見出し画像

gooブログのテーマ探し!

57 中国・韓国と日本の違いの原点 「 5レ 中国を模倣しなかった日本 」

57 中国・韓国と日本の違いの原点 「 5レ 中国を模倣しなかった日本 」

 終章
 中華民族の正体 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
5イ 中国が覇権を握る日
5ロ 中国は国ではなく文明
5ハ 愛国教育は情報操作
5ニ 中華民族とは何か
5ホ 孔子を排斥した毛沢東
5ヘ 孔子学院プロジェクト
5 ト 中国崩壊の予言(割愛)
5チ アメリカ人と中国人
5リ 中国はアメリカのフレネミー
5ヌ 中韓の捏造が信じられるわけ
5ル キリスト教圏とイスラム圏の距離
5ヲ イスラム版中華思想
5ヨ 儒教と対立する老荘思想
5タ 中国は民主主義国になるか
5レ 中国を模倣しなかった日本
************************
最終回です。次のテーマは未定。
5レ 中国を模倣しなかった日本

  読者は、日本が古代から、中国から多くを学んで、日本の文化を豊かなものにしてきた。にもかかわらず、韓国のように模倣することがなく、抓み食いをしただけだったことを、理解していただけたと思う。

  日本は中国から、宦官も、纏足も、役人天国である汚吏貪官制度も、取り入れることがなかった。

  日本では、権力と政治が、すべてではなかった。中国や韓国では、役人だけが人であって、役人が大人(たいじん)であったのに対して、人民はみんな小人(しょうじん)とみなされた。

  李朝の宮廷には、日韓併合が行われるまで、宦官がいた。李氏朝鮮は、宗主国の清に、毎年、宦官と妓生(キーセン)を貢物として、献上していた。

  日本は、韓国とちがい、科挙制度も模倣することがなかった。科挙は、古代中国の隋時代から行われた、官吏登用試験制度であるが、全中国を受験地獄に、陥れた。

  科挙制度と、役人崇拝のおかげで、中国人は自由奔放に発想する力を、奪われた。「圧巻」という言葉は、トップの成績をとった答案が、いちばん上に置かれて、下に積まれた答案を、押し潰したことから、きている。

  日本国民は、韓国がすぐ隣にあるのに、韓国の歴史について、ほとんど無知である。

  最後の王朝である李朝を築いた李成桂(イ・ゾンゲ 1335~1408年)は、高麗朝の将軍だったが、1392年に高麗朝を武力によって倒して、自分の王朝の太祖(創始者)となった。国名を高麗から朝鮮に変えたから、朝鮮王朝としても、知られる。

  李朝は、五百年にわたって続いた。太祖が武力によって、その前の王朝を倒したために、李朝が終わるまで、軍は禍としてみられた。クーデターを恐れて、軍を縮小し、軍人を斥(しりぞ)けた。軍人は軽く扱われ、蔑まれるようになった。

  国防は宗主国であった中国に、委ねた。外国から侵略によって、危機に見舞われた時には、そのたびに、中国に出兵を懇願した。
  そこで、秀吉が文禄・慶長の役によって、朝鮮に出兵すると、国土がたちまちのうちに、蹂躙された。この時も、清朝が派兵して、救われた。

  (日本について顧みると)、(李成桂の)クーデターを(世界大戦の日本の)敗戦に、宗主国であった中国をアメリカに置き換えたら、そのまま今日の日本になる。
  李朝は国防をおろそかにして、人民を恣(ほしいまま)に搾取、収奪することに勢力を費やして、乱脈な社会をつくったが、戦後の日本は経済的な快楽に熱中するあまり、軍を嫌い、軍事を軽視して、軍人を斥けてきた。戦後の日本の政治家と、マスコミ人は、背広よりも、朝鮮服のほうがよく似合うと思う。

  中国は、中華思想を患っているために、対外関係を、上下関係としてしか、みることができない。

  中国は尖閣諸島を奪いにこよう。中国にとって、尖閣諸島はクラゲや、皮蛋(ピータン)のような前菜だ。そのうえで、沖縄を貪り、日本を従えようとしている。
  中国は、中華文明であるから、国ではないのだ。中華文明には、国境がない。

  いま、日本は間違えば、中国の属国となりかねない、切実な危機に直面している。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事