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解説-6.「紫式部日記」再登場する定子

解説-6.「紫式部日記」再登場する定子

山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集

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再登場する定子

  定子は天皇のただ一人のキサキだったので、定子が去れば天皇は独身となる。彼のもとにすかさず娘を入内させたのが、本作品には内大臣として登場する藤原公季(きんすえ)と、右大臣として登場する顕光(あきみつ)であった。
  ところが天皇は、定子に心を残していた。翌長徳三(997)年四月、伊周と隆家を恩赦とすると、六月には定子を中宮職の施設である職御曹司(しきのみぞうし)に迎え取り、復縁させた。

  定子は出家していたが、定子周辺の人々は「実は出家していなかった」と言い繕った。「紫式部日記」に右大臣として登場する藤原実資(さねすけ)は、これを日記に書きとめ「太(はなは)だ稀有の事(ありえないこと)」と一蹴、復縁については「天下甘心(快く思うこと)せず」と批判している(「小右記」同年六月二十二日)。

  天皇と定子に再び愛情の日々が訪れた。しかしそれは貴族社会の白眼視の中のものであった。加えて天皇は、まだ後を継ぐべき男子がいないという問題を抱えていた。
  長徳四(998)年、顕光の娘である女御元子が出産したが、異常出産であった。これを受けて、天皇は定子に男子出産を期待しない訳にいかなくなった。翌長保元(999)年、定子は懐妊し、再び政治の荒波に揉まれることになった。

つづく
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