族性はわかりやすい b2005/7/7

9・11のあと米国がイラクを叩くと言い出したときフランスは公然とそっぽを向いた。米国は激怒した。 もうフランス語など使うものかと言い出したりした。

新聞の投稿欄にはもっと凄い罵詈雑言が並んだ。
第二次大戦のとき、さっさと降伏し遊んで暮らしたフランス人のために1万6000人の米兵が死んだ。 それを不問に付してやり、植民地も取り戻してやった。その恩も忘れて一体何様のつもりだ、と。

そのフランスに同調したのがドイツだ。 ここの国民はユダヤ人を寄ってたかって差別し、虐殺したくせに「あれはナチスのやったこと、我々国民も彼らの犠牲者だ」と見え透いた嘘をついた。 米国はその嘘を認めてやり、ついでに戦後復興にと12億ドルもの援助を無償でしてやった。 世に言うマーシャルプランだ。 ちなみに日本にもガリオア・エロアがあった(山口注:ガリオア資金とエロア資金、ガリオア=占領地域救済政府資金の英文の頭文字。 エロア=占領地域経済復興資金の英文の頭文字)。

忘れもしない、青汁よりまずい脱脂粉乳が給食に出たものだが、ドイツと違って日本は有償援助だった。
マッカーサーは日本がイタリアやスイスへの賠償支払いに悲鳴を上げているときに脱脂粉乳代として5億ドルを取り立てている。 おまけに米潜水艦が不法にも撃沈し、2000人を殺した阿波丸の賠償もガリオアの返済分で帳消しにしている。 日本に比べればドイツは破格の厚遇を受けたわけだが、それがフランスと同調し、シラクの後ろに隠れながら米国を批判した。

先日、ライス国務長官が国連安保理の常任理事国に新たに入れるのは「日本とどこか新興国ひとつ」と言い出した。 実に露骨なドイツ外しだが、その背景にはドイツ人の忘恩を憤る米国市民の正直な反応があるのだ。

こうやって見ると米国とは何とまあ直情径行、こうと決め付けたら一直線風な性格と思われがちだが、米国だって隠忍自重、煮えくり返るハラワタをぐっと抑え込むときもある。 それが「韓国だ」と先日(六月十日付)のフィナンシャル・タイムズ一面解説記事が指摘していた。 「米韓、五十年の同盟関係の維持に努める」 という見出しで、のっけに「朝鮮戦争で流された血によって築かれた良好な関係」にさりげなく言及している。

言いたいことは一言。 韓国を守るために米国は、フランスを解放するために流した血の三倍以上、5万4000人をこの地で失った。 そして韓国はすぐそこにある共産勢力の脅威から守られ、今では世界11位の経済力を持てるようになった。 一言、付け加えれば、そこまでの成長の多くは日本が施した教育とインフラ整備に負うところが大きいのだが、それはともかく、今や韓国はその脅威のはずだった北朝鮮に擦り寄る。挙句は北の核に理解を示し、国内メディアは二言目には反米を捲し立てる。 5万4000人の戦死者を思えば米国の怒りは察するに余りあるが、ただそれを露骨に出せないのは韓国がドイツと違って非白人国家であり、米国以上に直情径行で、南北とも何をしでかすか分からない不気味さがあるからだと思われる。 その一方で馴れぬ忍耐をしている米国も怖い。こっちもいつぶち切れるか。

谷内外務次官がその辺を汲んで韓国議員団に「米国は韓国を信用しなくなる」と忠告した。 普通は感謝するのが筋なのに、韓国は逆に文句を言い出し、例によって朝日新聞も相乗りして大騒ぎする紙面を作った。 この新聞はこうした民族性や人種問題が大きな鍵となる事件でも、一切その表記をやらない。

例えば複数の女児を強姦した韓国籍牧師の初公判記事は日本名の「永田保」と書く。 東京・大田区で三歳の女児を布団叩きで殴り殺した男は中国人なのに日本人風の「佐伯義明」だと。 紳助風に言えば「そんな奴はおらんじゃろう」。 カンボジアの国際学校での児童人質事件の発端は、韓国人の雇い主に殴られた青年がその仕返しに雇い主の子を人質に取ろうとしたものだった。 朝日はこの雇い主が韓国人だということも伏せている。 ロサンゼルスを火の海にした92年の暴動も実は、韓国人スーパー経営者が万引きした黒人少女を射殺したことが大きな要因だった。 悪い奴の名を日本人名でとか、朝日にはそんな決まりがあるのだろうか。

これは2005年の記事なのであるが、韓国はこの頃からこんな事言われていたんだとつくづく思う。
今年になって中国に擦り寄り、あまりの姿勢にアメリカから懸念されている。それはそうだ、最新のアメリカの武器や航空機などの情報が中国に流れてしまう危険性がある。
今から8年前の記事であるが韓国は何も変わっていない・・・・と言うよりも、むしろ悪く変わっている。
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変見自在 高山正之の本は面白い40 リー首相の玉なし

2013-12-21 02:36:59 | 読書と映画
リー首相の玉なし 2005/6/2

今年はサイゴン(注:かつての南ベトナムの首都、現在のホーチミン市)が陥落して30年になる。
しかし当時はそれで目出たしとはならず、「共産化を嫌うベトナム人のボートピープル」が続々と脱出し、遭難したとか貨物船が救助したとか、新聞紙面を騒がせ続けた。

そのボートピープルの素性がやがて明らかになる。彼らは「共産化を嫌って」もいなければ「ベトナム人」でもなかったのだ。 彼らは仏印時代に入り込んできた華僑で、フランス人の手先になって徴税や阿片専売公社の運営を手伝い、ベトナム経済を実質的に支配してきた。
統一を果たしたベトナムは華僑から経済実権を取り返し、ついでに彼らが蓄えた私財も新生国家のために供出するよう求めた。 それを嫌がって華僑は財産を抱えてボートで逃げ出した。 多くは海賊の餌食にされるが、その海賊も中国人だった。
度し難い民族ではある。

要するにベトナム人と華僑の民族問題だった訳で、そう見ればとっくに共産体制下にある北ベトナムからボートピープルが出た謎も謎でなくなるわけだ。

中越紛争もよく分かってくる。 映画「メン・イン・ブラック」でウィル・スミスがゴキブリを踏み潰すとゴキブリ星人の怪物が怒って飛び掛かってくる場面があったが、それと同じ。
ベトナムが華僑をいじめるのを見て、北京がいきり立ったわけだが、結末も映画と同じ。 無作法な侵略者・中国はベトナムに完膚ないまでにやられた。

あれから30年、朝日新聞はそのボートピープルが今、ベトナムに戻ってきて投資を始めた、ベトナム政府もそれを歓迎していると書いている。 しかし、どこにも彼らがその昔ベトナムを支配した華僑だとは書いていない。中国に遠慮したか、武富士ケースを考えれば北京政府に買収されたか、いずれにせよ中国の都合のいいような嘘が書かれている。
正確に書けば、ベトナムはもう中国経済圏に組み込まれ、今さら華僑排斥もない。 かつてこの国を食い物にした華僑も今では大手を振って帰ってきているということだ。 先日の「時時刻刻」では東アジアサミットがらみで 「中国の影響力拡大を嫌って米国との関係強化を図る国もある」 として 「シンガポールが米国と戦略枠組み協定を締結することで合意した」 とあった。
知らない人が読んだら、そうかシンガポールは親米で反中国なんだと思ってしまうが、これも大嘘。

この国がなぜ米国に擦り寄るのかは前首相の呉作棟(ゴー・チョクトン)が湾岸戦争の折りに雄弁に語っている。
「我が国を第2のクウェートにしてはならない」と。
この国はマレーシアとインドネシアというマレー人の海に浮かぶ中国人の島で、双方の侮蔑と敵意は臨界点にある。 だからいつマレー人国家に攻められるか分からない、警戒は怠らないという国防論だが、当のマレー人国家から我々のどこが脅威なのかと文句が出ると 「いや日本を想定しての発言だ」 と言い逃れている。 そういうマレー人の脅威があるから米国がフィリピンから追い出されるとすぐ米軍のための基地用地を提供した。

今度の米国との協定もその延長にある。 同じ中国人同士が「中国の影響力拡大を嫌う」わけもないだろうに。 その証拠に今のリー・シェンロン首相はマレー語の国歌と英語を公用語にする国際国家シンガポールと言いながら漢字名の「李顕龍」を持つ。

おまけに中国の政治的属領であることも事実上宣言している。 発端は彼が昨年夏、アジア諸国を回った折りに台湾にも立ち寄ったことでこれが台湾を独立国扱いしたとして北京を激怒させた。 リーはビビり、北京の言いなりになって「一つの中国」を公式に発言して北京に恭順の意を示した。 これを台湾が怒り、高官の一人は 「彼にはLPがない」とやった。 LPとはランパー、中国語で金玉。 腰抜けほどの意味だ。

余談ながらこの「LP」発言を米紙が取り上げて今や「ツナミ」と並ぶアジア発の世界語になっている。 リーは今度の小泉首相の靖国神社参拝でも北京と同じ批判をし、それもあってこの秋には許されて北京に参内する。 それにしても朝日は何で小まめに嘘をつくのか。 リーと同じに、北京に怒られるのが怖い「LPなし」野郎なのか。

こうした国際情勢の機微をこの変見自在で沢山に知った。
新聞・テレビは真実を報道しない、しかも、それに確信をもってやるから始末に悪い。
つい最近、ミス・インターナショナルの吉松育美さんが 芸能界の闇を告発(週刊文春)したが、新聞・テレビは報道をしない。
彼女は12月16日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見を開いたが、これも報道されない。


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変見自在 高山正之の本は面白い39 髭剃りでわかるオランダの性根

2013-12-20 01:30:04 | 読書と映画
髭剃りでわかるオランダの性根 2009/10/29

東工大助教授の武井武がセラミックに通電したまま帰ってしまった。
翌日、セラミックは磁石になっていた。
昭和五年、今の携帯やテレビ、ステルス戦闘機にも欠かせないフェライトの発見の瞬間だった。
「鉄でないものが磁石になる」ことがいかに画期的な発見か。専門家は「電子レンジに鉄を入れれば分かる」という。
鉄は火花を散らし高温になってはね回る。つまり鉄の磁石は高周波の世界では使えない。しかしセラミックなら問題ない。
この世界的な発見で武井は昭和七年、特許を得た。商品化のため今のTDKが設立され、終戦までに500万個が生産された。
フェライトは無線のノイズを消す。音声も明瞭になるから日本の陸軍はそれを無線機に採用した。

ちなみに欧米では昔ながらの「ダスト」を使っていた。文字通り金属クズを固めたものから、ノイズはひどい、同調もしにくい。彼らが大声なのはそのせいかもしれない。
フェライトの性能が知られ、海外からも引き合いがきた。昭和十五年にはオランダのフィリップス社が二百個を注文している。
日本はその翌年、英米蘭と戦争に入る。
戦後、GHQは日本人の洗脳を始めた。「マッカーサーは神様」とか「日本人は残忍だ」とか。いわゆる自虐史観の植え付けだ。
しかしそれを第一生命ビルから拡声器で流しても効果はない。GHQはNHKを使うことにし、スーパーヘテロダイン方式のラジオを国民に普及させるよう日本政府に命じた。
この方式は同調しやすく、遠距離でも明瞭に受信できた。なぜならフェライトが使われていたからだ。

よく聞こえるようになったラジオからNHKはひたすら「日本は悪い国」と流し続けた。NHKは今もそれを続けている。反省のないNHKは潰したほうがいい。
そんな折、フィリップス社から日本政府に「フェライト」の特許承認要請があった。
実はフィリップス社はTDKのサンプルを入手するとすぐ解体して組成を調べた。今の中国人が日本の新製品を分解しては秘密を盗むのと同じやり口だ。
ただ中国人はそれで海賊版を作るだけだが、オランダ人はその上を行った。
秘密をほじくり出すと、それがあたかも自分の発明のように装ってフェライトの特許を申請、オランダ政府もそれを承認したのだ。

維新前夜、福島の旅芸人一座が欧米を巡業した。座長の廣八が旅日記を付けている。どの国も好印象で綴っているが、ただオランダだけは違った。「国も悪し、人も悪し」と。その評が的外れでないことをこの髭剃りメーカーが証明した。日本の特許を、自分の特許のように仕立てて「認めよ」という。
ところが日本の役人は戦勝国オランダに遠慮して文句も言わない。
マッカーサーもスーパーヘテロダイン方式を通してフェライトが日本のものと知っていながら、白人同士の誼を優先させてフィリップスの特許を認めさせた。
ちなみに同じ敗戦国のドイツは違った。ドイツは武井の特許を知っているから「フィリップスに特許はない」と却下している。

あくどいフィリップス社だが、白人世界にはその上を行くものもいた。フランス人物理学者のルイ・ネールは武井論文をもとにフェライトの磁性を語って昭和45年にノーベル賞を受賞した。
鈴木梅太郎は今でいうビタミンB1(オリザニン)を発見したが、名はフランクに取られ、ノーベル賞はエイクマンが取った。高峰譲吉のアドレナリンは名称も功績も米国人に取られた。フェライトも先例と同じ轍を踏む結果となった。
先週、米国の権威ある学会IEEEが「フェライトの発明者」武井武の業績を称える賞を出した。
授与式は東工大で行われたが、だからといってフィリップス社が前非を悔いて特許を返すわけでもない。ネールがノーベル賞を返還するわけでもない。
日本人はこれで黙らせておけという彼らの魂胆が透けて見える。
日本人もそれに応えてこれからは日本製の髭剃りを使うようにしたい。

悔しい話しなのだが、一方で日本人の能力の高さを知って誇らしくなる。
加えてだ、外国の発明品を仮りにだが日本人が自国でそれを頬かむりして特許申請するなど考えられない。
何故ならそれが「真偽に悖る」からだ。そういう精神性を白人社会は持ち合わせていないようだ。


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