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24 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2リ  万策尽きての開戦決定 」

24 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2リ 万策尽きての開戦決定 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

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2リ 万策尽きての開戦決定

  11月27日の午後に、東京に”ハル・ノート”が到着すると、その日のうちに、大本営政府連絡会議が開催された。

  誰もが、衝撃を受けていた。”ハル・ノート”が、受諾不可能な条件を列記した最後通牒であって、検討することすら、とうていできないものであることを、全員が認めざるをえなかった。
  翌28日に、閣議が催された。席上、東郷外相が「4月以降、半年以上に亙(わた)る交渉経緯をすべて無視した、傍若無人の提案を為した」といって、非難した。

  東條首相が天皇に、”ハル・ノート”について上奏して戻った直後に、 が、「陛下のお考えはどうでしたか」とたずねた。
  すると、東條首相が「”ハル・ノート”をご覧になって、いかに平和を愛好され給う陛下も・・・・・・」といって、突然、口をつぐんだ。開戦の重要な責任は、天皇ではなく、輔弼(ほひつ:天子の政治をたすけること)の責任者である自分が負うべきことに、気付いたのだった。

  11月28日に、ルーズベルト(FDR)大統領はホワイトハウスで閣議を行ない、「天皇ヒロヒト」に宛てて、アメリカがいかに平和を強く希求し、戦争を回避することを欲しているか訴える、大統領親電を起草して送ることを決めた。

  11月29日に東條首相以下主要閣僚と重臣が宮中に参内して、天皇に前日の閣議による開戦の決定を、上奏した。天皇は、まだ躊躇っておられた。

  翌日、天皇は嶋田繫太郎海相と永野軍令部長をお召しになって、「いよいよ、矢を放つことになるが、矢を放つとなれば、長期戦になると思う。予定通りやれるだろうか?」と、御下問された。
  天皇はさらに、「ドイツが戦争を止めてしまったら、どうなるのか?」と、たずねられた。
  嶋田が「人も、物も、すべて万端の準備が整っております。大命降下をお待ちするばかりでございます。この戦争に石に齧りついても、勝たねばならぬと考えております。ドイツを決して頼りにしてはおりません」と、お答えした。

  12月1日に、御前会議が催された。東郷外相、賀屋蔵相も含めた全員が、11月1日の連絡会議で行った決定通りに、開戦に同意した。
  御前会議では、「11月5日決定ノ 「帝国国策遂行要領」 ニ基ク対米交渉ハ遂ニ成立スルニ至ラズ 帝国ハ米英蘭ニ対シ開戦ス」と、決定された。誰も異議がなかった。天皇は玉座から身じろぎもされず、終始、沈黙を守られた。

  ついに、開戦の聖断が下った。参列者は宮中から退出しても、硬い表情を崩さなかった。
  東條首相はその直後に、側近者につぎのように語っている。

 「お上が日米交渉を白紙に還元して、再検討せよと仰せられたので、私は誠意をもってこれを実行したが、どうしても戦争に突入せねばならぬとの結論に達したので、お上にお許しを願った。
  しかし、なかなかお許しがなかった。そして、ようやくやむをえないと、仰せられた。
  お上が真に平和を愛しておられ、平和を大事にしておられることを、目のあたりに拝察できて、私は何とも申し訳ないことを、お許し願わねばならないので、残念至極だった。
  お上は日英同盟のこと、英国ご訪問中受けられた、英国側の厚情などを、静かに仰せられた。
  私は二度とこのようなお許しを願う羽目にならないようにと、心から願った。
  宣戦の大詔(おおみことのり)のなかに、「豈(あに:どうして)朕が志ならんや」とある文句は、もと原案になかったのを、特にお上の仰せで、加えられた」

  日本は国家の存亡を賭けて、対米戦争に必死になって立ち上がった。しかし、アメリカの圧倒的な力に、いかようにも抗しようがなく、本土を焦土として、戦闘員と非戦闘員を合わせて280万人以上を犠牲にして、敗れた。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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